ソロモンにまさるもの

歴代誌講解42

ソロモンにまさるもの

歴代誌下 9:1-12

1 シェバの女王はソロモンの名声を聞き、難問をもってソロモンを試そうと、極めて大勢の随員を伴い、香料、多くの金、宝石をらくだに積んでエルサレムに来た。ソロモンのところに来ると、彼女はあらかじめ考えておいたすべての質問を浴びせたが、2 ソロモンはそのすべてに解答を与えた。ソロモンに分からない事、答えられない事は何一つなかった。3 シェバの女王は、ソロモンの知恵と彼の建てた宮殿を目の当たりにし、4 また食卓の料理、居並ぶ彼の家臣、丁重にもてなす給仕たちとその装い、献酌官とその装い、それに王が主の神殿でささげる焼き尽くす献げ物を見て、息も止まるような思いであった。5 女王は王に言った。「わたしが国で、あなたの御事績とあなたのお知恵について聞いていたことは、本当のことでした。6 わたしは、ここに来て、自分の目で見るまでは、人の言うことを信じてはいませんでした。しかし、わたしに知らされていたことは大いなるお知恵の半分にも及ばず、あなたはうわさに聞いていたことをはるかに超えておられます。7 あなたの臣民はなんと幸せなことでしょう。いつもあなたの前に立ってお知恵に接している家臣たちはなんと幸せなことでしょう。8 あなたを王位につけられたあなたの神、主のための王とすることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。あなたの神はイスラエルを愛して、とこしえに続くものとし、あなたをその上に王として立て、公正と正義を行わせられるからです。」9 彼女は金百二十キカル、非常に多くの香料、宝石を王に贈ったが、このシェバの女王がソロモン王に贈ったような香料はかつてなかった。10 また、オフィルから金を運んで来たヒラムの家臣たちとソロモンの家臣たちは、白檀や宝石も運んで来た。11 王はその白檀で神殿と王宮の床板や、詠唱者のための竪琴や琴を作った。かつてユダの地でだれもこのようなものを見たことはなかった。12 ソロモン王は、シェバの女王が王に贈った物に報いる品々以上に、女王の願うものは何でも望みのままに与えた。こうして女王とその一行は故国に向かって帰って行った。

学ぶ姿勢が大事

 3月は卒業の時期です。学びを終えて巣立っていきます。新しい学校に進学する人もいれば就職などで社会に出る人もいます。
 社会に出たらもう勉強は終わりかというと、そうではありません。社会に出てからも仕事のことや子育てのことなど、学ばなければならないことはたくさんあります。
 高校や大学で学んだ知識が直接生かされる機会は少ないかもしれませんが、学ぶ姿勢は大事です。

 ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会でリモート演説をすることが決まりました。彼が日本に向けてどのような言葉を語るか注目されます。
 ゼレンスキー大統領はこれまでもイギリス、アメリカ、ドイツの国会でもリモート演説を行ってきました。
 イギリスでは第2次世界大戦でリーダーシップを発揮したチャーチル首相の言葉やシェイクスピアを引用しました。
 アメリカでは真珠湾攻撃やアメリカ同時多発テロを思い起こさせ、キング牧師の演説も引用し、自由と平和、世界のリーダーという偉大なアメリカ人の好きな言葉を並べました。
 ドイツではヨーロッパとロシアの間に壁があるとベルリンの壁になぞらえ、真面目なドイツ人の罪責感を刺激するような批判も語りました。
 相手国の歴史や文化、国民性を踏まえ、本当に相手に届く言葉を語っていると思います。
 すべて大統領本人が原稿を書いているわけではないでしょうし、俳優だった彼の演技力もあるでしょう。
 しかし相手の国に対する尊敬がなければ、他の国を動かすメッセージを語ることはできません。
 それは大統領自身が他国の歴史や文化を学んでいることの表れだと思います。
 学歴や学位より大事なことは、学ぶ姿勢です。

エドワード・ポインター「シェバの女王の来訪」

探求心

 今日の本文はシェバの女王の来訪です。ソロモン王にまつわるエピソードの中でも有名なものの1つです。
 シェバはアラビア半島南部にあったと考えられる王国です。そこの女王がソロモンの名声を聞きました。しかし疑い深い女王は、自分の目で見るまでは信じないと、自ら難問をもってソロモンを試そうとやって来たのでした。
 ソロモンは女王の質問すべてに解答を与えました。その知恵は本物でした。
 また立派な建物、豪華な食卓、仕える者たちの立ち居振る舞い、そして神殿を見て、その豊かさに息も止まるほど驚きました。

世界に並ぶ者のない知恵と富と名誉を与えられたソロモン

 ソロモンの知恵と名声は列王記上5:9-14に書かれています。
 今日は学ぶ姿勢の話ですので、実際に聖書を開いて読んでみてください。牧師の話を鵜呑みにしないで、自分で聖書を読んで確かめるのです。
 列王記の記録によると、ソロモンは最も知恵ある者であり、あらゆる国の民がその噂を聞いてやって来ました。
 ソロモンの富は今日の本文の後のところに書かれていますが、毎年莫大な収入を得ていました。
 まさしくソロモンは世界で最も知恵、富、名誉を得た人物でした。

 それは神から与えられたものです。

11 神はソロモンに言われた。「あなたはこのことを望み、富も、財宝も、名誉も、宿敵の命も求めず、また長寿も求めず、わたしがあなたをその王として立てた民を裁くために、知恵と識見を求めたのだから、12 あなたに知恵と識見が授けられる。またわたしは富と財宝、名誉もあなたに与える。あなたのような王はかつていたことがなく、またこれからもいない。」

歴代誌下1:11-12

 知恵を求めたソロモンに、神は世界に並ぶ者のない知恵だけでなく富と名誉を与えると約束しました。
 そしてその約束が実現しています。

本当かどうか試したいという探求心

 今日の本文で注目したいのはソロモンの偉大さではありません。シェバの女王の態度です。
 彼女はソロモンの噂を聞いたとき、それが本当かどうか確かめようと思い、実際にソロモンを尋ねました。
 シェバ王国が今のイエメンあたりにあったとすると、エルサレムまで直線距離で2,000㎞以上あります。船やラクダなどで移動してきたと思いますが、かなりの長旅です。
 2000㎞がどれくらいかと言うと、東京から中国の北京までの直線距離です。
 北海道の函館から鹿児島までの道のりくらいです。
 それを飛行機も新幹線も車も使わず移動するとなると、どれほど大変な旅だったでしょう。

 このような長旅をしてイスラエルに来た人たちと言えば、東方の博士たちがいます。
 彼らは遠い東の国から、ユダヤの王として生まれた方を訪ねて来ました。
 そして彼らは赤ちゃんのイエス様に会います。

 また疑り深く本当かどうか確かめたいと願った人と言えば、トマスです。
 イエス様の復活を聞いた彼は、手の釘の跡を見て、自分の指を入れてみないと信じないと言いました。
 その8日後にイエス様が現れ、トマスは信じます。

 このように長い距離を旅してでも会ってみたい、本当かどうか試してみたいという探求心は大事です。

この目で確かめられなくても信じる

 復活のイエス様はトマスに言いました。

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

ヨハネによる福音書20:29

 この言葉は盲目的に信じなさいということではありません。
 イエス様はトマスの探求心は否定していません。
 トマスは復活が本当かどうか知りたいと思い、イエス様を実際に見て信じました。
 しかし復活のイエス様を見ることができなくても信じられる人は幸いです。

探求心の果てにイエスに会う

 本当かどうか確かめてみたいという探求心は私たちにも必要です。
 牧師はそう言うけれど、聖書にはこう書いてあるけれど、本当だろうか。それを確かめるために2000㎞も旅ができますか。
 その探求心の果てに、イエス様に出会います。
 私たちはこの目でイエス様の復活を見ることはできません。釘の跡に指を入れることはできません。
 この目で見ることができなかったとしても、本当かどうか知りたい、神に出会いたい、その求める姿勢が私たちにも求められています。

この神は本物だと知る

 シェバの女王はソロモンの知恵と富が本物であることを見ました。そしてこう言います。
 「あなたを王位につけられたあなたの神、主のための王とすることをお望みになったあなたの神、主はたたえられますように。あなたの神はイスラエルを愛して、とこしえに続くものとし、あなたをその上に王として立て、公正と正義を行わせられるからです。」
 神を賛美しています。
 世界に並ぶ者のない知恵と富と名誉を持ったソロモンを見て、それらを与えた神様を見ました。

探求し神に出会うことはソロモンにまさる

 このようなシェバの女王の姿勢をイエス様も称賛しています。

また、南の国の女王は裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」

マタイによる福音書12:42

 世界に並ぶ者のない知恵と富と名誉を持ったソロモンよりまさるものがある。
 それはシェバの女王のように神を求め、神に出会うことです。

しるしを見ても神に出会おうとしないよこしまな者たち

 イエス様はこの言葉を律法学者やファリサイ派の人々に向けて語りました。
 彼らはイエス様に「しるしを見せてください」と要求しました。彼らも探求心があったと言えます。
 しかし彼らがしるしを見ていなかったわけではありません。イエス様の奇跡を見、言葉を聞いていました。
 そんな彼らにイエス様は言います。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがる。」
 イエス様は間接的に律法学者たちを批判しています。彼らがイエス様のなさったしるしを見ても見ようとせず、語られた言葉を聞いても聞こうとしないからです。
 神に出会ったシェバの女王の探求心とは大きく異なります。

神を求めているか

 私たちも律法学者たちと同じような態度になることがあります。
 礼拝に来るし、メッセージを聞くし、聖書を読む。しかしそこで神に出会いたいと求めているでしょうか。
 神様の恵みが示されているのに見ようとしない。神の言葉が語られているのに聞こうとしない。
 よこしまで神に背いた時代の者たちと同じです。
 もっと神を知りたいという心が大事です。

神を求め続ける先輩牧師

 地域の牧師会で、先輩牧師の前で聖書の話をする機会があります。
 自分なんかよりはるかに牧師の経験があり、聖書をよく読み、神様を知っている人の前で、何を語ればいいのだろう。緊張しながらメッセージを語りました。
 メッセージ中に恐る恐る顔を上げると、自分より50年も長く牧師をしているような先輩牧師が、真剣に耳を傾け、メモを取っています。
 私のダメなところをメモしていたのではありません。
 私の足りないメッセージからでも、神様の言葉を真剣に聴こうという姿勢がそこにありました。
 牧師経験の長さ、聖書を読んだ回数、神学の知識によらず、もっと神様を知りたいという姿勢です。

キリストの愛が本物だと確かめた女性

 先日ラジオを聞いていたとき、このような話が紹介されていました。

FEBC ONLINE: 今日の放送 3/16(水) 
『恵子の郵便ポスト「ひどい目にあわされた上司ですが…」』

 ある女性の方の職場で盛大な送別会が開かれました。写真を撮ったり、色紙を書いて渡したりしました。
 その時、性格が悪く皆から嫌われている上司が「いいな、俺の時はないんだろうな」とつぶやきました。人に聞こえるように言ったわけではありませんが、隣にいた彼女はそれを耳にしました。
 その時から、彼が退職するときに「やっぱりなかった」などと思わせてはいけないという思いが与えられました。
 一年後、その上司が異動することになりました。他の同僚が誰も送別会をやろうとしない中、彼女が率先して送別会を準備しました。
 彼が羨ましがっていたように写真を撮ると、上司は「こんなのいらない」と言います。本当に嫌な人です。
 それでも彼女が準備を進めると、手伝ってくれる人も出てきました。
 送別会の当日、職場に行くと菓子折りが置いてあります。あの上司からでした。今まで彼がこんなことをしたことはありません。
 送別会の中で誰かが写真を撮ろうと提案すると上司が「誰も撮りたくないだろ」と言うので、彼女は率先して手を上げ、写真を撮ってもらいました。すると他の人たちも次々に一緒に写真を撮ってほしいと寄ってきました。
 後で見ると、上司は笑顔で写っていました。彼が職場で笑顔を見せたことなどありません。
 周りに毒を吐き嫌われて当然の上司。彼が愛される理由などどこにもありません。
 それでも女性は愛を表現しました。

 この愛はどこから来るのでしょう。
 キリストの愛です。
 キリストの愛を受け、その愛に駆り立てられ、愛を実践しました。

 私たちは神に対して罪を犯していましたが、神は無条件の愛を十字架で示しました。
 そして私たちも互いに愛するようにと招きます。
 敵をも愛する。こんな人は愛される資格などないと思えるような人にも愛を表す。
 そのとき、この愛は神から来た愛だとわかります。
 愛を受けた人やそれを見た周りの人は、この人が信じる神は本物だと気づきます。

 神を求め、本当か確かめてみてください。
 その探求心の果てに、この神は本物だとわかります。
 そして周りの人々も神を知るようになっていきます。
 これからも神を慕い求め、神の言葉が真実であると確かめ続けていきましょう。

Leave a Reply

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.