歴代誌講解58
悪の支配を滅ぼす神
歴代誌下 22:1-12
1 エルサレムの住民は、ヨラムの最年少の子アハズヤを彼の代わりに王とした。アラブ人と共に陣営に攻め込んできた部隊によって年上のすべての王子が殺されてしまったからである。こうして、ユダの王ヨラムの子アハズヤが王となった。2 アハズヤは四十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアタルヤといい、オムリの孫娘であった。3 この母が悪い勧めを与えたので、彼もアハブの家の道を歩んだ。4 彼はアハブの家と同じように主の目に悪とされることを行った。父の死後、アハブの家の者が顧問となって彼を滅びに至らせたのである。5 アハズヤは彼らの勧めによって、イスラエルの王、アハブの子ヨラムと共にアラムの王ハザエルと戦うため、ラモト・ギレアドに行った。しかし、アラム兵がヨラムに傷を負わせた。6 ヨラム王は、アラムの王ハザエルとのラマにおける戦いで負った傷をいやすため、イズレエルに戻った。ユダの王、ヨラムの子アハズヤは、病床にあるアハブの子ヨラムを見舞うため、イズレエルに下って行った。7 ――アハズヤがヨラムを訪れることによって滅ぶに至ったのは神による。――彼はそこに着くと、ニムシの子イエフのもとにヨラムと共に出かけた。イエフは、アハブの家を絶つために主が油を注がれた者である。8 イエフがアハブの家に裁きを行うとき、彼はアハズヤに仕えるユダの高官とアハズヤの兄弟の子らを見つけて殺した。9 更にアハズヤを捜し求めていたところ、人々はサマリアに潜んでいるアハズヤを捕らえ、イエフのもとに連れて来て、その命を絶った。彼らは、「これは心を尽くして主を求めたヨシャファトの子なのだ」と言って、彼を葬った。こうして、アハズヤの家には国を治めることのできる者はいなくなった。10 アハズヤの母アタルヤは息子の死んだのを見て、直ちにユダの家の王族をすべて滅ぼそうとした。11 しかし、王女ヨシェバがアハズヤの子ヨアシュを抱き、殺されようとしている王子たちの中からひそかに連れ出し、乳母と共に寝具の部屋に入れておいた。祭司ヨヤダの妻であり、アハズヤの妹である、ヨラム王の娘ヨシェバは、ヨアシュをアタルヤからかくまい、彼は殺されずに済んだ。12 こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは彼らと共に神殿の中に隠れていた。
無力に見えた者が大敵を倒す
今年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」という平安時代末期から鎌倉時代初期を描いたドラマです。
鎌倉幕府を開いたのは源頼朝です。
彼の父である源義朝は源氏のボスで、頼朝はその後継者でした。当時の政府は平清盛をボスとする平氏の力を借りて改革を進めていました。源氏としては、ライバルの平氏がひいきされて力をつけていることが気に入りません。頼朝が13歳の時、源義朝らは平氏と結びつきを強める政府に対し反乱を起こします。
しかし義朝は平氏に敗北し死亡。頼朝も捕まりました。反乱の首謀者の後継者です。当時の慣習に従えば死刑になって当然です。
しかしまだ若かった頼朝は生かされ、伊豆に送られます。
その後平氏は繁栄を極め、「平家でなければ人ではない」と言う者もいました。そのような平氏の独裁に反発した者らが反乱を起こします。
頼朝も兵を起こし、壇ノ浦の戦いで兵士を滅亡させます。
平氏によって滅亡させられそうになった源氏が逆に平氏を滅ぼす。そのリーダーが若いからと生かされた頼朝だとは、誰が想像したでしょうか。
平氏のすべてが悪かったわけではありませんが、不法に支配する者はいつか倒されます。
悪の支配を滅ぼすために神は人を用いる
今日の本文は南ユダ王国6代目、アハズヤ王とアタルヤの話です。
先代のヨラム王は妻アタルヤの影響で北イスラエル王国オムリ王朝と結びつきを強めます。主はアラブ人とペリシテ人を送ります。彼らは王宮の財宝を奪い、ヨラムの息子たちを殺しました。ただ1人、末子のヨアハズだけが生き残ります。
傀儡政権
ヨラムも病気で亡くなると、ヨアハズはアハズヤと名前を変えて王になりました。歴代誌では42歳で王になったとありますが、父が40歳で亡くなった時のことです。息子が父より年上というのはあり得ないので、列王記の22歳が正しいでしょう。歴代誌は本当に数字に関しては適当です。盛ってしまう傾向があります。歴代誌の著者は、つい数字が気になってしまう私とは違い、数字にあまり興味がなかったのでしょう。彼にとってもっと大事なのは、アハズヤ王とオムリ王朝の結びつきでした。
彼の母アタルヤはオムリの孫、アハブとイゼベルの娘。そして南ユダ王国にバアル崇拝を持ち込んだ人です。息子のアハズヤがその影響から逃れることはできません。アハズヤも主を捨て、偶像崇拝を行いました。アタルヤは人事にも口出しをしたのでしょうか。北イスラエルから送られた人がアハズヤの側近になりました。こうしてアハズヤ王はまるで北イスラエルの操り人形のようになっていきます。そして滅びへと向かって行きます。
ハザエルとイエフによって倒される
アハズヤは北イスラエル王ヨラムと共に第2次ラモト・ギレアド奪還戦に参加させられます。
対するアラム軍はハザエルが王として率いています。ヨラムはこの戦いで負傷し、イズレエルで療養します。
その後アハズヤは再び北イスラエルに行き、ヨラムを見舞いました。
そこに北イスラエルの将軍イエフがクーデターを起こし、攻めてきます。
ヨラムは殺され、アハズヤも逃げますが処刑されます。
イエフはさらにアハズヤの側近も殺し、兄弟の子たちも殺します。アハズヤの兄弟の子はアタルヤの孫。彼らもオムリ王朝の血を引く男子だからです。
一人で戦っているのではない
北イスラエルのオムリ王朝のアハブ王に対しては、預言者エリヤが「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」と言って対決してきました。
アハブによって主の預言者たちが殺害され、ただ1人生き残ったエリヤはバアルの預言者450人と対決します。そこで天からの火によって華々しい勝利を収めますが、イゼベルに命を狙われていると知って逃げ出します。
主は静かにささやく声を通してエリヤに語り、ハザエルにアラムの王、イエフにイスラエルの王、エリシャに後継の預言者として油を注ぐよう命じます。
続けて主はこう言いました。
しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」
列王記上19:18
エリヤは主に背くアハブと1人で戦っているように感じていました。主はそんなエリヤを励まします。
あなたは一人ではない。
あなたの後を継ぐ者たちがいる。
そしてアハブに抵抗する多くの人が残っている。
この後、ハザエルがヨラムを打ち破り、イエフが王となります。
こうしてエリヤが油を注いだ者たちによってオムリ王朝は倒されていきます。
一時はオムリ王朝が南北イスラエルを支配したかのように見えました。南ユダ王国にもアハブの血を引くアタルヤが入り込み、操り人形のようにされてしまいました。
そんな中でも主は人々を遣わし、助け出します。
共に戦う仲間を神が送る
私たちも問題を目の前にして無力さを感じることがあるかもしれません。この世が悪の力で支配され、自分たちはそれに抵抗する力がないと思われる状況があるかもしれません。
それでも神様は人を送り、悪の支配を打ち破ってくださいます。
7節に「アハズヤがヨラムを訪れることによって滅ぶに至ったのは神による」「イエフは、アハブの家を絶つために主が油を注がれた者である」とあります。悪をもって支配する者を打ち破るために、神が人を用います。
あなた1人が問題と戦っているのではありません。
共に戦う仲間がいます。
何より、神ご自身がその問題を打ち破ろうとしています。
神を畏れる無力な人を神が用いる
こうしてオムリ王朝が滅んでいくわけですが、アハズヤの死はダビデ王朝の危機にもつながります。ダビデ王家から王座が断たれそうです。
ダビデの子孫に永遠にイスラエルの王座を与えるという神の約束はどうなってしまうのでしょうか。むしろ神の手でダビデ王朝も滅亡させられそうになっています。
そこにアタルヤが追い打ちをかけます。アハズヤの死を知ったアタルヤは、ダビデ王家の男子を皆殺しにしようとします。ダビデ王家が断絶すれば南ユダ王国ダビデ王朝は滅亡します。そして南ユダでオムリ王朝を復興しようと企んでいたのかもしれません。
幼いヨアシュを助けたヨシェバ
ところが王女ヨシェバがアハズヤの末子ヨアシュをかくまいました。
このときヨアシュちゃんは0歳です。
ヨシェバはアハズヤの妹です。アタルヤの娘でもあったでしょうか。
彼女の勇気ある行動によってヨアシュは助かります。
こうしてただ1人生き残ったヨアシュによってダビデ王朝は復興することになります。
助産師とモーセの両親
殺されかけていた赤ちゃんが助け出される話は聖書の他の個所にもあります。
エジプトの王ファラオはヘブライ人の男の子が生まれたら殺せと命令していました。しかし助産師たちはファラオの命令より神を畏れ、男の子を生かしておきました。
ファラオの命令は厳しさを増し、生まれた男の子は一人残らずナイル川に放り込めと命じます。
そんな時にモーセが生まれました。かわいい男の子でした。両親はその子がかわいいのを見て3ヶ月隠しておきます。
だんだん体も大きくなり、泣き声も大きくなります。これ以上隠しきれないと思った両親は防水処置をしたパピルスの籠にモーセを入れ、ナイル川の葦の茂みに隠します。
それを見つけたのはファラオの娘でした。ヘブライ人の男の子を殺せと命じたファラオの娘によってモーセは育てられます。
そのモーセによってイスラエルの約200万人の民が救い出されます。
救いのしるしは飼葉桶の赤ちゃん
新約聖書にもう一人の赤ちゃんが登場します。イエス様です。
旧約聖書で繰り返し、救い主が来ると約束されていました。メシア、油注がれた者が来るという約束です。
油注がれた者に対して人々が期待していたのは、ハザエルやイエフのように力強く敵を打ち破る王、あるいはエリシャのような力強い御業を行う預言者でした。
しかし実際にこの世に来られたメシアは、赤ちゃんでした。
天使たちが救い主の到来を告げたとき、羊飼いたちが見たのは飼葉桶に寝かされた赤ちゃんだったのです。
赤ちゃんには何の力もありません。この世で最も弱く、誰かの助けなしには生きていけない存在です。
しかし神は、この無力な赤ちゃんを救いのしるしとして与えました。
イエス様も生まれたばかりの時にヘロデ大王に命を狙われました。
しかしヨセフとマリアはイエス様を連れてエジプトに逃がれ、守られました。
助けたのは無力な人たち
私たちは誰かを助けるために自分には力が必要だと思います。
問題に直面した人を助けるために、その問題を解決する力がなければならない。
しかし自分には力がない。能力もない、経済力もない、権力もない。時間もない。むしろ自分の方が助けて欲しい。
こうして自分は誰も助けられないのだと思い込まされます。
この世が悪の力で支配され、力ある者がない者から搾取する。大国が小国を侵略する戦争が起きている。
8月は平和について考える機会でもあります。
原爆投下から77年。戦争はどんどん自分と関係ない過去のものになっていきます。
誰が平和を作ることができるのでしょうか。
国の首脳や外交官、軍人、高い地位や専門的な知識や力を持った人だけの仕事でしょうか。
確かにダビデ王朝を復興するヨアシュ、イスラエルを解放したモーセは特別な存在です。
しかし彼らが赤ちゃんだったとき、ヨシェバや助産師、モーセの両親、ヨセフとマリアが守ったことで彼らは生き延びました。
助けたのは何の力もない人たちです。神を畏れるただの人でした。
まだ準備ができていないと思うな
イエス様はこのように言います。
あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、
ヨハネによる福音書4:35
これはサマリアの女性と出会った後に弟子たちに語った言葉です。
サマリアはオムリが建設し北イスラエルの首都とした町の名です。まさに偶像崇拝の地域です。ユダヤ人はサマリア人を嫌っていました。
このサマリアのシカルという町でイエス様は一人の女性に出会います。
彼女は人との関係も上手く築けない無力な人です。
しかしこの一人の女性から、町の人たち皆がイエス様に出会うようになります。
私たちはこの世の現実に対し、自分が無力だと思わされます。
まだ戦う準備ができていない、刈り入れはまだまだ先だと思います。
イエス様は言います。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。後は行って刈り取るだけだ。
目を上げてよく見てください。自分自身とこの世界を。
悪の支配するこの世界に対して確かに自分は無力かもしれない。
しかしイエス様が共にいます。私たちの内に、イエス様からいただいた命の水があります。その恵みを分け与えればいい。
既に心に飢え渇きを覚えている人がいます。イエス様を迎える準備ができている人がいます。後は行って出会うだけです。
悪が支配するこの世界を変えるために、この世界に平和を築いていくために、イエス様は私たちを用います。
自分1人に何ができると思わないでください。神を畏れるただの人であればいいです。
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
これが神の子としての私たちの生き方です。