神のガイド

神のガイド

詩編 119:105

あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。

一寸先は闇

 明けましておめでとうございます。2024年になりました。
 しかし今年は「明けましておめでとう」とか “Happy new year.” と言いづらいです。
 元日には大きな地震がありました。浜松も揺れましたね。
 私は家族で海に近い公園に行って帰ろうとしたところだったので、津波の危険を感じてすぐに車のラジオをつけました。K-mixは通常の放送をしていたのでNHKに変えると、アナウンサーの方が「津波が来ます!今すぐ逃げてください!物を取ろうと引き返してはいけません。東日本大震災を思い出してください!テレビを見ていないで逃げてください!テレビを消して、いや、もう消さなくていいです。そのまま逃げてください!」と叫んでいました。地震が起きたのは能登半島沖ということで浜松は津波の心配はありませんでしたが、ただごとではない様子がラジオの音声でも伝わってきました。正月早々、目を覚まさせる大災害でした。
 一夜明けた2日には、崩れた家、壊れた道路、土砂崩れなど地震の被害が明らかになってきました。津波の被害もあります。そして輪島市では火事でたくさんの家が燃えました。
 夕方にまた火事のニュース。今度は羽田空港の近くで火事という速報が入りました。空港の近くだと煙とかで飛行機の離着陸に影響があるかもな。正月で旅行する人たち困るだろうななんて考えながら買い物をして帰ると、テレビに飛行機が燃えている映像が映っています。空港の近くって、滑走路!?しかも自衛隊の飛行機とぶつかったらしいと。その後、被災地に物資を届けようとしていた自衛隊員5名がなくなったこと。旅客機の乗員乗客は全員無事だったことがわかりました。
 誰がこのような年明けになると想像できたでしょうか。このような始まり方で、今年はいったいどうなってしまうのでしょうか。
 一寸先は闇です。私たちには、先のことはわかりません。
 闇を照らす光、導く声を必要としています。

神が人生のガイド

救いへ導く声、光

 1854年には紀伊半島沖で地震がありました。日が暮れて暗くなる中、津波が迫っています。
 紀伊国広村の商人、濱口悟陵は稲むらに火をつけ、村人たちを高台に避難させました。

 今回の地震ではアナウンサーの方の叫ぶような声を聞いて避難を決意した人もいたのではないでしょうか。
 空港では管制官の指示に忠実に従うことが大事です。
 飛行機の乗客はCAさんの指示に従い、手荷物を置いて避難しました。
 私たちの人生にもそのような光、声があるといいですね。

 聖書は、神の言葉が私たちの道の光、歩みを照らす灯だと言います。
 聖書にはこのようにもあります。

あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。「これが行くべき道だ、ここを歩け/右に行け、左に行け」と。

イザヤ書30:21

 神様が私たちの人生のガイドです。

神のガイドに従う者への祝福

 聖書には素晴らしい約束があります。

7 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。

ヨシュア記1:7-8

 神様の言葉に忠実に従うなら、勉強も仕事も結婚生活も上手くいきそうですね。
 しかし人生はそのような単純なものではありません。

神の導きを聞き分ける

 神様が私たちを導くとして、見える光、聞こえる声にただ従えばいいというわけではありません。
 この世には様々な声があり、たくさんの情報があふれています。
 その中で何が神の導きなのか聞き分けなければなりません。

 先日、伊豆に旅行に行きました。
 車で旅行をするとき、ナビは手放せません。
 ナビは私を伊豆縦貫道に導きました。一部、有料区間がありますが、三島で働いていた私は抜け道があることを知っています。
 ナビを無視して一般道に降り、200円を節約しました。

 この程度なら、ナビに従うかどうかは自由です。
 しかし自分や周りの人を危険にさらす情報もあります。
 私たちは、津波なんてどうせ来ないだろうという自分の思い、「早く出させろ!」と大声で叫ぶ他の乗客の声、このような災害が起きたのはこういう意味だ、という心地よい言葉、大きな声、わかりやすい答えに流されやすいです。
 神様のガイドは、私たちにとって安定を奪うもの、静かにささやく声、悩ます言葉かもしれません。
 よく聞き分けてください。
 どのような学校に進学するか、どのような職場に就職するか、誰と結婚するか。単純な答えはありません。
 自分の人生の問題について、自分でちゃんと悩んでください。

主と共に歩む

 誰の声を聞くかで重要なのは、自分のことをよく知り、愛してくださっている方の声を聞くということです。
 長老たちの意見を無視して、気の合う若者たちのノリに流されるようなことをしてはいけません。
 あなたのことを誰よりも知っていて、愛してくださっているのは誰ですか。
 親よりも、自分自身よりも、神様はあなたを知っていて愛しておられます。
 神様は私たちの髪の毛の数も、心の奥深くの痛みも知っています。
 神様は私たちを天地創造の前から愛し、独り子イエスを与えてくださいました。

 イエス様の声に集中した時、ペトロは水の上を歩きました。
 しかし周りの環境や状況を気にした時、水の中に沈みかけました。そんなペトロをイエス様は引き上げます。
 イエス様はあなたと共に歩んでいます。あなたのことをよく知り、愛しています。私たちが右にそれ、左にそれることがあっても、イエス様は助け出してくださいます。
 イエス様の声に聞き従い、共に歩み続けることを選び取ってください。

聖書から示されたことを行う

 御言葉を聞くだけでなく、行動を起こすことが大事です。

24 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。25 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。

マタイによる福音書7:24-25

聖霊の助けで聖書から神の言葉を聞く

 聖書を読みながら、神様はどのようなお方か、神様は自分に何を求めておられるだろうかと黙想してください。
 聖書を自分に都合よく利用してはいけません。イエス様は「わたしが来たのは平和をもたらすためでなく剣をもたらすためだ」と言いました。だからこの戦いは神の御心だと、戦争を肯定する人もいます。決して自分勝手に理解してはいけません。

 神様は人の理解を超えています。
 だから聖書を人間的に理解しようとすると、大きな間違いに陥ります。
 イエス様は山上の説教で「完全な者になりなさい」と言います。そんなこと不可能です。だから聖書を読んで絶望し、自殺した人もいます。
 聖書は人を殺すために書かれたのではありません。イエス・キリストへの信仰を通して救いに導くために、神の霊の導きの下に書かれました。
 だから聖書を読む時には、聖霊の助けが必要です。

20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。21 なぜなら、預言は、決して人間の意志に基づいて語られたのではなく、人々が聖霊に導かれて神からの言葉を語ったものだからです。

ペトロの手紙Ⅱ1:20-21

 聖霊の助けを求めて聖書を開くなら、御言葉から光が射し出て悟らせてくださるでしょう。

 2024年、御言葉を聞いて従いましょう。
 1月は通読月間になっています。一緒に聖書を読み、その恵みを互いに分かち合いましょう。
 共にキリストの体として、頭であるキリストの願いがこの地で成し遂げられていきます。

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