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【第七戒】姦淫するな

十戒9

姦淫するな

出エジプト記20:14

姦淫してはならない。

神が与えた結びつきを壊すな

 第七戒は「あなたは姦淫してはならない」です。姦淫とは、結婚している人が結婚している相手以外と男女の結びつきをすることです。

 第五戒では親子に代表される上下の人間関係について教えていました。
 夫婦の関係は第七戒になっていますが、親子よりも大事な人間関係が夫婦であるとも言えます。親の立場からすれば、子どもより先に夫や妻が与えられるからです。
 子どもの立場からすれば夫や妻より先に親が与えられるわけですが。創世記を見ても、神様が人間に与えた最初の人間関係は夫婦でした。
 だから人間社会の基礎は国でも会社や学校でも教会でも親子でもなく、夫婦なのです。
 夫婦の間には一体となるほどの強い結びつきがあります。

こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

創世記2:24

 結婚関係において、1人の男性が1人の女性と結婚するとき、2人は心と体の両面で一体となります。
 パウロはこの結びつきを、偉大な神秘と表現しました。
 姦淫は、それを壊すのです。姦淫は神様が人間に与えてくださった神秘的な結びつきを破壊する行為です。

 また、結婚は誓約を伴います。
 結婚式のとき、新郎と新婦は互いに約束を交わします。「病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、私はあなたを愛します」と。
 結婚は契約関係であるとも言えます。式に立ち会った人たちと、神様が契約の証人です。
 姦淫はこの契約に反する行いです。

結婚関係を壊す思い、行動、言葉

 結婚関係を壊すのは姦淫だけではありません。イエス様は

しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。

マタイによる福音書5:28

と言いました。みだらな思いも姦淫になるということです。
 ここでイエス様は「他人の妻」と言っていますが、単に「女」と訳している聖書もあります。他人の妻でなくても、みだらな思いを持てば同じことです。未婚の若い女性ならみだらな思いで見てもいい、なんてことはあり得ません。
 また男性だけでなく女性でも、夫以外の人に心を寄せてしまえばそれはみだらな思いでしょう。

 イエス様は他の個所でこうも言っています。

従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

マルコによる福音書10:9

 これは離婚についての話でイエス様が語った言葉です。離婚は神様が結び合わせた関係を終わらせることだから、ダメですよと。
 しかし聖書には離婚が許されるケースがあるとも言っています。相手をだまして結婚したとか、姦淫したとかいう場合です。
 行いによって結婚関係を修復不可能なほどに壊してしまうことがあります。家庭内暴力などもそうでしょう。力によって傷つけられたり支配されたりするような関係は、続けるべきではありません。
 言葉によって傷つけられたり支配されたりすることもあります。
 このように結婚関係を壊してしまうみだらな思い、言葉、行いは避けなければなりません。

愛すると決断する

 結婚関係を祝福されたものとするには、お互いの努力が必要です。
 結婚すれば自動的にバラ色の人生がスタートするわけではありません。時間が経てば自動的に理想的な夫婦が出来上がるというわけでもありません。
 むしろ放置しておけば壊れていくだけです。意識的に結婚生活を建て上げていこうとしなければなりません。
 結婚する前は努力します。また恋というフィルターがかかり、相手の足りなさや醜さが見えなくなっています。だから相手のことを理想的な人と思い込んで結婚します。
 しかし結婚すると、相手に気に入られよと努力する必要がなくなります。フィルターも外れ、真実な姿が見えてきます。
 食べ方が汚い、生活がだらしない、屁をこく。理想とかけ離れた、本当の姿を見てしまいます。
 年を取ればしわが増え、脂肪も増え、髪は減り、病気がちになっていきます。
 そこからが愛の出番です。こんな人間を愛せるかと問われます。それでも愛そうと、決断するのです。
 神は愛です。その愛は、神を捨て自分勝手に生きてきた私たちのために独り子を与えるほどの愛です。
 愛する理由など何もないような私たちを、神は無条件で愛しています。
 その愛を受け取った私たちも、結婚相手がどんなに理想とかけ離れていたとしても、愛そうと決断するのです。
 このような努力も求められています。

結婚している人だけでなく

 第七戒は結婚している人だけに関係ある戒めではありません。結婚していない人でも、男女の関係には注意が必要です。
 結婚前に性的な関係を持つことは、現代ではかなり一般的になってきました。ドラマなどでも美しく描かれています。男女が愛し合うなら、結婚前でも性的な関係を持つことは当然、というのが世間の風潮です。
 しかしこのような関係は互いに傷を残すことになります。
 自分はただ性的な対象として扱われているだけなのではないかと思うことがあるかもしれません。
 その関係が終っても、未練が残ったり次に進むことに恐れを感じるかもしれません。
 もしそういったものを感じないなら、相手をただ性欲を満たすモノとして扱っていなかったか自問した方がいいでしょう。

健全な付き合いを学ぶ

 反対に、性的なものを過度に嫌悪する人もいます。異性に興味を持つこと自体を汚らわしいと思ってしまいます。
 教会でも、純潔教育と言って青年の兄弟姉妹の接触を禁じることもあります。
 教会の中で座る席を分ける。会話をするのも目を合わせるのも禁止。連絡先の交換をするなら牧師室に呼び出し。
 と冗談のつもりで書きましたが、実際にそのように教える教会もあるかもしれません。
 性的にゆるくなっている時代の中で純潔を守るのはとても大切なことです。
 しかし結婚は神様が与えてくださった祝福であり、それに備えるのも大切なことです。
 異性に興味を持つことは健全なことで、恋愛をすることはとても美しいことです。
 だから異性との接触を一概に禁じるのではなく、正しい付き合い方を学ぶ方がいいのではないかと思います。
 同性異性関係なく、相手を一人の人間として愛すること。性の違いについて知り、配慮することなど。
 そういったことを学べるのは、現代では教会しかないのではないかとも思います。
 神様は人を男と女とにお造りになりました。青年たちには教会で男女の健全な関係を学んでいってほしいと思います。

神が与えた祝福の関係を大切に

 結婚という神様が与えてくださった祝福の関係を大切にしていきましょう。
 私たちの夫婦関係が模範となって、子どもたちや周りの家庭にもよい影響を与えていけるように。
 青年たちも教会で男女の健全な関係を学び、新しい夫婦となっていく。
 中には独身の賜物が与えられている人もいます。
 それぞれの道が祝福されるように祈ります。
 夫婦が人間社会の基礎にあるので、祝福された夫婦関係が広がれば、社会全体も変えられていくでしょう。

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