黙する時、語る時

ルカによる福音書 1:57-66

57 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。58 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。59 八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。60 ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。61 しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、62 父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。63 父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。64 すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。65 近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。66 聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

何事にも神の定めた時がある

 今日は2025年最後の日曜日です。
 皆さんにとって2025年はどのような一年でしたか。
 たくさんの感謝があったでしょう。
 悲しかったことや苦しかったこともあったでしょう。今も解決されない問題に直面しているかもしれません。
 そういう問題の中で自分自身の過ちに気づかされて悔い改めることもあります。
 理不尽な苦難の中で神様を見上げるしかできないということもあります。
 結局のところ、神様を見上げることが大事です。
 神様を見上げるとき、一つ一つの出来事は偶然無意味に起こったものではないとわかります。

1 何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。

11 神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。

コヘレトの言葉3:1, 11

 すべては神様の最善のタイミングで起こります。
 神のなさることはすべて時に適って美しいです。
 神様を見上げ、その時を見極めていきたいです。

黙する時

 今日の本文は洗礼者ヨハネが誕生する場面。
 祭司ザカリアとエリサベト夫妻は子が与えられず年をとっていました。
 ところがザカリアが聖所で奉仕をしていると天使ガブリエルが現れ、「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」と告げます。
 ザカリアは信じられず、「あなたはこのことの起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」と言われます。
 それからザカリアには沈黙の時が訪れます。ガブリエルは口にだけ言及していますが、耳も聞こえなかった可能性があります。そうするとザカリアは声が聞こえず声を発せない無音の中で過ごしたことになります。

この子の名はヨハネ

 それから10ヶ月後、エリサベトは無事に男の子を出産しました。
 長年、子どもを望んでも与えられなかった。忍耐の時を過ごしてきた。
 ついに主がエリサベトを大いに慈しまれ、その祈りに応えてくださった。
 近所の人々も親類も大喜びです。

 ユダヤ人の男の子は生まれて8日目に割礼を受けます。
 神の民に加えられたしるしとして父祖アブラハムの時代から受け継がれてきた儀式です。
 ユダヤ人はこの家系、一族というものを大事にしてきました。
 生まれた子はレビ族のアビヤ組の家系に生まれました。人々は父の名を継いでザカリアジュニアと名付けようとしました。
 するとエリサベトは「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言います。
 しかし男たちは「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と却下します。いやいや、母親の意見を聞けよと思いますが、それよりも伝統が重視される文化でした。
 人々は父親の意見を聞こうと、「この子に何と名を付けたいか」と手振りでザカリアに聞きます。
 もし話せないだけなら、普通に聞けばいいです。手振りで尋ねたということは、耳も聞こえなかったのでしょう。
 ということはエリサベトの声も聞こえていません。
 ところがザカリアも筆談で「この子の名はヨハネ」と書いたので皆驚きました。
 ヨハネというのは、主は恵み深いという意味。
 そしてこの名は、天使が告げた名前です。神様から与えられた名前。

静まって神を思う

 この10ヶ月間、ザカリアはあの聖所での出来事を思い巡らしてきたことでしょう。
 耳も聞こえず話すこともできない沈黙の中で、神の約束を何度も何度も反芻する。
 ただ神を見上げるしかできません。
 神を信頼するほかに道はないと知ります。
 静かに耐え忍ぶとき、海の中にも道を造られる主の救いを見ます。
 神の約束を信頼しよう。この子の名はヨハネ。
 きっとこの子は主に先立って行ってその道を整え、暗闇の中にいるこの民を平和の道に導くだろう。

 またザカリアは自分が見聞きしたこと、天使が告げた約束をエリサベトにも伝えていました。
 夫が急に耳も聞こえず声も出せなくなり、お腹に赤ちゃんがいると言われて戸惑うばかり。
 5ヶ月は誰にも会わず引きこもっていたけれど、徐々にお腹が大きくなっていく中で疑いは確信に、戸惑いは喜びに変わりました。
 そして親戚のマリアちゃんが訪ねてきたとき、お腹の子が踊るのを感じました。
 聖霊に満たされたエリサベトはマリアが救い主を身ごもっていると悟り、マリアとお腹の子を祝福します。
 だから神が約束を果たして男の子を与えてくださったとき、エリサベトも約束を守ってヨハネという名を付けようとしました。

神に集中する時を持つ

 私たちの人生には、ザカリアのように沈黙する時、エリサベトのように人々から距離を置いて静まる時が必要です。
 もちろん人生には笑う時も踊る時も集まる時も必要です。
 しかし泣く時、嘆く時、離れる時がなければ人生の深みは味わえません。
 枯れ木のように寒空に耐える時期がなければ、きれいな桜は咲かないのです。
 モーセは荒野の40年を過ごしました。
 イエス様も荒野に40日間滞在しました。

 忙しい現代社会に生きる私たちは、なかなか一人で静まる時を持つことが難しいかもしれません。
 家族があり、仕事がある。スマートフォン1つあれば様々なことができます。電話やメールを受け取れます。SNSに様々な情報が流れていきます。
 いつ神様の声を聞きますか。
 いつ神様の約束を思い巡らしますか。
 忙しさの中で私たちは神様を見失います。
 だから意識的に静まる時を持ち、神様に集中する時間が必要です。

 私は教師をしていた時、出勤してまずしたことは職員用トイレの個室で祈ること。
 それがなければ教師という仕事に耐えられなかったと思います。
 皆さんの仕事も家事育児も、それぞれの大変さがあるでしょう。

41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

ルカによる福音書10:41-42

 時間を取って、イエス様のこの言葉の意味を思い巡らしてみてください。
 ぜひ年末年始、神様と共に一年を振り返り、新しい一年を神様と共に歩む準備をしてください。

語る時

荒野で叫ぶ者の声となる

ファン・デ・フアネス「洗礼者ヨハネ」

 「この子の名はヨハネ」とザカリアが答えたとき、たちまち彼の口が開き、再び話せるようになりました。
 まず彼の口から出たのは、神への賛美でした。
 近所の人々は恐れを抱きます。ザカリアとエリサベトに起こったことは神の御業としか言えない。
 そしてこの出来事はユダヤの山里中で話題になり、口々に「この子はどんな人になるのだろう」と言いました。

 ヨハネくんはどんな人になりましたか?
 80節には「幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。」とあります。
 そして30年後、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を授けました。
 洗礼者ヨハネです。
 イザヤ書40章で約束された、荒れ野で叫ぶ者の声でした。

大胆に語るべき時が来る

 荒野の40年の後、モーセは神の召命を受けてイスラエルの民を救い出しました。
 イエス様は荒れ野を出てガリラヤに行き、「時は満ち、神の国は近づいた」と神の国の福音を宣べ伝え始めました。
 ザカリアは10ヶ月の沈黙の後、神を賛美します。
 沈黙すべき時があれば、語るべき時があります。
 神の前で静まったなら、大胆に神を賛美するとき、イエス・キリストを証しするときが来ます。
 語るべきことは聖霊が与えてくれます。誰も反論できない真理です。

 先日私はボンヘッファーの映画を見ました。
 ヒトラーが政権を取り、ドイツの教会もナチスに迎合するようになりました。
 そのような中でボンヘッファーは抵抗運動を起こします。
 そして密かにヒトラー暗殺計画にも加わりました。
 今がどのような時かを見極め、それに従っていきました。
 私たちが神に従って生きるとき、汚れたパンを食べなければならない時があります。
 黙する時は忍耐して待つ。
 そして時が来たら大胆に神の言葉を宣言するのです。

人を造り上げる言葉、教会を建て上げる言葉

 礼拝は何をする時でしょうか。
 説教の時は神の言葉に集中してください。
 それを受け取ったなら、私たちは応答します。
 語るべきことが示されたら、遠慮せずに語ってください。
 それは教会を建て上げるために必要な言葉かもしれません。教会の一員として皆さんに与えられた思いを聞かせてください。牧師は喜んで聞きます。

悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

エフェソの信徒への手紙4:29

 一人一人が神様の前に静まり、大胆に神を賛美する。
 共に神様の言葉を聞き、教会を建て上げていく。
 そうして黙する時、語る時を過ごしながら、神様の御心に従って歩んでいきましょう。
 神様がなさることはすべて時に適って美しい。
 過ぎる一年を感謝で見送り、新しい一年も期待をもって神様と共に歩み出せますように。

カテゴリー: Blog主日説教

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