私たちの使命4
神の家族として生きる
エフェソの信徒への手紙 2:19-22
19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。22 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。
信仰によって家族とされた人たちを愛する
神様が私たちの教会に願っていること、この教会が果たすべき使命について見ています。
まずは御言葉を聞き、礼拝をささげ神を愛する。すると私たちは自分が神に愛されている子どもであることを知ります。そして自分を愛する。本当に自分を愛するために、古い自分を捨て、日々キリストに似た者へと変えられていくことを願う。
ここまでは教会が果たすべきことと言うより、個人の信仰の問題ではないかと思われるかもしれません。
確かに神を愛するというのは自分と神様との関係であり、自分を愛するというのはまさに自分自身の問題です。
しかし本当に神を愛し自分を愛そうと思ったら、周りの人との関りが欠かせません。
目の前にいる人を愛することができない人が、目に見えない神様を愛することなどできないでしょう。
イエス・キリストは徹底的に神を愛し人を愛しました。キリストに似た者になっていくとき、キリストが私たちを愛されたように、互いに愛するようになっていきます。
私たちが愛すべき人たちはたくさんいますが、教会としてまずは信仰によって家族になった人たちを愛していきたいです。
今日は私たちの教会が果たすべき使命の4つ目「兄弟姉妹が互いに関わりあう神の家族として歩みます。」について見ていきます。
すべてのクリスチャンが神の家族
今日の本文でパウロはエフェソの教会に対し、あなたがたは神の家族だと言っています。
私たちは皆、神に愛されている子ども。同じ父の息子娘であり、互いに兄弟姉妹です。すべてのクリスチャンが神の家族なのです。
皆さんも集会などで他の教会のクリスチャンに出会ったとき、初対面とは思えない親しみを感じたことはありませんか?遠い親戚に会ったような感覚です。
頭では「この人のことを知らない」と思うけれど、霊は「この人は家族だ」と知っています。
かつて私たちは神から遠く離れた異邦人でしたが、聖なる神の民に加えられました。
よそ者、お客さんとして神様の前にいるのではなく、家族の一員として迎え入れられています。
神の言葉という揺るぎない土台
この神の家族の土台にあるのは、使徒や預言者、つまり彼らが伝えた神の言葉です。
自分の頭では「いや、私の家族は戸籍上、妻と息子たちで、神ではない」と思ってしまう。
時に私たちは神様を捨てて自分勝手に生き、「こんな私には、もう息子と呼ばれる資格はない」と思います。
しかし私たちの心がどんなに揺らいでも、どんなに父なる神様を悲しませることがあっても、私たちは神の家族です。
御子イエス・キリストが私たちを兄弟姉妹と呼んでいます。
34 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。35 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
マルコによる福音書3:34-35
ここではただ周りに座ってキリストの言葉に耳を傾けていた人たちがキリストの兄弟姉妹と呼ばれています。
キリストの言葉を聞いて信仰が与えられた私たちは既に神の家族です。
この聖書の約束は揺らぐことがありません。
家族は安心できる避難所
私たちが互いに神の家族であることを認めてください。
家族とはどういうものでしょう。皆さんもそれぞれの家族観があると思います。
私は、家族というのは安心して帰って来れる避難所であり、互いに支え合う体であり、冒険に旅立つために力づけられる基地だと思います。
父なる神が温かく迎えてくれる
自分なんか神の子としてふさわしくないと思うようなことがあっても、神の家族のもとに帰って来てください。
天のお父さんは放蕩息子の父のように、温かく私たちを迎え入れてくれます。
そして父のもとに帰ってきた兄弟姉妹を、私たちも温かく迎え入れる者でありたいです。
「あんな罪人が教会に来たらちやほやされてズルい。私はずっと真面目に教会に来てもほめてもらえない」なんて妬まないでくださいね。あなたももちろん愛されています。
神の家族は安心して帰って来れる避難所。
ここに来たらそのままで愛されていることを感じる。
教会は安心できる居場所
先週はTVライフ・ラインのつどいが磐田と浜松でありました。
Migiwaさんの賛美と証しを聞きました。
Migiwaさんは若い時、学校に行けなくなって引きこもっていた時期がありました。こんな自分が生きていても迷惑をかけるだけじゃないか。いなくなった方がいいとさえ思ったと言います。
そんな時でも唯一、出かけられる場所がありました。
それが教会でした。
教会で神の愛を受け取り、彼女は変えられました。
教会は私たちの安心できる居場所。
ここでは裁かれることがなく、責められることもなく、比較されることもありません。
学校や職場では、人の期待に応えようとキャラを演じたり立場を意識して行動したりすることもあるでしょう。
しかし教会では、そのままで愛されています。
何の目的もなく教会にいていいですからね。ぼーっとしていてもいいです。
それぞれの生活で一週間戦ってきた兄弟姉妹を「おかえり」と温かく迎える神の家族でありたいです。
家族は互いに支え合う体
神の家族を支えるかなめ石は、イエス・キリストです。
人々は彼を捨てました。しかし捨てられた石が隅の親石になりました。
十字架の血の代価で私たちは神に買い取られ、神の家族とされたのです。
他人同士が結び合わされ家族になる
赤の他人がどうして家族になれるでしょう。
皆さんのご両親も元は他人同士でした。しかし神が結び合わせてくださったので、家族になりました。
私たちも神が結び合わせてくださったので、一つの神の家族になります。
聖書はこの神秘的な結びつきをキリストの体、霊的な家とも言っています。
私たちは互いに体の部分であり、家を建てるためのレンガ(生きた石)です。
体の部分もレンガも、他から離れたままでその役割を果たすことはできません。
必ず他と組み合わされることで、その存在が活きます。
互いに仕え合う
ここに割りばしがあります。これだけではただの木の棒です。
しかし組み合わせると橋になります。ダビンチの橋と言います。
釘も接着剤も使わず、互いに支え合うことで一つの橋ができました。
家族はこのように互いに支え合うものだと思います。
親が子を養い、兄弟姉妹同士で協力し、成長した子は親を安心させる。
教会も兄弟姉妹同士で協力し支え合うことが求められます。
そのために神は、聖霊の賜物を私たちに分け与えました。
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
ペトロの手紙一4:10
こうして私たちは互いに仕え合い、支え合って共にキリストに向かって成長していきます。
教会は冒険へと送り出される基地
家族が呪いにならないために
家族が「おかえり」と言って温かく迎えてくれる。そして家族同士で支え合う。
ここで止まってしまうと、家族は閉鎖的な組織になってしまいます。
そして「家族だから私がやらなきゃ」と家族という言葉が足かせになり、「家族なんだから当然でしょ」と他の家族を束縛する言葉を出してしまうこともあります。
神様が祝福として与えてくださった家族が、呪いに変わります。
だから家族には、冒険に旅立つために力づけられる基地のような側面もあるということを覚えておいてください。
巣立ちは親の喜び
今ツバメの巣が作られています。
赤ちゃんが産まれ、養われて育っていく。そして子どもも飛べるようになります。
そこで親ツバメは言うでしょうか。「お前を養うためにどれだけ苦労したと思ってる?今度はお前がメシを取ってこい。家族だろ。親孝行しな。」
そんな親はいません。子が成長し、巣立っていくことを喜びます。
子どもの巣立ちこそ、ツバメにとっての親孝行でしょう。
私たちはここから兄弟姉妹を送り出します。「行ってらっしゃい」とこの世へと遣わしていきます。
神の家族なんだから全生活を教会のためにささげろなんて言ってはいけません。そのように兄弟姉妹の私生活まで制限するとヤバい教会になります。
仕事や勉強など、それぞれの生活を励んでください。
浜松のような地方都市で若者を伝道しても、彼らは東京や名古屋などの都市に出て行ってしまう。あるいは世界に羽ばたいていく。
それもいいではないですか。出世の街浜松から、若いクリスチャンが巣立っていくのを喜びましょう。
神の家族がここで神の愛を受け、それぞれの場所へと遣わされていきます。
そして一週間の間、互いのことを覚えて祈り合うことを願います。
神の家族によってこの地に神の国が建られていく
キリストはそばに座っている人たちを兄弟姉妹と呼びました。
しかしずっと座っていることを求めてはいません。
「聞いて行いなさい。」「行ってあなたも同じようにしなさい。」「全世界に行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」そう私たちを遣わします。
教会で養われた私たちは、一つのキリストの体としてキリストの御心をこの地で成し遂げ、神様の支配するところ(神の国)を建て上げていきます。
愛する兄弟姉妹たち、今週もそれぞれの生活の場所で神の子として歩んでいこう。
ここにはいつでも帰ってきていいからね。
祈って応援しているよ。
行ってらっしゃい!
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