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闇の中に輝く光
イザヤ書 8:22-9:6
8:22 地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。23 今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。先に/ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが/後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた/異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。2 あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。3 彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。4 地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。6 ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。
孤独が際立つ島
2021年があと1週間で終わります。
コロナパンデミックも2年になります。この2年で人々の間に孤独感ますます広がったように思えます。人と人の距離が広がり、寂しさを感じることが増えたのではないでしょうか。
家族と同居し、学校や職場に通い、周りに人はいる。それでも孤独を感じる人もいます。そこで自分に関心を持ってもらえない人の場合です。
無人島に一人でいるのと、周りに人がいるのに関わってもらえないのと、どちらがより孤独を感じるでしょうか。
想像してみてください。無人島に漂着したらどうしますか。食料を探したり、家を建てたり、いかだを組んだりして生きようとします。寂しさを感じている場合ではありません。
そんなある日、島の近くを船が通りかかったとします。大声で叫んだり、手を振ったり、煙を出したりして存在をアピールしますね。
しかし船は通り過ぎてしまった。その時、無人島に漂着したその時以上の孤独感を感じるのではないでしょうか。
周りに人がいるのに自分の声を聞いてもらえず、自分の存在に気付いてもらえず、人の温もりを感じられない時、自分の孤独が際立ちます。
この日本という島国には1億人以上の人が住んでいます。
しかし自分の声を聞いてもらえない。触れ合ってもらえない。温かさを感じられないのだとしたら、この島での生活は本当に孤独です。無人島以上の孤独がこの島にあります。
この島でどうせ死を待つだけなら、人の注目を集めて死にたいと思うのも当然です。
ある人は自らを傷つけ、ある人は身を投げ、ある人は他の人を巻き込んで事件を起こします。
今、私たちは孤独という闇の中をさまよっています。
闇の中にあった民への救いの約束
預言者イザヤの時代、ユダ王国は周りの国々に圧迫されていました。王は信用できず、神の言葉も信じられない。何も頼ることができない孤独な状況です。
「地を見渡せば、見よ、苦難と闇、暗黒と苦悩、暗闇と追放。今、苦悩の中にある人々には逃れるすべがない。」
イスラエルの民は闇の中にいました。
闇の中に輝く光が必要
そんな時に神はイザヤを通して語りました。
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」
闇の中に光が輝いたのです。
「明けない夜はない」とか「止まない雨はない」などと言われます。苦難はいつか終わるでしょう。
しかし苦難の中にいる人たちにとって、救いは今必要なのです。
闇の中に輝く光が必要です。
救いをもたらす赤ちゃん
神は救いを約束します。その救いは、一人の男の赤ちゃんによってもたらされると約束されています。
その赤ちゃんは「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と呼ばれます。
イエス・キリストは世の光
イエス・キリストは「わたしは世の光である」と言いました。
ヨハネはイエス・キリストについてこう記しています。
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。
ヨハネによる福音書1:9
イエス・キリストこそまことの光。闇の中に輝き、すべての人を照らす光です。
光はすでに闇の中で輝いている
この救いはすでにこの世に来ています。
2000年前のクリスマス、闇の中に光が輝きました。
イザヤの預言に当てはめれば、イエス・キリストは「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」です。
驚くべき指導者
驚くべき指導者とは何でしょう。
この世の指導者は権威を振りかざし、人を支配します。人を奴隷のように扱います。個人の意思は尊重されず、無視され孤独に死んでいきます。
それに対しイエス・キリストは驚くべき指導者です。
イエス様は仕えられるためではなく仕えるために来ました。一人一人の名前を呼び、その声に耳を傾けます。
人を支配し命を奪うのではなく、人を生かすために身代金として自らの命をささげ、十字架につけられました。
力ある神
次に、力ある神です。
神は正義のために戦います。
ミディアンの日というのは、出エジプトのときの出来事です。イスラエルを奴隷にしたエジプトを神は10の災いで裁きました。
キリストは罪と戦い、人を支配するものと戦います。
イスラエルの民はイエス様が力強く戦い、イスラエルを救うと期待しました。しかしイエス様は十字架で殺されてしまいます。死んでしまえば敗北ではないか。
いいえ、イエス・キリストは死んで終ったのではありません。3日目に復活しました。
罪に打ち勝ち、悪魔に打ち勝ち、死の力さえも打ち破ってイエス様は復活しました。
永遠の父
永遠の父、とあります。
この世では家族からも見捨てられたと思うことがあります。
女性が自分の産んだ子どもを捨ててしまうこともあります。母親だけを責めるわけにはいきません。その子の父親はどこで何をしているのか。男性の方が先に子どもを見捨てているわけです。このように人間の親には子どもを見捨ててしまうことがあります。
しかし神は決して見捨てません。
3回もイエスを知らないと言ったペトロを、イエス様は見捨てませんでした。
誕生のとき飼葉桶に寝かされ、死んで墓に葬られたキリストは、あなたがどんな孤独の中にいても、どんなに汚く暗く寂しく冷たいどん底にいても、いつも共にいます。
イエス様は決してあなたを見捨てない永遠の父です。
平和の君
そして平和の君です。
キリストは「わたしの平和を与える」と言いました。それは嵐の中でも守られる平和。闇の中に輝く光です。
どのような時に心が平和になるでしょうか。
自分が愛されていると知るときです。愛されているという感覚は、ここに帰れば大丈夫だという安全基地になります。
あなたは神に愛されている子どもです。
神の愛は変わることがありませんから、どんな状況でも平和は絶えることがありません。
そしてその平和は周りに広がっていきます。
神の愛を受け続けると、その愛はいつかあふれ流れて行くからです。
神の愛を受け取り、その平和に立つことができたならば、どんな闇のような状況でもその平和は守られます。
そして愛をもって生きることができるようになります。
光を輝かせよ
私たちはキリストの光を受け、それを反射していきます。
イエス・キリストが世の光ですが、その光を受けた私たちも世の光になります。
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
マタイによる福音書5:16
この光を人々の前で輝かせるようにと命じられています。
孤独の中にいる人に命の光を届ける
あなたのすぐ近くにいる人が孤独を感じています。
それは家族かもしれないし、学校や職場の人かもしれない。隣の家の人かもしれない。
その人に笑顔を向け、挨拶をしてください。
キリストの光を受けたあなたが誰かに関心を向け、声をかける時、その人にスポットライトが当たります。
クリスマスですから、贈り物をするのもよいでしょう。
孤独という闇の中をさまよう人たちに、命の光を届けるのです。
どんなに闇が深くても、この光には打ち勝てません。
光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。
ヨハネによる福音書1:5 / 聖書協会共同訳