私たちの使命3
神の子として生きる
ヨハネの手紙一 3:1-3
1 御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。2 愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。3 御子にこの望みをかけている人は皆、御子が清いように、自分を清めます。
私たちは神に愛されている子ども
今日は私たちの教会が果たすべき使命の3つ目
「聖霊の働きにより、キリストに似た者として成長することを求めます。」
についてです。
前の2つは神を愛する教会になるための使命でした。神を愛するために私たちを愛してくださる神の声を聞き、礼拝において神の愛に包まれることが求められます。
そう、私たちは神に愛される存在です。
皆さん、自分が神に愛されている尊い存在だと認めていますか?
その自分を自分で愛していますか?
自分を愛せなくさせられる
皆さんは自分の価値をどのように判断しますか?
これまでの実績や鏡に映る自分の姿など、自分で判断することもできます。
しかし過去の栄光にすがるなら、それ以上のことができなくなったときに惨めさを感じます。
毎朝鏡を見て、今日も自分は美しいと思えますか。
なぜ自分はキムタクのようではないのか。宮﨑あおいのようではないのかと惨めに思う人はいませんか。
自分にうっとりするより、うんざりしてしまう。
この世は美しい顔、理想の体型を提示します。その基準に照らせば、自分の本来の美しさがわからなくなります。
またこの世は私たちを競わせ、点数を付けます。学歴、年収、スポーツの勝敗が自分の価値を決定するかのように思わされます。
そしてこのようにささやく声が聞こえます。
見ろ、お前は敗北者だ。こんな失敗をするなんて、それでもクリスチャンか。何も良い実を結んでいない。クビだ。お前なんかいらない。
こうして自分が神に愛されている存在だということがわからなくなります。
自分を愛することなどできません。
父なる神が私たちを子と呼ぶ
そこでヨハネはこう勧めます。「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。」
自分の価値を決定するのは、自分自身でもこの世でも、悪魔でもありません。
私たちを造られた神様こそ、私たちのことをよく知り、その価値を知っています。
父なる神様は私たちをどれほど愛しているのか。神様は何と言っていますか。
「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」
世はこの造られた世界すべて。もちろん私たちも含まれます。
父なる神様はあなたを救うために独り子イエス・キリストを与えてくださいました。
あなたは神の子の命という代価を払って神のものとされました。
イエスを主と信じる者には神の子となる資格が与えられています。
聖霊によってキリストに結ばれ、あなたも神の子として扱われるのです。
キリストに結ばれる人は誰でも、新しく創造された人です。古い人はもう過ぎ去りました。
そしてキリストと共に神の子とされたあなたに、天からの声が響きます。
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。」
あなたは紛れもなく、神に愛されている子どもです。
愛してくれてありがとう
尾田栄一郎さんのマンガ「ワンピース」に、エースというキャラクターが出てきます。
彼は海賊王の隠し子で、犯罪者の血を引いています。
海賊になったエースは白ひげという海賊の命を狙います。
エースは白ひげの前に圧倒的な力の前に完敗しますが、白ひげは手を差し伸べ「おれの息子になれ」と言います。
白ひげ海賊団は、世の中で嫌われていた者たちがこうして息子とされ、白ひげをオヤジと慕っていました。
白ひげ海賊団に加わったエースは、かつて船長の命を狙った身であるにも関わらず信頼され、活躍します。そして隊長の1人にまでなりました。
そんな時、部下であった黒ひげという男が仲間を殺して逃走します。
白ひげは止めますが、エースはオヤジの言うことに背いて黒ひげを追います。
そして黒ひげのヤミヤミの実の力に敗れ、海軍に身柄を引き渡されます。
海軍は海賊王の息子を処刑しようとします。
そこに白ひげ海賊団や、エースを兄と慕うルフィたちが駆けつけます。
海軍大将の攻撃で致命傷を負ったエースは、「オヤジ…みんな…そしてルフィ…今日までこんなどうしようもねぇおれを 鬼の血を引くこのおれを…愛してくれて…ありがとう!!」と言って笑顔で息を引き取りました。
父なる神からどれほど愛されているか考えなさい
この世が自分をどう評価しようとも、自分が愛されていると知るなら、その生涯は満たされます。
この世は私たちの価値を見失わせます。しかし父なる神様は私たちを息子、娘として愛しています。
このことを考えなさい。
意識的に、神の約束に立ち帰るのです。
聖書勉強など、神の愛を受け取る時間を持つことも自分を愛する上で大切です。
そして父の愛を受け取った私たちは告白します。「オヤジ…こんなどうしようもねぇおれを…愛してくれて…ありがとう!!」
自分を愛し成長する
神の子として成長の途中にある
神に愛されていると自分に言い聞かせても、現実の自分を見たら心が揺らぎます。
こんな失敗だらけの自分が神の子?また罪を犯してしまった。神様は私をもう愛してくれないのではないか。
そう悩む私たちにヨハネはこう呼びかけます。
「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。」
私たちは既に神の子として新しくされていますが、まだ完成したわけではありません。ゴールはまだ見えていない。成長の途中です。
だから失敗はつきものです。
子どもは成長する過程で、足りないところがたくさんあります。だからと言って愛せないということがありますか。
小さい子がよちよち歩いて、右にそれたり左にそれたり、つまずいて手をついたりする。
右にも左にもそれず真っすぐに従いなさい!と言う親はヤバいですね。
ほほえましく見守り、抱きしめてあげるでしょう。
子どもの声、歌、お絵かき、どんなに未熟でも尊いです。
子どもから出てくるものは何でも愛おしい。
オムツ交換だって、よく出たね~と喜びになりますよ。
だから神様は、今の私たちをそのままで愛しています。
父なる神からの鍛錬
父なる神様は私たちを見守っています。
1羽のスズメさえ、父の許しがなければ地に落ちることはありません。
父なる神様は私たちの髪の毛の数も知っています。誰よりも私たちのことを知っています。
そして子を愛する親は、子どもの成長に必要なものを提供します。
思い煩わないで、必要なものを求めてください。
時には自分にとってつらく苦しいものが与えられることもあるでしょう。
病気、災害、愛する者との別れ。
なぜ神様はこのような試練を通らせるのか。神様の御心は完全にはわかりません。
しかしどのような時も、神の愛は変わりません。
神に愛されていると知るなら、試練もまた喜びです。
あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
ヘブライ人への手紙12:7
悲しみを知っている人でなければ、泣く人と共に泣けません。
孤独の中で叫ぶ声があります。その周波数は、同じ孤独を味わった人でなければ聞き取れません。
苦難の中こそわかる神の愛があります。
苦難を通ることで、私たちは同じ苦しみの中にある人を慰めることができます。
誰よりもイエス・キリストが、私たちの痛み悩み苦しみを知っています。
御子イエス・キリストが、神の子とされた私たちの模範です。
そしてキリストがしたように、人を愛する者になっていきます。
本当に自分を愛するために古い自分を捨てる
自分を愛するというのは、ある意味簡単です。本能的に自分を守ろうとするからです。
しかしそこで守ろうとしているのは、古い自分です。
自分が世界の中心で、他の人に世話をしてもらうだけの赤ちゃんの自分がかわいくてしょうがない。
子どもが年相応の成長をしていないとすれば、親として心苦しいものです。
あなたはいつまで赤ちゃんでいるつもりですか。
いつまでサナギのカラに閉じこもっているのですか。
本当に自分を愛するために、古い自分を捨ててください。
それはもう、あの十字架でキリストと共に死にました。
あなたは今、キリストと共に新しい命に生きています。
礼拝の度に、私たちはこの新しい誕生を経験します。
古い自分に死に、新しい命に生きる。
こうして栄光から栄光へと、キリストに似た者に変えられていきます。
神の子としてふさわしい生活を送る
キリストに似た者へと変えられていく成長は、この地上で生きる限り続きます。
御子イエス・キリストが帰って来る時、私たちはこの目でキリストを見、その栄光の姿に変えられます。
ここまで神の子という観点で話してきましたが、聖書は私たちをキリストの花嫁とも言います。
私たちは花婿キリストを待つ花嫁。結婚の準備を整えて待っています。
結婚の前はどうでしたか?
まだの方も想像してみてください。
独身時代が終わってしまうから、今のうちに好きなものを食べて、好きなことをして過ごそうと思いますか。
このような人は、結婚を不自由な監獄に入るようなものだと考えています。相手を愛してはおらず、自己中心的な赤ちゃんのような考えです。
本当に相手を愛するなら、最高の自分を相手にささげたいと思うのではないでしょうか。
無理なダイエットはダメですよ。体にいいものを食べて、よく体を動かして余計な肉を落としたり筋肉をつけたりし、休みもしっかりとってお肌の状態を整える。
相手にふさわしい自分でありたい。
キリストの花嫁である皆さん、花婿が迎えに来ます。
それがいつかは誰にもわかりません。
しかしいつ迎えに来てもいいように、自分を大切にしてください。
体にいいものを食べ、よく運動し、よく休んでください。
ストレスをためるのも良くないですから、楽しいこともしてください。
自分の体と心を大切にするのです。
ただしキリストが悲しむようなことをしてはいけませんよ。
神の子としてふさわしい生活を送ってください。
聖霊が私たちを、キリストに似た者へと造り変えてくれます。
愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制、このようなよい人格を持つ者に日々私たちを造り変えてくださいます。
私たちは神に愛されている子どもです。
どうか自分を愛してください。
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