歴代誌講解5
神を信頼する
歴代誌上 5:18-26
18 ルベンとガドの子孫およびマナセの半部族は、盾と剣を取る者、弓を引く者、戦いに熟練した兵士から成る四万四千七百六十人の戦闘員を持っていた。19 彼らはハガル人、エトル、ナフィシュ、ノダブの諸族と戦った。20 彼らは戦いに際して神に助けを求め、その信頼のゆえに祈りは聞き入れられて敵に打ち勝つ助けを得、ハガル人とそのすべての援軍が彼らの手に渡された。21 奪った家畜は、らくだ五万頭、羊二十五万匹、ろば二千頭、人は十万人に及び、22 多くの敵に傷を負わせ、倒した。彼らが神によって戦ったからである。彼らは捕囚として連れ去られるまで、ハガル人に代わってその地に住んだ。23 マナセの半部族に属する者は、バシャンからバアル・ヘルモン、セニル、ヘルモン山に至る地に住んだ。その数は多かった。24 その家系の長は次のとおりである。エフェル、イシュイ、エリエル、アズリエル、イルメヤ、ホダウヤ、ヤフディエル。彼らは名高い勇士で、その家系の長であった。25 しかし、彼らは先祖の神に背き、神が昔滅ぼされたその地の民の神々を慕って姦淫した。26 イスラエルの神は、アッシリアの王プル、すなわちティグラト・ピレセルの心を動かされたので、彼はルベンの部族、ガドの部族、マナセの半部族を捕囚として連れ去り、ヘラ、ハボル、ハラ、ゴザン川に彼らを引いて行った。彼らは今日もなおそこにいる。
指導者を信頼し高い壁を乗り越える
日曜日の夜にドラゴン桜というドラマが放送されています。
経営破綻状態になった高校を建て直すために、東京大学合格者を出すことを目指すという漫画を原作にしたドラマです。2005年に放送されたドラマの続編になります。
原作では担当編集者が東京大学の出身だったこともあり、実用的な勉強方法や受験テクニックが紹介されています。
生徒の一人である水野は、講師たちの指導を信頼して東京大学に合格します。
よい指導者を信頼するなら、高い壁も乗り越えることができます。
ヨルダン川の東に住んだ二部族半
今日の本文はヨルダン川の東側に住んだ二部族半の概要です。
イスラエルの民がエジプトを脱出してカナンの地に定住する前に、ヨルダン川の東側を通らなければなりませんでした。しかしその地を治めていた王はイスラエルが通ることを許しませんでした。全軍を率いて戦いをしかけてきたのでイスラエルは彼らと戦い、逆にその地を占領しました。そしてルベン、ガドの二部族と、マナセ族の半分はその地に定住することになりました。
今日の本文ではその子孫たちの時代に起こった戦争と、捕囚に至る話が記録されています。
勝利の秘訣は神への信頼
ルベン、ガド、マナセの半部族には44,760人の戦闘員がいました。彼らは戦いに熟練していました。
ある時、アラブの諸部族との戦いが起こりました。二部族半はこの戦いに勝ち、多くの戦利品を得、領土も広げました。
勝利の秘訣はどこにあったのでしょうか。兵の数でしょうか。熟練した戦いの経験でしょうか。
聖書は、勝利したのは「神によって戦ったからである」と言っています。わざわざ戦いに熟練した44,760人と書いておきながら、神に助けを求め神を信頼したから敵に打ち勝つ助けを得たと書いています。
勝利の秘訣は兵の数でも経験でもなく、神への信頼なのです。
ギデオンの時代にイスラエルはミディアン人に支配されていました。
神様は臆病者のギデオンをリーダーとして立てます。
ミディアンの13万5千人の大軍に対して、イスラエルでは3万2千人が立ち上がりました。これでも圧倒的に不利です。
しかし神はこう言いました。
主はギデオンに言われた。「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。
士師記7:2
それで300人だけで戦いに挑み、勝利を得ました。勝利の秘訣はただ神への信頼です。
イエス様によって勝利者とされている
人生には多くの戦いがあります。学校でも勉強や運動で戦いがあり、受験戦争があります。社会に出てからも戦いの連続です。来月には県知事選挙がありますし、オリンピックという複雑な戦いも迫っています。目に見えない悪魔との霊の戦いもあります。
そのような戦いに備えて自分の技術や能力を磨いたり、仲間を増やしたりすることは大事です。
しかしそれより大事なのは、神を信頼することです。イエス様は私たちを圧倒的な勝利者としています。
しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
ローマの信徒への手紙8:37
どんな被造物も、キリストによって示された神の愛から私たちを引き離すことはできません。
神を信頼する者が勝利者です。
勝利とは
ここでいう勝利とは、自分の願う結果を得ることではありません。敵を打ち倒し、戦利品を得、領土を広げることばかりが勝利ではありません。
そのような勝利を願うなら、神を自分の都合のいいように利用してしまいます。
自分に都合のいい勝利を求めるなら、神を捨てる
イスラエル王国が南北に分裂した時、ルベン、ガド、マナセの半部族は北イスラエル王国に属しました。
礼拝をささげるべき神殿は南ユダのエルサレムにあります。そこで北イスラエルのベテルとダンに祭壇を築き、金の子牛の像を礼拝させました。神が求める礼拝ではなく、自分たちのささげやすい礼拝を作りました。
アハブ王の時代にはバアルというカナン人の神を崇拝するようになりました。繁栄を求めて、先祖たちが戦って滅ぼした国の神を崇拝しました。
信仰がなかったわけではありません。むしろ国を治めるために神の助けがなければならないと、神に信頼を置いていました。
しかし彼らが願っていたのは、自分たちの安定を守り、国を豊かにしてくれる神でした。自分にとって都合のいい神です。
自分たちが神の側につくのではなく、神を自分の側につけようとしていました。
しかし主なる神様は、生きておられます。イスラエルの民の都合に合わせて変えられてしまう神ではありません。
だからイスラエルの民は、自分の願い通りにしてくれない主なる神を捨て、自分に都合の良い神を取り入れていったのです。
神はアッシリアの王の心を動かし、北イスラエルを滅ぼしました。
その地の住民はアッシリアの町々に捕囚として連れ去られてしまいました。名高い勇士たちも、住民の数の多さもやはり意味がありませんでした。
神を捨てメシアを捨てた民
自分に都合のいい勝利を求めるなら、私たちは主なる神様を捨てます。そして自分に都合のいい神を取り入れます。
イスラエルは神様が選んだ民ですが、いつでもイスラエルに都合のいいように働くわけではないのです。
神はアッシリアの王を用いてイスラエルを滅ぼすこともします。
ユダヤ人はイエスがイスラエルを解放してくれるメシアだと思いました。
しかし自分たちが望んだようなメシアではないことがわかると、イエスを十字架につけて殺してしまいました。
自分を正しい側に置き、神を利用してはならない
今もイスラエルという国が存在します。イスラエルでは現代も戦いが続いています。
聖書を読んで、主なる神様はイスラエルに味方するはずだとか、終末が近い証拠だとか解釈する人たちもいます。色々な信仰の立場があります。
しかし現代のイスラエルを偏り見て、問題に目をつぶることのないようにしたいです。
少し前にもパレスチナのガザからイスラエルにミサイルが撃ち込まれ、報復としてイスラエルがガザを空爆するということが繰り返されました。単純にイスラエルがテロリストと戦ったかのように理解していいのでしょうか。
自分の願い通りにならなくても神を信頼する
私たちは神が自分に都合よく働くことを願ってしまいます。
自分の願った学校に入り、試合に勝ち、就職し、よい業績を得る。病が癒される。
他の地域は大雨の被害があったけれど、私たちは守られて感謝します。世界中でコロナで苦しんでいる人が多くいるけれど、私たちは守られて感謝します。
そのように祈ること自体は悪くありません。
しかしそこで自分の都合のいい神を信頼してしまっていないか注意が必要です。
こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」
マルコによる福音書14:36
イエス様の祈りは、完全に神を信頼する祈りでした。
杯は取りのけられずイエス様は十字架で死にます。
しかし罪と死に打ち勝ち、イエス様は復活しました。
アッシリアに捕囚になるというのはイスラエルの民が望んでいたことではありませんでした。
しかしそれも神がなさったことでした。
神はいつもよいお方です。悲劇のように思えることも、神様はご自身のよい計画のために用います。
イスラエルの民は滅ぼし尽くされたのではなく、アッシリアの地で生き続けます。そして歴代誌が書かれた時代、既にアッシリアも滅んでいましたが、捕囚の民はその地で生き続けました。
今では北イスラエルの十部族は失われてしまっていますが、エゼキエル書や黙示録を見れば、彼らも最後には回復されることが約束されています。
神を信頼するなら勝利者キリストの力を体験する
自分に都合のいい勝利が得られなくても、神を信頼しましょう。
パウロは自分の祈った通りにならなかったとき、このような恵みをいただきました。
9 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。10 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
コリントの信徒への手紙二12:9-10
神を信頼しましょう。自分の願った通りになることや神が自分の側についてくれることではなく、どんなときも神様の恵みは十分だと信頼するのです。
神に信頼を置くとき、勝利者なるキリストの力を体験します。