Blog主日説教使徒言行録講解

すべての聴衆に願うこと

使徒言行録講解68

すべての聴衆に願うこと

使徒言行録26:22-29

22 ところで、私は神からの助けを今日までいただいて、固く立ち、小さな者にも大きな者にも証しをしてきましたが、預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。23 つまり私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」24 パウロがこう弁明していると、フェストゥスは大声で言った。「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」25 パウロは言った。「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。26 王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきりと申し上げます。このことは、どこかの片隅で起こったのではありません。ですから、一つとしてご存じないものはないと、確信しております。27 アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」28 アグリッパはパウロに言った。「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」29 パウロは言った。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」

人を生かす言葉を語る

 アメリカの大統領選挙は現職のトランプさんと、前の副大統領だったバイデンさんで争われました。
 現地時間の3日に投票が行われましたが、結果はなかなか出ませんでした。トランプさんがリードしていた地域で急にバイデンさんの票が増えたため、選挙に不正があったと言いだしたためです。
 結局バイデンさんが過半数の選挙人を獲得し、勝利を確実にしました。
 トランプさんは負けを認めず、裁判で争うことになりそうです。

 選挙で大事なのは、自分の思いを伝えることです。
 どのような国を目指していくのか。そこを明確に訴え、支持を集めていきます。
 対立する候補者の悪口を言ったり、不正だとか陰謀だとか騒ぐだけでは支持は集まりません。
 前の大統領だったオバマさんは演説の上手い人でした。自分の思いを、わかりやすく短いフレーズで伝えていきます。
 「Change」や「Yes, we can」といったフレーズは多くの聴衆の心に希望と励ましを与えました。
 私たちも、誰かの悪口や不平不満ではなく、人を建て上げる言葉、人を生かす言葉を語っていく者でありたいです。

アグリッパ王の前での弁明

 今日の本文はパウロがヘロデ・アグリッパ2世の前で弁明する場面です。
 パウロは皇帝に上訴しました。総督フェストゥスはパウロの身柄をローマに送らなければなりません。そしてどのような訴えがなされているのか、ローマに伝える必要があります。
 しかしユダヤ人が主張する内容は、フェストゥスにとって罪でも何でもないことでした。
 ユダヤ人の事情に詳しい人の話を聞く必要があります。
 そんな時、アグリッパ王がカイサリアに来ました。ユダヤの領主であるアグリッパ王なら、パウロの罪状が何かを理解することができるのではないかと思いました。
 アグリッパ王も興味を示したので、翌日、パウロはアグリッパ王の前で弁明することになったのです。
 パウロは、預言者たちによって先祖たちに与えられた約束の実現を待ち望んでいるから訴えられていると言います。それは死者の復活です。
 パウロ自身もイエスが主であるということには反対すべきだと考えていました。
 しかし復活のイエスに出会い、福音を伝える者に変えられました。
 それはただ天から示されたことに従っているだけです。それなのにユダヤ人たちは自分を捕らえて殺そうとしているのだ。
 パウロはこのように主張しました。
 そしてパウロが伝える福音の中心的な内容は、聖書に書いてある通りメシアが苦しみを受け、復活すること。つまりイエスの十字架の死と復活こそ預言の成就なのだということです。

 フェストゥスは言いました。
「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」
 パウロが主張する死者の復活というのは、フェストゥスにとってあり得ない話でした。異邦人であるフェストゥスには仕方のないことです。
 しかしパウロは今、フェストゥスに話をしているのではありません。アグリッパ王に話をしているのです。
 アグリッパ王も異邦人ですが、ユダヤで生まれ育っています。ユダヤ人の慣習や論争点も知っています。聖書の知識もあるはずです。
 そして初代教会の活動はエルサレムから始まり、ユダヤ、サマリア、そして地の果てへと向かっていました。アグリッパ王が知らないはずがありません。
 そこで問いかけました。「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
 ここでアグリッパ王は窮地に立たされました。
 もし信じていないと言ってしまうと、その発言がユダヤ人の反感を招くことになります。
 信じていると言ってしまうと、次にこう問われるでしょう。「ではあなたは、イエスをメシアだと信じますか?」
 それでアグリッパ王はこう答えました。
「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」
 アグリッパ王はキリスト信者を見下した感じで答えています。動揺を隠してようにも感じられます。
 「イエスをメシアだと信じるか」と聞かれたら答えに詰まっていたかもしれません。
 短い時間に、アグリッパ王の心は揺らいでいたようです。

信仰を言い表せない

 ユダヤの領主であるアグリッパ王は、ユダヤ人が憎むキリスト信仰を認めるわけにはいきません。
 このように自分の立場のために心を頑なにしてしまう場合があります。
 ピラトはイエス様が何も悪いことをしていないと知っていながら、自分の立場を守るために十字架につけてしまいました。
 議員だったアリマタヤのヨセフは、自分の立場を守るために信仰を隠してきました。しかしイエス様の死後、ピラトに願い出てイエス様の遺体を引き取り、埋葬しました。

 自分の信仰について、素直であって欲しいです。イエス様があなたの心の扉を叩いています。その声を聞いて扉を開けるのは、私たち自身です。
 しかしイエス様を信じることは色々な恐れを感じさせるかもしれません。
 イエス様に出会ったら人生を変えられてしまう(否定的な意味で)。今まで築いてきた立場が危うくなるかもしれない。今まで握りしめてきたものを手放さなければならないかもしれない。
 確かにそのような変化はあるでしょう。しかしイエスを信じて得られるものに比べれば、今まで大事に思ってきたものは塵芥、つまらないものに思えてきます。
 イエスは言います。

36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。37 自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。

マルコによる福音書8:36-37

 イエスを信じることを恥じて、命を手放してはいけません。
 あなたの命はこの世界のすべての宝を合わせたよりも大切なものです。
 神の子イエスの命の代価で買い戻されました。
 だからイエスを主と公に言い表し、救いを得てほしいのです。

何とかして何人かでも救いたい

 「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」 と言うアグリッパ王に、パウロは「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。」と答えました。
 私のようになるとはどういうことでしょうか。
 もちろん囚人になって鎖につながれることではありません。
 イエスを信じ、命を得てほしいということです。
 パウロはこれを、アグリッパ王だけではなくすべての聴衆に願っています。
 小さな者にも大きな者にも、短い時間でも長い時間でも、パウロはそのことを願って語り続けてきました。
 奴隷の身分だった人にも語ったし、女性たちにも語ってきました。総督や王の前でも語っています。
 アグリッパ王に対するように短い時間で勝負をかける時もありますが、夜通し語ったこともあります。あまりにも話が長いので、ある青年が寝てしまい、窓から落ちてしまいました。
 ユダヤ人にも異邦人にも語りました。アテネの哲学者たちに向けて語ったこともありました。
 様々な場面で様々な人々に語ってきました。パウロは聞く相手によって語り方を変えています。それはやはり1つの願いがあるからです。

弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。

コリントの信徒への手紙一9:22

 何とかして何人かでも救いたいのです。
 アグリッパ王と会うのはこれが最初で最後です。この一度きりの機会もパウロは逃しません。

 パウロの情熱はすごいですね。なかなか真似できません。パウロと同じことはできないでしょう。
 しかし私たちも、パウロと同じ願いを持っていたいです。つまり、何とかして何人かでも救いたい、私たちと出会う人たちがイエスを信じ、命を得てほしいということです。
 自分にはできないと思うかもしれません。確かに自分の力ではできません。しかし私たちには聖霊様がいます。
 私たちは何者なのでしょうか。私たちは祝福の源です。地の塩、世の光です。私たちから命の水があふれ流れていきます。その水が流れるところでは、すべてが生きるのです。
 キリスト信仰を押し付けるわけにはいきません。自分たちが正義で、自分たちに従わない人たちは間違っていると考えてはいけません。
 パウロは、相手が大事にしているものを尊重しつつ、福音を伝えました。
 よい言葉も、節制が大事です。

悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。

エフェソの信徒への手紙4:29

 私たちの口から出る言葉が、誰かを生かす命の言葉になります。

命の言葉を語るのは口だけではない

 福音を伝えるのは言葉だけではありません。
 信仰は聞くことから始まるとありますが、それは聴覚だけの話ではありません。耳が聞こえない人だって信仰が与えられます。
 神の言葉は、私たちの生き方を通しても伝えられていきます。
 学校や職場で、パウロのような演説をすることはできないでしょう。しかし生き方を通して、愛を伝えることはできます。
 学校の皆が悪い言葉を使っても、私は使わない。
 職場の皆が不平不満を言っても、私は感謝する。
 あなたは大切な存在だ。この世界のすべての宝も、あなたの命には代えられない。あなたのために、イエスは十字架で死に、復活した。
 私たちから愛があふれ流れ、私たちと出会う一人一人が命を得る。そのことを願っていきましょう。

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