創世記23

神が示す地に旅立て

創世記 12:1-9

1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。9 アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。

創世記第二部

 クリスマスと新年で中断していましたが、創世記の講解を再開します。
 前回はセムの系図を見ました。ノアの3人の息子セム、ハム、ヤフェトから世界中の様々な民族が生まれます。セムの子孫の中でエベル、ぺレグといった人たちからヘブライ人という民族が形成されていきます。
 ヘブライ人の族長テラはカルデアのウルに定住していました。そこは月の神を拝む偶像崇拝の地。ウルで生まれ育ったテラも偶像を拝むようになりました。テラの息子アブラムもウルで生まれたのでしょう。
 その後テラの一族はハランに移住します。
 聖書はここから一人の人物、そして約束によって生まれる一つの民イスラエルに注目していくことになります。
 これまでが世界全体を扱う第一部であったとすれば、ここからは神の民イスラエルの誕生を扱う第二部だと言えます。
 創世記第二部の幕開けです。

神の言葉を聞くことから人生の転機が来る

 創世記第一部は「光あれ」という神の言葉から始まりました。
 同様に第二部も神の言葉から始まります。

3つの約束

 主なる神様はアブラムに言います。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」
 神様はここでアブラムに3つの祝福を約束します。
 まずは「わたしが示す地」がある。土地を与えるという約束。
 次に「大いなる国民」にする。多くの子孫が生まれ大きな国、民になるという約束。
 そして「祝福の源」になる。アブラムを通して世界中の人が祝福されるという約束。
 土地、子孫、祝福の源という3つの約束です。
 神の言葉が語られると、それは現実になります。長い時間がかかることもありますが、神は約束を必ず果たします。
 アブラムに語られた約束も世代を超えて成し遂げられていくことになります。
 この約束の言葉、覚えておいてください。

神の招きの言葉に従う

 神様はアブラムに3つのことを果たすと言っているわけですが、神様はアブラムに1つのことだけを要求します。それは「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」ということです。
 生まれ故郷はカルデアのウル。そこは月の神を拝む偶像崇拝の地。父も偶像を拝んでいました。そのような偶像崇拝の環境から離れて、ただ神だけを信頼しなさいということでしょう。
 また生まれ故郷は慣れ親しんだ環境です。父の家にいれば安心でしょう。そのような安全安心できる環境にいると神を求める必要性を見失いがちです。
 しかし神様はアブラムに対して大きな計画をお持ちです。その祝福を受け取るためには、神を求める信仰の旅へと一歩を踏み出さなければなりません。
 その信仰の旅路は神の言葉を聞くところから始まります。
 イエス様は「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」とペトロとアンデレに言いました。
 主の言葉を聞いて2人は網を捨てて従いました。ガリラヤの漁師からキリストの弟子になる一歩を踏み出したのです。

捨てるべきもの、離れるべきところ

 神の言葉を聞くところから人生の転機が生まれます。人生の第二部の幕が開きます。
 神様は皆さんに何を要求していますか。
 捨てなければならないもの、離れなければならないところはありませんか。
 私たちは神ではないものを神として拝んでしまいます。お金や影響力ある人物が偶像になってしまうこともあります。AIが出力する文字列を過信していませんか。あるいは自分自身の経験や能力が偶像になることもあります。ただ神様だけを信頼してください。
 いきなり熱いお湯に飛び込んだカエルは、すぐに逃げ出します。
 しかしぬるま湯の中では、カエルは心地よく泳ぎます。火にかけられて徐々に熱くなっても気づきません。そしてゆでガエルになって死にます。
 私たちも安全安心な環境にいると、徐々に破滅に向かっていることがわかりません。
 神様は私たち一人一人に計画をお持ちです。
 私たちも祝福の源になり、世界を祝福するように招かれています。
 頼りにしていた空しいものを捨て、ぬるま湯から飛び出し、信仰の一歩を踏み出してください。

迷うこともある止まることもある

どこに行けばいいか迷う

 神の招きに応えて信仰の一歩を踏み出すとしても、どこに行けばいいのでしょう。
 神様はアブラムに「わたしが示す地に行きなさい。」と言いますが、それがどこからまだ語られていません。
 とりあえずアブラムはカナン地方に向かいます。
 しかしアブラムはカナンを目的地にしていたわけではないようです。
 そのままカナンを縦断し、中央部のシケムというところまできました。そこにはモレの樫の木と呼ばれる場所がありました。ここは現地のカナン人が占いなどをする場所だったようです。
 そこで神様はアブラムに「あなたの子孫にこの土地を与える。」と約束します。
 アブラムは神様との出会いを記念して祭壇を築きます。
 しかしアブラムは旅を続けます。「この土地を与える」って言ったって、もうカナン人が住んでるじゃないですか。ここは無いですよ。
 それからアブラムはベテルの東の山に行きます。山ならまだ土地が空いているかな。とりあえずテントを張ります。でもしっくり来ない。そこにも祭壇を築いて主の名を呼びますが、神様は答えてくれません。
 それでアブラムはさらに南のネゲブに下ります。

 恐らくアブラムはエジプトを目指していたのでしょう。エジプトに行けば大都市があり、安定した生活が送れる。
 神に従って一歩を踏み出しても、まだアブラムの信仰には迷いが見られます。

どのように大いなる国民になるかわからない

 子孫を与えるという約束も素直に受け取れるものではありません。
 妻のサライには子どもが与えられませんでした。もうアブラムは75歳。サライは10歳下の65歳です。
 先祖の時代には500歳で父になったノアという人もいましたが、寿命が短くなったアブラムの時代にはあり得ないことです。
 子どもがいないのに大いなる国民になるとはどういうことか。アブラムにはまだわかりません。

神の約束を思い起こす

 神様の約束は漠然としていてわからないことが多々あります。
 だから何度も繰り返し受け取り直す必要があります。
 アブラムは祭壇を築きました。石で築かれた祭壇は長く残ります。アブラムはこの祭壇を見る度に、神との出会いを思い起こし、語られた約束を再確認したことでしょう。
 神様はどこに行けと言われているのだろうか。
 神様の約束はどのように成し遂げられるのだろうか。

 私たちも同じです。
 今この時代のこの場所に私たちは呼び集められた。神様は私たちに何を求めておられるのだろうか。繰り返し聞かなければなりません。
 その中で「私たちは神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する教会です」というビジョンが示された。それをどう具体化していくかも繰り返し確認が必要です。

立ち止まっている間に助け手が与えられる

 思い込んで突っ走ってしまうこともあります。
 神様が示す地はエジプトだと勝手に思い込んでしまうこともあります。
 大いなる国民になると言うが妻に子が与えられない。それなら第2夫人だ、とかしもべの一人を養子に、とか勘違いしてしまうこともあります。
 アブラムは何度も立ち止まり、確認しました。

 アブラムはカルデアのウルにいた時に、最初に神の言葉を聞いていたようです。しかししばらく父と一緒にハランに住みます。
 もしアブラムがハランで立ち止まらなかったら、甥のロト、財産の家畜、また自分に仕えるしもべたちと一緒に旅をすることはなかったでしょう。
 そうすれば信仰の旅はもっと過酷なものになります。

 私の中には創立20周年でやりたいと思っていたことがいくつかあります。しかし自分だけが突っ走っていたら、教会の誰もついて来ないし、家族も置き去りにしてしまう。既にそうなっているかもしれません。
 だから立ち止まって祭壇を築き、神様の時を待つことも重要です。
 立ち止まることはもどかしいけれど、忍耐している間に信仰の旅を共に歩む仲間が与えられます。

主の招きを日々確かめる

 イエス様は私たちを招きます。

『それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。』(ルカによる福音書9:23)

 自分を捨てるとはどういうことですか。自分の背負うべき十字架とは何ですか。明確に答えられる人はいますか。私たちにはよくわかりません。
 だから日々、確認する必要があります。
 毎週日曜日に礼拝で神様の言葉を聞いて新しい一週間を歩み出すことを欠かさないでください。
 それだけではなく日々、御言葉と祈りの時を持ってください。
 家族や教会のリーダーとも御言葉を分かち合い祈り合う時間を持ってください。
 皆さんと共に信仰の旅路を歩んでいきたいです。

 神様は私たちを招いています。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。」
 何度道を間違えてもいい。何度立ち止まってもいい。
 共に歩む仲間がいます。
 神様があなたに用意しておられるご計画に従い、信仰の一歩を踏み出していきましょう。


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