助ける力は神にある

歴代誌講解62

助ける力は神にある

歴代誌下 25:5-24

5 アマツヤはユダの人々を召集し、ユダ族とベニヤミン族のすべての人々を家系に従って千人隊の長および百人隊の長のもとに配属した。二十歳以上の者の数を調べたところ、槍と盾を携える戦闘員として三十万の若者がいることが分かった。6 また彼は銀百キカルを費やして、イスラエルから勇士十万を雇った。7 ところが、ある神の人が来て言った。「王よ、イスラエルの軍隊を同行させてはなりません。主はイスラエルの者、すなわちどのエフライム人とも共においでにならないからです。8 もし行くなら、単独で行って勇敢に戦いなさい。そうでなければ、神は敵の前であなたを挫かれます。神には力があって、助けることも、挫くこともおできになります。」9 アマツヤは神の人に言った。「イスラエルの部隊に払った百キカルはどうしたらよいのか。」神の人は答えた。「主はそれより多くのものを与えることがおできになります。」10 そこでアマツヤはエフライムから来た部隊を、彼らの地に帰らせるために分離した。そのため、彼らはユダに対して激しく憤り、怒りに燃えながら彼らの地に帰って行った。11 しかしアマツヤは、勇気を奮い起こし、自分の軍隊を率いて塩の谷まで進み、一万のセイル兵を打ち倒した。12 またユダの兵はほかに一万の敵兵を生け捕りにし、岩山の頂に引いて行き、彼らをその岩山の頂から突き落としたので、皆砕かれて死んだ。13 他方、アマツヤが戦いに同行させずに送り返した部隊の兵士らは、サマリアからベト・ホロンまでのユダの町々を荒らしまわり、三千人の住民を打ち殺し、略奪をほしいままにした。14 アマツヤはエドム人の討伐から帰った後、セイル人の神々を導入し、これを自分の神とし、その前にひれ伏して香をたいた。15 主はそのアマツヤに対して怒りに燃え、預言者を遣わされた。彼は王に言った。「あなたの手から自分の民を救えなかった神々を、どうしてあなたは求めるのか。」16 彼がこう告げているときに、アマツヤは言った。「お前を王の顧問にした覚えはない。もうよい。打ち殺されてもよいのか。」預言者は語るのをやめたが、こう付け加えた。「あなたはこのような事を行い、またわたしの忠告も聞かない。それゆえ神はあなたを滅ぼそうと決められたことが、分かりました。」17 ユダの王アマツヤは、協議の結果、イスラエルの王、イエフの孫でヨアハズの子であるヨアシュに使者を遣わし、「来るがよい、戦いを交えよう」と言わせた。18 だが、イスラエルの王ヨアシュは、ユダの王アマツヤに次のような返事を送った。「レバノンのあざみがレバノンの杉に、『あなたの娘をわたしの息子の嫁にくれ』と申し込んだが、レバノンの野の獣が通りかかって、あざみを踏み倒してしまった。19 あなたはエドムを打ち破ったと言って、思い上がり、うぬぼれている。今は家にとどまっているがよい。なぜ挑発して災いを招き、あなただけでなく、ユダも一緒に倒れるようなことをするのか。」20 しかしアマツヤはこれを聞き入れなかった。それは神の計らいによる。ユダの人々がエドムの神々を求めたため、神は彼らを敵の手に渡そうとされたのである。21 イスラエルの王ヨアシュは上って来て、ユダのベト・シェメシュでユダの王アマツヤと戦いを交えた。22 その結果、ユダはイスラエルに惨敗し、兵はおのおのその天幕に逃げ帰ってしまった。23 イスラエルの王ヨアシュはベト・シェメシュで、ヨアハズの孫でヨアシュの子であるユダの王アマツヤを捕らえ、エルサレムに引いて来て、その城壁をエフライムの門から角の門まで四百アンマにわたって破壊した。24 また彼は、オベド・エドムの管理下にあった、神殿のすべての金、銀、祭具、更に王宮の宝物および人質を取って、サマリアに凱旋した。

間違った基準に縛られる

 政府は2020年度に、新型コロナウイルス感染拡大によって大きな影響を受けた事業者を支援するために持続化給付金を支給することにしました。
 今年6月、その持続化給付金を2億円以上もだまし取ったとして男女7人が逮捕されました。その中には国税局の職員も含まれていました。
 その詐欺グループの1人の初公判が8月に行われ、被告は老後に不安があったと動機を説明しました。
 この被告は大学を卒業し都内の不動産会社に勤める22歳の若者でした。普通は、老後に不安を抱えるような境遇ではありません。
 しかし老後に2000万円が必要という話が出て、将来に不安を覚えたそうです。詐欺の報酬も貯蓄したと述べています。
 一般的には、銀行に預金が2000万円以上ないからと言って不足を感じる人はあまりいないと思います。
 しかし政府が、老後に安心して暮らすために2000万円が必要だと言いました。それで2000万円という高い基準に比べて、自分が不足していると感じる人が出てきます。

 足りていない、持っていないと感じると、それを満たそうとします。
 そして安易な方法で満たそうと、ギャンブルに手を出して持っていたものまで失う人もいます。悪に手を染めてしまう人も出てきます。
 この被告は、不足を満たそうとした手段も間違っていますし、そもそも2000万円という富を基準にしたことから間違っています。

必要は神が満たす

 今日の本文は南ユダ王国8代目アマツヤ王の話です。
 父であるヨアシュは祭司ヨヤダに依存した信仰を持っていました。それでヨヤダが亡くなると神を捨て、預言者ゼカルヤを殺しました。
 神を捨てたヨアシュはアラムに大敗し、家臣たちは異邦人の女性と共謀しヨアシュを暗殺します。

復讐心を隠して表面的に神に従う

 その子アマツヤが王になると、主の目にかなう正しいことを行いました。
 ただし、心からそうしたのではありません。惨めに死んでいった父の失敗を踏まえ、打算的に主に従うふりをしたのでしょう。
 アマツヤは先代の王を暗殺した家臣たちを死刑にします。申命記24章の規定に基づき、その子どもたちまで処刑することはしませんでした。
 律法に基づいてさばいているように見えますが、後のアマツヤの振る舞いを見ると、律法というオブラートに包んで個人的な復讐をしたのかもしれません。

兵力が足りない

 アマツヤはセイルのエドム人と戦いました。
 エドムはヨラム王の時代に南ユダの支配から独立しました。その後、目立った対立はありませんでした。
 アマツヤはそのエドムに攻め込みます。
 ユダの若者たちを招集したところ、30万人の兵が集まりました。結構な大人数ですが、アマツヤの目には不足に映りました。
 歴代誌下17章でヨシャファトの時代、千人隊の長の配下の部隊が約30万人でした。その千人隊がいくつかあります。
 アマツヤの時代は国全体で、ヨシャファトの時代の1つの部隊ほどの兵力しかないということです。
 アマツヤはこの不足を満たすために、銀100キカルで北イスラエルから10万人の傭兵部隊を雇います。

神には力があり助けることも挫くこともできる

 そこに預言者が来て、主は北イスラエルの兵と共にいないのだから彼らを連れて行くな、と言いました。
 神はこの戦いを指示しておらず、共にいない。だから戦争に行くな、ということです。
 それでももし戦いに行くなら、南ユダ単独で行って勇敢に戦えばいい。北イスラエルを頼らず神を頼れ。

 8節でこの預言者はとても重要なことを言います。
 「神には力があって、助けることも、挫くこともおできになります」。
 これが25章のキーワードです。助ける力は神にあります。

 アマツヤは預言者の助言に従って北イスラエルの兵を帰そうとしますが、既に100キカル払ってしまっています。それはどうしたらいいのでしょう。
 預言者は言います。「主はそれより多くのものを与えることがおできになります。」
 主を信頼しなさい。あなたが失ったと思ったものも帰ってきます。

不足を感じ手放すことを恐れる

 この箇所を見るとアマツヤは自分に不足を感じており、手放すことに恐れを持っていることが分かります。
 私たちも他の人と比べて不足を感じさせられます。銀行の残高が2000万円に満たない。CMやドラマで描かれる生活に比べて自分の生活が貧相に見える。そうして自分に足りないものを満たそうと努力します。
 よりよい生活を求めて努力することはよいことです。
 しかしその動機が不足感であるなら、いつまでも満足は得られません。
 いつも満たされていないから、ささげることができなくなります。
 もっと満たさないといけないのだから、1000円でも100円でも1円でも、手放すことが惜しい。
 老後に2000万円を貯めるためなら教会で献金なんてしていられない!そう思わされます。

感じる必要のない不足を感じさせられる

 ドラマの中の理想的な人生を送れていないことが問題なのではありません。貯金が2000万円ないことが問題なのではありません。
 兵が30万人しかいないことが問題なのではありません。
 そもそもアマツヤが戦争を起こそうとしていることから間違いです。
 エドムが独立してから数十年間平和に暮らして来たのに、まるでエドムが裏切り者であるかのように一方的な敵意を持って攻めようとしている。
 感じる必要のない不足を感じさせられています。

キリストによって満たされる

 アマツヤは手放した100キカルを惜しんでいますが、この富はどこから来たのでしょうか。
 富自体は神が与えてくださったものです。
 私たちに必要な力は神が与えてくれます。
 私たちが何かを成し遂げるために必要な力も、安心して生きるための日ごとの糧も、神が満たしてくださいます。
 貯蓄や年金制度は良いものです。
 貯蓄や年金が少ないからと恐れる必要はありません。神が養ってくださいます。

わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

フィリピの信徒への手紙4:19

 だから他の人と比べて不足を感じる必要はありません。
 手放すことを恐れなくてよいです。
 神様があなたの必要をすべて満たしてくださいます。

あなたを助ける神の約束に結びつけられた生き方

 アマツヤは勇気を奮い起こして南ユダの兵を率い、セイル兵1万人を打ち倒し、1万人を生け捕りにしました。
 北イスラエルを頼らず神を信頼し勝利を得たという展開です。
 しかしアマツヤは本当に神様に従おうとしたわけではありません。預言者に言われたので仕方なく南ユダの兵だけで戦いました。

捕虜を残虐に扱ったアマツヤ

 アマツヤが1万人の捕虜にした仕打ちを見れば、彼が主の目にかなう正しい人ではないことがわかります。
 捕虜に対する扱いと言えば、北イスラエルがアラム兵にした仕打ちが模範になります。
 預言者エリシャはサマリアに連れて来られたアラム兵にパンと水を提供しました。敵に対しても愛をもって接しました。
 アマツヤがしたことはエリシャとは正反対です。
 捕虜たちを岩山の頂から突き落としたのです。
 神様はこのような残虐非道を求めていません。

期待したものが得られなかった傭兵による略奪

 もう一つ事件が起こります。10万のイスラエル兵は銀100キカルで雇われて南ユダに出向きました。そして勝利に貢献し戦利品も得るつもりでいました。
 しかし得られたはずの戦利品は得られなくなりました。アマツヤのせいで。
 不満を抱いたイスラエル兵たちはサマリアに帰る途中で南ユダの町々を略奪し、3000人を打ち殺しました。

エドムの神々の力を求める

 エドムとの戦いから帰国したアマツヤはエドムの神々を自分の神とし、その前にひれ伏して香を焚きました。神を捨て、エドムの神を崇拝しました。
 理解しがたい行動です。エドムに勝ったのだから、相手の神の力を自分のものにできるとでも考えたのでしょうか。
 昔ロックマンというゲームがあり、敵のボスを倒したらその能力を使えるようになるというシステムがありました。武器の種類が増えて他のステージで有利に戦えます。
 エドムは山に住んでいましたから、エドムを倒すと山の神の力を手にして山道を速く登れる?そんなことはありません。

 そんな愚かなアマツヤのところに主はもう一人の預言者を遣わします。
 彼は言います。「あなたの手から自分の民を救えなかった神々を、どうしてあなたは求めるのか。」
 本当にその通りです。何の力もない偶像を頼るのは愚かです。
 正論を言う預言者にアマツヤは「お前を王の顧問にした覚えはない。もうよい。打ち殺されてもよいのか。」と言って黙らせ、追い返します。前の預言者の言葉を聞いたときとは違う対応です。
 預言者は帰り際にこう言い残します。「あなたはこのような事を行い、またわたしの忠告も聞かない。それゆえ神はあなたを滅ぼそうと決められたことが、分かりました。」

自分の手で復讐を果たす

 アマツヤは預言者の忠告を聞きませんでした。その代わり、周りの人々の話は聞きます。
 北イスラエルの王ヨアシュに使者を遣わし、戦いを交えようと挑発します。神の言葉は聞かず、人の言葉は聞きます。
 この戦いは復讐だったかもしれません。
 サマリアに帰る途中の北イスラエル兵によってユダの住民3000人が打ち殺されました。「その復讐だ。ヨアシュ、出てこいや!」 そのような思いがあったでしょう。アマツヤは自分の手で復讐を果たそうとしています。

惨敗した上に神殿の祭具を奪われる

 高ぶるアマツヤにヨアシュは手紙を送り、うぬぼれを指摘します。
 しかしこれも聞き入れず、戦いを挑みます。
 結果アマツヤは惨敗します。
 アマツヤは逃げ帰る途中で北イスラエル軍に捕まります。
 北イスラエル軍はアマツヤをエルサレムに送り届けながら、エルサレムの城門を破壊し神殿の祭具を奪いました。
 この神殿は先代のヨアシュがまだヨヤダの助けを受けていた時に修復したものです。
 王が神を頼っていた時代に、民が進んでささげたことによって立て直された神殿と祭具です。
 アマツヤは自分の手で復讐しようとした結果、返り討ちにあい、大切なものを失います。

復讐は神がすること

 北イスラエルの兵が3000人を打ち殺し略奪したことは確かに犯罪行為であり、処罰されるべきです。
 しかし人間の力で復讐しようとしてもうまく行きません。
 ヤコブの手紙には人間の怒りは神の義を実現しないと書いてあります。
 誰かにひどいことをされた時、ひどいことをした人は処罰されるべきです。
 しかし怒りに燃え憎しみに駆られ、自分の手で同じ目にあわせてやると思っていると、私たちは道を踏み外します。
 復讐は私たちがすることではありません。

19 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。20 「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」21 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

ローマの信徒への手紙12:19-21

 復讐は神がすること。
 私たちがするべきことは渇いている人に飲ませ、飢えている人に食べさせること。
 たとえ敵であっても、愛をもって接することです。

神の愛は過去の思いから解放する

 私たちはされたこと、できなかったことに捕らわれることがあります。
 昔あいつにひどいことをされた。その過去の思いに縛られると、あいつに復讐したいという憎しみが湧いてきます。
 イエス様は私たちが罪人であった時に私たちのために死に、神様の愛を示してくださいました。
 神を捨てて生きる罪人に、神に愛される資格はありません。それにも関わらず神は私たちを愛しています。
 神様の無条件の愛は、過去の思いに縛られていません。
 その愛を受け取るとき、あらゆる怒り憎しみに打ち勝つことができます。
 イエス様は私たちに愛すること、赦すことを求めます。
 赦すとき、過去の思いに縛られた生き方から解放されます。

神の約束に結びつく人

重荷や絡みつく罪に捕らわれ足を挫く

 現在の状況を見て、あれがない、これが足りないと不足を感じることもあります。
 私たちは誰しも不完全な人間なので、どこか欠けがあります。だから不足感が満たされることはありません。
 また未来に縛られる生き方もあります。
 定年までに2000万円を貯めることができるだろうか。将来の不安に縛られます。
 過去に縛られる生き方は間違っていますし、現在に縛られる生き方も未来に縛られる生き方も間違っています。

 私たちが生きるべき世界は過去・現在・未来ではなく、神の約束に結びついた世界です。
 神は失ったものを取り戻せとか、不足を満たせ、2000万円貯めろ、そうしないと幸せになれないぞ、などとは言いません。
 神の約束は、キリストに結ばれた者は誰でも新しく創造された者だということです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じました。
 この神の約束に基づき、私たちは自分が新しく創造された者になっていると知ることができます。

1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。

ヘブライ人への手紙12:1-2

 このイエス様を見上げて歩んで行くとき、私たちを捕える重荷や罪から離れて生きることができます。
 間違ったものに捕らえられていると足を挫きます。
 イエス様を見上げ、その約束に従って生きるなら、イエス様が助けてくれます。
 神には力があって、助けることも、挫くこともおできになります。
 助ける力は神にあります。

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