私たちの使命1

御言葉を聞いて伝える

イザヤ書 50:4

主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。

神が教会に願うこと

 復活したイエス・キリストは弟子たちの間に現れました。そして40日後、天に上げられます。
 イエス・キリストは再び帰って来ると約束されていますが、それまで地上のことは私たち人間に任されています。
 それでキリストに呼び集められた者たちの集まり、教会(エクレシア)が作られました。
 教会はキリストの体として、神様の願うことをこの地上で行っていきます。
 では神様の願うこと、教会がするべきこととは何でしょう。
 原則的なこととして、神を礼拝すること、福音を宣べ伝えること、人々の間で愛を実践することなどがあげられます。
 しかし体の中に多様な部分があるように、教会も様々です。
 どのような地域に、どのような人が呼び集められたのか、またどのような時代かによって、神様がその教会に願うことは違ってくるでしょう。

 そこで私たちは、この教会の目指す方向性として

「私たちは神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する教会です。」

 というビジョンを受け取りました。
 それを実現していくために、7つの使命を掲げています。
 その1つ目は

『神様の言葉に聞き従い、そのよい知らせを伝えます。』

 です。
 今日はこのことについて御言葉から教えられていきたいと思います。

よい知らせを伝える

 今日の本文は預言者イザヤの言葉です。イザヤ自身が経験したことかもしれません。
 預言者の役割は神の言葉を伝えること。
 それは私たちにも任されています。
 復活したイエス・キリストは弟子たちに「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と命じました。
 だから私たちは福音、よい知らせを伝える使命があります。

人を生かす言葉を語る

 私たちが伝えるべきことは何でしょう。
 今日の本文では「疲れた人を励ますように 言葉を呼び覚ましてくださる」とあります。
 「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け わたしの救いの右の手であなたを支える。」
 「わたしの目にあなたは価高く、貴く わたしはあなたを愛し あなたの身代わりとして人を与え 国々をあなたの魂の代わりとする。」
 この社会の中で若者もうんざりし疲れ果てている。生きる目的や意味を失って倒れてしまう。
 そのような時代にあって神の言葉は私たちを励まします。
 主に望みを置くなら、新たな力を得、ワシのように翼を張って大空を舞います。
 その力は、走っても弱ることなく、歩いても疲れないほどに私たちを支えてくれます。

 パウロもこう言っています。

悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

エフェソの信徒への手紙4:29

人々をキリストへと導く言葉

 私たちが語るべき言葉は、ただの気休めではありません。
 飼い主のいない羊のように弱り果てうちひしがれている私たちに対して、深い憐れみを持っておられるキリストの招きの言葉です。
 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」
 そう、人々をキリストへと導く救いのよい知らせ(福音)です。
 罪なき神の独り子イエス・キリストが、私たちの罪のために十字架で死なれ、復活したこと。
 これをただの知識としてではなく、自分自身の経験したこととして証しします。
 私たちを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を伝えるのです。

見張りの務め

 そのために耳に痛い言葉を語らなければならないこともあります。
 イザヤも「お前たちの血にまみれた手を洗って清くせよ」と悔い改めを迫りました。

 主なる神様は預言者エゼキエルにこう言います。

人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。

エゼキエル書33:7

 私たちは見張り。
 危険が迫っていないかどうか見て、人々に伝える責任があります。
 もし警告を伝えても従わない人がいたら、その人の責任です。
 しかし見張りが警告を伝えなかったなら、見張りが責任を問われます。

 神から離れた人々がさまよい、滅びへと向かっています。
 そっちに行ってはダメだ!
 そんな空しいものを頼ってはいけない!
 相手に無視されても、伝えるべき言葉があります。
 人々は弱り果て打ちひしがれている。それは神から離れているからです。
 自分勝手な道を進むが、頼るべきものを求めている。それで空しい偶像を頼ってしまう。
 そっちじゃない!
 唯一の道、真理、命はここにあるぞ!
 私たちには、自分の周りの人たちに救い主イエス・キリストを指し示す責任があります。

 多くの人が行き交う駅前で伝道していた時に、この人たちはどこへ向かっているのだろうと思いました。
 仕事やこの世の楽しみのために、忙しく過ぎ去っていく。そうして滅びへと向かっている。
 そのとき、エゼキエル書の御言葉が強く胸に迫りました。「わたしはあなたをこの民の見張りとした。わたしの警告を彼らに伝えねばならない。」
 私たちは共に、この町の人たちによい知らせを伝える者にならせていただきましょう。

神の言葉に聞き従う

耳が聞くことのできない音を発声することはできない

 フランスのアルフレッド・トマティス医師のもとに、あるオペラ歌手が来ました。その人は、いくつかの特定の音を外してしまうという症状を抱えていました。
 他の医師はのどの問題だと考えましたが、改善しません。
 他の音は出るのです。140デシベルという爆音で。
 そこでトマティス医師は、問題は耳にあると考えました。
 オペラ歌手は、自分の声によって聴力に障害をきたしていました。それで特定の音が聞こえづらくなったために、その音を出すことができなくなってしまったのです。
 トマティス医師は「耳が聞くことのできない音を発声することはできない」という理論を打ち立てます。

よく聞くことがよく話すことにつながる

 これは私たちも同じです。神の言葉を伝えるためには、まず私たちが神の言葉を聞く必要があります。
 今日の本文でもイザヤは、主なる神は「朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる」と言います。
 まずは耳を開き、神の言葉を聞く。
 そうして神の言葉を伝える者にさせていただきます。

 イエス・キリストは耳が聞こえず舌の回らない人をいやすとき、「エッファタ」と言いました。これは「開け」という意味です。すると耳が開いて聞こえるようになりました。
 それだけではありません。この人は舌のもつれが解け、はっきりと話すことができるようになったのです。
 耳に開けと命じたら、よく話せるようになった。
 よく聞くことが、よく話すことにつながります。

福音に生きる

 またイザヤは「弟子として聞き従う」と言っています。
 私たちが福音を伝えても、私たちが福音に生きていなかったなら誰がそれを受け入れますか。
 「いつも喜んでいなさい」と暗い顔で言ってはいけません。
 私たちが福音によって変えられていないなら、どんなに上手い言葉で話しても伝わりません。
 疲れた人を励ます言葉を語るために、まず自分自身が神の愛を受け取ってください。

 今日の本文の続きで、イザヤは背中を打たれ、嘲られ唾を吐かれ、ヒゲを抜かれたとあります。
 そのような辱めの中でもイザヤは立ち、神の言葉を伝えます。
 なぜなら神が共に立ってくださり、助けてくれるからです。
 かつては聖なる神の前で自分が汚れた唇の者だと悟らされたイザヤ。
 しかし神の赦しを受け取り、「わたしがここにいます。わたしを用いてください。」と預言者として立ち上がりました。
 この贖いの経験があるので、イザヤは大胆に神の言葉を宣言します。

自分が出会ったキリストを証しする

 私たちは生ける神の言葉によって自分の罪を示されます。自分の中にある醜いものが見えてくる。
 この私がイエス・キリストを十字架につけて殺したのだと知ります。
 この罪人の私たちを救うために、神は独り子を与えてくださった。神の無条件の愛を受け取ります。
 そして新しい命に生かされ、私たちは復活の主と共に立ちます。
 こうして自分が出会ったイエス・キリストを証しする者になります。
 聖霊の力で私たちは地の果てまでイエス・キリストを指し示し、誰も反論できない言葉をもってキリストを証しします。

神様のサインを聞き逃さない

 キリストを証しするにしても、神様のGOサインをよく聞いてください。

 小学校の参観会があり、インドから来たお父さんと話す機会がありました。彼は自動車メーカーに勤めていて、浜松に来たと話してくれました。
 「あなたは何の仕事をしていますか?」と聞かれたので、「牧師です。」と答えました。
 しかしそこから教会に誘ったり聖書の話をしたりはしませんでした。
 他宗教が強い国から来た初対面の人に話したら、余計なトラブルを招くかもしれないからです。

 以前、保育園のお母さんから「何の仕事をしているんですか?」と聞かれました。平日の昼間に保育園によく顔を出す父親は珍しかったのです。
 この時は、「自由に時間を使える仕事で…」とごまかしてしまいました。
 牧師だと言えば福音を伝えるチャンスになったかもしれません。

 神様が福音を伝えるチャンスを与えてくれます。そのサインをよく聞いてください。

 神様は今この時代、この場所に私たちを呼び集めてくださいました。神様は私たちに何を願っておられるのでしょう。
 まず神様の愛を受け取りましょう。その愛の言葉を聞くのです。
 耳に痛い言葉もありますが、それも父なる神の愛の言葉です。
 そのよい知らせは私たちを日々新しくします。
 神の愛を流す者に造り変えます。
 そうして私たちは、神を愛する教会を建て上げていきます。


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