創世記21

バベルの塔

創世記 11:1-9

1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

世界の高層建築

ブルジュ・ハリファ

 浜松で一番高い建物はアクトタワーです。地上45階、約212mの高さがあります。静岡県内最高でもあります。
 日本一高いタワーは東京スカイツリーです。高さは634mあります。
 ちなみに日本一高いビルは麻布台ヒルズの森JPタワーです。高さは325mです。
 地震の多い日本でここまで高い建物を造れるようになりました。
 スカイツリーは建設途中に東日本大震災が起こり、東京も大きく揺れました。既に高さは600mを越え、作業員も高所にいましたが、全員無事、建物の被害もありませんでした。
 スカイツリーは、タワーとしては世界一の高さです。しかし世界にはもっと高い建物があります。
 ドバイのブルジュ・ハリファは高さ約829m。現在、世界一高いビルです。
 サウジアラビアでは高さ1000mのビルを建設中です。
 人間の技術力に驚かされます。
 しかし人間の力にばかり注目して神を見失うことのないようにしたいです。

神に挑む人間の高ぶり

 今日の本文はバベルの塔の話。
 大洪水以後、ノアの3人の息子たちが世界中に広がっていきました。大まかに言うとヤフェトの子孫は北と西に、ハムの子孫は南に、セムの子孫は東へと分かれていきます。
 彼らはもともと同じ家族ですから、同じ言葉を使っていました。

 2節には東の方から移動してきた人々がシンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いたとあります。
 シンアルはメソポタミア地方。チグリス・ユーフラテス川の下流の地域です。
 この方面にはセムの子孫がまず進出していきました。
 しかし前の章では、ハムの子孫であるニムロドがシンアルの地に町を建てたとあります。
 ハムの子孫は南に進みましたが、そこから東に進み、アラビア半島を通って東の方からメソポタミアに入ったのかもしれません。

建築技術の改良

 彼らは「レンガを作り、それをよく焼こう」と話し合います。
 泥を固めた日干しレンガではなく、粘土を窯で焼いた焼成レンガのようです。
 メソポタミアでは粘土がよく取れました。メソポタミア文明の特徴として、楔のような跡をつけた楔形文字の粘土板が見つかっています。

 建築に使われる素材は主に石と木と土です。
 石は耐久性が強いですが、加工が難しいです。
 平野では丸い小さな石が多いので、どこか山から運ばなければなりません。しかし石は重く、運ぶのが大変です。
 木は加工しやすく、水に浮かぶので川の近くなどは運搬しやすいです。
 しかし燃えやすく湿気に弱いなど耐久性に問題があります。
 土はどこでも手に入りますが、やはり耐久性に問題があります。
 この課題を解決したのが焼成レンガです。
 粘土が取れる地域ならどこでも作れる。同じ形のものを大量生産できる。そして火にも湿気にも強い。

ウルのジッグラト

 ただ、レンガを重ねただけでは耐久性がありません。接着する必要があります。
 古くは泥で接着していました。
 やがて消石灰を水で溶いた漆喰が接着剤として使われるようになりました。
 消石灰は石灰岩や貝殻から取れます。
 漆喰も便利な素材ですが、ゆっくり乾いて硬くなるので、完成まで時間がかかります。
 メソポタミアでは、漆喰に代わる接着剤としてアスファルトが使われました。
 教会の前の道路もアスファルトで固められています。
 アスファルトは石油から作られます。石油の多い地域では天然でも存在しています。
 約50℃で液化し、冷めればまた固まります。
 アスファルトはギリシア語で落ちないという意味。接着力も強いです。
 この加工のしやすさ、完成の速さは強力です。道路工事が一晩のうちに終わってしまうのは、このアスファルトの性質によるものです。

 石の代わりに焼成レンガを、漆喰の代わりにアスファルトを使うようになったことで、メソポタミアの建築技術は飛躍的に発展しました。
 ウルのジッグラトなど、古代メソポタミアの巨大な建造物が今も残されています。

神への挑戦

 そこで彼らは思いました。「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」
 自分たちの建築技術があれば、これまでにない高い塔を建てることができる。
 そうすれば有名になる。この有名になるという表現は、自分の力で自分の名を高めるということです。
 天は神がおられるところ。そこまで届くということは、神への挑戦状です。
 もはや神は必要ない。私たち人間はこのような力を手に入れた。もう神は私たちを全地に散らすことはできない。そのような高ぶりがこの言葉に表れています。

神なしに人は何も生み出せない

 ここでは神が自分たちの計画を妨げる邪魔者のように語られています。
 しかし神は私たちの敵なのでしょうか。

 彼らは自分たちの力で何か偉大なことをしているかのように思い上がっていますが、その素材となる粘土もアスファルトも、自然の中にあるものです。
 神様が造られた世界の中で、神様に造られた人間がものを作る。
 すべては神から来ています。
 神なしには何も生まれません。
 この町を築いたニムロドは神が定めた境界線を越え、シンアルの地に定住しようとしました。彼はもともと主の御前に勇敢な狩人であり、彼の力も神から来ています。
 その恵みを忘れて神に挑戦するというのはばかげた話です。

 私たちも同じです。神がいなくても人間の力だけで良いものを生み出せると思ってしまいます。
 20世紀に共産主義者たちは神を排除し、人間の力で理想郷を作ろうとしました。しかしそれが悲惨な結末になることを歴史が証明しています。

神の恵みに生かされていることを忘れない

 イエス様は愚かな金持ちの話をします。
 畑が豊作になり、遊んで暮らせるほどの財産を得ました。
 しかし彼はその晩死にます。

自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」』()

ルカによる福音書12:21

 私たちは神様の恵みで力や富を得ます。
 神の恵みを忘れてしまったら、空しい結末になるだけです。
 私たちの力は神から来ており、神の恵みで生かされているということを忘れてはいけません。

言葉の混乱

 5節で主なる神様は人が建てた塔のある町を見て、降ってきます。
 降ってくるんです。
 人々は天まで届く塔を建てようとしました。神にまで到達する力を手にしたと思いました。
 しかし神は降ってきます。
 人間がどれほど高く昇ったとしても、神は人の手が届くよりはるか高いところにいます。

人は協力して神に背く

 主は言います。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。」
 この時代の人々は皆同じ言葉を話していました。だから協力することができます。
 それはいいことだと思いますね。世界中の人とコミュニケーションが取れたら世界中の人とお友達になれるではないですか。
 しかし残念ながら、たくさんの人が集まるとろくなことになりません。
 同じ言葉を話す人々は集まって何をしたのでしょう。協力して神に背いたのです。

 私たちは民主主義社会の中で、皆の意見を聞くことは大切だと教えられてきたと思います。
 皆の意見を聞いてより多数の賛同が得られる政策を行えば、より良い社会が作れると思いますか?
 知能指数は正規分布に従います。普通の賢さの人が一番多いです。
 知能指数が大きく離れると、互いに話が通じません。
 少数の本当に賢い人の意見は大衆の賛同を得られないわけです。
 一番賛同されるのは、ちょっとアホな意見です。
 すると社会は徐々にアホな方に進み、自滅します。
 なので日本では各地域で議員を選び、その選ばれた優秀な人たちに政治を任せていますね。
 教会も同じです。皆の話を聞くと教会もアホな方に行きます。
 そして教会が協力して神に背くこともあり得ます。
 大事なのは皆の意見を聞くことではなく、皆が神の御声を聞くことです。

違いはあっても神にあって一致できる

 このまま放っておくわけにはいかないので、神は人の言語をバラバラにします。
 すると彼らは建築をやめました。
 これがバベルの塔のお話。

 あっけない終わり方です。言葉がバラバラになっただけで建築をやめてしまいました。
 神様は思いまでは変えていません。天まで届く塔を建てようという思いでは一致していても、言葉が違うだけで協力できません。
 そして人々は言葉の壁で分断され、互いに争うようになっていきます。

 人々の間には言葉だけでなく、民族、国籍、性別、宗教など様々な違いがあります。
 その違いがある私たちが互いに協力することは不可能なのでしょうか。
 人が協力して神に背いてしまうというなら、協力しない方がいいのでしょうか。
 もちろん協力することは大事です。神様は私たちが互いに争うことではなく、一致することを求めています。
 そこで大事なのは、共に神を見上げることです。

その後、わたしは諸国の民に/清い唇を与える。彼らは皆、主の名を唱え/一つとなって主に仕える。

ゼファニヤ書3:9

 諸国の民が主の名を唱え、一つになって主に仕える時が来ます。
 これは再び世界の言語が統一されるという意味ではありません。エスペラント語を覚える必要はありません。
 違いはあっていいのです。神がそのような違いを作られたのですから。
 体も異なる部分から成り立っていますが、一つの頭に結ばれて一つの体になっています。
 そのように違いを持ったそれぞれが主に結び合わされるとき、私たちは一致できます。
 私たちは共に主に結ばれた一つのキリストの体、神の家族です。

共に神を賛美する

 イエス・キリストは十字架で死なれ、あらゆる隔ての壁を壊しました。
 復活し天に上げられたイエス様は、聖霊を送ると約束しました。
 その約束が実現したのが、ペンテコステです。
 聖霊が降ったとき、人々は他の国の言葉で話し出しました。
 そこには世界中から来た人たちが居合わせましたが、彼らは自分たちの言葉で神を賛美しているのを聞きました。
 聖霊の力で、私たちはあらゆる違いを超えて共に神を賛美するようになります。

 技術革新によってシンアルの人々が高ぶったように、今も人間の技術は私たちを高ぶらせます。
 近年は人工知能AIの発達が目覚ましいです。膨大な情報から最も合理的な回答を出してくれます。
 このまま合理性を重視してAI開発を続けるとどうなるでしょうか。
 現状はAIが合理的な答えを出しても、それを実行する人間が相変わらずアホなのでミスが生じます。
 最も合理的なのは、人間を排除することです。
 ただ技術を突き詰めていくと、人間は自分で自分の首を締めます。
 どこかで立ち止まり、方向修正しなければなりません。
 神なしに理想的な世界は作れません。

 塔が造られたその町の名はバベル。元は神の門という意味ですが、ヘブライ語のバラルとかけて混乱の象徴となりました。
 後にこの地はバビロンと呼ばれ、神に敵対する町の代名詞となります。

 神を見上げることを忘れないでください。
 もう自分で自分を高めようとしなくていいです。
 それより創造主なる神様に用いていただくことを求めてください。
 レンガのように、神の国の建設のために用いていただくのです。


0件のコメント

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください