イースター礼拝
復活の証人
マルコによる福音書 16:9-15
9 イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。10 マリアは、イエスと一緒にいた人々が泣き悲しんでいるところへ行って、このことを知らせた。11 しかし彼らは、イエスが生きておられること、そしてマリアがそのイエスを見たことを聞いても、信じなかった。12 その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。13 この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。14 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
マグダラのマリア
復活のダイジェスト
今日はマルコの復活の記事を取り上げます。
ここはマルコが書いたものではなく、後で追加されたようです。
他の福音書に書かれた復活の記事がうまくまとめられています。
誰にも何も言わなかった婦人たち
「週の初めの日」これは日曜日のことです。
イエス・キリストは金曜日に十字架で死に、墓に葬られました。土曜日は安息日。ユダヤ人たちは休みます。
そして3日目、日曜日の朝に婦人たちは墓に向かいました。お墓参りです。
ところが墓は空になっていました。
墓の中には白く長い衣を着た若者が立っていて、「驚くことはない。イエスは復活なさってここにはおられない。」などと告げました。
驚くことはないと言われても…。婦人たちは恐ろしくなって逃げ去り、誰にも何も言いませんでした。
ここまでがたぶんマルコが書いた福音書の終わりです。
いや、中途半端。最後がスッキリしない日本の映画か。
イエスは生きておられる
ヨハネによる福音書によれば、婦人たちの中でマグダラのマリアだけは墓の外に残り、泣いていました。
彼女はガリラヤのマグダラ出身。イエス様に悪霊を追い出してもらってから、イエス様に従ってきました。
イエス様の十字架の死も墓への埋葬も見届けています。
そんな彼女にイエス様が現れ、「マリア」と声をかけてくれます。
イエス様は復活した!イエスは生きておられる!
彼女は他の弟子たちのところに帰り、喜びの知らせを伝えます。弟子たちの悲しみを吹き飛ばす知らせです。
しかし弟子たちは信じませんでした。
2人の弟子たち
複数の証言ならまだしも、マグダラのマリアただ一人。しかも内容は「イエスは生きておられる」弟子たちが信じられなかったのも無理はありません。
悲しみが深すぎて幻覚を見たんじゃないか?マリア姉さん、ちょっと休んでください。私たちも疲れました。エマオ村の実家に帰らせてもらいます。
弟子たちの内の2人は田舎の方に歩いて行きました。
エマオの途上
2人の弟子が田舎の方へ歩いて行く途中でイエス様に出会う話は、ルカによる福音書に出ています。
弟子たちはイエスこそメシアだと期待していましたが、イエス様は十字架で殺されてしまいました。がっかりです。
ところがこの日の朝、仲間の婦人が「イエスは生きておられる」と言うではありませんか。
2人の弟子はこれらのことについて話し合いながらエマオ村に向かっていました。
すると見知らぬ男性が近づき、声をかけてきました。
彼は一緒に歩きながら旧約聖書全体からイエスのことを説き明かしました。
2人はその話を聞きながら心が熱く燃えるような思いがしました。
実はこの男性は、復活のイエス様だったのです。
そのことに気づいたのはイエス様がパンを裂いてくださったとき。
2人は急いでエルサレムに帰り、他の弟子たちにこのことを知らせました。
しかし弟子たちは2人の言うことも信じませんでした。複数人の証言でもダメです。
使徒たち
その後、イエス様は11人の弟子たちの前に現れました。彼らはイエス様が選び任命した使徒と呼ばれる人たちです。
もともと12人でしたが、使徒の一人イスカリオテのユダは裏切り、自ら命を絶ってしまいました。
恐れて引きこもっていた使徒たち
これもルカによる福音書とヨハネによる福音書に似たような話が出てきます。
使徒たちは自分たちもひどい目にあうのではないかと恐れて、鍵のかかった部屋に引きこもっていました。
ところが密室の真ん中にイエス様が現れます。
イエス様は復活したのです。
イエス様は焼き魚を食べて幽霊ではないこと、釘跡と槍の痕を見せてイエス様本人であることを示しました。
使徒たちが復活の証人たちの言葉を信じないので、ご本人登場です。
イエス様は彼らの心の目を開き、息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と言います。
大宣教命令
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」というイエス様の言葉は、マタイによる福音書の「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」という命令に似ています。
そのようなことが可能でしょうか。
使徒たちは恐くて引きこもっています。
福音とは簡単に言うとイエスの十字架の死と復活。
しかし彼ら自身、「イエスは生きておられる」と言われても信じられなかったではありませんか。
復活のキリストに出会った者が証人になる
そうです。復活は頭では理解できない話です。
でも彼らは復活のキリストに出会ってしまった。
復活のキリストに出会ったのなら、彼らも復活の証人です。
婦人たちも最初は恐れて逃げ出し、何も言えませんでした。しかしイエス様に出会ったマグダラのマリアは喜びの知らせを伝えました。
落胆し去っていった弟子たちは、イエス様が共に歩んでくださっていたとわかるとすぐに方向転換し帰ってきました。彼ら自身が信じていなかった復活を、心燃やされ証ししました。
そして自分を守ろうと隠れていた使徒たちは、命をかけて地の果てまで福音を伝える復活の証人になっていきます。
私たちも復活の証人
復活のキリストに出会ったら、私たちも変わります。古い人は過ぎ去り、新しく造られた人になります。
恐れや不安に心が支配されていませんか。
落胆し何かをあきらめていませんか。
自分の限界を感じカラに閉じこもっていませんか。
恐くなって逃げ出し、誰にも何も言えずに終わってはいけません。
復活の主に出会うとき、そこから私たちは神のかたちに造られた本当の私の人生を生き始めます。
キリストに出会った人たちを通して世界はより良く変えられる
イエス様は「すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と命じます。
私たちが福音を伝えるべきところは全世界。罪によって壊れた世界を、福音によって回復していくのです。
キリストに出会い変えられた人たちを通して、世界はより良く変えられていきます。
今日そばであなたの名を呼ぶキリストに出会う
どうしたら復活のキリストに出会えるのでしょう。この目で見ることはできません。
しかし見なくて信じる人は幸いです。
祈り求めてください。
イエス様は私たちが気づく前からそばにいて共に歩んでくださっています。
今日イエス様は私たちの名を呼びます。
聖霊が心の目を開き、今も生きておられるキリストに出会わせてくれます。
そして私たちも世界に喜びの知らせを伝える復活の証人になります。