神様に従う祝福

エゼキエル書講解41

神様に従う祝福

歴代誌下 8:1-16

1 ソロモンは、二十年を費やして主の神殿と王宮を建て終わると、2 フラムから贈られた町を次々と再建し、そこにイスラエル人を住まわせた。3 ソロモンは更にハマト・ツォバに向かい、これを攻略し、4 荒れ野のタドモルと、ハマト地方の補給基地の町をすべて築き上げた。5 彼はまた城壁で囲まれ、門扉とかんぬきで固められた砦の町、上ベト・ホロンと下ベト・ホロンを築き、6 更にバアラトと、ソロモンに属する補給基地の町、戦車隊の町、騎兵隊の町をすべて築いた。ソロモンはエルサレム、レバノン、および彼の支配下にある全地域に、築こうと望んだ町々をすべて築き上げた。7 イスラエル人ではない者、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民のすべて、8 彼らの後、この地に生き残った子孫で、イスラエル人によって滅ぼされなかった者を、ソロモンは労役に服させ、今日に至っている。9 しかしソロモンは、イスラエル人を一人も自分の工事のために奴隷としなかった。彼らは、戦士、精鋭部隊の長、戦車隊と騎兵隊の長であった。10 ソロモン王の配置した監督は二百五十名で、人々の指揮をとった。11 ソロモンはファラオの娘をダビデの町から、彼女のために建てた宮殿に移した。「わたしの妻はイスラエルの王ダビデの宮殿に住んではならない。そこは主の箱を迎え入れた聖なる所だ」と考えたからである。12 そのころソロモンは、前廊の前に築いた主の祭壇の上で、焼き尽くす献げ物を主にささげた。13 安息日、新月祭、および、年に三度の祝祭日、除酵祭、七週祭、仮庵祭に関してモーセが命じたように、日ごとの定めに従って献げ物をささげた。14 更に彼は、父ダビデの授けた規定に従って、祭司たちを組に分けてその任務に就かせ、またレビ人たちをその任務に就かせて、日ごとの定めに従って祭司の傍らで賛美し奉仕させ、門衛たちもその組によってそれぞれその門に立たせた。神の人ダビデがそのように命じていたからである。15 王が祭司とレビ人について命じたことは、宝物庫のことも含め、何事もおろそかにされなかった。16 ソロモンの工事はすべて、主の神殿の定礎の日から、完成の日まで無事に遂行され、主の神殿は完全なものとなった。

余分なものを捨てれば飛べる気がする

 春を感じる季節になってきました。色々な花が咲き始めています。
 まだ早いですが、タンポポも春に咲く花です。
 星野富弘さんの作品にタンポポを描いたものもあります。
 このような詩が添えられています。

いつだったかきみたちが空をとんでゆくのを見たよ
風に吹かれてただひとつのものを持って
旅する姿がうれしくてならなかったよ
人間だってどうしても必要なものはただひとつ
私も余分なものを捨てれば空が飛べるような気がしたよ

 余計なものを握りしめて、大切なものを受け取れなくなっていませんか。

神を優先する者に祝福が流れる

 今日の本文はソロモンの事業のまとめです。
 1章18節で「ソロモンは主の御名のために神殿を、自分のために王宮を建造するように命じた。」とありました。
 まず神のために神殿を建て、次に自分のための王宮を完成させました。
 神様を優先にしています。

 またソロモンがモーセの律法の定めに従ってささげ物をささげたことと、ダビデの規定に従って祭司とレビ人に賛美の奉仕をさせたことが記録されています。
 モーセの律法は神から授けられたもの。また神の人ダビデの規定は預言と見ることもできます。
 ソロモンは神の言葉に従ってささげ物をしました。

神を優先したことで国全体が豊かになる

 このように神様を優先にしたソロモンに祝福が注がれます。
 ソロモンはその支配下の全地域に、築こうと望んだ町々をすべて築き上げることができました。

 2節には「フラムから贈られた町」とあります。
 しかし列王記の並行箇所には、ソロモンから贈られた町とあります。真逆のことが書かれているようです。
 しかも列王記によるとその町はあまりにさびれていたので、フラムはそこを「カブルの地(値打ちのない地)」と呼んだと記されています。
 詳細はよくわかりませんが、ソロモンから贈られた町をフラムが気に入らなかったので、送り返したのかもしれません。
 あるいはソロモンはフラムから神殿のための木材や金を提供してもらっていたので、借金の担保として一時的に町をフラムに預けたのかもしれません。神殿が完成し借金も返し終わったので、ソロモンに返されたというわけです。
 ソロモンはその町を再建します。
 フラムは価値がないと思いましたが、ソロモンはそこをイスラエル人が住む町として整備しました。

 またハマト・ツォバを攻略したとあります。
 攻略したと訳されていますが、武力で征服したのかもしれないし、外交的な取引で獲得したのかもしれません。
 いずれにしてもソロモンはハマト・ツォバを実効支配しました。
 国境付近の町は貿易の拠点になります。他の国々と物のやり取りをすると経済が発展します。だからこのような物資を貯蔵する町を整備すると、国全体が豊かになります。

 神を最優先にしたソロモンによって、価値がないと思われた町が価値あるものに造り変えられ、国全体が豊かになりました。
 神に従う者によって天が開き地が癒されるという祝福を、ソロモンは体験しました。

優先順位を間違えると空回りする

 しかしその逆もあり得ます。神を優先せず自分のことを優先するとどうなるのでしょう。
 それは歴代誌の最初の読者たちがよく知っていたことでしょう。
 捕囚から帰って来た人々はまず神殿の再建を諦め、自分たちの生活を優先したからです。

 現実的に、生活は大事です。自分の家や畑がなければ生きていけません。
 ところが彼らが畑に行っても収穫は得られず、やっと収穫しても家に帰る途中で風に吹き飛ばされてしまいました。
 そんな空しい生活を送っていた彼らに、神は預言者ハガイを遣わします。

お前たちは多くの収穫を期待したが/それはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち帰るとき/わたしは、それを吹き飛ばした。それはなぜか、と万軍の主は言われる。それは、わたしの神殿が廃虚のままであるのに/お前たちが、それぞれ自分の家のために/走り回っているからだ。

ハガイ書1:9

 空しい生活を送っているのは、神殿を廃墟のままにして自分の生活のために走り回っているからだと神は指摘します。優先順位を間違えているのです。
 もちろん自分の生活は大事だけれど、最優先にすべきは神様です。

最優先は神様

 イエス様にはしなければいけないことがたくさんありました。ユダヤやガリラヤの町を巡って神の国の福音を宣べ伝えなければならない。病人が連れて来られ、癒さなければならない。悪霊を追い出さなければならない。人の子には枕するところもありません。
 営業時間などありませんから、朝早くから人々がイエス様を求めてやってきます。
 しかし肝心のイエス様がいない。
 どこにいるかと探すと、人里離れたところに一人でいる。そこで祈っていたのです。
 どんなに忙しくても朝ごとに神様と会話して一日を始めました。
 大事なことはたくさんあります。
 その中で最優先は神様とのコミュニケーションです。

意識的に生活の中で神様を優先する

 私たちもしなければならないことがたくさんあります。仕事や勉強があり、家庭のことがあり、将来のことがあります。
 私たちは今、それらのものを置いて礼拝に集っています。
 このように礼拝を優先すること、神様との関係を優先することが私たちの力になります。

 日曜日に教会に行くのが習慣になっている人もいるでしょう。とても良いことです。
 ただ教会に行くだけでなく、意識的に神様を優先にしてください。
 体は教会にあるけれど心は仕事のことや昼食のメニューが気になっている人もいるかもしれません。
 この時間はそういう思い煩いを手放して、神様に集中するのです。

 日曜日だけではありません。平日の中でも一日の始まりをまず神様とのコミュニケーションから始めませんか。
 布団に入ったままでも大丈夫です。スマホを見る前に、神様に感謝の祈りをささげてみてください。
 そのように神様を最優先にするとき、祝福が流れていきます。

自分で握っているものを手放す

 大事なもの、守らなければならないものはたくさんあります。
 まず守るべきものは神様です。

守らなければならないものがある

 ソロモンは王様として守るべきものを抱えていました。国民の生命と財産を守らなければならないし、国の領土も守らなければなりません。
 そこでソロモンは国の安全保障のために補給基地の町、戦車隊の町、騎兵隊の町を築き、国の防衛力を上げていきます。
 国内の安定も大事です。イスラエル王国の領土内にはイスラエル人だけでなくカナンの先住民も住んでいます。ソロモンは彼らに仕事を与えました。イスラエル人と対等ではなく実態は奴隷のような扱いだったかもしれませんが、仕事があることで彼らは安定して生活できました。
 安らぎの人ソロモンの時代、イスラエルは平和が続きました。

 ソロモンが国の平和を守るために取った政策の1つが、政略結婚です。他の国の王様の娘と結婚して関係を作ります。
 この時代、最大最強の国はエジプトでした。
 ソロモンはエジプトの王ファラオの娘とも結婚します。

ファラオの娘の機嫌より神様との関係を優先する

 しかしソロモンはファラオの娘を自分の宮殿には住まわせず、別の宮殿を建ててそこに住まわせました。
 王宮は神殿のすぐそばにありました。
 ソロモンは、異邦人であるファラオの娘は神殿のそばにある王宮には住まわせられないと判断しました。神殿は主の箱を迎え入れた聖なる所だからです。
 それでファラオの娘は離れたところに建てた宮殿に住まわせられました。

 これは見方によっては冷たくされているように感じられるかもしれません。
 ファラオの娘としては「キー!生意気なソロモン!私を誰だと思っているの。こんな所に住まわせて!パパにチクってやる!!」という気持ちになるかもしれません。
 するとファラオも「生意気な小僧だ。うちの娘をこんな田舎で寂しく住まわせるなんて。思い知らせてやる!」と怒りを買うかもしれません。
 最悪、戦争です。
 ソロモンはそういう展開も予想していたでしょう。

 それでも、ファラオの怒りを買うことになるとしても、守らなければならない区別がありました。
 神殿の聖さを守るために、異邦人は王宮に住まわせられないのだと、ソロモンは区別をしました。
 神様との関係を守るために切り離さなければならないもの、手放さなければならないことがあります。

国家の安定さえも神様との関係から始まる

 ファラオの娘を王宮の外に住まわせることは国の安定を手放すことになるかもしれません。
 しかしそれがかえって国の安定を守ることにつながりました。
 国家の安定さえも神様との関係から始まっていきます。

何を握りしめているのか

 私たちも守らなければならないものを抱えています。
 国家の存亡がかかっているわけではないかもしれませんが、大切なものを抱えています。
 職場や学校、家庭など守らなければいけない大切な領域です。

多くのことに思い悩み本当に必要なものを見失う

ヤコポ・ティントレット「マルタとマリアの家のキリスト」

 べタニア村にマルタという女性が住んでいました。
 マルタはとても責任感が強く、妹や弟をしっかりしつけなければならないと思っていました。
 ある日マルタの家にイエス様が来ました。
 マルタは張り切って準備します。イエス様が来てからも飲み物を出したりお菓子を出したり、忙しく立ち働いていました。
 そうしておもてなしをしながら、マルタには気になることがありました。
 しっかりさせなければならない妹のマリアが手伝いも何もしないで、他のお客さんを押しのけてイエス様の足もとに座って話に聞き入っているのです。
 これではいけないと思ったマルタはマリアに腹を立てます。
 そしてイエス様に近寄り、「先生、妹は私だけにもてなしをさせています。何とも思わないんですか?!」イエス様に対しても腹を立てています。

41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

ルカによる福音書10:41-42

 マルタは家を守らなければなりませんでした。妹をしっかりしつけなければならない、お客さんをもてなさなければならないと思っていました。
 大事なもの、守らなければならないことを自分で握りしめていると、心がいっぱいになって本当に大事なものを見失います。
 イエス様は、マリアはただ一つのよい方を選んだと言います。
 それはイエス様の前に静まり、御言葉を聞くことです。

握った手を放すとき祝福を受け取れる

 私たちは守らなければならないことを自分で握りしめ、心がいっぱいになってしまいます。
 すると神様の言葉が聞こえなくなってしまいます。
 自分で何とかしようと忙しく働き、手がいっぱいで祝福を受け取れなくなります。
 それを一旦手放し、イエス様の前に静まることが大事です。

 もちろん家族を守ったりお客さんをもてなしたりすることは大事です。
 その中で最優先に守るべきは神様です。
 そのために手放さなければならないものがあります。
 手を離せば、その分の祝福を受け取ることができます。

聖霊の風を受けて空高く飛ぶ

 タンポポは綿毛を広げ、そこに風を受けて飛びます。綿毛を目いっぱい広げれば広げるほど、より多くの風を受けます。
 私たちも握っていたものを手放して両手を広げるなら、その分の祝福を受けます。
 聖霊の風を受けてタンポポのように飛べるかもしれませんね。
 空高く飛ぶ鷲のように、新しい力を得ます。

 一週間の初め、一日の初め、神様を最優先にし、すべてを手放し、神様からの祝福を両手いっぱいに受けてください。

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