主の祈り8
悪より救い出したまえ
ヨハネによる福音書17:15
わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
罪の中に留まってはいられない
主の祈りの6つ目の願いは、「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」です。
第5の願いで、私たちの罪はイエス様の十字架の恵みによって赦されていることを学びました。
私たちは神の子とされています。まだ成長の途中です。罪を繰り返し犯してしまいますが、安心して天のお父さんのところに帰ることができます。
しかし何度でも赦されるからといって、いつまでも同じ罪を犯すわけにはいきません。私たちは罪と戦う必要があります。
罪との戦い
イエス様を信じると、罪との戦いが始まります。
私たちを罪へと招くものがあります。それはサタンと世と肉です。
私たちが罪の奴隷だったときは、サタンの支配下にありました。
しかしイエス様を信じた私たちは神様のものとされています。
だからサタンの攻撃対象になっています。
時にはほえたける獅子のように私たちを狙ってきます。信仰が落ち込んでいるときは赤信号です。
またある時は光の天使を装い、近づいてきます。上手くいっている、これで大丈夫だと安心させ、恵みから離れさせます。信仰がいい感じのときも黄色信号です。
この世のものを愛していると、神様のことを忘れてしまいます。
お金や物質に心を奪われてしまいます。
怠惰な生活を送って、この世のものに満足してしまいます。
仕事のこと、成績のこと、将来のこと、人間関係など、この世の心配事で心がふさがれてしまうこともあります。
また肉体的な弱さがあります。心は燃えても肉体は弱いです。
この肉の望むところは霊に反し、霊の望むところは肉に反します。
エサウは1杯のスープのために祝福を軽んじてしまいました。お腹が空いていると、神様の祝福なんてどうでもよくなってしまいます。
罪に悩むのは信仰ある証拠
これらのものとの戦いは避けられません。
イエス様を信じたのに、どうしてこんなに罪との戦いを経験するのだろうと悩むかもしれません。こんなに罪の思いがわいてくるなんて、自分の信仰は失格だと思うかもしれません。
いや、むしろ罪との戦いを経験することこそ、私たちに本当に信仰がある証拠です。
罪の中にいたときは、サタンに支配され、世を愛し、肉の望むところに従うのが当然の生き方でした。そこに戦いも葛藤もありません。
しかし私たちはそこから救い出されました。だからこそ戦いが生じたのです。
暗い部屋の中にいたら、部屋がどんなに散らかっているかわかりません。
そこに光を受け入れると、部屋の汚さがわかります。
部屋を片付ければ片付けるほど、今まで隠れて見えなかった汚れが見え、気にならなかった小さなゴミに気づかされます。
ある人は見て見ぬふりをしたり、光を隠してしまうかもしれません。それなら汚さとの戦いはありませんが、部屋は汚いままです。
汚れを取り除こうと戦うなら、部屋はだんだんきれいになっていきます。
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
ヨハネによる福音書8:12
だから私たちは、罪と戦い続けるのです。
罪と戦うために神の助けが必要
この戦いは霊の戦いであり、神様の力が必要です。神の偉大な力で完全武装し、悪魔の策略に対抗して立つのです。
しかし神の武具で身を固めても、寝ていたら意味がありません。目を覚まして祈る必要があります。
第6の願いでは「こころみにあわせず」と祈っています。マタイによる福音書の主の祈りでは「誘惑に遭わせず」と訳されています。こころみは誘惑と言い換えることができます。
誘惑と戦うのは難しいです。色々な言い訳をして、誘惑に負けるのを正当化してしまいます。
お酒の問題で事件を起こしてしまった有名人が、テレビカメラの前でもうお酒は飲まないと誓いました。しかしまたお酒を飲んでバイクを運転して事故を起こしてしまいました。
自分の意思だけではどうにもならないものがあるのです。
誘惑するものから距離を置かなければなりません。
ついつい食べ過ぎてしまうなら、目の前に食べ物を置いてはいけません。スマートフォンを見すぎてしまうなら、手の届くところに置いてはいけません。
そのように誘惑する者から遠ざけてくださるように、主に祈るのです。
たとえ負けても主が立ち直らせてくれる
それでも誘惑は来ます。
ペトロは「死んでもイエス様のことを知らないなんて言わない」と誓いました。しかし3回も「あんな男は知らない」と言ってしまいました。誘惑にあい、負けてしまったのです。
それでも復活のイエス様に出会い、立ち直りました。
イエス様はこのように祈っていました。
しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ルカによる福音書22:32
誘惑の中にあっても、たとえ負けることがあっても、主はそこから救い出し立ち直らせてくださいます。
希望を持って戦い続ける
この戦いはイエス様が帰って来るまで、あるいは私たちの地上の人生が終わるときまで続きます。
同じ戦いを繰り返すように思えるかもしれませんが、私たちは着実に、栄光から栄光へと主の似姿に変えられていきます。
そしてやがて、御子イエスをありのままに見ます。
この希望を持って、信仰の戦いを主と共に戦い抜いていきましょう。