創世記9
罪の呪い
創世記 3:14-24
14 主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。15 お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」16 神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」17 神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い/取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。18 お前に対して/土は茨とあざみを生えいでさせる/野の草を食べようとするお前に。19 お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」20 アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。21 主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
人が生きていくことの苦しさ

今年は戦後80年になります。
終戦の日の夜には映画「火垂るの墓」がテレビで放送されました。
主人公は14歳の清太と4歳の節子。父親は海軍で出征しており母親と3人で暮らしていましたが、空襲で家も母親も失い、親戚のおばさんの家に預けられます。
清太は節子を悲しませまいと母の死を隠し、海に連れて行ったりサクマ式ドロップスをなめさせたりしてささやかな幸せを味わわせます。
しかし戦争に何の貢献もできない2人はおばさんから邪魔者扱いされ、居場所を失います。
そこで防空壕として掘られた横穴に2人で暮らすことにしました。電気もない横穴ですが、ホタルを捕まえてきて放すと幻想的な空間が広がります。
翌日、幼い節子が墓を作っているのを見て清太は驚きます。それはホタルの墓でした。
「ねえ、なんでホタルすぐ死んでしまうん?」
節子は母親の死を、おばさんから聞かされていました。
清太は畑の野菜を盗み、空襲警報で避難した人の家に盗みに入ってでも生きていこうとします。
それは愚かな行動です。
しかし誰が清太を責めることができるでしょう。なぜ14歳と4歳が自分たちだけで生きていこうとしなければならなかったのでしょう。
戦争の悲惨さ、人間が生きていくということの苦しさを感じさせる映画です。
すべての人に及ぶ罪の呪い
人は自らの選択で神に背き、禁断の木の実を食べました。
神の顔を避ける人に、神は「どこにいるのか」「なにをしたのか」と問いかけて悔い改めの機会を与えます。
しかし人は他の人のせいにし、神を呪い、まるで自分が被害者であるかのように振る舞います。
蛇への呪い
正義の神様は罪を放っておくことができません。そこでこの背信行為に関わった者たちに呪いを下します。
まずは、女をそそのかした蛇への呪いです。
蛇はあらゆる生き物の中で呪われたものになり、生涯這いまわって塵を食らいます。
黙示録には「巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者」とあり、最後まで蛇は神に敵対するものの象徴とされています。
そして蛇の子孫と女の子孫の間に敵意が置かれ、蛇は女の子孫のかかとを砕くが、女の子孫が蛇の頭を砕くと予告されています。
女への呪い
エバは蛇にそそのかされて禁断の木の実を取って食べ、アダムに渡しました。エバも有罪です。
女への呪いは妊娠出産の苦しみを大きくすること。
女性の体は新しい命を宿すことができますが、つわりなど体質の変化を伴います。
お母さんのお腹の中で大きくなった赤ちゃんは、産道という道を通って出てきます。このときに子宮の出口が10㎝くらいまで開きます。出産にかかる時間は個人差がありますが、十数時間かかります。
出産は本当に命がけです。日本の妊産婦死亡率は世界の中で低い水準ですが、年間数十人のお母さんが亡くなっています。
他の生き物でここまで難産な生き物はいません。

また神は、女は男を求め、男は女を支配すると言います。
助け合うべき男女の関係が主従関係に変わってしまう。祝福として与えられた性の関係さえも問題を引き起こす呪いに変わってしまいました。
ニュースを見ても男女関係のもつれから悲惨な事件が引き起こされていることがわかります。
パスカルは「クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、地球の全表面は変わっていただろう。」と言いました。美しい女性を巡って歴史的な事件も起こります。
人の罪ゆえに壊れた世界
この事件で最も責任があるのは誰か。それは判決の長さでわかります。
そそのかした蛇でもなく、最初に取って食べた女でもありません。最も責任が重いのは、アダムです。
彼は人間の代表として神から直接「取って食べるな」と命じられていたからです。
それなのにアダムは神の言葉に従わず、女の声に従いました。
アダムの責任は非常に重く、「お前のゆえに、土は呪われるものとなった。」と言われています。
いや、関係なくない?
蛇には蛇への呪い、エバには女への呪いだったのに、アダムには土への呪い?
アダムは人間の代表として神がお造りになりました。人には「産めよ増えよ、地に満ちて地を従わせよ」との神の言葉に従い、世界を管理する役割が任せられていました。
しかし人は神の言葉に従わない。これでは世界を正しく管理できません。
だから人の罪のゆえに土は呪われ、神が造られた極めて良い世界は壊れてしまいました。
人が労苦し土を耕しても、そこに茨やあざみが生えてくる。コヘレトが言うように「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい」と言うしかない世界になってしまいました。
顔に汗を流してパンを得る

エデンの園ではいつでも好きなものをいくらでも食べることができました。
しかし土が呪われた結果、人は生涯食べ物を得ようと苦しむことになります。
仕事も神様から与えられた祝福でした。仕事を通して世界をより良くなっていきます。働くことは喜びです。
しかしそのような本来の意味は失われました。
仕事はただ生活の糧を得る手段。金もうけが仕事の目的になります。
それでは働く喜びなど見い出せず、仕事はただの苦しい労働になってしまいます。
お盆休みも今日で終わり。明日からまた仕事という呪いが待っています。
塵にすぎないお前は塵に返る
人はいつまで顔に汗を流してパンを得ようとしなければならないのか。
それは土に帰るときまで。土の塵から造られた人は再び塵に返ります。肉体の死です。
死は本来呪いではありません。
植物も動物も死んで土に返ります。地中の生き物によって分解され、栄養ある土ができます。それが植物の栄養になり、草食動物が食べ、肉食動物が食べます。
こうして死ぬものがいるから、次の命が生かされます。死もこの命のサイクルの中にある1つのプロセスです。
死ぬことも神様からの恵みです。
しかし神から離れた人にとって、死は最大の呪いになりました。
死んだら終わり。すべてが空しく、何の希望も見出せません。
一人の罪が全人類に及ぶ
罪を犯したのはアダムとエバなのに、罪の呪いはすべての人に及んでいます。理不尽ではないですか。
人間の代表であるアダムの罪は、人間全体の罪と見なされます。
このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。
ローマの信徒への手紙5:12
国の代表が宣戦布告すれば、国民全員が戦争状態に入ります。軍人だけでなく一般市民も。女性や子どもも関係ありません。
アダムが神に背いたので、すべての人は生まれながらに罪の状態にあります。
普段は意識しないかもしれませんが、私たちは罪の呪いを受けています。
悪魔の敵意は私たちにも向けられています。悪魔は私たちを誘惑し、神から引き離そうとします。
生きていく上で様々な嘆き悲しみ労苦があります。
そして最後には死にます。塵に過ぎない私たちは塵に返ります。

生まれてすぐ泣く動物はいません。
しかし人は生まれてすぐ泣きます。
まるで罪の呪いを受けて生きなければならないことを嘆くかのようです。
楽園追放
人は神と共に永遠に生きるはずでした。
しかし罪を犯したアダムとエバはエデンの園から追放されました。エデンの園への道にはケルビムときらめく剣の炎が置かれています。
ケルビムは神がおられるところを守る天使です。
人はもうエデンの園に帰ることはできません。神に近づく道は閉ざされました。
神から見捨てられてしまったかのようです。

追放者に向けられた神の憐れみ
それでも神の憐れみを見出すことができます。
神は何も持たせず人を追放したわけではありません。
皮の衣を作って着せてあげました。
裸の恥を負って生きなければならない人に、神様ご自身が服をプレゼントしてくださいました。
この服は毛皮です。何の毛皮かわかりませんが、動物の皮をはいで作ります。何かの動物が血を流し死にました。
人の罪を覆うために支払われた最初の犠牲です。
神は言います。「今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」だから神は人をエデンの園から追い出しました。
神はエデンの園の中央に命の木を生やしておきました。神と人が永遠に共に生きるためです。
しかし今は命の木の実を食べてほしくない。
人が罪を犯したまま永遠に生きるなら、それは永遠の滅び、地獄です。
神は一人も滅びることなく、永遠の命を得てほしいと願っています。
誰も地獄に落ちてほしくない。
神に立ち帰った人に永遠の命を与えようと待っています。
神に立ち帰る道
神に立ち帰る道を、神は示しています。
蛇に対する呪いとして神は言いました。「彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」
女の子孫として生まれる者が悪魔の頭を砕きます。
女の子孫という言い方は不思議ですね。
子どもは女の人からだけ産まれるのではなく、男の人と関係を持って身ごもります。男はどこに行った?
この疑問は福音書を見ると解決します。
おとめマリアが身ごもって男の子を産みました。
人の子として来られたイエス・キリストが悪魔の頭を砕くのです。
十字架によって。神の子が十字架につけて殺されとき、悪魔は勝利したと思ったでしょう。
しかし悪魔が砕くことができたのはかかとだけ。
イエス・キリストの十字架によって人の罪の償いは完了しました。悪魔の思惑は打ち砕かれました。
キリストの勝利です。
イエス・キリストは死んで終ったわけではありません。
3日目に死の力を打ち破り復活しました。
人間にとって最大の呪いである死さえも、イエス様は解決してくださいました。
イエスを主と信じるなら、私たちは神の子とされる。
そして神の子たちが現れるとき、この壊れた世界は回復していきます。被造物は神の子たちが現れるのを待ち望んでいます。
神の言葉に聞き従う神の子たちによって、平和が作られていきます。
イエス・キリストこそが神に立ち帰る唯一の道、真理、命です。
そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。
ローマの信徒への手紙5:18
一人の罪というのはアダムの罪。
一人の正しい行為というのはキリストの従順。
完全な人、完全な神であるキリストは律法の要求をすべて満たし、十字架の死に至るまで神に従いました。
私たちも信仰によってキリストにつながり、義と認められます。
イエス様を信じるとき、私たちは神に立ち帰り、神が私たちのために用意しておられる命の木の実を受け取ることができます。
神と共に生きる永遠の命を受け取るのです。
今私たちの人生は、またこの世界は、人間の罪により壊れています。
周りを見渡せば罪の呪いが現実であると認めざるを得ません。
しかし私たちはこの壊れた世界の中で空しく土に帰る存在ではありません。いつかは死んで葬られますが、それで終わりではない。
イエス様が私たちのために十字架で死に復活しました。
罪の呪いから解放され、神が用意しておられる祝福の中を生きます。そして壊れた世界を回復していきます。
イエス様を見上げて生きていきましょう。
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