主の祈り3
御名をあがめさせたまえ
詩篇103:1
【ダビデの詩。】わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。
神様があがめられますように
イエス様が教えてくださった主の祈りは、6つの願いに分けることができます。 さらに、神様の栄光のための願い3つと、私たちの必要のための願い3つに分けられます。
今日は1つ目の願い「願わくは御名をあがめさせたまえ」について学んでいきます。
神の御名とは、神がご自分を知らせるために用いられるすべてのことです。そこには神様のお名前も含まれるし、神様を呼ぶときにつけられる称号、神様の持つ属性、また神様がお定めになったことや、御言葉や御業も含まれます。
だから「御名をあがめさせたまえ」という願いは、「神様があがめられますように」ということと同じだと言えます。
神様があがめられるように願うということは、神様があがめられていない現実があるわけです。
私たちは自分の力で神様を知ることも探し求めることもできません。だから助けが必要です。
またエリヤの時代に国がバアル崇拝に染まり、主なる神様があがめられなくなったことがありました。
このような偶像崇拝や無神論などが広まることで、神様があがめられなくなるということもあります。
人生を通して
では、どのようにすれば神様があがめられるでしょうか。
まず1つ目は、私たちの人生を通してです。
詩編103編で「わたしの魂よ、主をたたえよ。わたしの内にあるものはこぞって/聖なる御名をたたえよ。」と歌われています。
真理の霊である聖霊様の助けで、神様を知り、個人的に神様をあがめることができます。
また私たちは教会や家庭で礼拝をささげます。礼拝の中でイエス様に出会い、神様があがめられることも願います。
伝道や奉仕などの活動を通して、神様があがめられることもあります。
私は学生時代に教会でごはんを食べるのが楽しみでした。青年たちにとって食事というのはとても大事ですね。食事の奉仕を通しても神様があがめられます。
今は食事ができない状態が続いていますが、14周年のときのクッキーやマグカップのようなプレゼントも、神様があがめられることにつながる大切な奉仕です。
教会の活動だけではなく、家庭で、職場で、学校で、この町の中で私たちが信仰をもって行動するとき、神様があがめられることもあります。
喜び、感謝にあふれている。陰口を言わない。仕える。そのような姿を見て、人々は違いに気づきます。
また私たちの人間的な成長も、神様があがめられるきっかけになります。よく勉強をし、よく運動をする。賜物を活かす。
そして私たちの愛が成長することです。
イエス様は約束しました。
あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
ヨハネによる福音書15:8
私たちの人生の中でイエス様につながって恵みを受け、聖霊様の助けで成長していきましょう。そのとき神様の御名があがめられます。
神様の導きが明らかになるときに
神様があがめられるようになる2つ目のことは、この世界の中で神様の導きが明らかになるようなことを通してです。
この世界には罪と悲惨が満ちています。コロナウイルスの流行によってこの世界は混乱に満ちています。自然災害が猛威を振るいます。差別の問題は多くの人を傷つけています。一部の人が富を独占し、食べるものにも困っている人が世界に数億人もいます。神様がいるなら、なぜこのようなことが起こるのかと悩まされます。
もしこの罪と悲惨が取り除かれていくなら、素晴らしいですね。
この世界の問題のためにも祈りましょう。
また、神様は本当に素晴らしいと思えるような出来事も、神様があがめられるきっかけになります。
結婚や子どもの誕生、成長など、祝福を感じられる出来事もそうですね。
人生が逆転するような経験もそうでしょう。どん底の状態にあったけれど、そこから救いだされるような経験をする。
そして悪が滅ぼされ、正義が実現するようなことが起こる。
そういうときに、本当に神様は生きておられる、神様は素晴らしい、と賛美せざるを得なくなります。
主なる神様はいつもよいお方です。私たちを祝福したいお方です。
私たちは主の祈りの1つ目の願いで主の御名があがめられることを願います。
主の御名があがめられることは、私たちの幸せにとって大切なことなのです。
この世界に、神様の素晴らしさが満ちあふれていくよう祈っていきましょう。