十戒7 【第五戒】 父母を敬いなさい

十戒7

【第五戒】 父母を敬いなさい

出エジプト記 20:12

あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。

人間の命は平等ではないのか

 昨年、「福田村事件」という映画を観ました。
 100年前の関東大震災の直後に実際にあった事件がもとになっています。
 当時の日本は韓国を併合し、朝鮮半島を支配していました。数年前には三一独立運動があり、軍が出動し鎮圧しています。日本人の中には、朝鮮人は日本人の言うことを聞かず勝手なやつらだと考える人たちもいました。
 関東大震災があったとき、その混乱に乗じて朝鮮人が井戸に毒をまいたなどという噂が流れました。
 そんな時、千葉県福田村に香川県から薬の商人たちが来ました。警戒していた村人たちは他所から来た彼らを問い詰め、訛りがあったため朝鮮人ではないかと言いがかりをつけ、虐殺します。幼い子どもや妊婦を含め9名が亡くなりました。
 彼らは被差別部落出身だったこともあり、生存者も遺族も事件について語ることはあまりありませんでした。そのため悲惨な事件でありながら広く知られてはいません。

 同じ人間でありながら、ある民族が他の民族を支配する。
 生まれた場所によって差別を受ける。
 無抵抗の人間の命を奪う。
 人間の命は平等ではないのかと嘆かわしくなります。
 遠い昔の遠い国の話ではありません。わずか100年前にこの国で起きたことです。
 そして同じようなこと、もっと悲惨なことが今世界中で起きています。

父母は大事

 今日は第五戒「あなたの父母を敬え。」です。それぞれの立場の責任を果たすことが求められています。

差別はいけないが区別はある

 「神は人を分け隔てしない」これは聖書の大切なメッセージの1つです。
 人は生まれながらに平等であって、性別や国籍、民族、肌の色、言語、宗教などで差別されてはいけません。

 それならば、子どもが親や先生の言うことを聞かなければならないのも不公平でしょうか。
 私たち庶民も大谷翔平と同じ給料をもらうべきでしょうか。
 同じ働きをして性別や国籍で待遇が変われば差別です。
 文句があれば大谷さんと同じ活躍をしてください。

 差別はいけませんが、区別はあります。立場の違い、役割の違いがあります。
 権威ある立場の人を敬うべきだし、それぞれの立場に求められる働きは違っています。

父母の影響は大きい

 第五戒以降は人間関係の戒めになります。
 その人間関係の最初に、神は「父母を敬え」と命じます。
 これは父母があらゆる人にとって大切な存在だからでしょう。

 アダムとエバを除いてすべての人には父と母がいます。家庭によっては父か母がいないこともありますが、誰もが男性と女性それぞれの命が結びついて生まれてきます。そして親として子どもを育てる責任があります。
 子どもは親から遺伝的な性質だけでなく、様々なものを受け継ぎます。どのような言葉を話すか、どのような生活を送るか、そしてどのように神を信じるか。
 子どもが親に対して持つイメージが、神様に対するイメージにも影響してきます。
 どんなに嫌っても憎んでも父母は大事な存在です。
 だから神様は父と母に、子どもに信仰を伝えることを命じています。

6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。8 更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、9 あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。

申命記6:6-9

 父と母は子どもを産み育てる大切な存在です。
 父と母は生活の中で子どもたちに信仰の模範を見せます。
 子どもは父母を敬い、その言うことに従うことで神の民として成長していきます。

親が自身の責任を果たす

 皆さんは父母を敬っていますか。
 敬えと命令されなくても自然と敬いたくなる親を持っている方もいます。
 神様の命令だとしても敬えない親を持っている方もいるかもしれません。それはつらいです。
 だからまず、自分自身が敬われる親になることを目指してください。親としての責任を果たしてください。
 働くことが父親の責任だとか言って家庭を守らないなら、子どもから見捨てられます。

威厳が失われても尊厳を守る

 また父母を敬うことが難しくなるのは、父母が年老いたときです。
 大きくて威厳にあふれていた親が、いつの間にか小さく弱々しい老人になってしまった。身の回りのこともできなくなっていく。
 敬いたい気持ちもあるけれど、それとは反対の気持ちも湧いてきてしまいます。
 介護を家族だけで担おうとすると互いにつらくなるので、福祉の手を借りてください。

 それでも最期まで親の尊厳を大切にし敬おうとするなら、
 その弱さの中でこそ見えてくる信仰の遺産を受け継ぐことになるでしょう。

周りの年長者をも敬う

 敬うべき父母が既に地上にいない方もいます。
 私たちには神の家族がいます。教会の中のお父さんお母さんを敬ってください。
 また私たちの周りには孤独なおじいちゃんおばあちゃんたちもいます。彼らを敬う気持ちも大切にしたいです。

大切な家族に敬う気持ちを伝える

 もうすぐバレンタインデーですね。
 毎年言っていますが、これは愛を表現する日です。
 男性とか女性とか本命とか義理とか関係なく、愛を伝えてください。チョコでも花でも言葉でも何でもいいです。
 まずは大切な家族に愛、敬う気持ちを伝えてください。

上に立つ人を敬う

 私たちが敬うべき存在は父母だけではありません。
 教師や政治家など、人の上に立つ権威があります。
 パウロは言います。

人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。

ローマの信徒への手紙13:1

 権威は神から与えられたものです。
 それは人に善を行わせるための権威です。
 親や教師の言うことをよく聞くなら人間として成長していきます。
 国などが定めたルールに従うなら社会の秩序は守られます。
 イエス様は宗教指導者たちの行いを批判し、それを見倣うなと言いましたが、彼らの言うことはすべて行い、守りなさいと教えました。

上に立つ人のため祈る

 そこで権威ある立場の人はまず神に仕える者でなければなりません。
 そうでなければ権威を悪用し、弱い立場の人たちを差別し、利用し、搾取します。

 優先順位は、神が第一です。
 上に立つ人が神を愛することまたは隣人を愛することに反することを命じるなら、私たちは抵抗しなければなりません。
 教会の中でもそうです。教会がこの世の力を求めると、この世の権威が神に従っているか批判できなくなります。
 牧師が自分の権威を振りかざし自分勝手なことを教えるなら、そのような偽教師は追い出さなければなりません。
 父母に対しても「主に結ばれている者として」両親に従いなさいと命じられています。
 親、教師、上司、牧師、政治家、上に立つ人が神に喜ばれる選択ができるように祈ってください。

神の国の実現のためにそれぞれの立場の責任を果たす

 第五戒には「あなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」という約束がついています。
 父母を敬えば単純に長生きできるとは言えませんが、神が与える祝福の中で生きられます。

イエスの模範

 イエス様は神の子でありながら、聖霊によってマリアのお腹に宿り、人間として産まれました。そしてマリアと結婚したヨセフを父として育てられます。
 イエス様と両親、どちらに権威がありますか。
 マリアは若い主婦、ヨセフは田舎の貧しい大工。
 イエス様は神の独り子、肉となった神の言葉です。
 どう考えてもイエス様の方が上です。
 両親はイエス少年に何を教えられるでしょう。
 両親には、イエス少年の言っている言葉の意味がわからないことがありました。
 ところが聖書にはこう記録されています。

51 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

ルカによる福音書2:51-52

 イエス様自身がへりくだり、父と母を敬う模範を見せています。
 成長すると父の仕事を継ぎ、大工として汗を流して働きました。
 そして十字架につけられたとき、年老いた母を最後まで気遣ってヨハネに委ねました。
 このように目上の人を敬った少年イエスは、知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛されました。

約束の地を目指す信仰の旅路

 私たちは地上では旅人です。主が与えられる約束の地、神の国の実現を夢見て旅しています。
 イスラエルの民はモーセに導かれ、約束の地カナンを目指して旅をしました。
 モーセ自身はピスガの山頂から約束の地を見ましたが、そこに入ることはできませんでした。その信仰を受け継いだヨシュアたち第二世代が約束の地に入ります。

 私たちも神の国への旅路を歩むために導く指導者が必要です。
 親から子へ、世代を超えて前進していきます。
 そして神の国を建て上げていくためには様々な役割分担があります。
 父母など上の人を敬い、それぞれの立場の責任を果たすとき、私たちは約束の地へ前進していきます。

誰もが分け隔てなく愛される神の国

 神の国では、誰もが分け隔てなく神に愛されています。
 それはかつてキング牧師が”I Have a Dream”(私には夢がある)と語ったような約束の地です。
 すべての人は平等に造られているという自明の真実の上に立つ国の実現です。

“I have been to the mountaintop.” マーティン・ルーサー・キングJr.

 キング牧師自身は、私は山の上から約束の地を見たがそこに入ることはできないと言いました。その翌日、暗殺されます。
 長く生きることは祝福ですが、そこにこだわる必要はありません。主が与える地、神の国の実現こそ重要です。
 父母を敬い、先人たちの信仰の遺産を受け継ぐなら、私たちは神と人に愛され、神を愛し人を愛する、神の祝福の中で生きることになります。

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