歴代誌講解52
神の言葉を求める
歴代誌下 18:1-16
1 ヨシャファトは大いなる富と栄光に恵まれるとともに、アハブとも姻戚関係を結んだ。2 数年たって、彼がサマリアにアハブを訪ねると、アハブは多くの羊と牛を屠って、彼とその一行をもてなし、ラモト・ギレアドに攻め上ろうと誘った。3 イスラエルの王アハブはユダの王ヨシャファトに、「わたしと一緒にラモト・ギレアドに行っていただけませんか」と言った。彼は答えた。「戦うときには、わたしはあなたと一体、わたしの民はあなたの民と一体です。」4 しかし同時にヨシャファトはイスラエルの王に、「まず主の言葉を求めてください」と言った。5 イスラエルの王は、四百人の預言者を召集し、「我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それともわたしは控えるべきか」と問うた。彼らは、「攻め上ってください。神は、王の手にこれをお渡しになります」と答えた。6 しかし、ヨシャファトが、「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と問うと、7 イスラエルの王はヨシャファトに答えた。「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、いつも災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です。」ヨシャファトは、「王よ、そのように言ってはなりません」といさめた。8 そこでイスラエルの王は一人の宦官を呼び、「イムラの子ミカヤを急いで連れて来るように」と言った。9 イスラエルの王はユダの王ヨシャファトと共に、サマリアの城門の入り口にある麦打ち場でそれぞれ正装して王座に着いていた。預言者たちは皆、その前に出て預言していた。10 ケナアナの子ツィドキヤが数本の鉄の角を作って、「主はこう言われる。これをもってアラムを突き、殲滅せよ」と言うと、11 他の預言者たちも皆同様に預言して、「ラモト・ギレアドに攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と言った。12 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」13 ミカヤは、「主は生きておられる。わたしの神が言われる事をわたしは告げる」と言って、14 王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それともわたしは控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を勝ち取ってください。敵はあなたたちの手に渡されます」と答えた。15 そこで王が彼に、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、16 彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」
異論を唱える人を排除してはならない
日本学術会議という組織があります。日本の国立アカデミーで、科学の向上発達を図り、行政、産業、国民生活に科学を反映浸透させることを目的に設立されました。
戦後すぐに設置されたため、軍事目的の研究は行わないなどの声明を出してきました。
会員は推薦制で、現在の会員が推薦した候補者を内閣総理大臣が任命するという形をとっています。
これまで推薦された候補者が任命されないということはありませんでしたが、2020年に当時の菅首相が候補者6名を任命しませんでした。
拒否された6名は安全保障関連法や沖縄の普天間基地移設問題などで政府に異論を唱えてきたという共通点があることから、政府に都合の悪いことを言う科学者を排除しようとしたのではないかと疑う人もいます。しかし政府が任命拒否の理由を明らかにしていないため、本当のことはわかりません。
もし万が一、政府の意に沿わない研究を排除しようとするなら、日本の学術研究は大きく衰退するでしょう。また政府が学者の提言を無視するなら、非科学的な政策によって国は衰退するでしょう。
自分たちの考えに合わない専門家の話こそ、耳を傾けるべきです。
まず神の言葉を求めてください
今日の本文は南ユダ王国4代ヨシャファト王の話第2部の前半です。
ダビデのように主に従ったヨシャファトは祝福され、大いなる富と栄光に恵まれました。
しかし1つの悩みがあります。それは同胞である北イスラエルとの統一が成し遂げられていないことです。
そこでヨシャファトは北イスラエルと友好関係を結ぶことにしました。
ヨシャファトは自分の長男ヨラムを北イスラエルの王アハブの娘と結婚させたのです。これにより南北イスラエルは同盟関係になりました。
自分の聞きたい言葉ではなく神の言葉を求める
数年後にヨシャファトが北イスラエルに挨拶に行ったとき、アハブはアラムに奪われたラモト・ギレアドを取り返そうと、ヨシャファトを戦争に誘います。同盟関係にあるのでヨシャファトは一緒に戦うことを約束します。
ただし1つの条件として、「まず主の言葉を求めてください」と求めました。
そこでアハブは400人の預言者を集めますが、彼らはアハブに都合の良いことしか言わない偽預言者たちです。400人は多すぎですが、多くの預言者が支持してくれれば安心だと思ったのでしょう。
ヨシャファトもそれに気づき、主の預言者はいないのかと尋ねます。
そこでアハブが名を挙げたのがミカヤです。彼はアハブに都合の悪い預言をするので憎まれていました。
ヨシャファトが言うように、まず神の言葉を求めてください。これは私たちも心掛けるべきことです。
聞きたいことを聞くのではありません。
聖書の中から自分の考えに合う言葉を複数見つけ出せれば安心かもしれません。
しかし私たちが求めるべきは自分の考えに合う言葉ではなく、神の言葉です。
神の言葉を聞く方法
神の言葉を聞く方法は聖書、説教、祈りがあります。
説教は牧師の話ではなく、牧師を通して神が語る言葉を求めてください。
祈りは自分の言いたいことを言うだけでなく、神が言いたいことを聞いてください。祈りは神との対話です。
特に聖書は私たちの信仰と行いの唯一の基準とすべきものです。
人が神について何を信じればよいのか。それは神ご自身に示していただかないとわかりません。神は人知を超える存在だからです。そこで、神が聖書の中でご自身をどう表しているかを見て、信仰を見出すのです。
また、神は人に何を願っておられるのか、人はどう生きるべきか。これも人間が勝手に考えてわかるものではありません。創造主なる神は人に何を願っておられるのか。十戒をはじめとする戒めから、神の民としてどう生きればいいかを知るのです。
御言葉が開かれると光が射し出で/無知な者にも理解を与えます。
詩編119:130
聖書を開くと聖書の方から光が放たれ、神の言葉がわかるようになります。
自分で聖書を開いて読んでみてください。
神の言葉を聞こうとする心の準備をする
求める姿勢も大事です。
主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
サムエル記上3:10
サムエルには神の言葉を聞こうとする心がありました。
神の言葉を受け取る心の準備はできているでしょうか。
イエス・キリストに焦点を合わせて聖書を読む
聖書の主題を忘れてはいけません。
一部分を取って戦争を肯定することもできてしまいます。創造科学のような主張もできます。
しかし聖書はそのような主張を支持するために書かれた本ではない。聖書は戦争をしたい人たちを支持するために書かれたのでも、天地万物が6日で造られたことを伝えるために書かれたのでもありません。
聖書はイエス・キリストについて書かれています。
イエス様はどのようなお方か。イエス様は何を願っておられるのか。イエス・キリストに焦点を合わせて読むのです
生活の全領域で神の言葉を求める
まず神の言葉を求めるようにと言ったヨシャファトは、アハブと同盟を結ぶことについて神の言葉を聞いたとは書かれていません。おそらくヨシャファトが自分で考えたのでしょう。
ある面では神の言葉を求めるが、他の面では神の言葉を無視しています。
私たちも日曜日は神様のことを考えるが、月火水木金土は神様のことを考えない。教会にいる間は神の言葉に従うけれど、家や職場ではこの世の価値観で生きる。そのようになってはいけません。
生活のすべての領域で神の言葉を求めてください。
イエス様はどう思うか。イエス様は何を願っているか。イエス様が今ここにいたらどうするだろうか。
神の言葉を求めてください。
神の愛の言葉を聞く
アハブとヨシャファトはサマリアの城門の入り口にある麦打ち場で正装し王座に着きました。預言者たちが彼らの前に出て預言します。
ツィドキヤという預言者が鉄の角を作って「主はこう言われる。これをもってアラムを突き、殲滅せよ」と言いました。パフォーマンスをしながらの預言で、とても説得力があります。
他の預言者たちも同じように「ラモト・ギレアドに攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と言いました。400人が皆、アハブ王の勝利を約束したのです。
神が言われる事をわたしは告げる
ミカヤを呼びに行った使いの者も、「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」と忠告します。
しかしミカヤは「主は生きておられる。わたしの神が言われる事をわたしは告げる」と答えました。
これこそ預言者の生き方の模範です。
神は勝利を約束していない
そんなミカヤがアハブ王にまず語ったことは、「攻め上って勝利を勝ち取ってください。敵はあなたたちの手に渡されます」ということでした。他の預言者たちと同じようなことを言っています。
それならばやはり主はアハブが戦争を起こすことを支持し、勝利を約束しているのでしょうか。
しかしミカヤの言葉をよく見てください。他の預言者たちは「主はこう言われる」などと言っていますが、ミカヤは主という表現を使いません。
この言葉は主の言葉ではないし、主は勝利を約束などしていないということでしょうか。
「いいんじゃないすか、やっちゃってください。勝てますよきっと。」みたいな心のこもっていない軽い言葉のように聞こえます。
真実でも都合の悪い話は聞きたくない
アハブ王もミカヤの答えが神の言葉ではないとわかっています。
アハブは神の言葉の力をよく知っています。
列王記を見ると、バアルの預言者450人と主の預言者エリヤただ1人が対決し、エリヤが勝利しました。
エリヤの弟子エリシャはアラム軍の侵攻を預言し、イスラエルに勝利を与えました。
アハブはこのように神の言葉の力を体験しながら、聞き従おうとはしません。
アハブにとって神の言葉は、いつも自分に都合の悪いもののように聞こえたからです。
私たちも自分に都合の悪い話は、それが真実でも聞きたくありません。
病院に行って医者に、食事に気をつけろだの運動しろだの、ごちゃごちゃ言われたくない。
3 だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、4 真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。
テモテへの手紙二4:3-4
人は自分に都合の悪い真理に耳を背け、自分の聞きたい作り話を聞くようになります。
昔も今も同じです。
飼い主のいない羊たち
ミカヤはこのように言います。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」
ここで真実な神の言葉を告げます。
イスラエルの民は飼い主のいない羊のようになっているから、家に帰らせてあげなさい。
飼い主とは指導者のことです。
北イスラエルにはアハブ王という指導者がいます。しかしアハブ王は神の言葉を聞こうとしません。
羊が家に帰るためには、羊飼いが声をかけなければなりません。
神の言葉を伝え、神のもとに帰らせる羊飼いを必要としています。
北イスラエルには神の言葉に聞き従い、神の言葉を告げる人がいない。
だからイスラエル人は飼い主のいない羊になっているのです。
必要なのは神の言葉
この飼い主のいない羊飼いのような状態というのは、イエス様もユダヤ人に対して感じました。
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
マルコによる福音書6:34
イエス様は人々が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている様子に深く憐れみます。
そして神の言葉を伝えます。
神の言葉こそ人々を家に帰らせる羊飼いの言葉であり、人々を養う命のパンだからです。
神の言葉は人を罪から救い癒すため心に刺さる
私たちには聞きたくない言葉があります。
聖書の言葉も生きていて力があり、両刃の剣より鋭く私たちの心を突き刺してきます。聖書を読みながら、自分の汚さ、愛の無さが示されます。
神は私たちを傷つけるために御言葉の剣で刺してくるのではありません。
医者が診察して私たちの問題を明らかにするように、神は私たちの問題を明らかにします。
医者が問題を指摘するのは、私たちを癒すためです。
神の言葉が私たちの心を突き刺してくるのは、私たちを罪から救い癒し生かすためです。
神の憐れみ
神が飼い主のいない羊のような民に抱く「憐み」という表現は、内臓がよじれるような痛みという言葉が使われています。
神は私たちを見て、深く心を痛めています。
そんな生き方をしていてはダメだ。私のところに帰ってこい!と。
神の言葉が自分にとって都合の悪いものに聞こえる時こそ、神が真剣に私たちの救いを願って声をかけている時です。
神の愛の言葉として耳を傾けて欲しいのです。
イエス様の言葉に聞き従っていくとき、私たちは罪から離れ、イエス様に似た者に変えられていきます。壊れた人生が回復されていきます。
だから生活の全領域に神の言葉を求めてください。
聞きたくない話こそ耳を傾けるべきです。
私たちは御言葉によって癒され、変えられていきます。
自分1人が変えられるだけでなく、自分を通して周りの人も変えられていきます。
神の言葉をしたい求め、神の言葉に聞き従ってください。