歴代誌講解51
教育の祝福
歴代誌下 17:1-11
1 アサに代わってその子ヨシャファトが王となり、イスラエルに対抗して勢力を増強した。2 彼はユダの砦の町のすべてに軍隊を配置し、ユダの地と父アサが占領したエフライムの町々に守備隊を置いた。3 主はヨシャファトと共におられた。父祖ダビデがかつて歩んだ道を彼も歩み、バアルを求めず、4 先祖の神を求め、その戒めに従って歩み、イスラエルの人々のようには行わなかったからである。5 主は彼の手にある王国を固め、ユダのすべての人々はヨシャファトに貢ぎ物を贈ったので、彼は大いに富み栄えた。6 ヨシャファトの心は主の道にとどまって高められ、彼は聖なる高台とアシェラ像をユダから取り除いた。7 彼はその治世第三年に、高官たちベン・ハイル、オバドヤ、ゼカルヤ、ネタンエル、ミカヤを遣わして、ユダの町々で教育を行わせた。8 彼らと共にレビ人のシェマヤ、ネタンヤ、ゼバドヤ、アサエル、シェミラモト、ヨナタン、アドニヤ、トビヤとトブ・アドニヤが遣わされ、また祭司エリシャマとヨラムがこれらのレビ人に同行した。9 彼らは主の律法の書を携え、ユダで教育を行い、ユダのすべての町を巡って、民の教化に当たった。10 主への恐れがユダを取り巻く地域の国々を襲い、ヨシャファトと戦いを交えるものはなかった。11 かえってペリシテ人のもとから貢ぎ物や税としての銀がヨシャファトに届けられ、アラビア人も雄羊七千七百匹、雄山羊七千七百匹を届けた。
教育は国の命運を左右する
忙しすぎる。暴言や暴力がある。外部の知識を制限する。
このような組織には要注意です。
組織をまとめるのに手っ取り早い方法は、判断力をなくすことです。
重労働によって疲れさせる。恐怖を植え付ける。そして外部の知識を遮断する。
こうして組織に批判的な考えができないようにします。
これを実際に行った国があります。民主カンプチアのポルポト政権です。
ポルポトは原始共産主義を目指し、都市の大人たちを農村に強制移住させ、農作業や運河などの建設に従事させました。職歴や学歴は関係ありません。
しかもポルポトはあらゆる文明の利器を放棄したため、国民は手でこれらの作業を行わなければなりませんでした。
ポルポトは生産された米の多くを中国に輸出し、武器を調達していました。
子どもたちは集団生活をさせて組織に従順な奉仕者として教育しました。
このような政策が機能するはずがありません。
結果、多くの国民が飢餓、栄養失調、過労で命を落とします。
ポルポトは自分の失政を認めず、組織内に裏切り者がいるのではと疑います。
そこでポルポトは、少しでも知識のありそうな人を殺害しました。
たとえばメガネをかけている。文字を読もうとした。時計が読める。これだけで殺されたと言います。
50年前の出来事ですが、カンボジアは今も国民の半数以上が1日2ドル以下で生活する貧困層にあります。
教育を軽視したために、国を支える人材が極端に不足しているのです。
日本の江戸時代も鎖国という政策で海外の知識を遮断しました。
それが200年以上も続いたのに、日本は混乱せず平安な時代が続きました。
そして開国してからは西洋の知識や技術を柔軟に取り入れ、近代化をすることができました。
なぜ日本は外部の情報を閉ざしても混乱せず、新しい知識を柔軟に取り入れることができたのか。
それは教育が行われていたからだと言うことができます。
日本中に寺子屋があり、誰でも教育を受けることができました。
寺や神社には算額が奉納され、日本独自の数学も発展しました。
当時のヨーロッパより高い識字率だったと言われています。
教育に力を入れる国は栄えるのです。
信仰教育
今日の本文は南ユダ王国4代ヨシャファト王の話第1部です。
先代の模範を見習う
ヨシャファトの父はアサ王。主と心を一つにした良い王でした。
その跡を継いだヨシャファトについても、「主はヨシャファトと共におられた。父祖ダビデがかつて歩んだ道を彼も歩み、バアルを求めず」とあります。ダビデのような良い王でした。
ソロモンも良い王でしたが、息子のレハブアムの時代に国が分裂しました。親が良い王でも子が良い王になるとは限りません。
しかしアサとヨシャファトは親子共に良い王でした。
その秘訣はどこにあったのでしょう。
ヨシャファトが王になったのは35歳でした。アサの治世は41年。ただしアサが亡くなってから王位を継いだかはわかりません。アサはその治世39年に足の病になっています。ここでアサとヨシャファトが共同で納めた可能性もあります。列王記の記録などを見ると、その方がつじつまが合います。
とするとヨシャファトはアサの治世の初期のころからその善政を見て来たわけです。
父が神に従う模範を見てきました。
晩年は神を頼らなくなりますが、その悪い模範からも学んだのではないでしょうか。
このような親が模範となる教育があったから、ヨシャファトも父のように神に従う王になったのではないかと考えられます。
民に主への信仰を教えなければならない
6節を見ると「ヨシャファトの心は主の道にとどまって高められ、彼は聖なる高台とアシェラ像をユダから取り除いた。」とあります。
アサも南ユダ王国のすべての町から聖なる高台とアシェラ像を取り除きました。
もうなくなったはずのものを、ヨシャファトが再び取り除いたことになります。なぜでしょう。
王が取り除かせた後、民が再び聖なる高台を築き、アシェラ像を持ち込んだのです。
だから王一人が主を頼っても、国民が主を頼らないのなら再び偶像を頼るようになります。
そこでヨシャファトは考えました。
国民に主への信仰を教えなければならない。
ヨシャファトはその治世3年にユダの町々に祭司たちを遣わし、律法の教育を行いました。
もしアサの最後の2年にヨシャファトが共同で治めていたなら、3年目はヨシャファトが単独で王になった1年目です。
ヨシャファトが教育を重視していたことがわかります。
祭司が律法を教えることで信仰が受け継がれていく
祭司たちが律法を教えるというのは、律法で命じられたことでした。
10 あなたたちのなすべきことは、聖と俗、清いものと汚れたものを区別すること、11 またモーセを通じて主が命じられたすべての掟をイスラエルの人々に教えることである。
レビ記10:10-11
これは主がアロンに告げた、祭司の役割です。人々に律法を教育するよう命じられています。
この政策はヨシャファトが勝手に始めたことではなく、律法に従って行われたことでした。
この祭司が民に律法を教育するという政策が、この後数百年に渡ってユダヤ人を支えることになります。
南ユダ王国がバビロン捕囚にあい、神殿は破壊され、人々はバビロンに移住させられます。神殿がなくなったため、いけにえをささげるなどの儀式ができなくなりました。
エゼキエル書を見ると、長老たちがエゼキエルの家に集まって神の言葉を聞こうとします。
エズラ記を見ると、捕囚から帰ってきた人たちは祭司やレビ人から御言葉を聞き、礼拝をささげます。
儀式中心から御言葉中心の礼拝に移行していくのです。
こうしてユダヤ人は信仰を守っていきます。
400年間預言者が現れない中間時代においても、ユダヤ人は御言葉によって信仰を守り、メシアを待ち続けました。
こうして御言葉を語り、それを聞くことで、何世代にも渡って信仰が受け継がれていく。
ヨシャファトの政策はそのための布石となりました。
だから教育は大事です。
御言葉を聞き語り伝える
私たちも神の言葉に耳を傾け、語る必要があります。
4 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。5 あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。6 今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、7 子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。
申命記6:4-7
神は聞けと命じると同時に、子どもたちに繰り返し語り聞かせよと命じます。
家に座っていても道を歩いていても、起きているときだけでなく寝ているときにも、生活の中で御言葉を教えるのです。
このように教育を大事にするユダヤ人の中から、多くの優秀な科学者なども出ています。
信仰の模範
子どもたちに生活の中で御言葉を教えるためには、親が模範を示すことが求められます。
「学ぶ」という言葉は、「真似る」と同じ語源を持つ言葉だと言われます。だから何かを学ぼうとする人は、模範となる人のマネをすると身につきやすいです。
教会の入口でツバメが育っています。ヒナたちはやがて成長し巣立っていきます。どこで飛び方を学ぶのでしょう。親の姿をよく見て、マネをするのです。
主日学校で子どもたちが暗唱聖句をします。文字が読めない子でも、先生のマネをして覚えます。
御言葉の意味がすぐにわからないとしても、覚えた御言葉がいつか力になります。
皆さんが御言葉を聞く姿勢、礼拝する姿を次の世代の人たちが見ています。よい模範を示していただきたいです。
また皆さんも信仰の模範を見つけて、その人のマネをしてみてください。
聖書の人物の中では、誰を模範としたいですか、あるいは反面教師にしますか。
歴史上の信仰者や身近な兄弟姉妹の中で模範となる人は誰でしょうか。
世界には20億人以上のクリスチャンがいますから、視野を広げて様々な分野で模範となる信仰者を見つけてください。
超教派の集会に顔を出したりキリスト教系のメディアをみると、こんなクリスチャンがいるのか!という発見があります。夏のバイブルキャンプがいい機会です。
信仰の模範を見つけて学び続けてください。皆さんの信仰を模範として学ぶ人も出てきます。
信仰の教育を大事にするなら、次の世代に信仰が受け継がれていきます。
あらゆる学びの根底にある聖書
イエス・キリストも信仰の教育に力を入れていました。
一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
マルコによる福音書1:21
洗礼を受けガリラヤで神の国の福音を宣べ伝え始めたイエス様は、弟子を集めて会堂に行きました。
そして会堂で御言葉を説き明かしました。人々はその権威ある教えに驚きました。イエス様の地上での働きの柱の1つが教育でした。
十字架で死なれ復活されたイエス様はエマオ村に向かう弟子たちに会いました。そしてご自身について聖書に書いてあることを教えました。
今イエス様は地上にいませんが、真理の霊である聖霊がイエスの言葉を教えてくれます。
知識だけでなく神の言葉を求める
現代の私たちが学ばなければならないことは多くあります。
しかし知識を身に着けるだけでは空しいです。聖書を読んだけれど自ら命を絶った知識人も多くいます。
聖書の知識を学ぶだけではなく、神の言葉に耳を傾けなければなりません。
神の言葉を聞き、聖霊が働くと、心の目が開けます。そうして、この世の知識を正しく扱うことができるようになります。
だからあらゆる学問の根底に聖書があります。
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
テモテへの手紙3:16
神の霊の導きの下に書かれた聖書は、最適な教材です。
神を知るところから始まり神を知ることを目指す
西洋の大学の中には、教会の日曜学校や神学校をルーツに持つところがあります。
神のことを学ぶ。
神について知ろうとすれば、神が造られた自然、そして人間について学ぶ必要が出てきます。
こうして神学から自然科学や人文科学が発展していき、様々な学部学科の大学になっていきました。
神を知ること、神を畏れることから知恵が始まります。
そしてその目指すべきところも、神を知ることです。
教育に力を入れると平和も経済も守られる
日本でも教育の改革が求められていますが、国はなかなか教育に関する予算を上げてくれません。国は財源がないから仕方ないと言います。しかし防衛費は2倍にすると簡単に言ってしまいます。
教育を大事にすることは国を守ることにもつながります。
ヨシャファトが教育に力を入れた結果、主への恐れが周囲の国々を襲い、南ユダ王国と戦おうとする国はなくなりました。
かえってペリシテ人やアラブ人が貢ぎ物を贈ってきました。
律法の教育を大事にしたところ、国の平和も経済も守られました。
御言葉を聞くことを大事にしてください。次の世代に伝えることを大事にしてください。
信仰の教育を大事にするとき、その祝福が国を守り豊かにします。