十戒2
十戒の序言
出エジプト記20:2
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
十戒を与えるのは誰か
十戒は10の戒めです。その条文の前に、序言があります。
十戒を与えるのが誰か、ということが語られます。
このことは、私たちがなぜ十戒を守るのかという動機付けにもなります。
私たちが十戒を守るのは、神が私たちの神、主であって、私たちをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者だからです。
神は私たちの神
まず、神は私たちの神です。
自分と全然関係ない人から「約束しよう」と言われても、なぜそうしなければならないのかわかりません。しかし自分のことを愛してくれている方から「約束しよう」と言われれば、喜んで約束を守るでしょう。
神様は私たちに向かってこう呼びかけます。
恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け/わたしの救いの右の手であなたを支える。
イザヤ書41:10
全知全能の神が私たちの神です。天地創造の前から私たちをご存じで、髪の毛の数まで数えておられる神が、私たちの神です。
この神がいつも共にいて、私たちを助け、支えてくださいます。
この恵みに感謝して、私たちは十戒を守ります。
神は主
次に、神は主です。
私たちは権威に弱いです。家族の話は聞かなくても、テレビで言われていることは信用するということはありませんか。テレビ様がこう言うなら間違いないと思ってしまうのです。
世の中の権威にそのように従うのなら、主なる神様にはなおさら従うべきです。
4 主の御言葉は正しく/御業はすべて真実。5 主は恵みの業と裁きを愛し/地は主の慈しみに満ちている。6 御言葉によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。
詩編33:4-6
天地万物は主の言葉によって創造されました。主が命じれば、その通りになります。
世界を治めておられる主への畏れをもって、私たちは十戒を守ります。
神は私たちの救い主
そして、神は私たちの救い主です。
私たちの行動とアイデンティティは深く関係しています。
行動によってアイデンティティが変わるというわけではありません。私たちが王様のように振る舞ったとしても、王様になるわけではありません。しかし自分に王様という身分が与えられていると自覚しているなら、王様らしい振る舞いをします。
かつてイスラエルの民はエジプトの奴隷でした。
主はそこから救い出しました。小羊の血で死の災いを過越し、水の中を通ってエジプトから脱出しました。
彼らはもう奴隷ではありません。奴隷だった過去は過ぎ去りました。彼らは神の民として、新しく生まれたのです。
だから神の民として生きよ、と主は神の民としての生き方を提示します。
私たちもかつては罪の奴隷でした。
主はそこから救い出しました。神の小羊、イエス・キリストの死と復活によって、私たちは神の民として新しく生まれています。
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
ローマの信徒への手紙6:4
だから私たちは神の民として新しい生き方をします。
もし相変わらず罪の奴隷としてのアイデンティティを持っているなら、私たちは古い生き方をするでしょう。それは脱ぎ捨てなければなりません。
私たちは救われ、神の民とされています。
救いの恵みを覚えて、私たちは十戒を守ります。
救われるために律法を守るのではない
私たちがなぜ律法を守るのか、その動機を間違えてはいけません。
十戒は、私たちが救いを得るための条件ではありません。この条件を満たせばクリスチャンになれる。違反すれば失格者になる。そのようなものではないのです。
しかし私たちは、律法を救いの条件としてしまいます。
イスラエルの民もそのように勘違いしてしまいました。それで、律法を守ることで救いを得ようとしたのです。
このような律法主義は現代の教会にも入り込みます。救われるためには、まず行いを変える必要がある。お酒を止めて、タバコを止めて、正しい人間になってから教会に来なさい。毎週日曜日に礼拝をささげ、聖書を読み、祈り、献金をささげなさい。そうしなければ教会のメンバーとして認めません。
そのような雰囲気を作ってしまうかもしれません。
私たちは弱く、足りないので、律法を完全に守れる人はだれもいません。だから律法を守ることで救いを勝ち取れる人は誰もいません。
また神様の恵みではなく自分の力で正しく生きようとするので、必ず無理が生じます。正しい人を演じようとしたり、他の人を裁いたりします。
救われたから神の民として生きていく
そもそもイスラエルの民は、十戒を守ったから救われたのでしょうか。
いいえ、エジプトの奴隷だった彼らは、何の行いもなくただ恵みで救われました。そして救われた者だから、十戒を守るのです。
私たちも十戒を守ること、正しく生きること、教会のルールに従うことで救われるのではありません。
かつて私たちが罪人だったときに、神は独り子を与えて私たちを救い出しました。
正しく生きるからクリスチャンなのではなく、クリスチャンになったから正しく生きようとします。
こんな罪深い人が教会に来るなんて、と眉をひそめたくなるような人が教会に来るかもしれません。
そのような人を冷たく扱ってはいけません。彼もまたイエス様が招いた友だちです。私たちだってそうだったのです。
まずイエス様が招き、教会につながる(belong)。そして信じる(believe)。それから生き方が変えられていく(behave)。この順番を間違えてはいけません。
神が私たちの神、主、そして救い主であることを覚え、神の民として生きていきましょう。