歴代誌講解34
神殿建築のための協力
歴代誌下 2:2-15
2 彼はまたティルスの王フラムに使節を遣わして、こう言わせた。「あなたは、父ダビデに協力を惜しまず、父の住まいとなる王宮の建築のためにレバノン杉を送ってくださいました。3 わたしはわが神なる主の御名のために神殿を建て、これを主のために聖別して、その御前に香草の香をたき、絶えずパンを供え、朝に夕に、安息日と新月祭、我らの神なる主の祝祭日に、焼き尽くす献げ物をささげ、この事がイスラエルにおいていつまでも守られるようにしようとしています。4 わたしが建てようとしている神殿は大いなるものです。わたしたちの神はすべての神々にまさる大いなる方だからです。5 しかし、この方のために神殿を建てる力が誰にありましょうか。天も、天の天もこの方をお納めすることができないからです。主のために神殿を建てようとするわたしは何者でしょうか。神殿はただ主の御前に香をたくためのものでしかありません。6 従って、今、金、銀、青銅、鉄、深紅の織物、緋の織物、青の織物を扱う熟練した者で、種々の彫刻にたけた者を一人こちらに送ってください。父ダビデがそろえて、わたしのもとにいるユダとエルサレムの熟練した者に力添えをさせていただきたいのです。7 またレバノンからレバノン杉、糸杉、白檀の木材を送ってください。わたしは、あなたの家臣たちがレバノンの山林の伐採のことをよくわきまえていることを知っています。わたしの家臣をあなたの家臣と共に働かせ、8 大量の木材を準備させていただけないでしょうか。わたしは輝かしく偉容を誇る神殿を建てようとしているのです。9 伐採作業に当たるきこり、あなたの家臣に、わたしは小麦二万コル、大麦二万コル、ぶどう酒二万バト、オリーブ油二万バトを送り届けます。」10 ティルスの王フラムは、ソロモンに次のような返書を送ってきた。「主は御自分の民を愛して、あなたをその王とされた。」11 彼はまたこう言った。「天と地をお造りになったイスラエルの神なる主はたたえられますように。主はダビデ王に賢明で聡明な洞察力のある子をお与えになり、その子が主のために神殿を、国のために王宮を建てようとしています。12 今わたしは、聡明で熟練した者、職人の頭フラムを送ります。13 ダンの娘を母とし、ティルスの男を父として生まれた彼は、金、銀、青銅、鉄、石材、木材、深紅の織物、青の織物、麻の織物、緋の織物を扱い、どんな彫刻も作り、ゆだねられればどんな計画でも立てる能力があり、そちらの熟練した者、かつてのわたしの盟主、あなたの父ダビデの熟練した者に力添えをすることができます。14 お申し出のあった小麦、大麦、ぶどう酒、オリーブ油はわたしの家臣にお送りください。15 我々はあなたの必要とする木材をレバノンで伐採し、いかだに組んで海路ヤッファまで届けます。それをエルサレムまで運ぶのは、そちらでお願いします。」
国境線を巡る争い
ロシアがウクライナに侵攻するのではないかと心配されています。ロシアは既に国境付近に10万の兵を集めています。
ウクライナはかつてソビエト連邦の一部でした。ロシアとは歴史的、社会的、文化的に深いつながりがあります。
ソ連崩壊後、ウクライナは徐々に西側に接近してきました。2014年にはロシアと親しい大統領を国民が追放しました。
ロシアはこれに反発し、ウクライナ南部のクリミア半島を併合しました。またウクライナ東部ではロシアの支援を受けた分離派が広い範囲を掌握しています。
西側の軍事同盟であるNATOはウクライナの主権領土を守るため軍事支援をしています。NATOが東側に影響力を拡大していることもロシアの反発を招いています。
ロシアにとってキエフを首都とするウクライナは歴史的にロシアの一部だという意識があるのかもしれません。
国境線は自然の地形や歴史的な経緯で引かれます。国境は国を守るために大切な概念です。しかしそれはあくまで人が決めた概念に過ぎません。
人を守るために国境が機能するならともかく、国境を巡って人が争い合うのは愚かなことです。
一方、先週起きたトンガの海底火山の噴火では、大津波と火山灰の被害を受けたトンガのためにオーストラリア、ニュージーランド、日本、そして中国も支援を表明しました。
誰かが困っているなら、その人を助けるのに国境線など関係ありません。
争い合う世界ではなく、互いに手を取り合い助け合える世界を作っていくことはできないでしょうか。
助け合って生きる
今日の本文はソロモンがティルス王フラムに神殿建築の援助を依頼する場面です。
ソロモンは主の御名のための神殿と自分のための王宮を建造するよう指示を出しました。
神殿を建築するためには人材と物資と指導者が必要です。
人材についてはダビデがそろえた熟練した職人たちがいましたし、寄留民にも仕事を与えていました。ソロモンが数えたところ、15万3600人の寄留民がおり、そのすべてに仕事を分配しました。
物資もダビデの時代にほとんどそろいました。民が自ら進んでささげた金、銀、青銅、鉄もあります。しかし木材は足りていませんでした。
神はソロモンを王として立てました。父ダビデから神の言葉に聞き従うことを教え込まれたソロモンは、国を治めるためにまず礼拝をささげました。そして知恵を求めたソロモンに、神は知恵と富を与えます。指導者として必要なものはそろったように思えます。
しかしソロモンはもう1人の指導者が必要だと気づきました。
それは現場で職人たちをまとめる職人の頭です。
そこでソロモンはフラム王に手紙を送りました。
フラム王とはダビデの時代から同盟関係にあり、王宮建築のために木材や大工を送ってもらっていました。神殿建築のためにも、フラム王から木材と職人の頭を送ってもらおうと願ったのです。
フラム王はこれに答え、木材と職人の頭フラム・アビを送ると約束します。
新共同訳聖書では王も職人の頭も同じフラムなっていますが、職人の頭はイスラエルのダン族とティルス人のミックスで、王とは別人です。紛らわしいので職人の頭の方はフラム・アビと呼ぶことにします。
有能なモーセにも助けが必要
モーセが幕屋を建設するとき、神は職人の頭としてユダ族のベツァルエルとダン族のオホリアブを任命しました。
フラム王が送ったのもダン族にルーツがあるフラム・アビということで、類似するところがあります。
全体の指導者であるモーセが幕屋建設の現場の指揮までできるわけではありません。現場の指揮は職人の頭に委ねました。
モーセがこのようなチームワークを学んだのは、おじのエトロの助言のおかげです。
モーセはエジプトの王子として育てられましたから、当時の最先端の学問を身に着けていたことでしょう。
それでも200万人ともいわれるイスラエルの民の間には大小さまざまな事件が起こります。そのすべてをモーセが1人で処理するのは不可能です。
名古屋市で起こる問題のすべてを名古屋市長が解決できるわけないでしょう。
そこでミディアン人のエトロが千人隊長、百人隊長などのリーダーを立てるように助言しました。
こうして日常生活の様々な悩みをスムーズに解決できるようになりました。
神も人の助けを求める
神様は人を用います。神は全知全能でありながら、人に尋ね、人の助けを求めます。
5000人以上の群衆がイエス様の話を聞こうとして従っていたとき、イエス様はフィリポに「この人たちに食べさせるにはどこでパンを買えばいい?」と聞きます。この時代にコストコはありません。
フィリポは計算して200デナリオン分のパンでも足りないでしょうと答えます。彼の知識では、5000人を食べさせるのは不可能だったのです。
そこにアンデレが少年を連れてきます。その子は5つのパンと2匹の魚を持っていました。
イエス様は少年からパンと魚を受け取ると、感謝の祈りをしてそれを分けて配りました。すると全員が満腹しました。
自立を目指して孤立する
私たちは自分の狭い世界で生きています。人と人との間に境界線を引き、その内部を自分で治めようとします。
それは人が自立するために必要なことです。自分と他人の境界線を尊重し、それぞれの人生を責任を持って生きられるようにしなければいけません。
他人の境界線を犯して、その人の人生を支配しようとしてはいけません。
しかし境界線を守ろうとするあまり、人と人との間に壁を作ってしまうかもしれません。これは私の仕事だ。手を出すな。口を出すなと。
助けを求められる人こそ自立した人
人生には自分一人で負えない重荷があります。
モーセやソロモンでさえ助けを求めました。イエス様でさえ人の助けを必要としました。
パウロは言いました。
互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。
ガラテヤの信徒への手紙6:2
すべてを自分で成し遂げようとしなくていいのです。助けを求めてください。
この互いに助け合うときに愛が形になります。
助けを求め、協力して生きられる人が本当に自立した人です。
キリストにあって協力する
ダビデやソロモンとヒラム王との協力関係は特別なものです。
イスラエルとティルスが単に経済的あるいは安全保障的な理由で同盟を結んだとしたら、神殿建築のためにここまで支援をするでしょうか。イスラエルが困って助けを必要としていたというわけでもありません。ティルスに食料がなくて取引をしたわけでもありません。イスラエルが圧倒的な力をもって無理やり人や木材を送らせたというわけでもありません。
ヒラム王が神殿建築に協力した理由は、このような言葉から伺えます。
「天と地をお造りになったイスラエルの神なる主はたたえられますように。」
異邦人であるヒラム王も、ダビデやソロモンの姿から神の栄光を見て、主の名を置くための神殿建築に協力したいと思わされたのかもしれません。
異邦人も共に主の神殿を建てる
幕屋建設においてモーセにチームワークを教えるという重大な貢献をしたエトロも異邦人でした。
捕囚後に神殿の再建を命じたキュロス王も異邦人でした。
このように神殿や幕屋の建設で異邦人が重要な働きをしています。
フラム・アビはイスラエルとティルスのミックスです。サマリア人のような人です。
後にイスラエル人はサマリア人を非常に嫌いました。それは彼らがイスラエルと異邦人とのミックスだったからです。
後の世代の感覚からすればフラム・アビは汚れた人です。
しかしソロモンはそのように扱いません。
共に主を仰ぐ者として協力して神殿を建てていきます。
十字架はあらゆる隔ての壁を壊して1つに結ぶ
この神殿建築のための協力関係は今も受け継がれています。
教会もあらゆる違いを超えて一致して建て上げていきます。
19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
エフェソの信徒への手紙2:19-21
あらゆる違いを超えて建て上げられる神殿。それが神の家族、教会です。
この平和を打ち立てたのがキリストの十字架です。
私たちは少しの違いで人と人とを分断し壁を作ります。国境線を引き、川一本挟んだだけで同じ人間を敵とみなします。民族、肌の色、言語、性別、宗教など、様々な理由で対立し壁を作ります。
しかしキリストの十字架の死はあらゆる隔ての壁を打ち壊し、私たちをキリストにあって1つに結び合わせました。
だから私たちはあらゆる人と協力することができます。
キリストを土台とするとき、1つに組み合わされます。
協
今日の主題は「神殿建築のための協力」。協力がキーワードです。
協力の「協」という字をご覧ください。十偏に力が三つ重なって作られた漢字です。
十偏は、十分、たくさん集めるという意味の漢字に使われます。協は力をたくさん集めるという意味の漢字です。
しかしクリスチャンの私たちには、違う解釈もできてしまいますね。十字架の下に力が集まっているようにも見えます。
協力とは、キリストの下に人々が集まり、力を合わせる時にこそ可能になると言えます。
共にキリストを見上げる時にあらゆる違いを超えて一致することができます。
人と人との関わりが難しくなっている
世界が大変な状況に置かれている今、私たちはキリストにあって1つに結ばれ協力し合う必要があります。
しかし、あまりにも人と人との間に壁を作り、関わることを恐れてしまうこともあります。
私のようなおじさんが近所の女子小学生に「おはよう」と挨拶しただけで、次の日に防犯メールが届きますね。「知らないおじさんから声をかけられた」と。
協力し合わなければならないのに、人と関わること自体が難しくなっています。
パンデミックでソーシャルディスタンスと言われるようになって、ますます難しくなりました。
しかし人は一人で生きていけません。協力しなければ生きていけません。
本当は人との関わりを求めている
先週、高校生クリスチャンの声を聞く機会がありました。
教会でどんなところがよかったかという質問に、彼らは「来てくれてありがとう」「お祈りしてるよ」などと声をかけてもらったことがうれしかったと答えていました。
これは大きな発見でした。高校生たちも、大人から声をかけられてうれしいのです。
思春期の中高生たちに、おじさんおばさんたちからは話しかけづらい雰囲気を出していることもあります。そこに強引に踏み込む必要はありませんが、関心を示すことは大事です。
子どもたちは家庭や学校のような毎日顔を合わせる近い関係では話せない言葉、見せられない顔を持っています。
それを吐き出せる、家庭でも学校でもない第3の居場所があるといいです。そのような程よい距離間の大人が関心を示してくれるなら、子どもたちは言いようのない安心感を持てます。
それができるのが教会、神の家族だと思うのです。
あらゆる違いを超え、壁を壊して声をかけ合うだけでもそこに平和が生まれます。
だから互いに声をかけ合いましょう。
まん延防止等重点措置がおそらく適用されるでしょう。そうなると分散礼拝になり、顔を合わせる機会が減ります。
それでも連絡を取り合いましょう。若者や子どもたちにも積極的に声をかけてください。それから独り暮らしをしている年上の方もいますから、声をかけ、彼らの話に耳を傾けてください。
私たちは互いの助けを必要としています。
自分一人で生きようとしなくていいです。助けを求めてください。
助けを必要としている人に声をかけ、手を差し伸べてください。
キリストにあって互いに手を取り合い協力し合うとき、神の国がこの地に建てられ、神の平和が作られていきます。