実のないいちじく

実のないいちじく

マルコによる福音書 11:12-25

12 翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。13 そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。14 イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。15 それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。16 また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。17 そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。」18 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。19 夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。20 翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。21 そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」22 そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。23 はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。24 だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。25 また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」

 I don’t like Mondays

地下鉄サリン事件発生時の築地駅前

 カルト宗教団体オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件。
 東京の地下鉄車内で化学兵器サリンが散布され、12名が死亡、約6,300人が負傷した無差別テロ事件です。
 事件が起きたのは今から30年前、1995年3月20日。
 月曜日でした。

 月曜日。
 休みが終わってまた仕事や学校に行かなければならない曜日。
 何だか気分が重くなります。
 厚生労働省の自殺対策白書によると、2023年の自殺者数は21,837人。1日当たり約60人です。
 曜日別に見ると、平日の月曜日が特に多く、平均約72人です。

「令和6年版自殺対策白書」(厚生労働省) 図表1-26 令和5年の発見曜日別1日平均自殺者数

 月曜日に憂鬱な事件が起こることもあります。
 1979年1月29日月曜日、アメリカで登校中の小学生を狙った銃の乱射事件がありました。
 犯人は16歳の少女ブレンダ・アン・スペンサー。
 逮捕された時、彼女は犯行動機についてこう言いました。

 ”I don’t like Mondays.(月曜日が嫌いなの)”

神と人とを隔てるもの

 先週はイエス・キリストのエルサレム入城の場面。日曜日でした。
 今日の本文はその続き。
 「翌日」とあります。
 日曜日の次の日は、月曜日。
 何か事件が起こりそうな予感がします。

 それは朝食の場面から始まっていました。
 イエス様は朝早く祈り、それからべタニアの家に帰ってきました。
 「おはよう。さあ、朝ご飯にしましょう。お腹空きましたね。」
 「え、まだ食べてなかったんですか。こっそり先に食べて行ったのかと思ってました。」
 「トマス、そんなに疑わないでください。」
 「大変、すぐ新しいパンを焼きます!マリア、こっちに来て手伝って!」
 「マルタ、マルタ、心を乱さないで、大丈夫です。」
 そこにペトロが来ました。
 「主よ、あなたはメシア、生ける神の子です。あの石がパンになるように命じたらどうですか。」
 「退けサタン!」

実のないいちじくの木を呪う

 そんなやり取りがあったかどうかわかりませんが、イエス様はお腹を空かせてべタニアからエルサレムに向かっていました。
 その道端に、葉の茂ったいちじくの木がありました。
 イエス様はいちじくの実がなっていないかどうか、近寄って探してみました。
 今は過越祭の時期、春です。
 いちじくは夏の果物ですから、普通実はなっていません。

成熟前のいちじくの実

 しかし春頃から、実になる小さな芽が出てきます。
 この芽の中に花があって、やがて実になるというわけです。
 中東ではこの芽を初なりのいちじくとして食べることもあります。
 ホセア書9:10でも、主がイスラエルを初なりのいちじくのようだったと言っています。

 イエス様もこのような芽が出ていないか探されたのでしょう。
 しかし葉っぱは立派に茂っているのに、実は一つも見つけられませんでした。
 するとイエス様は「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」といちじくの木を呪いました。
 やっぱり朝の事件で気分を害したのでしょうか。

宮清め

 月曜日の事件はまだ続きます。
 エルサレムに着いたイエス様は神殿の境内に入りました。そこは異邦人の庭。
 神殿の中には至聖所という、神様と出会う部屋があります。そこは垂幕で隔てられていて、1年に1回だけ、悔い改めの儀式を済ませた大祭司だけが入ることができます。
 幕の手前は聖所と言って、祭司が入って奉仕をします。
 その外はイスラエルの庭。割礼を受けた成人男性だけが入れます。
 その手前に婦人の庭があり、ユダヤ人の女性はここまで入れます。
 その外側は異邦人の庭で、ここまでは異邦人や体の不自由な人も入ることができます。

エル・グレコ「神殿から商人を追い出す」

 過越祭の時には世界中に散らばって暮らしているユダヤ人たちが帰ってきます。
 彼らが神殿でささげる銀貨やいけにえの動物を準備するために、両替や動物の販売が異邦人の庭で行われていました。
 イエス様はその異邦人の庭で売り買いをしていた人たちを追い出し、両替人の台や鳩を売る人の腰掛けをひっくり返しました。
 さらに近所の人が異邦人の庭を横切って物を運ぶことも禁止しました。

遠く離れた民への神の憤り

 こんなに怒っているイエス様はなかなか見れません。
 ヤコブとヨハネも引いています。「ユダ、小銭を拾っている場合か。先生に怒られるぞ。」
 「ペトロ、お前のせいだぞ。何か言って来いよ。」とアンデレが言いますが、ペトロは「私は知らない」と否認します。

 というのは想像ですが、イエス様はその怒りの理由を説明します。
 「『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」
 これはイザヤ書56:7とエレミヤ書7:11からの引用です。
 イエス様はお腹が空いていちじくの木を呪ったり神殿で暴れたりしたのではありません。
 そこには神様の憤りがあります。

 いちじくの木は、葉っぱは豊かに茂っていました。それは生命力に満ちあふれている様子です。
 しかし実はありませんでした。
 いちじくに求められるのは、おいしい実です。どんなに葉が茂っていても実がないなら、それはいちじくのあるべき姿から外れています。

 これはイスラエルを象徴しています。
 神殿や儀式など、外面的には神の民らしく見えます。
 しかし近づいて信仰の実を探してみましたが、見つけられません。
 信仰の実は神様とつながっていれば自然に実るものです。
 それが見つからないというのは、神の民であるべきイスラエルが神様から遠く離れているということです。
 それは祈りの家であるべき神殿を商売の場所にし、強盗の巣にしてしまっていることに表れています。

何が神との間を隔てているのか

 ああ、ユダヤ人たちは実のないいちじく。呪われて当然。
 そう思うかもしれませんが、これはユダヤ人たちにだけ関係する話ではありません。
 神は野生のいちじくの木を容赦しませんでした。それならば、接ぎ木されたいちじくに容赦しないのは当然です。
 ローマ書11章でパウロはユダヤ人を野生のオリーブ、異邦人を接ぎ木されたオリーブにたとえましたね。

 私たちは実のないいちじくになってしまっていないでしょうか。
 神様との関係は健全に築かれていますか。
 何が神様とあなたとの間を隔てているのですか。

 それはこの世の繁栄や富の誘惑かもしれません。
 誰も神と富とに仕えることはできません。この世の富をあがめるなら、神から離れていきます。

 あるいは劣等感があるかもしれません。
 他の人と比較し、自分には何か足りないように感じる。神のかたちであるはずの自分を愛することができません。裸の自分を恥じる。
 アダムとエバは神の傑作品でした。ありのままで美しい存在でした。
 しかし善悪の知識の実を食べると、彼らは裸の自分を恥ずかしいと思いました。
 そしていちじくの葉で裸を隠したのです。

 また仕事の問題や健康の問題など、目の前の問題があります。
 新年度のことや老後のことなど将来の不安もあります。
 そしてこの世の楽しみ。
 そのようなものが大きな山のように立ちはだかって、神様を見えなくします。

 人間関係の問題もあります。
 怒りや憎しみ。
 祈りの時や礼拝中も憎い敵の顔が思い浮かぶ。
 神の言葉より、相手から言われた言葉、言ってもらえなかった言葉が心に残る。
 敵だけではありません。愛する人が神と自分との間に立つこともあります。
 親、子ども、夫や妻、恋人。イエス・キリストも、平和ではなく剣をもたらすために来たと言っています。
 そこで私たちは、イエスを王の王、主の主であると認めるかどうか問われます。

 このように神と私たちを隔てる問題が起こったとき、神との関係を優先しないなら、神につながっていなければ、私たちは神を捨てます。
 宗教指導者たちがイエス・キリストを殺そうと計画し始めたように。

隔てるものは取り除かれた

 20節に「翌朝」とあります。
 火曜日になりました。
 イエス様と弟子たちはまたべタニアからエルサレムに向かいます。
 その通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見ました。
 イエス様が呪ったいちじくの木が枯れている。
 イエス・キリストは王の王、主の主。
 ただこの世の権威の上に立っているだけではありません。
 その声に風も波も従う。いちじくの木を枯らすこともできます。
 神の力が現わされました。

神とつながっている人の信仰

 驚く弟子たちにイエス様は言います。
 「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。」
 これはイエス様だけにできることではなく、神を信じるなら誰にでもできる。山をも動かすことができると言います。
 ここには、神は祈りに答えてくださるという信頼があります。
 神とつながっている人の信仰です。

神と人とをつなぐ十字架

 私たちはどのように神とつながることができるのでしょうか。
 イエス・キリストはあらゆる隔ての壁を壊します。
 すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべき神殿には、異邦人の庭、婦人の庭、イスラエルの庭、聖所という何重もの隔ての壁がありました。そして最後に垂幕が至聖所の前にかけられ、神と人とを隔てていました。
 イエス・キリストの十字架の死はそれを打ち破りました。

50 しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。51 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、

マタイによる福音書27:50-51

 神と人とを隔てていた垂幕は真っ二つに裂けた。そして地震によって壁や門も壊れたことでしょう。あらゆる隔ての壁は取り除かれました。

 私たちはイエスを主と信じるとき、聖霊の働きによってキリストと結び合わされます。
 まことのぶどうの木であるイエス・キリストにつながることで、私たちは信仰の実を結んでいきます。

信仰の実を結ぶ

 すると私たちはもう自分自身を恥じる必要はありません。
 何かができるできない、持っている持っていないで自分を評価する必要はありません。ありのままで神に受け入れられています。傷だらけ欠けだらけの土の器だけれど、神の傑作品です。
 もういちじくの葉で自分を隠す必要はありません。
 だからと言って裸で生きるわけにはいかない。
 神様はいちじくの葉で自分の裸を隠したアダムとエバのために、動物の毛皮の服を着せました。そこには罪のない動物の血が流されています。
 私たちのために罪なき神の独り子イエスが血を流し死なれました。
 このキリストを着るとき、私たちは神の作品として本当に自分らしく生きることができます。

 イエスを主と信じても、私たちの人生の中には様々な問題が起こります。目の前に大きな山のような問題があります。
 それでも私たちは目を上げます。山より遥かに偉大な、天地の造り主に目を留めます。
 その神が今私たちと共に生きておられます。インマヌエルの神、イエス・キリストが共にいるので、私たちは山をも動かすことができます。
 進むべき道が見えなくても、神は海の中にも道を造り、主が「来なさい」と招くなら水の上も歩けます。

 神と私たちとの関係はイエス・キリストの十字架によって和解させていただきました。
 私たちにはこの和解の福音が委ねられています。
 もう怒りや憎しみに捕らえられることなく、人を赦すことができます。

 もし愛する人が神と私たちとの間を隔てることがあったとしても、神を最優先にしてください。
 キリストにつながっているなら、その人は聖霊の実を結びます。
 愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制。このような人格を持つならば、夫婦も親子も恋人も、あらゆる人間関係が豊かなものになります。

成熟したいちじくの実

 神との関係を最優先にするなら、ただ外面的に豊かに見える人生ではなく、信仰の実を結ぶ本当に豊かな人生に変えられていきます。
 今一度、何が神と自分との間を隔てている問題なのかを見つめ直してください。
 その問題もイエス・キリストが取り除きました。
 実のないいちじくではなく、豊かな実を結ぶいちじくになってください。

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