救いが広がる夢を見る

ペンテコステ礼拝

救いが広がる夢を見る

ヨエル書 3:1-5

1 その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。2 その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。3 天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。4 主の日、大いなる恐るべき日が来る前に/太陽は闇に、月は血に変わる。5 しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる。

聖霊降臨

エル・グレコ「聖霊降臨」

 今日はペンテコステ礼拝です。イースターの7週間後になります。
 イエス様が十字架で死なれた過越祭から50日後の五旬節の日、エルサレムに集まっていた120人の弟子たちに聖霊が降りました。
 ここからキリスト教会が始まったとされます。
 聖霊に満たされた人々は他の国々の言葉で神の偉大な業を語りだしました。
 ペトロはこの出来事を、預言者ヨエルを通して言われていた神の約束が成就したのだと説明します。そこでペトロが引用したのが、今日の本文です。

聖霊が見せてくれる夢や幻

 聖霊は三位一体の第三位格である神です。
 旧約聖書の時代にも、神の霊とか命の息とか表現は違いますが、たびたび出てきます。人が聖霊を受けるのは、王や預言者、祭司など限られた人に、限られた期間だけでした。
 ところがペンテコステ以降、聖霊は神が招く者なら誰にでも与えられます。
 そして信仰者の内に住み、永遠に一緒にいるとイエス様は約束しました。

 あなたが憧れる聖書の登場人物はいますか?
 彼らに力を与えたのと同じ聖霊が、今私たちの内に住んでおられるのです。私たちに力を与えようとしておられるのです。
 ワクワクしてきませんか。
 このことをヨエルは預言していました。

老若男女が神からの夢を見る

 ヨエルは、主なる神様がすべての人にわが霊、すなわち聖霊を注ぐのだと約束します。
 王や祭司だけではありません。たとえ奴隷であろうとも聖霊を受けます。
 すると息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見ます。
 ここで自分は夢を見る側だろうか幻を見る側だろうかと悩む必要はありません。老若男女、どのような人でも、ということです。
 神様が見せてくださる夢、幻を受け取り、それを語るのだということです。

ビジョンを求める

 今年私たちは「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである。」という箴言の御言葉を年間聖句として受け取りました。私たちには神様が見せてくださるビジョンが必要です。聖霊がそれを与えてくれます。
 教会のビジョンは与えられました。「私たちは神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する教会です」しかしこれをどう実現していくかはまだ明確になっていません。具体的にどのように神を愛する教会になるのか、自分を愛するとはどういうことか、私たちは誰の隣人になるように招かれているのか、求めていきましょう。
 また皆さん個人個人も、神様からのビジョンを求めて祈ってください。聖霊が夢を幻を見させてくださいます。

偉大な主の救いの御業が起こる

サバクトビバッタ(相変異)

 今日の本文はいきなり「その後」で始まります。どの後?
 ヨエル書はイナゴの害によってあらゆる緑が食い尽くされたという話から始まります。
 日本だとなかなか想像がつきにくいのですが、アフリカや中東アジアではイナゴの仲間が大量発生し、農作物に深刻な被害を与えることがあります。
 イナゴが過ぎ去った後は、まるで軍隊に侵略されたように、土地は荒廃してしまいます。
 神はそこに雨を降らせ、緑を回復し、損害を償うと約束します。
 それは主の偉大な御業です。

 この救いの約束の後に、すべての人に聖霊が降ると約束されています。
 とすれば聖霊を受けた人々が預言し、夢見、幻を見るのはどのような内容でしょうか。
 主の偉大な御業を語り、救いの約束が実現するのを夢見るのではないでしょうか。

キリストの死と復活を世界に証しする

 ペンテコステの時、聖霊を受けた人々は神の偉大な業を語りました。
 その内容までは記されていませんが、ペトロは大胆にイエス・キリストの十字架の死と復活を証ししました。他の人々が語ったのも、キリストの救いの御業だったかもしれません。
 イエス様は聖霊の力により、キリストの証人になると約束しています。

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

使徒言行録1:8

 そしてキリストの証人は、エルサレムから地の果てまで広がっていくのです。
 実際、聖霊に満たされた弟子たちは他の国の言葉で語りだしました。世界に向けて救いが広がる夢を見ます。

ここで起こる主の救いを夢見る

 エゼキエルは捕囚時代の預言者です。既に国は滅び、エルサレムは荒廃し、神殿は破壊し尽くされていました。
 しかしその中でイスラエルの回復を預言し、イスラエルの民の上に聖霊が注がれるとの約束を受け取り、新しい神殿の幻を見ます。
 目の前の状況は荒れ果てているかもしれません。イナゴに食い尽くされたように、軍隊に踏み荒らされたように、何の希望も残されていないように見えるかもしれません。
 それでも神様の偉大な御業が起こり、救いが広がる夢を見ることができます。

 私の人生はこのまま寂しく終わるのだ。この体はもう癒されない。この国には何の希望も残されていない。どうせ私たちの教会はこの程度のことしかできない。そのように諦めないでください。
 キリストを見上げてください。
 私たちを救うために来られたキリストは十字架で死に、墓に葬られました。もう何の希望も残されていない最も低く暗く冷たく寂しいところに下りました。
 しかしキリストは死の力をも打ち破り、復活したのです。
 今はキリストの霊、聖霊が私たちに与えられています。命の息が吹き入れられ、あなたは本当に生きる人になりました。
 聖霊の力により、すべてが可能です。
 聖霊の力でこの地に起こる主の偉大な御業を夢見てください。
 あなたの家族が、友人が救われ、ここで共に礼拝する幻を見てください。
 荒廃したこの世界に、救いが広がる夢を見るのです。

聖霊は私たちを遣わす

 今日の本文には「主の御名を呼ぶ者は皆、救われる」と約束されています。
 どんな困難な状況があったとしても、エルサレムには逃れ場があり、主が呼ばれる残りの者はそこにいるのです。 
 かつてのコリントのような不道徳な町であっても、神の民が大勢います。
 だからこの浜松にも、まだ出会っていない神の民がいます。
 そして彼らが主の名を呼び求めるなら、彼らがどのような人であっても救われるのです。

 よかった。安心ですね。これで私たちは安心して昼寝しながら、救いが広がる夢を見れます。
 いいえ、そうではありません。神からの夢を受け取った人は、じっとしていられなくなります。外へと押し出されていきます。
 神の夢は、それを受け取った人々を通して実現していくからです。

 この町には確かに主が呼ばれる残りの者がいます。
 しかし彼らが救いに予定された人だとしても、イエス様のことを信じていないのにどうして主の名を呼び求めることができますか?
 そもそもこの国のほとんどの人は、イエス様の福音を聞いたことすらないのに。
 パウロはこう言います。

12 ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。14 ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。15 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。

ローマの信徒への手紙10:12-15

 だから救いが広がる夢を現実のものにするために、ただ夢を見ているだけではいけないのです。
 誰かが良い知らせ、キリストの福音を伝えなければなりません。
 誰が行くのですか。誰が神に遣わされたのですか。
 イザヤのような大預言者、ペトロのような大使徒だけですか。いいえ、イザヤやペトロも聖霊の力なしには働けないただの人でした。
 聖霊を受けたすべての人が遣わされています。
 「全世界に行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」と、キリストは私たちを遣わします。
 自分にはできないと思いますか。
 そうです。自分の力ではできません。聖霊が働きます。

 創立17周年礼拝を準備しています。
 私たちの教会がこの地でどのように用いられ、救いが広がっていくのか、夢を見ましょう。
 ここで家族や友人と共に礼拝する夢を見ましょう。
 誰がその夢を実現するのですか?
 聖霊を受けたあなたを通してです。
 私たちから救いがこの地に広がる夢を見ましょう。

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