歴代誌講解40
天を開き地を癒す祈り
歴代誌下 7:11-22
11 ソロモンは主の神殿と王宮を完成し、この神殿と王宮について、行おうと考えていたすべての事を成し遂げた。12 その夜、主はソロモンに現れ、こう仰せになった。「わたしはあなたの祈りを聞き届け、この所を選び、いけにえのささげられるわたしの神殿とした。13 わたしが天を閉じ、雨が降らなくなるとき、あるいはわたしがいなごに大地を食い荒らすよう命じるとき、あるいはわたしの民に疫病を送り込むとき、14 もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。15 今後この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。16 今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。17 もしあなたが、父ダビデが歩んだように、わたしの前を歩み、わたしがあなたに命じたことをことごとく行い、掟と定めを守るなら、18 あなたの父ダビデと契約して、『あなたにはイスラエルを支配する者が断たれることはない』と言ったとおり、わたしはあなたの王座を存続させる。19 もしあなたたちが背を向け、わたしの授けた掟と戒めを捨て、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、20 わたしは与えた土地から彼らを抜き取り、わたしの名のために聖別したこの神殿もわたしの前から投げ捨てる。こうしてそれは諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる。21 かつては壮大だったこの神殿に、そのそばを通る人は皆、驚き、『この地とこの神殿に、主はどうしてこのような仕打ちをされたのか』と問うであろう。22 そのとき人々は、『それは彼らが自分たちの先祖をエジプトの地から導き出したその先祖の神、主を捨て、他の神々に付き従い、これにひれ伏し、仕えたからだ。それゆえ、主は彼らの上にこのすべての災いをもたらされたのだ』と答えるであろう。」
呪われた地
11日で東日本大震災から11年を迎えます。被災地は今もにぎわいを取り戻すために様々な取り組みを続けています。
特に原発の周辺ではなかなか人が戻らず、にぎわいは失われたままです。未だに住んでいた町に帰ることができない地域もあります。
これが放射能汚染の怖いところです。
日本は世界で唯一、核兵器を使用された国です。広島と長崎で多くの人の命が奪われました。そこで生き延びても、放射能の影響で後遺症に悩まされる人が今もいます。
静岡県焼津市の漁船、第五福竜丸の船員さんたちはアメリカが太平洋のビキニ環礁で行った水爆の実験に巻き込まれ被ばくしました。
日本は核兵器と原発によって苦しめられてきた国です。
ウクライナもまた核兵器と原発に苦しんでいます。
ソ連時代のウクライナにあったチェルノブイリ原子力発電所で原子炉が暴走し爆発、大量の放射性物質が放出されました。
そして今はプーチンが核兵器で脅しながらウクライナを侵略しています。ロシア軍はチェルノブイリ原発を占拠。さらにザポリージャ原発に砲撃を加えました。
この核の脅威が現実のものになっています。
日本もロシアの隣の国ですから、これに対抗するためにアメリカと核共有ができるように議論するべきだと、この国の前の首相は言いました。呆れます。
放射能汚染が人と土地にどれほど深刻な呪いとなるのか、日本は世界に訴えていくべき立場にあります。
悔い改める者によって天が開き地が癒される
今日の本文は神がソロモンに現れる場面です。
ソロモンは7年かけて神殿を建て、その後13年かけて王宮を建てました。合わせて20年に及ぶ大事業をソロモンは成し遂げました。
王宮の建造が終ったその夜、主はソロモンに現れます。そして「あなたの祈りを聞き届け」たと言います。
どの祈りでしょうか。6章にある祈りでしょう。
聖書では前の章なので、まるで祈ったその夜に答えがあったかのように見えます。
しかし実際には13年後のことです。
6章の祈りの後に天から火が降っているので、その場でも祈りが聞かれたと確信できました。
それから13年の年月が流れる間に、神の約束を忘れかけていたかもしれません。
神は13年経って改めてソロモンに現れ、約束を再確認します。
夜に主が現れるというのは、1章にもありました。ソロモンが王に即位したばかりの頃です。
この時ソロモンは民を治める知恵を求めました。
今日の本文はそれから24年後のことです。
同じような状況で現れたことで、改めて神の知恵によらなければ民を治められないのだと確認させられたことでしょう。
神殿と王宮を完成させたとしても、それは自分の力ではないのだと謙遜にさせられます。
悔い改める者はこのような者
ソロモンは神殿で、天が閉ざされ雨が降らなくなった時や、いなごが大量発生した時、疫病が流行った時に、主の名が置かれた神殿に向かって祈るなら罪を赦してくださいなどと祈りました。
主はそれに答えます。
その中心にあるのは悔い改めです。
「もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす。今後この所でささげられる祈りに、わたしの目を向け、耳を傾ける。」
悔い改めが、ひざまずいて祈ること、主の顔を求めること、悪の道を捨てること、神に立ち帰ることと言われています。
悔い改めるために4つの段階を経なければならないということではありません。悔い改めを4つの側面で説明しています。
悔い改める者は神の前でひざまずく謙遜な者。
神の顔を求め、神の守りがなければ生きられないことを認める者。
そして悪の道から離れる者。
離れてどこへ行くのか。神に立ち帰る。
悔い改める者とはこのような者たちです。
赦しと癒し
このように悔い改める者には、罪の赦しと大地の癒しが約束されています。
赦しと癒しは全く別のもののように思えますが、実は関係があります。
イエス様のところに寝たきりの人がマットに乗せて連れて来られました。
イエス様は彼に「あなたの罪は赦される」と言いました。
すると彼は立ち上がり、マットを担いで帰って行きました。
イエスが罪の赦しを宣言すると、彼は癒されたのです。
赦しと癒しはつながっています。
赦しには神様との関係の回復が含まれます。
そして人を本来あるべき姿、神のかたちに回復させます。
もちろん罪赦されたらどんな病気も癒され、障がいがなくなるというわけではありません。
しかし人間同士の協力により、病や障がいから来る困難を取り除くこともできます。罪赦された人間の共同体の中で、ハンデがハンデでなくなります。こうして癒しが起こっていきます。
呪われた地が癒される
そして大地が癒されるとも言われています。
大地は人間の罪のせいで呪われ、壊れています。
それが罪赦された人、神の子どもたちによって回復していきます。エデンの園のように。そして神の国として。
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
ローマの信徒への手紙8:19
神に造られたこの世界は人間の罪により滅びへ向かっています。
罪赦された者たちによってその呪いから解放されるのを、世界は切に待ち望んでいます。
天と地をつなぐ鍵
それを成し遂げるのは悔い改める者の祈りです。
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
マタイによる福音書16:19
天と地をつなぐ鍵が教会にあります。
イエスを主と認め立ち返る者たちによって、天の扉が開かれ、祝福がこの地に注がれます。
だから天を開き地を癒す責任は教会にあります。
神に立ち帰る私たちには祈る責任があります。
神は祝福したい
今日の本文の後半には呪いが書かれています。
契約には祝福と共に、違反した場合の罰則があります。
契約を結ぶと甲は乙にこういう祝福を約束します。しかし万が一、乙が違反したら、甲は乙にこういう罰則を与えますよと。
今日の本文でも神様は祝福を約束しますが、もしも違反したら罰がありますよと警告しています。
あくまで契約の目的は前者の祝福です。神は祝福したいのです。
しかし万が一あなたが神を捨てるなら、神もあなたを捨てる。神殿も捨て、この土地から投げ捨てる。神にひれ伏すなら天を開いて祝福を注ぐが、他の神々にひれ伏すなら天を閉じ、雨を降らせず、イナゴを送り、疫病を送る。そう警告しています。
神に従うなら祝福があるが、背くなら呪いがある
この祝福と呪いが旧約聖書全体を要約する言葉にもなります。
神に従うなら祝福があるが、背くなら呪いがある。
特に14,15節にある悔い改める者への祝福が、旧約聖書の鍵になる言葉だとも言われます。
歴代誌はこの後様々な王が出ますが、神に従ったり背いたりというパターンが繰り返されていきます。
そして神に背き続けた結果、ついに呪いの警告が現実のものになります。
神殿は破壊され、民は約束の地から捨てられます。そして破壊された神殿のそばを通る人々は、「主を捨て、他の神々に付き従い、これにひれ伏し、仕えたからだ。それゆえ、主は彼らの上にこのすべての災いをもたらされたのだ」と言ってイスラエルの民を嘲笑います。
神の永遠の約束は祝福
しかしあくまで神の目的は祝福にあります。
ついに呪いが下されるが、永遠に捨て去られることはありません。
神の永遠の約束は「今後、わたしはこの神殿を選んで聖別し、そこにわたしの名をいつまでもとどめる。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。」ということです。
神は絶えず目を向け、心を寄せます。
心とは何でしょう。人間の最も奥深くに隠された不思議なものです。
他人の心はわかりません。本音と建前を使い分ける日本人の心は本当にわかりません。
自分の心もわからなくなることがあります。自分が何をしたいのか、どうなりたいのかわかりますか?
神の心も得体の知れないものです。神の最も奥深くに隠された心。
その心が、イスラエルの民に永遠に寄せられます。
表面的には神から見捨てられたかのように思える時もあるでしょう。
しかし神の本音のところでは、絶対にあなたを見捨てない、神の心はいつもあなたと共にある、と約束されているのです。
イスラエルを治める者が断たれることはない
今日の本文全体の中心にあるのは「『あなたにはイスラエルを支配する者が断たれることはない』と言ったとおり、わたしはあなたの王座を存続させる。」というダビデとの約束の確認です。
ダビデの王座は永遠に続き、イスラエルを治める者が断絶することはありません。
イスラエル王国は滅亡し、ダビデ王朝は終わります。イスラエルの民はバビロンに捕囚になります。
しかし彼らが永遠に捨てられたわけではありませんでした。
イスラエルを治める者として来たイエス
イスラエルを治める者という表現が預言書にも出てきます。
エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
ミカ書5:1
イスラエルを治める者がベツレヘムから出る。
このメシア預言の通り、ベツレヘムでイエス様が生まれます。ダビデの子孫として生まれます。
そしてイエス様によってイスラエルの王座は回復され、神の国がこの地に来ました。
イエスに立ち帰る人によって天が開き地が癒される
完全な神であり完全な人間であるイエス様によって、天が開き地が癒される道が開かれました。
だから私たちに求められることはイエス様に立ち帰ることです。
イエス様に立ち帰ることで、人は罪赦され、神の子として神のかたちが回復していきます。
本当に人間らしく生きられるようになります。人間の共同体が回復していきます。
そして大地が癒されていきます。
命の川がこの地に流れる
かつてイギリスのウェールズでリバイバルが起こったとき、炭鉱で働くロバでさえリバイバルが起きていることがわかったと言います。
人々は罪を悔い改め、神に立ち帰りました。悪を離れ、自分たちのしてきた行いを改めました。
以前は炭鉱でロバに厳しく鞭を打っていた人たちも、ロバに優しく接するようになったと言われています。
イエス様に立ち帰ることで、人が変わり、社会が変わり、ロバも被造物も癒されていきます。
私たちは人間の罪深さを目の当たりにします。
人間の醜い心、残虐さ、そして人間のそのような罪深さによって壊れていく世界。
これを止め、回復へと向かわせることができるのは誰でしょう。神に立ち帰る私たちです。
イエス様に立ち帰る私たちによって天の窓が開かれ祝福がこの地に注がれます。
その祝福は私たちから命の川となって流れていきます。
その川が流れるところでは、すべてが生きます。