21 やがて、疲労のためダビデに従うことができず、ベソル川にとどまっていた二百人の兵のもとに戻って来ると、彼らはダビデとダビデに従った兵士たちを迎えに出て来た。ダビデはこの兵士たちに近づくと、彼らの安否を尋ねた。 22 ダビデに従って行った者の中には、悪意を持つならず者がいて、言った。「彼らは我々と共に行かなかったのだ。我々が取り戻した戦利品を与える必要はない。ただ妻と子供を受け取り、連れて行くがよい。」 23 しかし、ダビデは言った。「兄弟たちよ、主が与えてくださったものをそのようにしてはいけない。我々を守ってくださったのは主であり、襲って来たあの略奪隊を我々の手に渡されたのは主なのだ。 24 誰がこのことについてあなたたちに同意するだろう。荷物のそばにとどまっていた者の取り分は、戦いに出て行った者の取り分と同じでなければならない。皆、同じように分け合うのだ。」 (サムエル記上30:21-24)
サムエル記上30章にダビデがアマレクを追撃する話があります。
ペリシテから追い出されたダビデと600人は、ユダのツィクラグに帰ろうとしました。
そこには家族がおり、家があります。
ところがダビデが帰る前にアマレクがツィクラグを略奪し、家族も財産も奪われてしまいました。
ダビデたちは泣く力がなくなるまで泣きました。
その後、主の指示に従ってアマレクを追撃します。
あまりにハードなスケジュールですよね。
600人の内、200人は疲れすぎてついていけなくなりました。
200人は荷物の番をし、残りの400人によってアマレクからすべてを奪還しました。
さて、戦利品は誰が受けるべきでしょう。
戦った400人でしょうか。
それが当然のように感じませんか?
兵士たちからもそういう声が出ます。
ところがダビデは彼らを『ならず者』と言います。
そして戦いに出た人と荷物の番をした人が同じ分け前を受けるようにしました。
神様の指示に従うことは当然正しいでしょう。
しかし従いきれないこともあります。
イエス様は弱い人たちに寄り添いました。
そのような人にこそ、恵みがあります。
礼拝や祈り会、修養会に参加した人に恵みがあるというのは簡単です。
仕事や病のため参加できない人もいるでしょう。
むしろ主の恵みは、参加したくても参加できない人に注がれています。
それはサボっていいという話ではありません。
恵みを受けたのは、荷物の番をした人たちです。
後方支援として戦いに参加していたのです。
私たちは祈りという形で恵みの機会に参加できます。
教会の集会には、できるなら一緒に参加してほしいです。
どうしても一緒にできないとき、時間も場所も超越して、祈りで同じ恵みを受け取っていけたらいいですね。