創世記4
神のかたちに造られた
創世記 1:26-31
26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。
人間とは何者なのか

新聖歌9番「力の主を」を賛美しました。作詞作曲はヨアヒム・ネアンデル。17世紀ドイツの改革派教会牧師、神学者、讃美歌作者です。
彼はデュッセルドルフに住んでいた時、よく近くのデュッセル川沿いの谷を散策しました。野の花、空の鳥を見ながら神様が造られた極めて良い世界を味わいました。そこで神に心を向け、新しい賛美のアイデアを得たことでしょう。その谷で信者たちを集めて野外礼拝もしました。
その後19世紀にその谷は彼を記念し、ネアンデルの谷という意味のネアンデルタールと呼ばれるようになります。
そしてこの谷の近くの洞窟でネアンデルタール人の化石が発掘されます。
研究によると、ネアンデルタール人はユーラシアに住んでいた旧人類で、約4万年前に絶滅したと考えられています。
彼らは石器を作り、火を使いました。料理をする、薬草を使う、死者を埋葬するなどの文化的な活動もしました。動物の毛皮で服を作ったり、壁画を描くなどの芸術活動をしていた可能性もあります。
彼らは私たち現生人類ホモ・サピエンスの直接の先祖ではありませんが、私たちの遺伝子の数%はネアンデルタール人に由来するということがわかっています。
彼らは私たちに似ている部分が多くあるわけですが、彼らは宗教を持っていたでしょうか。ネアンデルタール人も神を知ることができたでしょうか。
そして神を知ることのできる人間とは何者なのでしょう。色々な疑問がわいてきます。
私もネアンデルの谷を散策しながら神に心を向けたいです。
他の生き物と区別して造られた
先週は創造の6日目に地上の生き物が造られるところまでを見ました。
神はこう言われました。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。」
この地、土を材料として地上の生き物が造られます。
神はこれを見て良しとします。ここまでが一区切りです。
人間の創造
しかし6日目はまだ終わっていません。神は続けて言いました。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」
我々と複数形になっているのは、偉大さを表す強調表現。
また創造主なる父、万物を造られた神の言葉キリスト、世界を覆うように動いていた聖霊ということでもあります。
三位一体の神に似せて人は造られました。人は神のかたちに造られています。
2章では、人も他の生き物と同じように土を材料に造られていることが語られています。同じ材料から同じ作者が造りましたから、人と他の生き物と似ているところはたくさんあります。
けれども聖書は明確に、人を特別な存在として描いています。
知性・体・霊で神の素晴らしさを表す神のかたち

人が神に似せて造られたのであって、人に似せて神を作ってはいけません。神様は白髪のおじいちゃんではないし、神話みたいに嫉妬したり不倫したりしません。
では神に似せて造られたとはどういうことでしょう。
それは神の偉大さを反映するということです。
他の被造物とは違う人間らしさにおいて、神の素晴らしさが表されます。
人には知性があります。
パスカルは「人間は考える葦である」と言いました。人間は弱い生き物ですが、その弱さを知っています。この考えるという能力において、人間は他の被造物と区別されます。
人間には新しいものを生み出す創造性があります。道具の使い方を学習できる動物もいますが、人間は新しい道具を生み出すことができます。
計算や情報処理という能力においてはコンピューターやAIの方が優れているかもしれません。しかしそれらを作ったのは人間です。
人間はプログラムではありませんから、自分の意思で選択する自由があります。
だから人は悩みます。本能で生きるだけなら悩みはありません。
人は先のことを考えて悩みます。
そして人は、他人の苦しみに共感し共に心を痛めます。
神は人間に体を与えました。この体も神の作品です。
オリンピックやパラリンピックで活躍するアスリートたちを見ていると、心が熱くなりますね。
人間にこのようなことを可能にさせた神をほめたたえずにはいられません。
エリック・リデルは「私は走るとき、神を喜ぶ。」と言いました。
アスリートだけでなく、私たちも神の作品です。
弱さや足りなさがありますが、この体、この存在そのもので神の素晴らしさが表れます。
そして人間の大きな特徴は、霊的な存在だということです。
詩編148編でうたわれているように、すべての造られたものが主を賛美します。
しかし神と愛の交わりを築き礼拝することができるのは人間だけです。
人間だけが宗教を持っています。
人間ならばいつの時代のどの民族にも宗教の痕跡が見られます。
日本人は無宗教だという人もいますが、その生活を見てみると日本人は本当に宗教的な民族だと思います。
人は神を見失ってしまったために偶像の神を礼拝してしまいますが、すべての民がイエス・キリストによってまことの神に立ち帰る道が備えられています。
このように人は知性と体と霊において神の素晴らしさを表す、神のかたちです。
地に満ちて地を従わせよ
神は人を造ったとき、こう言いました。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
産めよ増えよは他の生き物にも与えられた祝福の命令です。
人にだけはそれに付け加えて、地に満ちて地を従わせること、あらゆる生き物を支配することが命じられています。人間にだけ与えられた神からの役割です。
神の祝福によって、人は世界中に増え広がりました。赤道直下の熱帯から、極寒の北極圏近くまで人が住んでいます。海にも山にも乾燥地帯にも熱帯雨林にも人が住んでいます。
様々な地域に生息する動植物は他にもありますが、地域によって種が異なります。しかし人間はただ1種、ホモ・サピエンスだけです。
自然を好き勝手に利用してきた人間

人間はこの自然を利用し、道具を生み出し、文明を築いて生活を豊かにしてきました。
しかし人間の活動によって地球の環境が破壊され、姿を消してしまった生き物もたくさんいます。
20世紀には核兵器も生み出し、広島と長崎が破壊されました。放射能汚染は長期的に環境を破壊し続けます。福島第一原子力発電所の周辺では、事故から14年経った今でも一部の地域で居住や立ち入りが制限されています。
地を従わせるとは、このように人間が好き勝手に利用し荒らしてもいいということでしょうか。
神が造られた世界を管理する
生き物を支配することについては26節でも語られています。人が神のかたちに造られたことと関連付けられているようです。
つまり人は神の代理として、神が造られた世界を管理する役割が任せられているということです。
この点に関して、私たち人間は神から任された役割を果たせていません。管理者として失格です。
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
ローマの信徒への手紙8:19
神の子たちが人間の本来の役割を果たすことを被造物は切に待ち望んでいます。
イエス・キリストを信じ神に立ち帰った人は、地球環境を守る責任もあるということです。
人がいて極めて良いとされた世界
創造の集大成として人を造る
6日目の最後に神は造られたすべてのものを見ました。そして「極めて良い」と言います。
これまでも造られたものを見て「良い」と言ってきました。
6日目にはその造られたものの総合的な評価として「極めて良い」と言います。
これは人間を造ったことで出てきた評価です。つまりこの世界は人間が存在することで極めて良い状態に達したと言えます。
最終的に人間を生かすために、あらゆる環境や他の生き物を配置したとも言えるのではないでしょうか。
新しい家を作った。電気、ガス、水道、インターネットも通った。お気に入りの家具も置いた。良い。
観葉植物やワンちゃんだっている。良い。
でもそこに一緒に住むべき愛する人がいないなら寂しいじゃないですか。
最後に愛する人を迎え入れて、極めて良いと言えます。
神の創造の集大成として人が造られました。人は神の傑作品です。
天地万物が造られる前から、神は私たちを愛しておられたのです。
神の愛と正義を追い求める
神が最初に造られたのは男アダムでした。
しかし神は初めから人を男と女に造られました。
神様は男性と女性を区別しています。
男性が優先されるべきとか、優れているということではありません。男性も女性も神の傑作品です。
男性が足りないから女性の助けが必要だということでもありません。
男女の違いを活かして互いに助け合うのです。
神が極めて良いと言われた世界では、人は草や木の実を食べていました。他の生き物も草を食べるとあります。
肉食動物も草食だった?
いいえ、むやみに血を流す必要がなかったということです。
そこは神に養われ、狼と小羊が共に住むような世界です。
この世界は弱肉強食だと考える人もいます。
弱い者は強い者に踏みにじられ虐げられても仕方ない。弱い者には生きる資格がないのだと。
そんなのは野獣と同じ。
野の花を見よ。空の鳥を見よ。
神が造られた極めて良い世界では、弱く小さなものも神に美しく装われ養われています。
強い者が弱い者を助ける恵みの世界です。
神に似せて造られた私たちも、神がなさるように恵みを施していきます。
弱り果て打ちひしがれている人を見て深く憐れむ知性が人間にはあります。
私たちの手は人を押しのけるためではなく、弱い人に差し伸べるために使うことができます。
そして私たちは霊的な存在であって、神様の愛を受け取り、隣人を愛する。
そのような愛に生きる三位一体の神様に似た性質があります。
イエス様は言いました。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
マタイによる福音書6:33
この世界は神様が造られた良い世界。本来は神が治める神の国。
そこで神の愛と正義を追い求めていく。
その時、神のかたちに造られた私たちは、本当に人間らしく生きることができます。
0件のコメント