創世記5

仕事と安息

創世記 2:1-15

1 天地万物は完成された。2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天を造られたとき、5 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。6 しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。8 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。9 主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。10 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。11 第一の川の名はピションで、金を産出するハビラ地方全域を巡っていた。12 その金は良質であり、そこではまた、琥珀の類やラピス・ラズリも産出した。13 第二の川の名はギホンで、クシュ地方全域を巡っていた。14 第三の川の名はチグリスで、アシュルの東の方を流れており、第四の川はユーフラテスであった。15 主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

世界を良くする人間の仕事

金原明善

 この教会は浜松の平野部に建てられています。このような平らな土地は、川から運ばれてきた土がたまることで作られます。
 浜松から磐田に広がるこの平野は、天竜川によって作られたものです。かつてこの川は暴れ天竜と呼ばれ、この地域に何度も洪水を引き起こしてきました。
 浜松の実業家金原明善は天竜川の治水事業を開始します。
 まずは平野部を流れる天竜川の堤防を補強、改修しました。
 それだけでなく山間部の植林を行いました。かつて天竜川の山間部は荒れており、大雨が降ると大量の水と土砂が川に流れ込み、災害を引き起こしていました。金原明善は大量の杉やヒノキを植えます。これにより山が水を蓄えられるようになり、土砂崩れを起こすことを防ぎました。
 この植林事業は天竜区の林業の発展にもつながります。
 このように人の手が加わることで自然環境が守られ、地域の発展にもつながります。
 神様が造られた世界を治める人間の役割の模範です。

神は第7の日に安息した

 神様は6日間で天地万物を創造しました。神は造られた世界を見て「極めて良い」と言いました。完成です。
 第七の日に神様は創造の仕事を離れ、安息しました。

安息

 安息したとは、どういうことでしょう。
 仕事の手を止めて休息するという意味もあります。
 悩みや労苦から解放されて平安を得るという意味もあります。

創世記講解5 仕事と安息 創世記2:1-15 | ヨハン浜松キリスト教会 主日礼拝説教 | 2025年7月20日

 皆さんだったら、どのように過ごすのが安息になりますか?
 何もしないでゴロゴロ寝て過ごすことが安息でしょうか。
 自分の好きなことに没頭することが安息でしょうか。
 愛する人と充実した時間を過ごすことが安息でしょうか。
 体を休めることも必要ですし、様々な立場から解放されて自由に過ごすことも必要です。心が満たされることも必要です。
 これらのバランスが大事で、どこかに偏ってしまうと安息になりません。
 疲れているからといって一日中寝てしまったら、ものすごく損した気分になりませんか。
 夕べがあり、夕べがあった。
 朝はどこに行った?

 神様は創造の仕事を離れ、今は何もしていないのだと考える人もいます。
 しかし聖書の言う神は眠ることもまどろむこともないお方です。ゴロゴロ寝て過ごしてはいません。
 ユダヤ人たちは、仕事をしないという安息にこだわってしまいました。それでイエス様が安息日に病人を癒すのを非難します。
 それに対しイエス様はこう答えます。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」

 様々な立場から解放されるという安息もあります。
 奴隷のように働かされていた人はその役割から解放されるべきです。
 夫や妻、父や母などの役割に縛られている人(特に妻や母)はその役割から離れて自分の時間を持つことも必要です。
 趣味を持って、それに没頭できたらいいですね。
 神様は何にも束縛されていないので、解放される必要がありません。
 世界を造られた神様は、大工のように物作りをする時間も安息だったかもしれません。

神が造られた世界を味わい神をほめたたえる

 神様にとって、ご自分が造られた世界を造られた作品たちと共に喜ぶことが安息だったのではないかと思います。
 雄大な山々、広い海、その中をうごめく怪物、四季折々の草花、夜空に輝く星たち。この世界は極めて良い。
 そして神様は、この世界の美しさを認識する能力と、神様と語り合う霊性を持った人間をお造りになりました。
 だから私は、神様は第七日にアダムと一緒にこの世界を楽しんだのではないかと思います。
 こうして神様と語り合い、世界を造られ自分を生かしてくださる神様をほめたたえる。それが安息になります。
 そして私たちはそのような安息の過ごし方を礼拝と呼びます。

神から人に任された仕事

 ここまで読み進めて来て4節5節を見ると、違和感をおぼえるかもしれません。3日目に草木を生えさせたんじゃなかったっけ?人はどこ行った?
 1章では天地創造の全体像を詩的に表現しています。
 2章ではこの世界の中でエデンの園という場所にクローズアップして見ています。

変化に富んだ生きている世界

 神様は草木を造られましたが、初めから青々と茂っていたわけではありません。
 水を吸って芽を出し、太陽の光で光合成をして成長するようにデザインされていました。
 神様が完成された世界は、変化することがない完璧な世界ではありません。そのような世界も美しいですが、無機質で命は感じられません。
 神様が完成された世界は、変化に富んだ生きている世界です。そこには法則性があり、完成されたシステムによって保たれています。

 初めは雨も降っていなかったようです。
 代わりに地下から水が湧き出していました。
 湧水が貯まるところを泉と言います。規模が大きくなると湖です。湖にたまった水があふれると川になります。諏訪湖から流れ出る天竜川のように、川は大地を潤していきます。

人の手が加わることで世界はより良くなる

 また聖書は、草木が生えていなかった理由の一つとして「土を耕す人がいなかった」と言います。
 そして神は土の塵で最初の人アダムを造ります。
 アダムの役割は土を耕すこと。耕すことによって土の質が良くなり、植物が良く育ちます。
 人の手が加わることで世界はより良くなります。世界を管理しより良くしていくことが人間に求められています。
 これはアダムだけでなく、すべての人に与えられた役割です。

世界をより良くする仕事

 だから皆さん、農業をしましょう。
 ということではありません。
 もちろん農業は重要な仕事です。
 社会が発展していくと、様々な仕事が必要になってきます。米を作る人。米を売る人。道具を売る人。サービスを提供する人など。
 このような仕事は社会をより良くしていこうという思いから生まれてきます。
 だから仕事は神様から任された役割であり、隣人愛の表現です。それを見失ってはいけません。
 仕事をすれば報酬を得られます。お金は社会で生きていくために必要です。だからお金が仕事の目的になってしまう人もいます。お金をかせぐためなら何をしても良いとさえ思ってしまいます。楽に高額報酬を得たい。誰かをだましてお金を得たい。これは自分も周りの人も不幸にします。このようなものを仕事とは言いません。
 神様から任された仕事は、世界をより良くしていくためにあります。

小さな愛の行動が大きな実を結ぶ

 皆さんが今している仕事も、世界をより良くしていくためにあります。
 実感はわかないかもしれません。仕事の結果は、すぐにはわかりません。
 金原明善さんは治水のために杉を植えました。それが100年後に天竜杉というブランドにまで成長するとは思っていなかったでしょう。
 5つのパンと2匹の仕事を差し出すという小さな仕事が5,000人以上を満腹にするという大きな結果を生みました。
 自分がしている仕事は小さなことだと思う人もいるかもしれません。
 ずっと家にいて家事育児に専念する人もいます。
 それでも皆さんがしている一つ一つの愛の行動をイエス様の手に渡してください。
 イエス様が実を結ばせてくださいます。
 皆さんが神様のために人のためにする一つ一つの行動によって、世界はより良くなっていきます。

究極の完成に向かって御心を成し遂げていく

神が治める世界の原型と完成像

 エデンの園には必要なものが十分ありました。食べるられる果物がたくさんありました。神様の恵みに養われて生きることができます。
 土から湧き出した水は4つの川に別れ、全地を潤していました。
 そして金や宝石が採れました。

 黙示録には新しい天と地、新しいエルサレムの様子が描かれています。
 都を囲む12の門は様々な宝石で飾られています。
 そして玉座から命の水が流れ出ています。
 川のほとりには命の木が生え、葉を茂らせ実がなっています。
 エデンの園との共通点が見られます。

 エデンの園は神様が治める世界の原型です。
 私たちはこの神が造られた世界を治める管理人です。
 神がデザインした世界は変化していきながら完成へ向かいます。
 そのために立ち上がる人が必要です。
 私たちを通してこの世界は発展し、御心がこの地で成し遂げられていきます。

神の息吹によって人は本当に生きるものになる

 しかし私たちに神様の御心を行う力はありません。
 人間の活動は世界をより良くするどころか、環境を破壊し続けています。
 そこで神は、人を土の塵から造るだけでなく、その鼻に命の息を吹き入れました。
 人間は神の息吹によって生きるものになります。
 エゼキエルの枯れた骨の幻でも、骨に肉がつくだけでは生きていません。霊が入って生きるものになりました。
 逃げ隠れ引きこもっていた弟子たちに復活のイエス様が現れて息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と言います。弟子たちは聖霊を受けてから、キリストの証人として立ち上がる力を得ました。
 私たちにも聖霊が必要です。
 今も肉体は生きていますが、私たちが神のかたちに造られた人として本当に生きるために、聖霊を受けなければなりません。
 私たちの罪のために十字架で死なれ復活されたイエス・キリストを信じる時、私たちは聖霊を受けます。
 そして本当に生きるものになった私たちを通して、世界はより良くなっていきます。

礼拝して働く力を得る

 神様の御心をこの地で成し遂げていくためには、神様の御心を知らなければなりません。
 神様は何を願っておられますか。私に何を求めているのですか。
 それを知るために、聖書を読み、祈ってください。
 私たちは礼拝において神様に出会い、語り合います。
 神様の御心を行おうと働く私たちを、イエス様は招きます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と。
 そしてイエス様は「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と言います。イエス様のところで休んで、イエス様に従って働く力を得るのです。
 こうして神様の前に進み出て、神様から力をいただく時間が礼拝です。

9 総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。10 彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」

ネヘミヤ記8:9-10

 礼拝において私たちは神の言葉を聞き、悔い改めの涙を流すこともあるでしょう。
 しかし悲しみの涙では終わりません。このような者を救い生かしてくださる神様を喜びます。
 主を喜び祝うことこそ、私たちの力の源です。

 今私たちはこのように神様の前に集まって礼拝をささげています。
 皆さんの心が神様からの平安で満たされることを願います。そしてイエス様に出会い、救いの喜びに満ちあふれるように。
 ここから新しい一週間が始まります。
 皆さんが遣わされる職場で、学校で、家庭で仕える小さな愛の行動が、この世界をより良くし誰かを幸せにするために用いられます。
 行ってらっしゃい。


0件のコメント

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください