創世記29
神との契約の儀式
創世記 15:7-21
7 主は言われた。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」8 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」9 主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」10 アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。11 はげ鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。12 日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。13 主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。14 しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。15 あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。16 ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」17 日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。18 その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、19 カイン人、ケナズ人、カドモニ人、20 ヘト人、ペリジ人、レファイム人、21 アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」
愛し合っている夫婦や恋人のことを思い浮かべてください。
実際にいなくてもいいです。そういう人が与えられるように祈りながら想像してみてください。
互いに「愛してるよ」と言います。うれしいですね。
でもそれだけで満足ですか?
何か贈り物をしたり、一緒に時間を過ごしたりしたいと思いますよね。
そして相手にもそれを求めたくなります。
しかし相手は「愛してるって言ってるだろ。オレの言葉が信じられないのか」と言う。
愛するからこそ、見えるかたちで、体験として愛情を示してほしい。信じているからこそ、誠実にしてほしいですね。
言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合いましょう。
神の愛と真実を見えるかたちで示す
前回、主なる神様はアブラムに子孫の約束を見えるかたちで示しました。
あなたから生まれる者が跡を継ぐ。そしてその子孫は夜空の星のようになる。
天幕の外に出て、実際に星を見せながら言うわけです。
アブラムは主を信じ、主はそれを彼の義と認められました。
土地の約束も見えるかたちで求める
続けて神様は言います。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。」
生まれ故郷であるカルデアのウルにいたとき、アブラムは最初に神様からの召命を受けました。
そこで約束したのが土地、子孫、祝福の源の3つです。
あれから10年近く経っていますが、神様はこの約束を忘れていません。
そして「わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」と土地の約束を改めて示します。「ここだ、あなたが今立っているこの土地を与えるのだ」と。
するとアブラムは「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」と尋ねます。
あれ?アブラムさん、主を信じたんじゃないんですか。主が与えると言ってるじゃないですか。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」って怒られちゃいますよ。
しかし主は怒ることなく、牛や羊、鳩などを持って来なさいと言います。
土地とこれらの動物に直接の関係はありませんが、主はここでご自身の約束が真実であることを見えるかたちで示そうとしています。
契約の儀式
アブラムは主が指定した動物を持って来ました。
主は持って来なさいとだけ言いましたが、アブラムは動物を屠って血を流し、その身を真っ二つに切り裂きます。
アブラムは主が何をしようとしておられるのか理解していました。
これは当時の契約の儀式です。
エレミヤ書34章18節にも契約の儀式の様子が描かれています。
契約の時に子牛を真っ二つに切り裂き、その間を通ります。
もしこの契約を守らないならこの子牛のように血を流し、その身が裂かれることになるという警告の意味があったようです。
今神様はアブラムと契約を結びます。
契約を結ぶ時には、お互いに約束をします。
神様はアブラムに土地、子孫、祝福の源を約束します。
アブラムに対しては、神を信じることが要求されています。
そして約束を守らないなら、この裂かれた動物のようになる。
神様は必ず約束を守りますよ。
それにアブラムの信仰はこの直前に確かめられている。
だったらこんな契約不要ですね。
それなのに神様の方から、契約をしようと言い出しています。
ご自分の真実さをアブラムにわかるかたちで伝えたい。そのような神様の愛を感じます。
泥臭く求める
信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること。見ないで信じる者は幸い。
そんな立派な信仰者のフリをしなくていいです。
神様がどのように祈りに応えてくださるか、見えるかたちで示してほしい。
地平線のかなたから上ってくる手ほどの雲を見たい。
何年も病気で苦しんできた。この弱さも神様の恵み。
でも一縷の望みを抱いて、イエス様の衣の裾にでも触れたい。
そんな泥臭い信仰者になってもいいじゃないですか。
イエス様のところに汚れた霊に取りつかれた少年が連れて来られました。
その子の父親は「おできになるなら、わたしどもを憐れんで助けてください」と頼みます。
イエス様は「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」と言います。
やばい、信仰がないのがバレた。
そして出てくるこの言葉。
その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
マルコによる福音書9:24
信じると言いながら、信仰がないと言っている。
矛盾しているようだけれど、もうイエス様しか信じることができないこの父親の必死さが伝わってきます。
神様を愛するからこそ、信じているからこそ、見えるかたちを求めてみてください。
苦難を通しても示される神の愛
前の場面も星が見えていたので夜でしたが、アブラムが動物を集めて屠ったり、ハゲタカと格闘したりしているうちにまた夜が来ました。
するとアブラムは深い眠りに襲われ、恐ろしい大いなる暗黒がやってきました。
不気味な場面ですが、この深い眠りは神様から来るものです。アダムも経験しました。
アブラムは暗黒の中で神様の声を聞きます。
「よく覚えておくがよい。」大事なことが語られようとしています。
何も見えないので、神様の声に集中できます。
子孫が400年間奴隷になって苦しむ
そこで神様が約束したのは、子孫が外国で400年間奴隷になって苦しむということ。
神様、話が違います!大いなる国民になって、この土地に住んで、世界の祝福の源になるんじゃなかったの?奴隷になって苦しむなんて聞いてないよ。
「しかしわたしは」と主は言います。
主は、子孫が奴隷として仕えるその国の民を裁く。子孫は多くの財産を持って脱出する。そしてここに戻ってくる。
あなた自身は長生きして死ぬ。安らかに、何も思い残すことなく。
そして4世代(ここでは400年と同じ意味)も待たなければならないのは、それまでアモリ人の罪が極みに達しないからだと言います。アモリ人と名指しされていますが、カナン地方の先住民をまとめてアモリ人と言っています。
神を知らない民の罪を、神様はまだ忍耐している。立ち帰る猶予を与えている。
しかしいつかその罪が極みに達するので、神様は彼らを追い出す。
すると土地の所有者がいなくなるので、アブラムの子孫はそこに住むことが許されるわけです。
神に従うその民によって、罪に汚れた土地が回復する。世界の祝福の源になります。
苦しみ悩みそのものが御心なのではない
神様には計画があります。最終的に土地、子孫、祝福の源という3つの約束は実現します。
その途中には、アブラム自身も、またその子孫にも苦しい時期があります。
しかし苦しみ悩みそのものが主の御心なのではなく、そこで鍛錬されて祝福を得ることこそ主の御心です。
そして主の計画は、最も良い時に最も良いかたちで実現します。
愛するラザロが病気で死にそうだと聞いても、イエス様は2日間同じところに留まっていました。イエス様が来た時にはもうラザロが死んで4日経っている。
イエス様がいてくれたらラザロは死ななかっただろうに。あなたのラザロへの愛は偽りだったんですか。家族にとって本当に苦しい時期を通らされました。
しかしこの苦難を通ったからこそ、ラザロが生き返るという神の業が際立ちます。
今苦しみ悩んでいるとしても、その先に神の幸いな計画が用意されています。
苦難や試練を通して、私たちを鍛錬する父なる神の愛が示されます。
神が血を流し身を裂かれる
契約というのは聖書においてとても重要な概念です。
契約には一般的に、当事者、条件、約束、罰則という4つの要素があります。
聖書で最初に出てくる契約は、創世記2章です。
契約の当事者は神と人間。全人類を代表してアダムが神と契約を結びました。
人に求められる条件は、神に従うことです。たとえば「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」という命令に従う。
神は人に永遠の命を約束します。
もし違反すれば死が罰則として与えられます。
アダムは人類代表でしたので、この契約はすべての人に及びます。
これが土台になり、その後ノアやアブラム、モーセ、ダビデへと受け継がれていきます。
神だけが動物の間を通った
今アブラムは神と契約を結ぶ儀式を行っています。
契約の当事者が裂かれた動物の間を通ることで、契約が結ばれます。
日が沈んで暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が現れ、裂かれた動物の間を通りました。
そして「あなたにこの土地を与える」との主の約束が語られました。
火や煙は神の臨在の象徴です。だから神様ご自身が、契約の当事者として裂かれた動物の間を通ったわけです。
アブラムは?
アブラムが通る前にもう契約が結ばれてしまいました。
どういうことでしょう。
アブラムに課された条件、つまり神を信じるということに違反したら、アブラムはこの動物のようにならなければいけないはずです。
しかしアブラムは動物の間を通りませんでした。
神の独り子が血を流し身を裂かれる
この契約も後の世代に受け継がれていきます。
だから神を信じない罪人は血を流し死ななければいけないはずです。
ところが裂かれた動物の間を通ったのは神様だけ。
どうしてか。
それは人の罪を背負って、神が血を流しその身を裂かれるからです。
死ぬべき私たちのために、罪なき神の独り子があの十字架につけられ死なれたのです。
キリストの血で結ばれた新しい契約
イエス様は最後の晩餐のときぶどう酒を杯に注ぎ「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」と言われました。
今はイエス・キリストにあって神との契約は更新されました。
私たちはただイエスを信じる信仰によって罪を赦され、永遠の命を得ます。
死の力を打ち破り復活されたキリストと共に生きる新しい人生が始まります。
主が十字架を通して示してくださったこの愛を受け取ってください。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
ローマの信徒への手紙5:8
あなたもこの愛の関係に招かれています。
あなたはこの愛にどのように応えていきますか。





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