創世記27
いと高き神の恵み
創世記 14:17-24
17 アブラムがケドルラオメルとその味方の王たちを撃ち破って帰って来たとき、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷まで彼を出迎えた。18 いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。19 彼はアブラムを祝福して言った。「天地の造り主、いと高き神に/アブラムは祝福されますように。20 敵をあなたの手に渡された/いと高き神がたたえられますように。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った。21 ソドムの王はアブラムに、「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください」と言ったが、22 アブラムはソドムの王に言った。「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。23 あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と、あなたに言われたくありません。24 わたしは何も要りません。ただ、若い者たちが食べたものと、わたしと共に戦った人々、すなわち、アネルとエシュコルとマムレの分は別です。彼らには分け前を取らせてください。」
主の恵みへの感謝を表す
アブラムと318人のしもべたちはケドルラオメルとその味方の王たちと戦い、打ち破りました。そして捕らわれていたロトたちソドムの住民と財産を取り返しました。
ソドムの王はアスファルトの穴に落ちてしまっていましたが、無事に助け出されたようです。アブラム勝利の知らせを聞いて、王の谷まで来て出迎えます。
メルキゼデクの祝福
ここでメルキゼデクという人が出てきます。いと高き神の祭司であったサレムの王とあります。
14章は聞きなれない土地や人の名前がたくさん出るなと思ったら、ここでまた新しいのが出てきました。頭が痛くなりそう。
しかし他の名前は忘れても、このメルキゼデクという名前は覚えておいてください。
ちなみにサレムというのはエルサレムの短縮形で、メルキゼデクは「ゼデクは私の王」という意味です。
王の谷はエルサレムの東の谷のことだと言われます。この地を治める王なので、アブラムとソドム王の面会に立ち会ったというところでしょうか。
メルキゼデクはパンとぶどう酒を持ってきました。食料と水分を提供します。
またメルキゼデクは祭司でもありました。王様が宗教的な権威を持つというのはよくありますね。
彼は天地の造り主、いと高き神の名でアブラムを祝福します。
エルサレムもカナン地方ですから、メルキゼデクもカナン人だったかもしれません。民族名や系図などが一切ないので不明です。
カナン人の宗教にはエル・エルヨンという神がいました。これが訳すと「いと高き神」です。ですからメルキゼデクはカナン人の神の名で祝福したと見ることができます。
主からの祝福として受け取る
アブラムは偶像崇拝をする生まれ故郷、父の家を離れて、主なる神様の導きに従う人生を歩み出しました。アブラムにとって神とは、主なる神様お一人です。
メルキゼデクの祝福も、主なる神様からの祝福として受け取ったようです。22節ではアブラムが「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。」と言っています。「天地の造り主、いと高き神」まではメルキゼデクと同じですが、アブラムはそこに「主」と付け加えています。
天地の造り主、いと高き神は主しかいないのです。
主の恵みへの感謝として十分の一をささげる
祝福を受けたアブラムは、すべての物の十分の一をメルキゼデクに送りました。ケドルラオメルたちから取り返した家畜や財宝の一割ですね。
この地域の王様は農作物や家畜の十分の一を徴収する権限を持っていました。十分の一税です。
その習慣に従ったと見ることもできますが、ヘブロンに住むアブラムがサレムの王に十分の一を差し出す必要は全くありません。
税というのは、その地を治めてくれる王や国家に感謝を込めてささげるという側面もあります。その地が平安に治められているから、作物が取れ、家畜が育つのですね。
アブラムは自分のしもべたちを率いて勝利しました。どの王や国の援助も受けていません。
元はソドムのものですから、ソドム王にお返しするのは筋が通っています。
しかし他の王が分け前を受ける理由がありません。
分け前を受ける権利があるとしたら、同盟を結んで背後で支えてくれたマムレたちです。
ではなぜアブラムはメルキゼデクに十分の一を贈ったのか。
それは、主なる神様への感謝です。この勝利はいと高き神の恵みだとアブラムは信じていました。神の恵みが無ければ、318人の羊飼いたちでケドルラオメルたちを打ち破れるはずがありません。神様への感謝を込め、いと高き神の祭司メルキゼデクを通して、十分の一をささげたのです。
ただ主だけを見上げるアブラムの信仰が表れています。
私たちの収入も主の恵み
アブラムが信仰を持って十分の一をささげたことは、その子孫であるイスラエルの民に受け継がれていきました。彼らは収入の十分の一を神様にささげたのです。
イエス様だって「十分の一の献げ物もないがしろにしてはならない」と言っています。
これは税のような義務的なものではありません。神様への感謝をもってささげるのです。
皆さんの収入は、皆さんが汗水流して働いた労働の対価。自分の力で勝ち取った報酬。
しかし仕事があって働ける健康があってお給料をいただけるというのが当たり前だと思わないでください。主の恵みです。
主を見上げ、その感謝を表してください。
主を指し示す人生
ソドムの王が後回しになってしまいましたが、ここはソドムの住民たちを助け出したアブラムをソドム王が出迎えるという場面でした。
メルキゼデクとアブラムの一連のやり取りを見て、ソドム王はこう思ったかもしれません。「メルキゼデクなんかかっこいいな。でも祝福なんて目に見えないものをあげてどうなる。ここはソドムの王としてかっこいいところを見せてやろう。」
「アブラム殿、大儀であった。少数精鋭を率いての大勝利、天晴である。おぬしが奪還したわが民はこちらで引き取り、わが国へ送り届ける。しかし財宝はすべて、おぬしに差し上げよう。」財宝のすべてを取らせる。さすがソドム王、太っ腹です。
ところがアブラムはこう答えました。「わたしは、天地の造り主、いと高き神、主に手を上げて誓います。あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。」
何ももらわないなんてもったいないと思いませんか。
しかしここにも、ただ主だけを見上げるアブラムの信仰が表れています。
ソドムの王がアブラムに取らせようとしたのは、戦いの勝利に対する報酬です。アブラム自身がよく戦ったので、その労苦に対する対価が支払われる。そうなると、この勝利は主の恵みではなくアブラムの力によるものと思われてしまいます。
また財宝をすべて与えるというのは驚くべき寛大さです。人々はソドム王を称賛し、王も『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と高ぶるでしょう。
これでは人に注目が行き、人が栄光を受けます。
戦いの勝利はアブラムの力ではなく、主の恵み。
そしてアブラムを豊かに生かすのも主の恵みです。
アブラムは神様に目を向けさせます。
主に栄光を帰す

私たちは自分が栄光を受け取らないように気をつけたいです。
洗礼者ヨハネは預言者エリヤの再来として、多くの人々を悔い改めさせ、神のもとへ導きました。イエス様も最も偉大な者として洗礼者ヨハネを称賛しています。
ところがヨハネ自身は「わたしはメシアではないしエリヤでもない」と自分を隠します。そして「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。」と言います。
後から来る方、それはイエス様です。洗礼者ヨハネは人々の目が自分ではなく、イエス様に向かうようにしました。
一方、自分が神に代わって栄光を受けようとしたヘロデ王はウジ虫に食われて死にました。
すべてがいと高き神の恵みであると告白し、主を指し示す人生を歩んでください。
メルキゼデクはイエスを指し示す
最後にもう一度メルキゼデクについて見てみたいと思います。
彼が何人であったのか、家族は誰か、何歳くらいなのか、サレムの王として何をしたのか、そういう資料が一切残っていません。本当に謎の人物です。
彼について言えることは、エルサレムを治める王であり、祭司としての働きもしたということです。
エルサレムは後にエブス人が住んでシオンと呼ばれるようになりますが、そのシオンの要害を陥落させたのがダビデです。
ダビデはエルサレムをイスラエル王国の首都にし、そこに住みます。またダビデは神の箱をエルサレムに運ぶなど、祭司のような働きもしました。
そう、メルキゼデクがしていたエルサレムの王、祭司の役割はダビデに受け継がれました。
そのダビデがこう歌っています。
1 【ダビデの詩。賛歌。】わが主に賜った主の御言葉。「わたしの右の座に就くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」2 主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。敵のただ中で支配せよ。3 あなたの民は進んであなたを迎える/聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ/曙の胎から若さの露があなたに降るとき。4 主は誓い、思い返されることはない。「わたしの言葉に従って/あなたはとこしえの祭司/メルキゼデク(わたしの正しい王)。」
詩編110:1-4
ダビデは、メルキゼデクのような永遠の祭司、正しい王が立てられると予告します。
その成就として来られたのがイエス・キリストです。
イエス様は油注がれた方として、王、祭司、また預言者の働きをしました。
サレムの王は「平和の王」、メルキゼデクは「私の正しい王」「義の王」と訳すこともできます。パンとぶどう酒も聖餐の恵みを思い起こさせます。
相変わらず創世記14章のメルキゼデクが何者であったのかは謎ですが、この場面は確かに後で来られるイエス・キリストを指し示しています。
大祭司イエスからの恵みを受ける
メルキゼデクはいと高き神の名でアブラムを祝福しました。
今は偉大な大祭司イエスが主なる神様の右の座についておられ、私たちを祝福してくださっています。
私たちもイエス様を通して、いと高き神の恵みをいただくことができます。
私たちの方からも憐れみを受け、恵みにあずかって、神様の前に進み出ることができます。
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。
ヘブライ人への手紙4:16
私たちの人生の中には大変なことがたくさんあります。
今日のメッセージでも収入の十分の一をささげて神様に感謝を表してとか、主を指し示す人生を歩んでとか言われて、負担を感じますね。うわー、信仰生活大変だ。
仕事上の問題もあるし、家庭内の問題もある。経済的な問題や健康上の問題、自分の人生も問題だらけ。
しかし聖書は、時宜にかなった助けがあると約束しています。
だからいつもイエス様を見上げて、いと高き神の恵み求めて大胆に恵みの座に近づいていきましょう。
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