歴代誌講解4
希望は絶えない
歴代誌上 3:1-20
1 ヘブロンで生まれたダビデの息子は次のとおりである。長男はアムノン、母はイズレエル人アヒノアム。次男はダニエル、母はカルメル人アビガイル。2 三男はアブサロム、ゲシュルの王タルマイの娘マアカの子。四男はアドニヤ、ハギトの子。3 五男はシェファトヤ、母はアビタル。六男はイトレアム、母はダビデの妻エグラ。4 ヘブロンで六人の息子がダビデに生まれた。ダビデはそこで七年と六か月、エルサレムで三十三年間王位にあった。5 エルサレムで彼に生まれた息子は次のとおりである。シムア、ショバブ、ナタン、ソロモンの四人。母はアミエルの娘バト・シュア。6 更に、イブハル、エリシャマ、エリフェレト、7 ノガ、ネフェグ、ヤフィア、8 エリシャマ、エルヤダ、エリフェレトの九人がいる。9 これが側女らによる子を除くダビデの子のすべてである。タマルは彼らの姉妹である。10 ソロモンの子孫は子がレハブアム、孫がアビヤ、更にアサ、ヨシャファト、11 ヨラム、アハズヤ、ヨアシュ、12 アマツヤ、アザルヤ、ヨタム、13 アハズ、ヒゼキヤ、マナセ、14 アモン、ヨシヤと続く。15 ヨシヤの子は、長男ヨハナン、次男ヨヤキム、三男ゼデキヤ、四男シャルム。16 ヨヤキムの子はエコンヤ。その子はゼデキヤである。17 捕虜となったエコンヤの子は、息子シェアルティエルをはじめ、18 マルキラム、ペダヤ、シェンアツァル、エカムヤ、ホシャマ、ネダブヤ。19 ペダヤの子は、ゼルバベル、シムイ。ゼルバベルの子は、メシュラム、ハナンヤ、彼らの姉妹シェロミト、20 それにハシュバ、オヘル、ベレクヤ、ハサドヤ、ユシャブ・ヘセドの五人。
希望の置きどころを間違えてはいけない
愛新覚羅溥儀は中国最後の皇帝です。
わずか2歳で清朝の最後の皇帝、宣統帝になりました。
辛亥革命で中華民国が成立すると、宣統帝は退位し、清は滅亡しました。
当初、中華民国政府は皇室を優遇し、溥儀が紫禁城で生活することを許しました。しかし軍事クーデターが起こると紫禁城に軍隊が送られ、溥儀は追放されました。
居場所を失った溥儀を保護したのは日本でした。それから天津の日本人居留地に住みます。
中国の政治的混乱が続く中で、国民党の軍隊によって清の歴代皇帝の墓が暴かれるという事件が起こりました。溥儀は激怒し政府に抗議しますが、犯人たちは何の処罰も受けませんでした。
清は民族的には満州人の王朝でした。紫禁城から追放され、さらに先祖の墓が暴かれるという満州人として屈辱的な扱いを受けた溥儀は、満州人の国家を建て直したいと願っていました。
その頃、中国東北部に駐留していた日本陸軍の一部、いわゆる関東軍が満州地域に侵攻しました。満州事変です。
関東軍は満州地域全域を占領しました。そして溥儀を国家元首とした満州国を建国しました。
溥儀は満州国皇帝の座に就き、康徳帝となりました。こうして溥儀は念願だった満州人の国家を建て直すことができたのです。
と言いたいところですが、実際には関東軍が実質的に支配していました。康徳帝は日本の操り人形のような状態でした。
国が滅び、民族が侮辱されるというのは耐えがたい屈辱でしょう。溥儀は日本の助けで民族の誇りを回復できると希望を持ったわけですが、実際には日本に利用されてしまいました。
希望は絶たれてしまいました。絶望です。
私たちには希望が必要です。しかし希望の置き所を間違えてしまうと、その希望は絶たれてしまいます。
ダビデの子たち
今日はダビデ家の系図です。
イスラエル初代の王サウルが戦死すると、ダビデはユダの王になりました。その後、全イスラエルの王になりました。ダビデ王朝の始まりです。
王座はダビデから息子のソロモン、孫のレハブアムへと受け継がれていきます。
レハブアム王の時代にイスラエル王国は分裂しますが、ダビデ王朝は南ユダ王国として続きました。
ダビデの王座は子から子へと受け継がれ、ヨシヤ王へと受け継がれていきます。ヨシヤ王の息子たちの時代にバビロン捕囚が起こり、ゼデキヤ王の時に南ユダ王国は滅亡します。
しかしダビデ一族の系図は捕囚後も続いていきます。
ユダヤ人はダビデの子からメシアが出てイスラエルを建て直すことに希望を置いていました。
揺るがない神の言葉に希望を置く
サウル王の死後、ダビデはユダヤのヘブロンで王になりました。しかしイスラエルの他の部族はサウルの息子を王にしました。それでイスラエルの中に2つの王朝が建てられることになります。
7年6か月の後、ダビデが全イスラエルを統一します。そしてエルサレムに首都を移しました。
その頃ダビデは預言者ナタンから、神の言葉を受け取ります。それはこういう約束でした。
12 あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。
サムエル記下7:12,16
16 あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる。」
ダビデの子孫によって、王国は揺るぎないものになる。
ダビデ王朝はレハブアム王の時代に国の分裂があったり、アハズヤ王の死後に王子が皆殺しにされる事件があったり、ヒゼキヤ王の時代にアッシリアに包囲されたりしましたが、神様に守られ生き残りました。
しかしヨシヤ王の息子たちの時代にバビロンに侵略され、エコンヤとも呼ばれたヨヤキン王はバビロンに連れて行かれました。おじのゼデキヤが王座を継ぎますが、ついにエルサレムは陥落し、南ユダ王国は滅亡、ダビデ王朝は終わりました。ダビデの子孫による王国は途絶えてしまいました。
それでもユダヤ人の中には、神様の約束を信じ続ける人たちがいました。
ダビデの子孫の中から再び王が建てられ、イスラエルを建て直す。そしてイスラエルは永遠に揺るぎない王国になると。
イスラエルでは、王様は油を注がれました。油を注がれた者をヘブライ語でメシア(マーシーアハ)と言います。
こうしてユダヤ人はダビデの子として来る救世主、メシアを待ち望むようになりました。
今日の本文を見ても、ダビデ王朝の後も系図は続いていきます。
エコンヤは捕囚になりましたが、後に名誉を回復されます。そしてバビロンで子どもが生まれます。その子孫ゼルバベルの時代に捕囚から解放され、ユダヤに帰ってきました。そしてゼルバベルの子孫まで系図が続いていきます。
いつかこの中からメシアが来ると信じ続けていたのです。
はるか昔に国は滅び、王朝は終わった。ユダヤに帰ってきたが、まだ大国の支配下にある。
状況的には、イスラエルが建て直されるなど夢のまた夢です。希望を持てません。
しかしユダヤ人は、神の約束を信じ続けました。
環境や状況を見れば希望は揺らぐ
環境や状況を見ると希望を持てなくなることがあります。
今この国で希望を持てますか。持てる人はいいです。ぜひ持ち続けてください。
しかし長引くパンデミックの中、経済的に追い詰められる人たちが出ています。十分な支援を受けられません。
ワクチンの接種が始まっていますが、いったいいつになれば私たちが受けられるのか、全くわからない状況です。
3回目の緊急事態宣言が出されましたが、十分な効果があるか疑問です。
電車の本数を減らすという対策をしましたが、余計混雑しました。そんなこと少し考えれば当たり前ではないですか。結局すぐに撤回しました。
精神的にも追い詰められ、自ら命を絶つ人が増えています。
政治のリーダーたちも精一杯やっていると信じています。国民の命と安全が大事だと信念を持って政治をなさっていると思います。その上でオリンピックをやろうとしているわけですよね。
しかしこのパンデミックや大災害が起こったとき、人間の力ではどうしようもない状況に置かれることがあります。
この世のものは移り変わります。
絶対に揺るがないリーダーなどいません。
しかし決して変わらないものがあります。
それは神の言葉です。
草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
イザヤ書40:8
王様も政治家も、親や先生も草のようなもの。すぐに枯れてしまう。
しかし神様の言葉は揺るぎません。たとえ天地が滅んでも、神の言葉は一点一画も変わらないのです。
神様の約束の言葉を握るなら、希望は絶えることがありません。
約束を果たす神に希望を置く
神の言葉が変わらないように、神様ご自身も決して変わることのないお方です。約束を果たします。
ゼルバベルの子孫の中からガリラヤのナザレに住む人たちが出てきました。その子孫の一人、大工のヨセフはマリアという女性と婚約していました。このマリアは聖霊によって身ごもります。こうしてイエスが生まれました。
確かにダビデの子として生まれました。そして永遠に揺らぐことがない神の国をこの地にもたらしました。
思ってたんと違う
しかしこれはユダヤ人が待ち望んでいたメシアとは違っていました。
福音書の系図によれば、ヨセフはゼルバベルの息子アビウド、またはレサの子孫です。しかし歴代誌の系図にアビウドという人もレサという人も出てきません。もしかすると正式な妻ではない女性の息子だったのかもしれません。
歴代誌の著者は、そのようなルートからメシアが生まれるとは予想していなかったようです。
そしてナザレというガリラヤの田舎からメシアが出るということも予想外でした。
イエスがエルサレムに入ったとき、群衆はイエスを王として歓迎しました。しかしイエスは十字架で殺されてしまいます。
ユダヤ人はメシアを待ち望んでいましたが、ナザレのイエスはメシアではないと判断しました。
人間の考えを遥かに超える神
神様の約束は変わらない。神様ご自身も変わらない。
しかし私たち人間が、神様の約束の実現を受け取れないのです。
神様が私たちの期待を裏切るからです。それは期待を下回るという意味ではありません。期待を遥かに超越した形で、約束を果たすからです。
誰もそのルートからメシアが生まれるとは思わなかった。ナザレから何かよいものが出るだろうか。まさかの大工の家。十字架で死んだが、まさか復活するとは。ただのイスラエルの王ではなく、王の王、主の主になるなんて。誰も想像しなかった。
聖書には約束されていました。しかし神様の計画は人間の考えを遥かに超えていました。
イエスこそ約束された救い主です。油注がれた者です。この油注がれた者をギリシア語でキリスト(クリストス)と言います。
イエスはキリストです。
旧約聖書のヨブ記の中で、ヨブは理由なく苦しみにあいます。ヨブの3人の友人は、苦しみには意味があるはずだと言ってきます。しかしヨブは納得しません。そしてヨブは神様と対話し、最後にこう告白します。
2 あなたは全能であり/御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。3 「これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた/驚くべき御業をあげつらっておりました。
ヨブ記42:2-3
神様のなさることは人間の理解を超えています。誰も約束の実現を妨げることはできません。
そしてその神様は、いつもよいお方です。
理由のない苦しみ、理解できない困難な状況に置かれることはあります。しかし神様は、私たちの理解を超えたよいことを成し遂げてくださいます。
だからこの神様に希望を置きましょう。
どんな希望を持っていますか。曖昧な言葉ではなく、具体的な言葉で語ってみてください。
曖昧な言葉でストライクゾーンを広げておけば、何となく希望が叶った気になりやすいかもしれません。しかしそれではよくわからないのです。
希望を具体的な言葉で語ってください。神様は変化球を投げてくるかもしれませんが、その的を射抜きます。
希望を低く見積もらないでください。神様は希望を超えます。低く見積もった希望をちょっと超えることもできます。高く見積もった希望でも、その上を行きます。だったら高く見積もりましょう。
イエス様にどんな望みを置いていますか。あなたの希望を書き記しておいてください。
主に望みを置くなら、希望は絶えることがありません。