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【第九戒】偽証するな

十戒11

偽証するな

出エジプト記20:16

隣人に関して偽証してはならない。

口から出る言葉に気をつける

 第九戒は「あなたは隣人について、偽証してはならない」です。
 裁判において嘘の証言をしてはいけないと命じられています。裁判の時に人の証言が最も重要な証拠だったからです。
 真実な証言が行われていれば、正しい裁きが行われるでしょう。しかし人の言葉次第で真実を曲げてしまったり、誰かをおとしめたりすることができてしまいます。
 列王記には北イスラエルの王妃イゼベルが、ナボトのぶどう畑を手に入れるために、ナボトが神と王を呪ったという嘘の証言をさせる話が出てきます。
 ナボトは正しい人でしたが、複数人の証言によってナボトは死刑になってしまいました。
 このように人の言葉によって正しい人の命が奪われたり、権力者に都合よく真実が曲げられてしまうことがあります。そのような社会は悲惨です。
 私たちの口から出る言葉については、裁判の時だけでなく日頃から気をつけなければなりません。

愛に根差して真理を語る

 私たちの語る言葉について、まず真実を守ることが大事です。
 ウソはつかないということです。
 一日だけでも、ウソをつかずに生きていけるか挑戦してみてください。とても難しいです。
 人と関わる中で、私たちがどれほど多くのウソをついているのか気づかされます。そして自分がつくウソを考えてみるとき、色々な動機が含まれていることに気づかされます。
 挨拶をするとき、「元気?」と聞かれたら。そこそこ元気だけれど、肩こりはあるし、ちょっと喉がイガイガする。でもそんなことを言うと相手を心配させる。だからただ「元気だよ」とだけ答える。
 また食事のときに出された料理を食べて、口に合わなかったら。「面白い味だね」とか適当な表現をする。料理を作ってくれた人に気を遣っているからです。
 これらは正直な態度ではありません。ウソは言っていないかもしれませんが、真実をごまかしています。
 もしウソはダメだから正直に言おうとするとどうなるでしょうか。
 ちょっとしたことで相手に大きな心配をさせてしまうかもしれないし、人間関係を破壊してしまうかもしれません。
 だからただ正直であればいいということでもないのです。
 パウロはクリスチャンの成長をこのように表現しています。

むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。

エフェソの信徒への手紙4:15

 愛に根ざして真理を語ることが大事です。
 相手を傷つけないために正直に言わない方がいいこともあるし、正直に言うときには言い方にも気をつける必要があります。

ウソはお勧めしない

 愛を言い訳にしてウソをつくことを勧めているわけではありません。
 ウソはだいたい悪い結果を招きます。小さなウソを隠すために大きなウソをつかなければならなくなります。
 ある人が、大学に通うために独り暮らしを始めました。しかし実際は大学になど行っていませんでした。家族にも周りの人にもウソをついていたのです。
 4年後、とうとう卒業の時期です。もう隠しきれないと思った彼は、ウソを隠すために家族を殺してしまいました。
 アメリカで実際にあった事件です。
 最初はとっさに出た小さなウソだったかもしれません。それが4年後には殺人にまで膨れ上がってしまいました。

神の愛によって正直になれる

 ウソの多くは自分の利益を守ろうとするところから出てきます。本当のことがバレたら大変なことになると思うのです。
 しかし隠されたものはいつか明るみに出されます。
 私たちは神に知られています。
 恐いですか?
 神は私たちの真実の姿、醜い姿を知りながら愛しています。
 だから正直になれます。ウソをついて自分をよく見せる必要はありません。
 神様の愛を受け取り、その愛に根差して真実を語っていきましょう。

舌は不義の世界

悪口や噂を言わざる

 そうは言ってもこの舌を制御できる人はいません。舌は不義の世界です。つい余計なことをしゃべってしまいます。
 政治家などが余計な一言によって立場を失ってしまうということがよくあります。
 この舌が特に好きなのは人の悪口や噂話です。
 人が集まれば、そこで語られるのはだいたい悪口や噂話です。夫の悪口、妻の悪口、芸能人の噂。お昼のワイドショーやネットニュースでは芸能人のゴシップがトップに来ることもあります。皆そういう話が大好きなのです。
 それでつい舌が滑らかになり、悪口や噂話が流れるように出てきてしまいます。
 その中には多少の事実も含まれているでしょう。たとえそれが事実でも、本人のいないところで言うべきではありません。陰口に愛はないからです。

人を偏り見ざる

 教会の中でも余計なおしゃべりには気をつけなければなりません。
 兄弟姉妹の噂話で盛り上がるかもしれません。あるいはインターネット上の不確かな情報に興味をひかれるかもしれません。
 噂話によって人を偏り見ることになれば、その人を愛することは難しくなります。
 インターネットで色々な情報を調べることは便利だし大事なことです。しかしインターネット上には無責任な言葉も多いということを忘れてはいけません。
 教会のウェブサイトやSNSを管理していて、様々なご意見をいただくことがあります。中には教会の問題点を指摘するような、ありがたいご意見もあります。
 ところがその多くは的が外れています。過去の情報や他教会の情報を参考に、今もこの教会はこういう問題がある、と決めつけているわけです。
 もちろん問題点があればそこは悔い改めて変えていかなければなりません。
 しかし現実の教会の姿を見ずにどこかから聞いた噂話で文句をつけられたら、それは言いがかりとしか言えません。
 人に対しても同じです。目の前にいるその人を知るために、他の人の評価を聞くことも大事です。風の噂を聞くこともあるでしょう。
 それ以上に大事なのは、自分の目の前にいるその人を、自分が知ろうとすることです。
 噂話の中に多少の真実が含まれているとしても、それが良い方向に発展することはほとんどありません。
 悪口の輪に加わらないようにしましょう。
 他人の噂話やネットの情報は鵜呑みにしないようにしましょう。

目の前にいるその人を愛する

一方的な話だけを聞かざる

 イエス様のところに1人の女性が連れて来られました。告発する人たちによれば、彼女は姦淫の現場で取り押さえられたそうです。現行犯です。
 彼らの一方的な告発を聞けば、彼女は死刑ということになります。
 彼らが告発する間、イエス様はどうしたでしょう。真剣に耳を傾け、この女性の罪深さに顔をしかめたでしょうか。
 いいえ、イエス様は何も言わず、地面に何かを書いていました。先生の話が退屈で土いじりをしている子どものようです。耳を貸していないようです。
 それでも告発する人たちがしつこく問い詰めるので、イエス様は言います。
 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」すると告発者たちは皆立ち去ってしまいました。
 そしてイエス様は彼女に、「わたしもあなたを罪に定めない」と言いました。
 彼らの告発は決して偽証ではなかったと思います。
 それでも一方的な批判を信じ込まず、目の前にいるその人に愛を示しました。
 私たちも他人の言葉に惑わされて、目の前にいるその人を愛することを忘れてはいけません。

 ウソをつかないことは大事です。
 神の愛を受け取り、その愛に根ざして真実を語る。
 余計なことは言わない。そして悪口や噂話に気をつける。
 むしろ私たちの舌を通して神への賛美、隣人への愛を語る者とさせていただきましょう。

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