歴代誌講解59
平穏を得るための戦い
歴代誌下 23:1-21
1 七年目に、ヨヤダは決意を固め、百人隊の長たちエロハムの子アザルヤ、ヨハナンの子イシュマエル、オベドの子アザルヤ、アダヤの子マアセヤ、ジクリの子エリシャファトを連れて来て、彼らと契約を結んだ。2 彼らはユダを行き巡り、ユダのすべての町からレビ人とイスラエルの氏族の長を集めてエルサレムに帰って来た。3 全会衆が神殿の中で王と契約を結ぶと、ヨヤダは彼らに言った。「見よ、王の子を。主がダビデの子孫について言われた言葉に従って、彼が王となる。4 あなたたちがなすべきことはこれである。あなたたちのうち、祭司もレビ人も、安息日が出番に当たる者の三分の一は門衛となり、5 三分の一は王宮の中に、三分の一は礎の門にいなければならない。民は皆、主の神殿の庭にとどまれ。6 祭司と奉仕に当たるレビ人以外は、だれも神殿に入ってはならない。彼らは聖別されているので入ることができる。民は皆、主の戒めを守らなければならない。7 レビ人はおのおの武器を携え、王の周囲を固めなければならない。神殿に入る者は殺さなければならない。王が入るときも、出るときも、王と行動を共にせよ。」8 レビ人とすべてのユダの人々は、すべて祭司ヨヤダが命じたとおり行い、おのおの安息日が出番に当たる部下と非番に当たる部下を連れて来た。祭司ヨヤダが組分けを解かなかったからである。9 祭司ヨヤダは神殿に納められているダビデ王の槍と大盾と小盾を百人隊の長たちに渡し、10 すべての民にはおのおの手に投げ槍を持たせ、祭壇と神殿を中心に神殿の南の端から北の端まで王の周囲を固めさせた。11 そこで彼らは王子を連れて現れ、彼に冠をかぶらせ、掟の書を渡して、彼を王とした。ヨヤダとその息子たちは彼に油を注いで、「王万歳」と叫んだ。12 アタルヤは民が走りながら王をたたえる声を聞き、主の神殿の民のところに行った。13 彼女が見ると、入り口の柱の傍らに王が立ち、そのそばに将軍たちと吹奏隊が立ち並び、また国の民は皆、喜び祝ってラッパを吹き鳴らし、詠唱者たちは楽器を奏で、賛美の先導を行っていた。アタルヤは衣を裂いて、「謀反、謀反」と叫んだ。14 祭司ヨヤダは、軍を指揮する百人隊の長たちを呼び出して、「彼女を隊列の間から外に出せ。彼女について行こうとする者は剣にかけて殺せ」と命じた。祭司が、「彼女を主の神殿で殺してはならない」と言ったからである。15 彼らはアタルヤを捕らえて、王宮の馬の門の入り口まで連れて行き、そこで彼女を殺した。16 ヨヤダは、自分とすべての民と王との間に、主の民となる契約を結んだ。17 すべての民はバアルの神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。18 祭司ヨヤダは主の神殿の監督を祭司とレビ人にゆだねた。彼らは、ダビデの指示に基づく祝いの歌をもって、モーセの律法に記されているとおり、主に焼き尽くす献げ物をささげるために、ダビデが神殿に配置した者たちである。19 またヨヤダは主の神殿の門に門衛を立て、いかなる汚れであれ、汚れのある者は入れないようにした。20 更に彼は百人隊の長、貴族、民の支配者および国の民全員を率いて、王を主の神殿から連れ下った。彼らは上の門を通って王宮に入り、王を王座につけた。21 こうして、国の民は皆喜び祝った。アタルヤが剣で殺された後、町は平穏であった。
子どもの頃の感動や喜びを忘れさせられていないか
今年の秋、愛知県にジブリパークができます。スタジオジブリのテーマパークです。
私も「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」などを見て育った世代なので、いつか行ってみたいと思っています。
先週と今週、テレビの金曜ロードショーで「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」が放送されます。
皆さんはスタジオジブリの作品で好きなアニメはありますか?
私は「魔女の宅急便」も好きです。魔女の女の子キキが見知らぬ街に移り住み、空飛ぶ宅配屋を始める話。
キキはほうきに乗って空を飛びます。今でもドローンを使った宅配サービスが研究開発されていますが、そんな未来を先取りした作品です。
「魔女の宅急便」のテーマソングにはユーミンこと松任谷由実さんの楽曲が使われています。
オープニングでキキがほうきに乗ってラジオをつけると「ルージュの伝言」が流れるという演出も素晴らしいです。
エンディングでは「やさしさに包まれたなら」が流れます。私はこの曲を聞くと涙が出てきます。映画の感動もありますが、歌詞が良いです。
2番の歌詞はこうです。
小さい頃は神様がいて 毎日愛を届けてくれた 心の奥にしまい忘れた 大切な箱開くときは今 雨上がりの庭で くちなしの香りの やさしさに包まれたならきっと 目に映る全てのことはメッセージ
子どもの頃に感じていた喜びや驚きを、大人になるにつれて忘れてしまっていないでしょうか。
小学生の頃は夏と言えば楽しいことがいっぱいあったのに、大人になった今は暑くてだるい季節。あの平穏な日々は遠い過去のものになってしまいました。
それでも私たちの心の健康を保つために喜びや驚きなどの感動が欠かせません。
平穏な日々を取り戻すために、戦いが必要です。
神から引き離す者に心が支配される
今日の本文は祭司ヨヤダが中心になってアタルヤから王座を取り戻す話です。
ダビデの子孫であるアハズヤ王とその兄の息子たちが殺されたことで、ダビデ王朝は断絶の危機に陥りました。この危機に乗じて王の母アタルヤは南ユダ王国を乗っ取り、オムリ王朝を立て直そうとします。
アハズヤの姉妹であるヨシェバは、アハズヤの生まれたばかりの末子ヨアシュちゃんを連れて逃げます。そして6年間、神殿にかくまってヨアシュを育てました。
当時の大祭司はヨヤダ。彼がヨアシュの教育係だったと思われます。
ダビデの子孫に王座を返す
7年目。ヨアシュは7歳になりました。
小学校1年生くらいです。まだまだお子さまですが、学校に通って学べる年齢です。
大祭司ヨヤダはヨアシュを王として立てることを決意し、百人隊長や民の長を神殿に集めました。
そして「見よ、王の子を。主がダビデの子孫について言われた言葉に従って、彼が王となる。」と言ってヨアシュを紹介します。
民の目の前に立ったのは7歳の少年。見た目からはとても王に見えない。
それでもダビデの子です。神の言葉に基づいて彼が王になることに民は同意しました。
ヨヤダが摂政として王を支えるということも含めて、民は契約を結んだと思われます。
律法に従い作戦を決行する
ヨヤダは民に武装させ、神殿でヨアシュの即位式を行うことにします。
この作戦は安息日に行われました。門衛の交代が安息日に行われていたので、武装した人が多くいても違和感がないからです。
ヨヤダは民に、祭司と奉仕者以外は神殿に入るなと命じます。律法に基づく命令です。
神の約束の実現のために王の即位式をするので、律法を守らなければなりません。
民に見守られながら、ヨアシュは王冠と律法の写しを受け、油を注がれ王になりました。
民は喜びの叫びをあげます。
異変に気付いたアタルヤが神殿に行くと、神殿の庭で見知らぬ少年が王冠を被り、民が賛美しています。
裏切られたことに気づいたアタルヤは「謀反、謀反」と叫びます。
しかしアタルヤに味方する者はなく、神殿から引きずり出されて殺されました。
神殿をアタルヤの血で汚さないためです。
戦わなければならないことがある
ヨヤダは律法に従ってヨアシュを王にします。しかし安息日に行いました。そしてアタルヤを殺します。
十戒の第四戒「安息日を守れ」と第六戒「殺すな」に違反しています。
安息日は働いてはいけないのに、ヨヤダは非番の祭司まで動員して作戦を決行しました。
大義名分があれば何をしてもいい、などということはありません。罪はもちろん避けるべきです。神の言葉に従わなければなりません。
しかしより大きな罪を避けるために罪を犯さざるを得ない状況があります。
ヒトラーを生かしておけばさらなる悲劇が生まれるという状況にあってボンヘッファーはヒトラー暗殺計画に加わりました。
もちろん殺人は罪です。しかし隣人を愛するためにボンヘッファーはその罪を引き受けました。
罪と悲惨の中に生きる私たちは汚れたパンを食べなければならない時があるのです。
もっと身近な例で言うと、十戒には偽証するなとありますが、人はウソをつかずに生きることができません。
誰かを愛するために、あえてウソをつく、あるいは正直に言わないという場面があります。
アタルヤを倒し、主に従う国を立て直すために、戦わなければならないことがあります。
安息日であっても働かなければならないことがあります。
神殿で戦ったイエス
イエス様は罪を犯すことはありませんでした。
しかし神殿で戦いました。
14 そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。15 イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、16 鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
ヨハネによる福音書2:14-16
神殿が金儲けの場になっている。すべての人の祈りの家である神殿が強盗の巣になっている。人を神から遠ざけているものがある。イエス様はこれと戦いました。
聖書は戦争を肯定するものではありませんが、戦わなければならないことがあります。
心を支配する者は何か
私たちの心はどうでしょうか。
私たちも神の霊が住む神殿です。
私たちの心も神から引き離そうとする者に支配されてしまうことがあります。
力ある者が力のない者を抑えつける。そのような弱肉強食の原理が私たちを支配します。まるで獣のようです。
また富の誘惑があります。富、物質、金が私たちの心の主人になります。人は神と富とに仕えることはできません。
普段の生活の中で忙しさに心を奪われる。あるいはこの世の楽しみに酔いしれる。
こうして神様が無視されていきます。
神ではないものに心が支配されると、私たちはどこかで飢え渇きを感じます。
もっと力が欲しい、もっと物質を得たい、もっと楽しみに満たされたい。
心に平穏を得るためにそのようなものを求めるわけですが、心に平穏や喜びがないのは何かが足りないからではありません。
心の王座が神ではないものに奪われているからです。
あなたの心は何に支配されていますか。
心を支配する者を追い出す
大祭司ヨヤダはヨアシュを王にするだけでなく、主の民となる契約をすべての民と結びました。
民はバアルの神殿を破壊し、バアルの祭司マタンを処刑しました。アタルヤによって持ち込まれたバアル崇拝を駆逐していきます。
それから「ダビデの指示に基づく祝いの歌をもって、モーセの律法に記されているとおり、主に焼き尽くす献げ物をささげるために」主の神殿の監督を任命します。モーセの律法、ダビデの指示はどちらも神から与えられたものです。神の言葉に基づいて礼拝を回復させました。
歴代誌下23章は王座を奪還する話が大半ですが、この16節以下が核です。律法通りの礼拝を回復すること、神様と民との関係が回復することがこの章の中心にあります。
平穏を得るために行動を起こす
このような改革を行ったヨヤダはヨアシュの治世の間に130歳で亡くなります。創世記の族長時代に匹敵する長寿です(歴代誌は数字を誇張することがありますが)。
ヨアシュの治世が40年間でその間にヨヤダが亡くなっているので、今日の場面で90歳以上になります。107歳の可能性もあります。
医学の進んだ現代でも90歳は超高齢のおじいちゃんです。率先して行動するよりはむしろ介護されるような年齢。
それにも関わらず率先して行動を起こし、摂政を引き受けました。若いです。
私たちは平穏に過ごすことを望みます。
90歳で率先して戦うのはキツイです。
しかし平穏は待っていても来ません。
むしろ生きていると無秩序は拡大します。
皆さんの家は1週間放っておいたら整頓されますか。滅茶苦茶になります。
だからただ生きているだけだと人生は荒れ、平穏から遠ざかります。
いつかは平穏が来ます。それは墓の中です。
逆説的に聞こえるが、平穏を得るには行動が必要なのです。
もちろんやみくもに動くのも無秩序を生むだけです。
平穏を得るのは、平和の君であるイエス・キリストに従う時です。
キリストの十字架が平和を実現した
イエス様は「わたしの平和」を与えると約束しました。
そして私たちに平和を与えるために戦いました。十字架という戦いです。
イエス・キリストが十字架で死んだことにより、人々を分断し無秩序を生みだしていたカーテンは裂かれました。
人々を神から引き離していたカーテンは開かれました。
14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
エフェソの信徒への手紙2:14-16
誰もがイエス・キリストの十字架によって神との間に平和を得ています。
墓の中にしかなかった平和を、復活の主はこの世に持ち出してくれました。
私たちはこの偉大な大祭司イエスの戦いのおかげで、神に大胆に近づき、平穏を得ることができます。
キリストに心の王座を返す
戦いが必要です。行動が必要です。
あなたの心を支配しているものを追い出さなければなりません。
捨てるべきものを捨てなければなりません。
そして平和の君イエス・キリストを心の王座に帰らせ、キリストに従うことを決断してください。
人知を超える神の平和で守られる
この章の確信は礼拝の回復、神との関係の回復。
神様を心の王座に迎える時、私たちの生き方が変わります。世界の見方が変わります。
愛を見失う
「魔女の宅急便」でキキはある時から一時的に飛べなくなってしまいます。
なぜ飛べなくなったのでしょうか。
トンボという少年と改造自転車に乗って事故にあった日を境に飛べなくなります。事故の衝撃で飛べなくなったというわけでもないでしょう。
トンボが他の女の子と話をしているのを見て、キキは嫉妬します。これが原因だと私は見ています。
その後、画家の女性やニシンのパイのおばあちゃんとの関わりの中で回復していきます。
終盤でトンボが飛行船から落ちそうになり、それを助けるためにデッキブラシに乗って再び空を飛びます。
キキは愛を見失ってしまった時に飛べなくなってしまったのではないか。
人々との関わりの中で自分が愛されていることを知っていく。そして大切な人を守ろうとした時に飛ぶ力を取り戻す。
このようにキキの魔法には愛がカギになっていたのではないかと思います。
目に映るすべてのことは神からの愛のメッセージ
「やさしさに包まれたなら」の中で「小さい頃は神様がいて 毎日愛を届けてくれた」と歌われています。
大きくなると神様はいなくなるのでしょうか。
いいえ、神様は今も生きておられます。私たちに毎日愛を届けてくれています。
しかし私たちはそれを忘れます。
神様との関係を無視し、神様ではない者が心を支配し、神様の愛を見失います。
心の奥にしまい忘れた大切な箱を開くときは今です。
カーテンは開かれました。
その時、目に映るすべてのことはメッセージに変わります。
目に映るもの、耳に聞こえることすべてが神様からの愛の言葉だとわかるようになります。
そして感謝をもって生きられるようになります。すべてが感謝です。
どんなことでも感謝し神に祈る
6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピの信徒への手紙4:6-7
皆さんの心を支配する思い煩いは捨て去ってください。どんなことでも感謝して祈ってみてください。
神様との関係が回復されれば、すべてが感謝です。
新しい朝が来て感謝。起きられて感謝。雨が止んで感謝。雨が降っても感謝。
そうして日々の生活の中にある感謝を見つけてみてください。
そうすると神様から愛されていることもわかります。
また誰かを愛そうと行動を起こしてください。誰かを愛そうとするとき、自分が先に愛されていることを知ります。
誰かを愛するために戦うのです。
アタルヤを追放した時、町に平穏が回復しました。
皆さんの心を支配する者を追放してください。
そして心の王座にイエス様をお迎えし、イエス様に従うことを決意してください。
神様との関係が回復するとき、私たちの心は人知を超える神の平和で守られます。