創世記30
人の策が神を妨害する
創世記 16:1-6
1 アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。2 サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。3 アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。4 アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。5 サライはアブラムに言った。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」6 アブラムはサライに答えた。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。
人の力で神の御心を行おうとする
今日の本文はアブラムとサライがカナン地方に住んでから10年後の出来事です。
アブラムは神様から「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」と言われました。わたしが示す地とはどこか、行き先もわからないまま旅に出ました。
また神様は、土地、子孫、祝福の源という3つのことを約束しました。
しかしアブラムには子どもがいませんでした。このときアブラムは75歳。妻のサライは65歳です。
希望が持てないような状況にあってもアブラムは神の約束を信じ続けました。そして神様は「あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」そして夜空にきらめく数えきれないほどの星を見せながら「あなたの子孫はこのようになる。」と約束しました。アブラムは主を信じ、主はそれを彼の義と認められました。
神様はアブラムと契約を結び、その約束が真実であることを示してくださいました。
神の御心が成し遂げられないのは自分のせい?
しかし神様の約束がいつか成し遂げられるだろうと、信じて待つだけで良いのでしょうか。
たとえば神様が道を開いてくださると信じて待っていれば、受験に合格したり、就職先が与えられたり、結婚したりできるのでしょうか。
神様が与えてくれる約束を受けるのにふさわしい者になるために、人間側の努力も必要ですね。
志望校に入るために勉強をしなければならないし、社会人として働くのに必要なスキルを身につけなければならないし、自立した大人にならなければ結婚はできません。
子どもが与えられるという約束も、人間が何もしないで与えられるものではありません。
そういう知識はサライも当然持っています。コウノトリが運んでくるわけではないし、大きな桃や光る竹の中に赤ちゃんが入っているわけではないのです。愛し合う夫婦の愛の結晶として、神様が与えてくださる。
アブラムとサライもそうやって愛を確かめ合ってきたはずです。
それなのに子どもが与えられない。
上手くいかないと、人はその原因を探りますね。
神様はアブラムに子どもを与えると約束したのに、なぜ与えられないのか。
神様はウソつかない。
では問題は人間の側にある。
神様はアブラムに「あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」と言いましたが、サライから生まれるとは言っていない。
では問題は自分にあるのではないか。
だってもう75歳。赤ちゃんを産める体でないことは自分がよく知っています。
神様の御心が成し遂げられないのは自分のせいなのではないかと、自分を責める思いが湧いてきます。
ハガルを側女に
そこでサライは考えました。
そうか、私じゃないんだ。
アブラムから生まれることが大事なんだ。私からじゃなくていいんだ。
バカバカ、何でもっと早く気づいてあげられなかったんだろう。
そしてアブラムに自分の計画を伝えます。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」
古代アッシリアの婚姻法によると、妻に子どもが与えられない場合、妻の女奴隷を側女(第2夫人)にすることができます。そして女奴隷との子を、女主人の子と見なすことができました。
この法律に当てはめれば、アブラムが女奴隷と関係を持つことは何も問題ありません。
しかし合法だとしても、夫婦のあり方として問題がありますね。
アブラムは私たちの尊敬する信仰の父ですから、こう言うでしょう。「サライ、今まで子どもが与えられなかったことで苦労をかけたね。でも大事なのは子どもじゃなくて、お前だよ。どんなことがあっても私はあなたを愛し抜く。だから一緒に神様の約束が成し遂げられるのを信じて待とう。」
ところが実際は一切の反論なく、サライの願いを聞き入れてしまいます。
そしてエジプト人の女奴隷ハガルちゃんを側女にしてしまいます。
アブラムさん85歳。当時は合法でも、立派な不倫です。
最も重要な掟に背いていないか
アブラムとサライは「だってしょうがないじゃないか。10年経っても子どもが与えられないから、こうするしかなかったんだ。」と言い訳するかもしれません。
大事なのは神様の御心が成し遂げられることであって、手段は選んでられない。
確かに、神様の約束の実現のためにこの世のルールを逸脱することもあり得ます。
イエス様だって安息日に治療をしましたね。
政府が偶像を拝めといったら拝むのですか。
暴走するバスを止めるためにテロリストと戦うことは罪ですか。
私たちが神様に従うとき、この世のルールから外れたことをするべきときはあります。
それはこの世のルールが、神を愛し隣人を愛するという最も重要な掟に反するときです。
しかし私たちは自分の不法行為を正当化するために、神様を利用してしまいます。
自分が両親を愛さないことを正当化するために、このお金は神様にささげるからあげられないと言ってしまう。
そして自分が神様を愛していないことを正当化するために、神の子イエスを十字架につけて殺します。
私たちが究極的に守るべきは愛です。
愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
ローマの信徒への手紙13:10
アブラムがしたことは不倫であって、愛すべき妻への裏切りです。
また神の約束を信じて待つことができませんでした。愛は忍耐強い。アブラムは神を愛することもできませんでした。
神の御心は神ご自身が成し遂げる
サライの計画は失敗に終わる
サライの計画通り、ハガルは身ごもりました。
しかしこれが問題を引き起こします。
ハガルのお腹にはアブラムの子がいます。このまま行けば、この子が後継ぎです。そうするとハガルがこの一族の族長の産みの母となります。
族長のアブラムは、子どもを産めないサライより後継ぎを産む自分の方を愛してくれるのではないか。
ハガルは高ぶり、自分の主人であるサライを軽んじるようになりました。
サライはその不満を夫にぶつけます。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。」
確かにハガルが高ぶっているのはアブラムの子を身ごもったからで、それはアブラムの不倫によるものです。アブラムには責任があります。
しかしハガルの高ぶりはハガル自身の問題ですね。文句があるならハガル本人に言ってくださいよ。
それにハガルを側女として与えたのはサライ自身ですね。責任転嫁をしています。
神から離れた人に見られる典型的な症状です。
アブラムも自分で問題に向き合うことなく、「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」とサライに丸投げ。責任逃れをします。
そしてサライはハガルをいじめ、ハガルは逃げ出してしまいます。身重の体でありながら逃げるということは、よほどひどいいじめにあったのでしょう。
悔い改めることも和解することもなく、破局してしまいました。問題が何も解決しない、残念な結果です。サライの計画は完全な失敗に終わりました。
神の邪魔をする者
サライは神様の御心を成し遂げたいという思いがありました。
それは尊いことです。
しかし自分の力で何とかしようとするとき、それはただ問題を引き起こすだけになります。
イエス様が十字架の死と復活を予告したとき、ペトロは「そんなことがあってはならない」とイエス様をいさめました。
ペトロはイエス様をメシア、生ける神の子だと信じています。メシアならば力強くイスラエルを解放し王座に着くべきだと思っています。だから弱気になっているイエス様を励まして、メシアとしての働きを応援しているつもりだったでしょう。
ところがこう言われてしまいます。
イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
マタイによる福音書16:23
ペトロも神の御心が成し遂げられることを願っていましたが、それを人間の方法で行おうとするとき、神の邪魔をする者だと言われてしまっています。
私たちも神の約束を待つことができず自分で何とかしようとするとき、問題を引き起こし神の邪魔をする者になってしまうかもしれません。
神ご自身が働く
もちろん私たちには、自分がしなければならない領域があります。神様の御心をこの地で成し遂げるために、神様から任された役割があります。
しかし神様の御心を成し遂げるのは神様です。
自分が何とかしなければならないと思わなくていいです。
あの人の救いのために私が頑張らなきゃ。
この教会が成長するために私がもっと仕えなきゃ。
リバイバルするために熱心にやらなきゃ。
そのような思いに捕らわれるとき、様々な問題が引き起こされます。
神様の御心は神様が責任を持って成し遂げる。もっと神様を信頼していいです。
1 【都に上る歌。ソロモンの詩。】主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい。2 朝早く起き、夜おそく休み/焦慮してパンを食べる人よ/それは、むなしいことではないか/主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。3 見よ、子らは主からいただく嗣業。胎の実りは報い。
詩編127:1-3
ある人には家を建てる役割があり、ある人には町を守る役割がある。
しかし主ご自身が家を建てることを許してくださり、主ご自身が町を守っている。神様が責任を取ってくださる。
解決していない問題があっても、安心して眠ったらいいです。
眠っている間、人は何もできません。その間に神様が働きます。
自分で何とかしようとしていたら、神様の出番がないじゃないですか。
神様が働くことができる余地を残しておいてください。
神様を信頼して待ち続けるとき、神様にしかできない方法で問題が解決するのを見ます。
私たちの救いという問題も、キリストの十字架の死と復活という神にしかできない方法で解決が与えられました。私たちはそこに何も付け加える必要はなく、ただ信じて受け取ればいいんですね。
主は最も良い時に、最も良いかたちで約束を果たしてくださる。
落ち着いて、主が成し遂げてくださる御業を見ましょう。


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