神の言葉を実現させる王

歴代誌講解10

神の言葉を実現させる王

歴代誌上 10:13-11:3

10:13 サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。14 彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された。

11:1 すべてのイスラエル人はヘブロンのダビデのもとに集まり、こう言った。「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。2 これまで、サウルが王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。あなたの神、主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがわが民イスラエルの指導者となる』と。」3 イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデはヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちは、主がサムエルによって告げられたように、ダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。

指導者の言葉が信用できない不幸

 人の言葉を信用できるかどうかは、とても大事なことです。約束したことが守られないなら、その人のことは信用できません。
 政治家の言葉も信用できなくなっています。選挙の時の公約は守られず、うやむやにされます。
 コロナ禍で飲食店は、政府の言うことに従って店を閉めたり、お酒の提供を止めたりしました。それでは生活できません。そこで協力金の申請をしたけれど、給付は遅れるし、金額が十分ではありません。生きていくために仕方なくお酒を出すことにした店もあります。そうしたらお酒を出す人が反社会的な人であるかのように言われてしまう。
 どうしたらいいのかわからなくなります。
 指導者の言葉が信用できないのは不幸な状況です。

約束を果たす真実な王

 歴代誌の系図が終わり、10章からいよいよ本編に入ります。
 サウル王の最期が記され、ダビデに王権が移る場面から始まります。

主の言葉を守らなかったサウル王

 歴代誌はイスラエルの歴史の記録です。特に南ユダ王国、ダビデ王朝の歴史に重点が置かれています。
 ダビデの前の王はサウルです。サウルはイスラエル王国の初代の王になります。
 王国時代はサウルから始まるわけですが、それより数百年前に書かれたとされる申命記にも王に関する戒めがあります。ですから王国という国の仕組みは、神様がイスラエルに対して想定していたものだと言えます。
 しかしイスラエル王国は神に背く形で誕生していきます。
 王国が誕生する前、サムエルが士師としてイスラエルのリーダーを務めていました。年を取ったサムエルは息子たちに跡を譲ろうとします。しかしサムエルの息子たちは不正を行っていました。それで長老たちは反発します。そして「他の国のように王を立ててください」と言いました。
 士師は神に従って民を治めます。民が士師を退けて王を求めるというのは、神を退けることでもありました。
 しかし神は民の選択を受け入れ、王を立てることを許します。こうして立てられたのがサウル王でした。
 サウル王は神によって選ばれ、油を注がれて神からの任命を受けました。

 優秀なサウル王はイスラエルに勝利をもたらします。
 しかしいくつもの失敗をしました。
 ペリシテと戦争になったとき、ペリシテ軍は3万の戦車と6千の騎兵を率いて攻め上ってきました。窮地に立たされたサウルは、神の助言を聞くためにサムエルを待ちます。サムエルは7日間待ちなさいと言いました。サウルは待ちました。しかしサムエルは来ません。兵も逃げ始めています。焦ったサウルは、祭司でもないのに勝手にいけにえをささげました。
 またアマレク人を攻めたとき、神はアマレクを滅ぼし尽くしなさいと命じていました。しかしサウルは自分がよいと思ったものを残しておきました。

ギルボア山
ニコライ・ゲー

 サムエルが亡くなった後、再びペリシテと戦争になりました。ペリシテはイスラエルの領内の深くまで攻め込んできました。サウルはギルボア山に陣を敷きました。
 サウルはサムエルの助けを借りたいと思いましたが、もうこの世にはいません。それでサウルは占い師のところに行きました。口寄せの術でサムエルの霊を呼び出してもらうためです。
 口寄せの術は忍者も使いますね。ここで言う口寄せの術はカエルなどではなく、死んだ人の霊を呼び出すものです。
 呼び出されたサムエルは、主の言葉を告げました。それは、王権がダビデに移り、イスラエルはペリシテに敗れるというものでした。サムエルが告げた主の言葉の通り、ギルボア山での戦いでイスラエルは大敗し、サウルと3人の息子はそこで死にました。そしてサウルに代わってダビデが王になります。

王も神の言葉に従わなければならない

 サウルが死んだのは、単にペリシテ軍が強力だったからかもしれません。兵の数や戦術などの詳細はわかりません。
 歴代誌はサウルの死を、「主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたため」と説明します。それは王としての責任を果たしていないということでした。
 申命記には王が守るべきこととしてこうあります。

18 彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、19 それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。

申命記17:18-19

 王は主が選び任命します。王も主を畏れ、御言葉に従わなければなりません。王が頼るべきは主なる神様なのです。
 だから人間の王が立てられたとしても、最終的な主権者は神です。神の王国です。

神の言葉を実現させた王

 サウルの最期は、神に従わない王は死んでもいい、という話ではありません。
 歴代誌が書かれた時代も、イスラエルはペルシアやギリシアに支配されていました。それらの国々の王は、主なる神様に従いません。
 後にローマ帝国に支配されることになります。そこで革命を起こして神に従う王を立てよと言いたいわけではありません。

 サウルが死んでダビデが王になったように、神はその言葉を実現させる王を立てます。
 神はそのような王がダビデの子孫から生まれると、繰り返し約束していました。その約束通り来られたのがイエス・キリストです。
 ダビデの子孫であるヨセフと婚約していたマリアは、聖霊によって身ごもりました。そしてベツレヘムで出産します。こうして生まれた神の子イエスのところに東の国から博士たちが来て黄金、乳香、没薬をささげました。博士たちはユダヤ人の王として生まれた子を探して来たのでした。
 イエス様は30歳の時に洗礼を受けて公の働きを始めました。イエス様は律法の要求を忠実に果たし、何一つ罪を犯すことはありませんでした。いつも祈り、父なる神に従いました。
 イスラエルの人々はイエス様をローマ帝国の支配から解放する王として立てようとしましたが、イエス様はそうしませんでした。私たちの罪のために木にかけられて死にます。十字架に掲げられた罪状書きには「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書かれていました。そして金持ちの墓に葬られますが、3日目に復活します。
 聖書の約束はことごとくイエス・キリストによって実現しました。イエス・キリストこそ神の言葉を実現させる王です。

最も信頼できる王が私たちの上にいる

 天に上げられたイエスは、父なる神の右の座にいます。イエス・キリストこそ王の王、主の主です。

すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。

エフェソの信徒への手紙1:21

 今私たちの上に王はいません。しかし政治家、上司、先生、親など様々な権威があります。それらの権威は尊重しなければなりません。
 その権威の上にイエスがいます。
 私たちの上に立つ人間の権威は、約束を守れないことがあります。
 しかし約束を必ず果たす真実な王がいる。だからこの方の言葉を信頼しましょう。

約束の実現を信じて待て

 ダビデが王になるまで、実は7年半かかっています。
 歴代誌では間が省略され、サウルの死後すぐにイスラエルの王になったかのように書いてあります。実際はダビデはユダ族だけの王になりました。
 他の部族はサウル王の末の息子を王に立てました。その息子が暗殺されたことで、ダビデは全イスラエルの王になりました。
 イスラエルの長老たちは「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。」などと調子いいことを言って、今までもあなたを敬ってきましたという態度を見せます。本当は7年半も見捨てていたのに。
 ダビデは7年半待ち続けました。神様の約束の実現を待ったからです。
 長老たちの調子のいい言葉ではなく、神の言葉を信頼しました。
 神様の約束は必ず成し遂げられます。遅くなることはあります。
 多くの国民の父となると約束されたアブラハムは25年待たされました。それでも成し遂げられました。100歳の時に息子イサクが与えられたのです。

3 定められた時のために/もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。4 見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」

ハバクク書2:3-4

 神様はウソをつきません。遅くなっても待ちなさい、と言います。
 正しい人は信仰で生きます。
 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。それがまだ目の前に見えないとしても、神様はそれを成し遂げられるのだと、受け取ることです。

神の約束を信じて生きる

 現実は厳しいです。成し遂げられない、約束したものが来ないという状況があります。
 お金は大事です。約束したお金がなかなか払われないとなったら、大変です。食べていけない。家賃を払わなければならない。家族を養わなければならない。お金の支払いが遅れたら、私たちは揺さぶられます。
 私も神学生の時はお金がなくて苦労しました。
 神学校の卒業論文を書くために参考資料としてハドソン・テーラーの伝記を読んでいて、とても励まされました。

ハドソン・テーラー

 ハドソン・テーラーはイギリス出身で中国で宣教した宣教師です。
 宣教師になる準備のために医者として働いていた時期があります。下宿をしながら働きました。家賃を払わなければなりません。
 しかし働いていた病院の院長が給料の支払いを忘れてしまうことがありました。
 ある時、本当に大変な状況になりました。土曜日の夜までに家賃を支払わなければなりません。しかし院長は給料を払ってくれない。貯金も何もありません。ここで家賃が支払えなければ宣教師としての道が断たれてしまいます。院長に訴えてもいいです。しかしそのような人間的な方法を頼るなら、宣教師としての資格がないことを証明するようなことだとハドソン・テーラーは思いました。
 それで熱心に祈りました。木曜日、金曜日、土曜日と時間がある限り祈り続けました。
 すると土曜日の午後5時、仕事終わりに院長が声をかけてきました。「テーラー君、君の給料を支払う時期じゃないかね。」思い出してくれました!そうです、そうです!というか過ぎてますけど。
 そしてボスはこう言いました。「やあ、それは気のどくなことをした。知らせてくれたらよかったのに。さっきお金を全部銀行に預けたばかりだ。」だから今は払えないよ、という話です。
 ハドソン・テーラーの心は打ちのめされました。こんなに祈った。院長は思い出してくれた。それなのに給料はもらえない。
 彼は院長が帰るとすぐに祈り始めました。しかし10時ごろまで祈っても何も起こらなかったので、あきらめて帰ろうとしました。
 電気を消そうとしたその時、病院の中庭を誰かが歩く音がしました。院長の足音です。しかも笑っています。1人でケラケラと。
 院長は中に入ると言いました。「患者の中でも一番の金持が、何を思ったのか、今ごろ代金を払いに来た。おかしな話だよな。」
 夜中の10時に患者の一人が来て、代金を払った。あり得ない話です。院長はその代金の中から給料を支払ってくれました。こうして無事に家賃を支払うことができました。
 ハドソン・テーラーは確信しました。神は祈りを聞く。神は約束を果たす。神は神の子たちを助ける。

 この神様は今も生きています。王の王、主の主として私たちを治めています。神様の言葉は実現します。
 だから神の言葉を信頼し、神様に助けを求めていきましょう。

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