生活の中で神に仕える

歴代誌講解28

生活の中で神に仕える

歴代誌上 26:12-32

12 彼らによって門衛の組分けがなされた。この者たちの頭ごとに、その兄弟たちと同様に、主の神殿における務めが課せられた。13 彼らは年少者も年長者も家系ごとにくじを引いて、それぞれの門を決めた。14 東の門を守るくじが当たったのはシェレムヤであった。賢明な助言を与えるその息子ゼカルヤのためにもくじが引かれ、北の門を守るくじが当たった。15 南の門を守るくじはオベド・エドムに、その息子たちには倉庫を守るくじが当たった。16 シュピムとホサには西の門と登り道にあるシャレケトの門が当たった。それぞれの分担に従って警戒に当たった。17 東にはレビ人六人、北には毎日四人、南には毎日四人、倉庫には二人ずつ、18 西の廊には通路に四人、廊に二人であった。19 以上がコラとメラリの子らの門衛たちの組分けである。20 レビ人の中でアヒヤが神殿の宝物庫の責任を負い、聖別された物の保管に当たった。21 ラダンの子ら、つまりラダンによるゲルションの子孫で、ゲルションに属するラダンの家系の長たち、エヒエルの一族、22 エヒエルの子らゼタムとその兄弟ヨエルも主の神殿の宝物庫の責任を負った。23 アムラム、イツハル、ヘブロン、ウジエルに属する者については、24 モーセの孫でゲルショムの子であるシェブエルが宝物庫の主任となった。25 エリエゼルによる彼の兄弟たちはエリエゼルの子レハブヤ、その子エシャヤ、その子ヨラム、その子ジクリ、その子シェロミト。26 このシェロミトとその兄弟たちが、ダビデ王と家系の長たち、千人隊と百人隊の長、将軍たちが聖別した聖なる物の保管の全責任を負った。27 彼らは主の神殿を修理するために戦利品の一部を聖別した。28 先見者サムエル、キシュの子サウル、ネルの子アブネル、ツェルヤの子ヨアブなどが聖別したすべての品物もシェロミトとその兄弟たちの手にゆだねられた。29 イツハルに属する者ではケナンヤとその子らが、神殿以外のところでイスラエルのために働く役人や裁判官となった。30 ヘブロンに属する者ではハシャブヤとその兄弟たち、すなわち勇者千七百人が、主に対するすべての務めと王に対する奉仕がなされるように、ヨルダン以西のイスラエルを監視することとなった。31 ヘブロンに属する者ではエリヤが頭であった。ダビデの治世第四十年にヘブロン一族の系図が調査され、彼らの中では、ヤゼル・ギレアドに勇士のいることが分かった。32 そのエリヤの兄弟、勇者二千七百人は家系の長であり、ダビデ王は神と王にかかわるすべての事柄のために、彼らをルベン族、ガド族、マナセの半部族の上に任命した。

生活の心配からは逃れられない

心配

 今年のノーベル物理学賞は気候変動モデルの開発などに貢献した3名に送られることになりました。
 その内の1人である真鍋淑郎さんは、記者会見で妻である信子さんへの感謝を話していました。
 「食事に関しては、僕は世界で一番恵まれた人間だと思っている。彼女が作る料理はどれも素晴らしい!」と信子さんの料理を絶賛。信子さんも「先生が研究をして私が家を守って、2人で二人三脚ですから」と答えていました。お互いに役割分担をすることで、真鍋さんは研究に専念できたと言えるでしょう。
 真鍋さん夫妻の場合は互いに尊敬しあい役割分担している様子が伝わってきます。
 もし相手への尊敬を持たずに、男性の社会的な成功のために女性に世話を押し付けるとしたら問題です。
 夫も妻も、自分の家庭の生活のことや子育てについて責任があります。
 夫婦で互いに役割分担をしているなら、仕事や家事、育児などを担ってくれる相手に感謝を表現してくださいね。
 クリスチャンであれば、神様のことだけ考えて生きていたいと願うかもしれませんが、食事はどうするのか、生活費はどうするのか、家族の世話は誰が見るのか、生活の心配から逃れることはできません。

生活は信仰の戦い

武蔵坊弁慶

 今日の本文はレビ人の中で門衛、宝物庫の管理者、役人や裁判官について記録されている箇所です。
 門衛については前にも話しましたが、内と外を隔てるのが門です。中に入るのにふさわしい人は中に入れ、ふさわしくない人は追い出さなければなりません。
 ですから勇者と呼ばれる人たちが門衛のリストに入っています。
 大きなお寺の門には両側に阿形と吽形という強そうな像が立っています。門を守るためには強さが必要です。
 人数を見ると、東は6人、北は4人、南は6人、西も6人です。西に何があったかはわかりませんが、東は神殿の入口につながる正門であり、南には倉庫があります。特に守るべきところに重点的に人が配置されていることからも、門衛には守るための強さが求められていたことがわかります。
 神様に仕えるレビ人ですが、いつも神殿で祈ったり歌ったりするモヤシのような人たちではありませんでした。
 RPGの世界の僧侶は攻撃力も防御力も低いですね。
 レビ人はそうではありませんでした。弁慶のような戦うレビ人たちもいたわけです。

戦わなければならないときがある

 クリスチャンはいつも喜び、感謝して、すべての人と平和に生きるよう勧められています。
 しかし平和を実現していくためには、戦わなければならない場面があります。
 イエス様も縄でムチを作って怒りました。すべての人の祈りの家である神殿が強盗の巣にされているなら、戦わなければなりません。
 礼拝を妨げる問題があるなら取り除かなければなりません。
 上に立つ権威が、礼拝を禁じたり人を傷つけることを命じたり、神を愛し人を愛することに反したことを命じるなら、抵抗しなければなりません。
 性別や国籍、親の宗教など、誰かが生まれ持った性質のために生きづらさを感じるなら、そのような社会は変えられなければならないのです。

神に従うことを選び取る

 このように社会の中で生きる私たちには、戦わなければならない場面があります。
 だから体を鍛え、かつての十字軍のように立ち上がりましょう!という話ではありません。教会が政治活動をするべきだという話でもありません。
 門衛が立っていたのは門。そこは神殿の内と外の間です。
 私たちはこの地上の国と神の国が交差するところに立っています。私たち一人一人が、神の国の最前線に立っています。
 私たちの戦いとは、神の国を広げていくための世との戦いであると言えます。
 そしてこの戦いは主の戦いです。この戦いの武器は信仰です。
 生活の中で、キリストに従うことを選び取るのです。

4 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。5 だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。

ヨハネの手紙一5:4-5

 イエス・キリストは神の子。すべての人を救うために十字架で死なれ復活された救い主。世の終わりまでいつも私たちと共にいるインマヌエルの神。だから強くあれ、雄々しくあれ。
 イエス様を信じ従う私たちによって、神の国がここに来ます。私たちの生活の現場に神の国が臨みます。
 そして神の国の前線が一歩また一歩と前進していきます。
 イエスを神の子と信じる私たちが門衛のように力強く立つとき、世界は変えられていきます。

神に仕えるか富に仕えるか

 門衛とは別に、宝物庫の管理者と聖なる物の管理者がいました。要するに会計担当者です。
 神殿の様々な活動もお金がかかります。それを管理する必要があります。
 会計担当者がうまく働くことで、人々は礼拝に専念できるようになります。ボロボロで汚い建物では、礼拝どころではなくなります。
 この時点ではまだ神殿は建てられていませんが、それなのに修理の話が出ているのは驚きです。先を見越して会計が行われていたことがわかります。
 有能な会計担当者がいたことで、神殿は守られていきました。

神と富とに仕えることはできない

 しかしお金の心配は罠になります。
 イエス様は金持ちが神の国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しいと言いました。お金への信頼が神への信頼を難しくさせます。
 弟子たちの中で会計を担当していたイスカリオテのユダはイエス様を銀貨30枚で売りました。
 イエス様が神殿で怒ったのは、神殿の会計担当者が金儲けに走ったからでした。

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

マタイによる福音書6:24

 神に仕えるのではなく、お金に仕えさせられてしまいます。
 神に仕えるために、お金を憎みなさいとか軽んじなさいということを言いたいのではありません。
 神様は人に祝福として富を与えました。お金そのものが悪いのではありません。
 神様から与えられたものをどう管理するのか、優先順位の問題です。

献金という信仰の挑戦

 信仰生活の中で献金は大きな問題です。
 コロナ禍で生活が大変になる中、生活費の一部をささげることは簡単ではありません。
 お金の心配はきりがありません。年末年始をどう乗り切るか。将来の結婚や住居、車、子どもの養育はどうするのか。年金はどれくらいもらえるのか。先のことを考えると、お金はいくらあっても足りず、少しも無駄にはできません。
 それを献金として神様にささげるのは大きなチャレンジです。
 そこで神様を信頼し、神様の願う通りにささげることができるか。それがこの世で神に従うのか富に従うのか選択する戦いです。
 そこで私たちは神に従うことを選び取るのです。
 お金の心配は必要です。
 それでも神を信頼し、惜しまず喜んでささげることができるか、信仰の挑戦です。

神は必要を満たす

聖書キリスト教会

 先週、教団の日本人教職者のフォーラムがありました。
 講師として尾山令仁先生が話をしてくださいました。94歳の現役牧師で、YouTubeも配信しています。
 東京でビリー・グラハム国際大会が行われたとき、尾山先生は実行副委員長でした。
 1億円以上の費用がかかります。これを献金で集めなければなりません。開催を危ぶむ声もありましたが、尾山先生は必ず1億円が集まると確信し、開催に踏み切りました。
 実際に大会が始まると、1億円が満たされただけではなく、次回のメキシコ大会のための献金を送ることもできました。
 さらに、大会後にも尾山先生の仕える聖書キリスト教会に献金がありました。
 これを基に、高田馬場に新会堂を建てることができました。
 とてもよい立地にありましたが、神田川の改修工事のために移転を迫られました。
 多額の費用がかかってせっかく建てた会堂を手放さなければならない。移転するとしたら、今より広い場所が必要。それでも尾山先生は移転を決断しました。
 ちょうど江古田にあった文明堂のカステラ工場が売りに出され、そこを購入することができました。地上7階、地下2階の大きな会堂が建っています。
 尾山先生は新会堂のために1億円を献金すると約束しました。
 牧師個人が1億円献金するというのは無理に思えます。
 それでも不思議と資金が集まり、約束は果たされました。
 尾山先生は、今度は10億円献金すると言っています。94歳で。
 信仰をもってささげるなら、神様は必要を満たしてくださいます。
 お金の心配は大きな悩みです。
 神と富とに仕えることはできません。
 神様に従うことを選び取るとき、大きな恵みを体験します。

どこにあっても主を仰ぎ望む

 最後に、神殿以外のところで働く役人や裁判官の話が出てきます。神殿の外にいた彼らも、神と王にかかわることのために任命されました。
 神に仕える場所は神殿の中だけではありません。神殿の外でも神に仕え、人々に仕える責任があります。

どこでも神に仕え人に仕える

 私たちが神に従うべきところは、教会の建物の中だけではありません。教会の外でも神に仕え、人に仕えるのです。
 神を愛し、隣人を愛することは最も重要な戒めです。

 ダビデはこう歌いました。

ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り/主を仰ぎ望んで喜びを得/その宮で朝を迎えることを。

詩編27:4

 ダビデはずっと主の宮である幕屋にいたいと言っています。
 しかし実際にダビデはずっと幕屋にいたわけではありません。王として国を治める必要があります。
 幕屋の外で生きた時間の方がはるかに長いです。
 それでもダビデは生涯の長い間、主の家に宿って喜びを得ていたと思います。
 神殿の外、幕屋の外であっても、神の箱を運ぶときには裸のようになって喜び踊りました。
 生活の中で主を仰ぎ望むとき、そこが主の宮になります。

心配が絶えないこの世界に神は共に住んでいる

 私たちには心配がたくさんあります。
 教会の外で生きます。いつも聖書を読んでいられるわけでも祈っていられるわけでもありません。
 色々な責任を担い、思い煩い、この世の中で生きていきます。
 それでも神は生活の中で共にいます。
 神の子イエスは、世の終わりまでいつも私たちと共にいるインマヌエルの神です。
 私たちが神と共に歩むとき、そこが神の国になり、私たちが主の宮になります。
 だから今週、どのような場所に遣わされても、どのような戦いの中にあっても、そこでただ一つのことを主に願うのです。
 生活の中で神に仕える礼拝者として生きる。
 そのとき、神の国はこの地に広げられていきます。

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