神の国は止まらない

使徒言行録講解74

神の国は止まらない

使徒言行録28:23-31

23 そこで、ユダヤ人たちは日を決めて、大勢でパウロの宿舎にやって来た。パウロは、朝から晩まで説明を続けた。神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書を引用して、イエスについて説得しようとしたのである。24 ある者はパウロの言うことを受け入れたが、他の者は信じようとはしなかった。25 彼らが互いに意見が一致しないまま、立ち去ろうとしたとき、パウロはひと言次のように言った。「聖霊は、預言者イザヤを通して、実に正しくあなたがたの先祖に、26 語られました。『この民のところへ行って言え。あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、/見るには見るが、決して認めない。27 この民の心は鈍り、/耳は遠くなり、/目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、/耳で聞くことなく、/心で理解せず、立ち帰らない。わたしは彼らをいやさない。』28 だから、このことを知っていただきたい。この神の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」30 パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、31 全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。

SLAM DUNK の続きは

 井上雄彦さんの「SLAM DUNK」は、主人公の桜木花道が高校の男子バスケットボール部に入部し成長していく様子を描いた漫画です。
 この漫画に影響され、バスケットボールを始めた少年少女たちが大勢いました。
 漫画はインターハイ終了後に桜木花道が背中のケガを治すためにリハビリを受ける場面で終わっています。
 最後のコマには「一部完」と書かれていました。
 一部完ということは、二部があるのではないか。数年後の活躍が描かれるのではないかと期待されました。しかし再開されることなく20年以上が過ぎました。おそらく作者から公式に続編が書かれることはないでしょう。
 では一部完なら二部はどうなるのか。
 それは読者の想像にお任せします、ということなのかもしれません。スラムダンクのその後を描くのは私たち。
 またスラムダンクの影響でバスケットボールを始めた少年少女たちの中で、田臥雄太選手のようにNBAで活躍する人も出てきました。スラムダンクの世界で実現していなかったことを、実際に成し遂げていく人たちが出てきました。これこそスラムダンクの続編と言えることなのかもしれません。

使徒言行録の終わり

 使徒言行録の講解を2019年5月から続けてきました。約1年9か月かけて、ついに最終回を迎えました。
 聖霊の力で誕生した教会はエルサレムばかりでなくユダヤ、サマリアへ伝わり、帝国の首都ローマにまで広がっていきました。
 囚人としてローマに来たパウロはユダヤ人を招き話をします。神の国について力強く証しし、旧約聖書を引用しながらイエスについて福音を語りました。
 ある人は信じましたが、他の人は信じませんでした。それでパウロは異邦人に向けて宣教することを宣言します。そして2年間、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けたのです。

福音を拒んだユダヤ人

 ユダヤ人が福音を受け入れず立ち去ろうとしたとき、パウロはイザヤ書の言葉を引用しました。

9 主は言われた。「行け、この民に言うがよい/よく聞け、しかし理解するな/よく見よ、しかし悟るな、と。10 この民の心をかたくなにし/耳を鈍く、目を暗くせよ。目で見ることなく、耳で聞くことなく/その心で理解することなく/悔い改めていやされることのないために。」

イザヤ書6:9-10

 神のしるしや言葉を拒んだ人は目や耳が閉ざされ、それを受け入れることができなくなるという厳しい警告の言葉です。
 イザヤの時代に預言者を拒んだイスラエルの民のように、ユダヤ人は自分たちに語られた福音を拒んでしまいました。それで福音は異邦人に向かうことになります。

神の計画の中で

 教会の歴史の中では、イエス・キリストを殺し福音を拒んだユダヤ人を拒絶した時代もありました。しかしここでパウロはユダヤ人は救われないと言っているのではないし、同胞の救いを諦めたのでもありません。
 ローマの信徒たちに宛てて書いた手紙の中で、異邦人が救われることで同胞にねたみを起こさせ、何人かでも救いたいと言っています。
 そして神の秘められた計画を明らかにしています。

25 兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、26 こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあるとおりです。「救う方がシオンから来て、/ヤコブから不信心を遠ざける。

ローマの信徒への手紙11:25-26

 福音が地の果てまで伝わり、異邦人の救いが完了するとき、イスラエルの救いも完了するのです。

宣教は前進し続けている

 この神の計画に従い、福音が伝わっていない地域に宣教をする人たち、聖書が翻訳されていない言語に翻訳する人たち、ユダヤ人の救いのために働く人たちがいます。
 使徒言行録はこれで終わりですが教会の働きは終わりではありません。宣教は今も前進し続けています。

私たちは神の国の最前線に立っている

 誰がその働きを担うのでしょうか。
 パウロが引用したイザヤ書の言葉は、イザヤが預言者として神様から呼ばれた場面の直後に語られたものです。
 イザヤは自分の罪を自覚しますが、その罪は神によって取り除かれます。そして神の言葉を聞きます。

そのとき、わたしは主の御声を聞いた。「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか。」わたしは言った。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」

イザヤ書6:8

 キリストにより贖われた私たちも神に招かれています。その招きを受けてこの世界に出ていきましょう。
 外国に行って宣教することや牧師になることだけが召命ではありません。
 私たちが遣わされる職場、学校、家庭、この町が宣教の現場です。
 福音を待っている地の果てがここにあります。
 私たちは神の国の最前線に立っています。

神の国は誰にも止められない

 「パウロは、自費で借りた家に丸二年間住んで、訪問する者はだれかれとなく歓迎し、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」使徒言行録はこのように終わっています。
 いくつか疑問が残ります。裁判の結果はどうなったのか。ローマ教会との関りが何も書かれていないのはなぜか。スペインまで行くという計画はどうなったのか。
 2年間の活動は記録されていますが、その後どうなったのかは書かれていません。教会の伝承では、処刑されたと伝えられています。
 ルカがパウロのその後を書かなかったのは、それより重要なことがあったからではないでしょうか。
 それは、全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けたということです。
 パウロは遺言のような手紙の中でこう書き残しています。

この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。

テモテへの手紙二2:9

  この世はパウロを鎖につなぎ、迫害することができます。しかし神の言葉を鎖でつなぐことはできません。神の国は止まらないのです。

あらゆる壁を超えていく

 聖霊の力によって誕生した教会はエルサレムから地の果てへと向かっていきます。

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

使徒言行録1:8

 この約束が成し遂げられていきます。
 その過程であらゆる壁を超えていきます。国を超え、言葉を超え、民族を超え、身分の違いを超えていきました。
 さらに世代の壁も超えていきます。イエス・キリストから使徒たちへ、そして使徒から弟子たちへ受け継がれてきました。
 その信仰のバトンは次世代へ受け継がれ、今私たちが受け取りました。
 このバトンはまた次の世代に伝えられるべきものです。
 若者たちへ、そして子どもたちへ。

聖霊の力によって神の国を広げていく

 その過程でまた壁が立ちはだかることがあるでしょう。
 その時、思い出してほしいのです。
 救いは現実のものです。
 キリストの命によって人は変えられます。
 福音には社会を変える力があります。
 どんな壁があっても、神の国は止まりません。その壁を壊し、神の国を広げるのは私たちです。
 この1年9か月の間、使徒言行録から御言葉を聞いてきました。この間に確かに変えられた人たち、また新しいことにチャレンジしようとしている人たちがいます。
 もしまだ何も変わっていないという人がいるなら、その人は福音の力、聖霊の力をまだ受け取っていないとも言えます。
 あなたの前にどんな壁がありますか。
 自分の安全なところに留まり続けるのではなく、壁の向こうに出ていきましょう。
 パンデミックの中でSTAY HOMEと繰り返し言われますが、それを変わらないための言い訳にしてはいけません。
 浜松は出世の街と言われます。ここからさらに広い世界に出ていってほしいのです。
 聖霊の力によって一歩を踏み出し、神の国を広げていきましょう。

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