使徒言行録講解64
勇気を出せ、神が共にいる
使徒言行録22:30-23:11
22:30 翌日、千人隊長は、なぜパウロがユダヤ人から訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い、彼の鎖を外した。そして、祭司長たちと最高法院全体の召集を命じ、パウロを連れ出して彼らの前に立たせた。23:1 そこで、パウロは最高法院の議員たちを見つめて言った。「兄弟たち、わたしは今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。」2 すると、大祭司アナニアは、パウロの近くに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。3 パウロは大祭司に向かって言った。「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従ってわたしを裁くためにそこに座っていながら、律法に背いて、わたしを打て、と命令するのですか。」4 近くに立っていた者たちが、「神の大祭司をののしる気か」と言った。5 パウロは言った。「兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした。確かに『あなたの民の指導者を悪く言うな』と書かれています。」6 パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であることを知って、議場で声を高めて言った。「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」7 パウロがこう言ったので、ファリサイ派とサドカイ派との間に論争が生じ、最高法院は分裂した。8 サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである。9 そこで、騒ぎは大きくなった。ファリサイ派の数人の律法学者が立ち上がって激しく論じ、「この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか」と言った。10 こうして、論争が激しくなったので、千人隊長は、パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないかと心配し、兵士たちに、下りていって人々の中からパウロを力ずくで助け出し、兵営に連れて行くように命じた。11 その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」
我ここに立つ
宗教改革者マルティン・ルターは1517年10月31日にヴィッテンベルグ城教会の門に95ヶ条の論題を掲示しました。
ラテン語で書かれていましたが、ドイツ語に翻訳されました。さらにグーテンベルクの発明した活版印刷技術により、神聖ローマ帝国中に広がり、大きな反響を呼びました。宗教改革の始まりです。
次第にローマ・カトリックとルター派の対立は深刻になっていきます。教皇レオ10世はルターを破門しました。
神聖ローマ皇帝カール5世は事態を収拾しようとし、ヴォルムス帝国議会を開き、ルターを呼び出しました。そこでルターは、自分の主張を撤回するように求められました。
しかしルターは、「聖書に書かれていないことを認めるわけにはいかない。私はここに立っている。それ以上のことはできない。神よ、助けたまえ」と述べたと伝えられています。
「我ここに立つ」
かっこいいですね。勇者のようですね。
どんな困難な状況が起こっても、主の助けによって立たせていただきたいですね。
しかし実際には難しいです。
最高法院での取り調べ
今日の本文はパウロがユダヤ教の最高法院で取り調べを受ける場面です。
パウロはユダヤ人の前で弁明をしました。その目的は、パウロが出会ったイエス様を指し示すことでした。
パウロが復活の主に出会って異邦人に福音を伝えるために遣わされたと語ると、ユダヤ人は「こんな男は地上から除いてしまえ」と叫びだしました。
千人隊長はパウロを守るために、兵営に入れさせました。そしてパウロがどうしてここまで憎まれているのかを知ろうと、鞭で打って取り調べようとしました。
そこでパウロは、自分が生まれながらのローマ市民だと言いました。ローマ市民を鞭で打つことはできません。
一旦監獄に入れた後、次の日、最高法院を招集してパウロの取り調べをすることにしました。
白く塗った壁
最高法院の出席者たちは、大祭司アナニア、ファリサイ派とサドカイ派の代表者たちでした。
今日の本文には省略されていますが、まずパウロを訴える内容が読み上げられたはずです。
パウロは議員たちを見つめて、「良心に従って神の前で生きてきました。」と訴えを否認しました。力強い答えです。パウロは訴えられるようなことをしていないので、当然です。
しかしこの答えは大祭司にとって不満でした。大祭司アナニアはパウロの口を打たせました。
このアナニアという大祭司は暴力的な性格だったようです。ヨセフスの古代誌によれば、アナニアは一般の祭司たちが受け取るべき十分の一税を横取りしていました。抵抗すれば暴力を受け、祭司たちの中には飢え死にする者もいました。完全にヤクザです。アナニア組長です。
口を打たれたパウロは、「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従ってわたしを裁くためにそこに座っていながら、律法に背いて、わたしを打て、と命令するのですか。」と言いました。
突然暴力を振るわれて出てきた言葉にしては、アナニアに対する痛烈な批判になっています。
律法は不正な裁判を禁じています。力ある者に忖度してはいけません。しかし裁判長を務める大祭司自らが、自分の権力を乱用しています。
このように、外側は立派な行いによってきれいに装っていながら、内側は不法に満ちている宗教指導者たちを、イエス様も非難していました。
27 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。28 このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。
マタイによる福音書23:27-28
白く塗った壁というのは、このイエス様の言葉から来ているのかもしれません。
そして神があなたを打つという言葉の通り、アナニアは暗殺されてしまいます。
パウロの近くに立っていた者が「神に立てられた大祭司をののしる気か」と咎めると、「その人が大祭司とは知りませんでした」と言いました。
知らなかったはずがありません。服装などでもわかるでしょう。
「こんな偽善者が本物の大祭司とは思いませんでした」という皮肉です。
ここでも出エジプト記22:27を引用して、『あなたの民の指導者を悪く言うな』と言っています。
誰も反論できない言葉と知恵を主が与える
このようにパウロは、聖書を引用しながら痛烈な答えをしています。
さすがガマリエル先生のもとで学んだ学者だということでしょうか。口を打たれたら、御言葉がポンポン出てきます。
確かにそういう知識力という面もあるでしょう。
聖書の言葉を覚えておくことは、私たちの武器になります。
しかしそれだけではありません。イエス様はこう言っていました。
12 しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。13 それはあなたがたにとって証しをする機会となる。14 だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。15 どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。
ルカによる福音書21:12-15
キリストの名のために人々の前に立たされる時が来ます。
そのとき、誰も対抗できない言葉と知恵を、主が与えてくださいます。
自分を隠さなくていい
私は大学4年生の時に教会に行き始めました。それから3ヶ月後に洗礼を受けました。
自分が出会ったイエス様を紹介したいなと思い、大学の中で伝道を始めました。
でも大学としては心配ですよね。統一教会のダミーサークルが問題になった時期です。
それで副学長に呼び出されました。
私としては、何もやましいところはなかったので、正直に言いました。クリスチャンで、イエス様を紹介しているのだと。
副学長は、どこの教会か聞いてきました。
「ヨハン静岡キリスト教会という教会です。建物はなく、公民館を借りて活動しています」
副学長はさらに細かく聞いてきました。どのような教派なのか?
やけに突っ込んでくるなと思いながら、教派のことはよくわからなかったので、「淀橋教会の韓国部から始まった教会みたいです」と答えました。
すると副学長は、「ああ、淀橋教会か。よく知っているよ。私もルーテル教会のクリスチャンだ。」と言いました。
副学長から呼び出されたことで最初はとても緊張しましたが、最後は共にクリスチャンだとわかり、笑顔で帰りました。
何を語るべきか悩ましい状況に立たされる時が来るでしょう。
自分の知恵を頼ってコソコソ自分を隠そうとしたくなるかもしれません。確かに迫害の激しい国では、正体を隠さなければならないこともあります。
しかし日本の場合は問題ありません。
私はクリスチャンだと堂々と言えばいいです。
語るべき言葉を主が与えてくださいます。
復活論争
最高法院での取り調べは、議員たちの仲間割れで終わりました。
議員たちがファリサイ派とサドカイ派の代表者たちだと知ったパウロは、「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」と声を上げました。
サドカイ派はモーセ五書を忠実に守る立場で、復活信仰はありませんでした。
ファリサイ派は律法を解釈して適用しました。その中で復活信仰も受け入れていました。
クリスチャンの信仰において、イエスの復活は欠けてはならない重要な柱です。パウロは、もし死者の復活がなければクリスチャンの信仰はむなしく、最も惨めな者だとも言っています。
パウロの発言を聞き、ファリサイ派とサドカイ派は神学論争を始めてしまいました。
論争が激しくなってきたのを見て、千人隊長はパウロを再び兵営に入れさせました。
結局ユダヤ人の下では、パウロが憎まれている理由を把握することはできませんでした。
勇者よ、主はあなたと共におられる
その夜、主がパウロのそばに立って言いました。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」
こうしてパウロはローマに向けて動き出すことになります。
強大な敵を前にして主に助けを求めると、敵が仲間割れをして倒れるという話が旧約聖書にいくつかあります。
ギデオンと300人の勇士が13万5千人を打ち破った話などが有名です。
これはイスラエルがミディアンに脅かされていたときのことです。ギデオンはミディアン人を恐れ、酒ぶねの中で小麦を打っていました。
一言で言うと、臆病者です。勇士などではありません。
しかし彼のもとに天使が現れて言います。
主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」
士師記6:12
私たちは恐れます。困難な状況に囲まれ、酒ぶねの中に隠れるように、閉じこもります。
外に出ること、人と関わることを恐れます。コロナ怖い。ステイホームしなきゃ。自粛しなきゃ。
しかしそのような私たちに主は言います。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」
インマヌエルの神、主はいつも私たちと共にいます。
だから私たちは出て行って、すべての民をキリストの弟子とすることができます。
チュソクのプレゼントを渡すことも、勇気がいるかもしれません。
勇者よ、主はあなたと共にいます。
この小さなプレゼントが、イエス様を証しします。
語るべきことは主が与えてくださいます。
たった300人が13万5千人を打ち破ったように、あなた1人の存在によって、主はあなたの家庭、職場、学校、この町を勝ち取ります。
主と共に出ていき、キリストの証人として歩ませていただきましょう。