創世記25

柔和な者は地を継ぐ

創世記 13:1-18

1 アブラムは、妻と共に、すべての持ち物を携え、エジプトを出て再びネゲブ地方へ上った。ロトも一緒であった。2 アブラムは非常に多くの家畜や金銀を持っていた。3 ネゲブ地方から更に、ベテルに向かって旅を続け、ベテルとアイとの間の、以前に天幕を張った所まで来た。4 そこは、彼が最初に祭壇を築いて、主の御名を呼んだ場所であった。5 アブラムと共に旅をしていたロトもまた、羊や牛の群れを飼い、たくさんの天幕を持っていた。6 その土地は、彼らが一緒に住むには十分ではなかった。彼らの財産が多すぎたから、一緒に住むことができなかったのである。7 アブラムの家畜を飼う者たちと、ロトの家畜を飼う者たちとの間に争いが起きた。そのころ、その地方にはカナン人もペリジ人も住んでいた。8 アブラムはロトに言った。「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。9 あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」10 ロトが目を上げて眺めると、ヨルダン川流域の低地一帯は、主がソドムとゴモラを滅ぼす前であったので、ツォアルに至るまで、主の園のように、エジプトの国のように、見渡すかぎりよく潤っていた。11 ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移って行った。こうして彼らは、左右に別れた。12 アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。13 ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた。14 主は、ロトが別れて行った後、アブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。15 見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。16 あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。17 さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」18 アブラムは天幕を移し、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところに来て住み、そこに主のために祭壇を築いた。

長い柄のスプーン

 あるラビが神様に、天国と地獄がどういうところか見せてほしいとお祈りしました。神様はこの祈りを聞き入れて、このラビを連れて天国と地獄ツアーをするよう預言者エリヤに命じました。

 エリヤはまず広々とした部屋にラビを案内しました。部屋の真ん中には温かいスープが置かれていて、周りをたくさんの人が取り囲んでいます。
 しかしその人たちは顔色が悪く痩せています。
 なぜだろう。ラビがよく見てみると、彼らが持っているスプーンは柄が長すぎます。スープをすくっても、自分の口に入れられません。どうしてもこぼしてしまいます。
 やがて彼らは「お前取り過ぎだ!」「お前押しただろ、こぼれたのはお前のせいだ!」と互いに非難し、ケンカを始めてしまいました。
 部屋を出てからラビはエリヤに聞きました。「今のおかしな部屋は何ですか。」
 「あれは地獄だ。」

 エリヤはラビを別の部屋に案内しました。広々とした部屋で、真ん中にスープがあり、たくさんの人が取り囲んでいる。先ほどと同じです。
 しかしその人たちは笑顔でワイワイ楽しそうです。
 なぜだろう。ラビがよく見てみると、持っているスプーンも同じです。
 ただ1つ違うのは、彼らは自分がすくったスープを向かいの人に飲ませてあげています。スープに同時に手を伸ばす人がいたら、「どうぞどうぞ」と譲り合っています。
 「なるほど、ここが天国なのですね。」とラビはつぶやきました。

 「長い柄のスプーン」という世界各地に伝わる寓話です。これは創作なので、実際の天国と地獄は違うかもしれません。
 しかし同じ環境や状況でも人々の心の持ちようで天国にも地獄にもなるというのは、実際の世界にも言えることだと思います。

限りある世界の中でどう生きるか

 エジプトでサライが妻であることを隠したアブラムは災いの源になり、エジプトから追い出されてしまいました。いただいた家畜や奴隷はちゃっかり持って。
 アブラムとサライ、甥のロトは来た道を引き返し、ネゲブに入りました。エジプトこそ約束の地だと思ったが、違った。では神様が約束した地とはどこなのか。
 アブラムはさらに旅を続け、ベテルとアイの間の山地に戻りました。そこは以前アブラムが天幕を張り、祭壇を築いて主の御名を呼んだところです。
 しばらく間が空きましたが、祭壇はまだ残っています。
 ここに帰って来ると神様の約束を再確認できます。
 そう、自分で自分を守ろうとしなくていい。自分の力で祝福を勝ち取るのではない。
 神様が土地を与え、子孫を与え、祝福の源としてくださるのだ。

アブラムのしもべとロトのしもべの争い

 アブラムがそのように神様の前で静まって祈っていると、後ろの方でメェ~、モ~、と声がします。
 ハランを出た時はまだ少なかった家畜も大勢になりました。これも神様の恵み。また神様に感謝の祈りをささげます。
 すると今度は「お前ら邪魔だ、どけ!」「は?俺たちが先にここの草を食べに来たんだ。こっからここまでロト様の陣地!」「何だと?こっちはアブラム様の羊飼いだぞ!」と争う声が聞こえます。
 アブラムの財産も増えましたが、甥のロトもたくさんの羊や牛を飼っていまいた。
 その世話をするしもべたちも増え、たくさんのテントを張る必要もあります。彼らが共に生活するには、この山地は狭すぎます。
 ここには元々カナン人やペリジ人も住んでいるのです。よそ者である彼らが生活していくには、家族として助け合わなければなりません。
 それなのに限りある土地、限りある牧草を巡って争いが生じています。

自分ファーストの考えが世界を地獄にする

 今この限りある世界の中に82億人の人間が住んでいます。
 土地や資源には限りがあり、生産される食料も有限です。富も限りがあります。
 力のある人はさらに多くを得ようとします。領土を広げて豊かになろう。より多くの資源を獲得し富を得よう。
 一部の金持ちだけの問題ではありません。同じ欲望が私たちの中にあります。
 しかし欲しても得られないので争ったり戦ったりします。そして相手を殺して奪い取ります。
 このような愚かなことが人類の歴史の中で繰り返され、今も続いています。
 自分が1番でありたい、自分さえよければいいという自分ファーストの考え方が、この世界を地獄にしています。

与えられたものをささげるときに現れる神の国

 ある丘に5000人以上の群衆が集まりました。イエス様は彼らに神の国の福音を語ります。
 だいぶ時が経ち、お腹が空いてきました。イエス様は弟子たちに「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われます。
 そんなことをしたら大変な出費です。
 ためらう弟子たちにイエス様は「パンはいくつあるか見て来なさい」と言います。あるのは5つのパンと2匹の魚だけ。
 ところがそれをイエス様が感謝の祈りをもって裂いていくと、皆が満腹し、残ったもので12の籠がいっぱいになりました。

 確かにこの世界にあるものは限られています。
 それを自分が確保しようとしたら足りなくなります。
 しかし分け与えるなら余りが出ます。
 自分に与えられたものを神にささげ、互いに助け合うなら、そこに神の国が来ます。

柔和に生きることを選び取る

当然の権利を手放す

 アブラムは尾根の上に立ちました。東にアイ、西にベテルが見えます。
 そこでアブラムはロトに言いました。
 「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたしは左に行こう。」
 アブラムはここで、ロトが先に土地を選ぶようにします。ロトが左に行くなら、アブラムは逆の右に行く。ロトが右に行くなら、アブラムは逆の左に行く。
 アブラムの方が年上で、族長。本来ならアブラムが先に選択するところです。
 しかしアブラムは自分の当然の権利を手放しました。

約束を具体的に見せる

 ロトは目を上げ、東のアイ方面に目をやりました。そこにはヨルダン川が流れています。南の低地に向かって流れ、周辺の土地はよく潤っています。
 エジプトのナイル川流域を思い出させます。
 まるでエデンの園のようです。
 エデンの園がどんな感じか知らんけど。
 めっちゃいいじゃん。「おじさん、こっちにします!」
 ロトは豊かに見える東に進みました。

 ロトたちは行ってしまいました。
 家族との別れは寂しいものです。
 旅の仲間も、家畜も、だいぶ減ってしまいました。
 神様は大いなる国民にすると約束したけれど、増えるどころか減ってしまったではないか。
 ロトたちは東に行った。約束通り西に行こうか。
 しかしそこは丘陵地帯。ヨルダン川流域の低地のような豊かさはない。
 一体約束の地はどこなのか。

 その時アブラムに主なる神様が声をかけます。
 「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう。さあ、この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれをあなたに与えるから。」
 神様は約束の地を具体的に見せます。
 見える限りの土地をすべて与える。
 さらには縦横に歩き回れと言います。どこまで行っても、そこも約束の地。
 アブラムは約束の地を目で見、足で触れ、その空気を味わうことができます。

 そして土地の約束の間に挟まれるように、子孫の約束も具体化しています。
 大いなる国民とはどれくらいの規模か。それは大地の砂粒のよう。
 砂粒がどれくらいか数えたことはありますか?砂時計の中の砂粒だって数えきれませんよ。おおよその計算はできますが。
 それが大地の砂粒となると、計り知れません。
 アルキメデスは宇宙を埋め尽くす砂粒を計算しましたが。
 とにかく、目に見えるものを選ばなかったアブラムに、主は約束を具体的に見える形で示します。

祝福と呪い

 目に見える豊かさを選んだロトは、ソドムという街に住みました。
 そこは王もいる都市。豊かな生活が送れそうです。
 それからのロトについてはまた後で見ることになりますが、ここではソドムについて「滅ぼされる前」「ソドムの住民は邪悪で、主に対して多くの罪を犯していた」とあります。
 見た目はよい地でしたが、その内面は腐敗していました。

 私たちの人生にも多くの選択の時があります。
 ベテルに行くのか、アイに行くのか。
 後にベテルは祝福の象徴、アイは呪いの象徴となります。

 モーセはイスラエルの民にこう呼びかけました。

19 わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、20 あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それが、まさしくあなたの命であり、あなたは長く生きて、主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた土地に住むことができる。

申命記30:19-20

 私たちの前には命の道と死の道、祝福と呪いがある。
 私たちはそれを自分で選択できる。
 しかし自分によく見える道を選ぶなら、ロトと同じです。
 自分を捨て神に従うなら、主が命の道へ導き祝福を与えてくださいます。
 このように神様に従い自分の権利を主張しない態度を柔和と言います。

柔和な人々は幸いである

 柔和な生き方を選択したアブラムはヘブロンのマムレの樫の木のところに来て住みます。
 後にここが重要な場所になります。

 今週も私たちには多くの選択があります。
 そこで自分の当然の権利を手放し、柔和に生きることを選んでみてください。
 地獄のように殺伐としたこの世界に神の国が来るのを見ます。
 主は私たちの目を開き、見渡す限り、縦横に歩き回るその地が神の国になることを見せてくださいます。
 イエス様はこう言いました。

柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。

マタイによる福音書5:5

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