ソロモンのしくじり

歴代誌講解43

ソロモンのしくじり

歴代誌下 9:13-31

13 ソロモンの歳入は金六百六十六キカル、14 そのほかに隊商や商人の納める税金があり、アラビアのすべての王や地方総督もソロモン王に金銀を納めた。15 ソロモン王は延金の大盾二百を作った。大盾一つにつき用いた延金は六百シェケルであった。16 延金の小盾も三百作った。小盾一つにつき用いた金は三百シェケルであった。王はこれらの盾を「レバノンの森の家」に置いた。17 王は更に象牙の大きな王座を作り、それを純金で覆った。18 王座には六つの段があり、その王座に金の踏み台がつけられていた。また、座席の両側には肘掛けがあり、その脇に二頭の獅子が立っていた。19 六つの段の左右にも十二頭の獅子が立っていた。これほどのものが作られた国はどこにもなかった。20 ソロモン王の杯はすべて金、「レバノンの森の家」の器もすべて純金で出来ていた。ソロモンの時代には、銀は値打ちのないものと見なされていた。21 王の船団はフラムの家臣たちと共にタルシシュへ航海した。三年に一度、タルシシュの船団は、金、銀、象牙、猿、ひひを積んで入港した。22 ソロモン王は世界中の王の中で最も大いなる富と知恵を有し、23 世界のすべての王が、神がソロモンの心にお授けになった知恵を聞くために、彼に拝謁を求めた。24 彼らは、それぞれ贈り物として銀の器、金の器、衣類、武器、香料、馬とらばを毎年携えて来た。25 ソロモンは馬と戦車のための厩舎四千、騎兵一万二千を有した。彼はそれを戦車隊の町々およびエルサレムの王のもとに配置した。26 こうして彼はユーフラテス川からペリシテ人の地方、更にエジプトとの国境に至るまで、諸国の王をすべて支配下に置いた。27 王はエルサレムで、銀を石のように、レバノン杉をシェフェラのいちじく桑のように大量に供給した。28 馬はエジプトをはじめあらゆる国からソロモンのために輸入された。29 ソロモンの他の事績は初期のことも後期のことも、『預言者ナタンの言葉』『シロの人アヒヤの預言』『ネバトの子ヤロブアムに関する先見者イエドの見た幻』に記されている。30 ソロモンは、エルサレムで四十年間全イスラエルを治めた。31 ソロモンは先祖と共に眠りにつき、父ダビデの町に葬られ、その子レハブアムがソロモンに代わって王となった。

自分の力ではなかった

 自動車学校に通っていた頃、普段は古いセダンタイプの車に乗っていましたが、高速教習では黒塗りのベンツに乗せてもらいました。とても運転しやすかったです。
 一般道から高速に入るところは一気に加速して合流しなければなりません。一番緊張するところですが、スムーズに合流できました。車線変更をするときも難なくできました。自分は運転が上手いのだと自信を持てました。
 その後、免許を取り、普通の車に乗って運転しました。すると高速への合流や車線変更が以前のようにスムーズにいきません。他の車が道をゆずってくれないのです。
 高速教習では、教習車であること、さらにベンツであることで他の車が道をゆずってくれていただけです。自分には大した運転技術などないのだと気づかされました。
 それからは謙遜な心で安全運転を心がけ、他の車にもできるだけ優しくしようと思っています。
 そのようにメッキがはがれるようにして、自分には何もないのだと気づかされる経験は大事です。

表面的には安泰に見えるソロモンの治世

 今日の本文はソロモンの治世のまとめです。その治世は安泰に見えます。
 ソロモンの年収は金666キカル。1キカルが約34.2kgですから、約22.8トンになります。金1gが8,400円とすると約1900億円です。それに税や貢ぎ物から収入を得ていました。
 象牙の王座も作らせました。どれほどの象から牙を取ったのでしょう。今これを作ろうとしたら犯罪になります。
 ソロモンの杯はすべて金でできており、銀は石ころのように扱われていました。
 ソロモンの40年の治世は豊かな時代が続きます。

馬を増やす

カデシュの戦いで戦車に乗るラムセス2世(アブシンベル神殿の壁画)

 しかしソロモンの平安は脅かされます。
 歴代誌はあくまで神様を礼拝するところに焦点を当てているので、ソロモン個人のことにはあまり関心がありません。なので歴代誌では省略されているところではありますが、列王記の記述などを参考にしながら掘り下げていきます。
 列王記によるとエドム人ハダドやエルヤダの子レゾンが国境付近でイスラエルと敵対しました。それでソロモンは軍備を整える必要が出てきます。
 レバノンの森の家と呼ばれる武器庫を作りました。
 大量の金を使い、盾を作りました。
 当時の最新鋭の兵器は戦車です。鉄の装甲に覆われて砲弾を撃つ戦車ではなく、馬に引かれた戦車です。ソロモンはその戦車を引いたり騎兵が乗ったりするための馬をエジプトなどから輸入しました。

大勢の妻をめとる

 またソロモンは政略結婚を重ね、700人の王妃と300人の側室を持ちました。ソロモンのマネをしないでくださいね。
 彼女たちは愛の対象ではなく外交の道具として扱っています。
 神への信頼ではなく、外交的取引で平和を保とうとするソロモンの策略によるものです。神様は完全に無視されています。
 彼女たちも自分たちが愛されておらず、道具として利用されていることはわかります。だから彼女たちもソロモンを利用しようとします。
 それで自分たちの国の文化や宗教を持ち込み、異教の祭壇を作らせます。

 ソロモンがこのように神様を無視するので、神は怒り、息子の代に王国を分裂させると警告します。

11 そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。12 あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。13 ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」

列王記上11:11-13

同胞を苦しめる

 ソロモンのせいで民の生活も苦しくなっていきます。
 度重なる公共事業がありました。20年に渡る神殿建築と王宮建築。さらに都市の建設と1000人の妻のための住居と異教の祭壇。
 そのための資金は国民からの税金が使われます。
 そして建築のための労働力が必要になります。
 こうして民には過酷な労働と重い税が課せられました。

 苦しむ民を代表し、エフライム族のヤロブアムが反旗を翻しました。
 彼はソロモンに仕えていましたが、シロの預言者アヒヤによってイスラエル10部族の王になるという神のお告げを受けます。
 こうして神がソロモンに警告したとおり、イスラエルの民は10部族と2部族に分裂してしまいます。

子どもたちに神の言葉を伝えられない

 ソロモンには多くの子もいたでしょう。1000人の妻がいれば子どもは数千人になったかもしれません。
 大学のキャンパスに数千人の学生が通っているとしましょう。4年間通っても、顔も名前も知らない学生がたくさんいます。
 数千人も子どもがいたら、顔も名前も知らない子がたくさん出てきます。関心も持てません。
 子どもたちは悲惨です。自分の父親と言われる人から名前を覚えてもらえない。顔も覚えてもらえない。
 子どもの性格にもよりますが、父の関心を引こうと問題行動を起こす場合があります。

 ソロモンにはレハブアムという息子がいました。彼も問題を引き起こす傾向があったようです。
 大人は信用しません。自分と同じような境遇の少年たちとなら心を通わせます。
 こうしてレハブアムはやんちゃな友だちと一緒に育ったのではないでしょうか。

 律法は子どもたちに御言葉を繰り返し教えなさいと命じますが、周りの大人たちはソロモンの子どもたちに御言葉を教えられなくなってしまいます。

王に関する戒め

 このようなソロモンの姿はまさに律法が警告していたことです。

16 王は馬を増やしてはならない。馬を増やすために、民をエジプトへ送り返すことがあってはならない。「あなたたちは二度とこの道を戻ってはならない」と主は言われた。17 王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない。18 彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、19 それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。20 そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる。

申命記17:16-20

 ソロモンはこれらの戒めにことごとく違反しています。
 申命記が王に対して特に強調しているのは、律法から主を畏れることを学びなさいということです。
 ソロモンはまず主を畏れることを学ばなければなりませんでした。

人生の空しさを知る

 世界中の王様がソロモンの知恵を聞こうと人を遣わしてきました。ソロモンは世界最高の知恵を持っていました。
 そんなソロモンが愚かな道へ外れてしまったのは、主を畏れなくなったからだと言えます。

主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。

箴言1:7

 どんなに知識があっても、神を忘れてしまえば道を踏み外すのです。
 実際、賢い人が人をだますわけです。

神を知らなければすべては空しい

 最高の知恵、富、名誉を得ても、神を知らなければ空しくなります。

 聖書の中にコヘレトの言葉というものがあります。作者はわかりません。ソロモンが書いたという説もあります。
 コヘレトはたくさんの富を持ち、知識を得、豪邸に住み、ぜいたくな食事をし、快楽にふける。この世のありとあらゆるよいものを得、楽しみを得た。
 しかしそれらはすべて空しく風を追うようなことでした。
 空しい、空しい、すべては空しい。

 そのコヘレトが結論として悟ったことは、神を畏れることでした。

すべてに耳を傾けて得た結論。「神を畏れ、その戒めを守れ。」これこそ、人間のすべて。

コヘレトの言葉12:13

 神を畏れることこそ、人間にとって必要なすべてです。

人生の空しさを知るとき神を知る

 コロナウイルスが流行して三密を避けるように言われるようになりました。密集、密接、密閉です。
 密閉を避けて窓を開けておいたとしても、密集したところでは空気がよどみます。
 きれいな空気を通すためにはすき間を作らなければなりません。
 空虚なところに風が吹くのです。

 コヘレトの言葉には空(ヘベル)と風(ルーアハ)が繰り返し出てきます。
 この世の空しさを感じるとき、吹き抜ける風を感じます。
 この風と訳される言葉ルーアハは、霊と訳すこともできます。
 人生の空しさを知ることが必要です。自分が何かを持っているという思い込みを捨て、本当の自分は空っぽだと知るのです。
 この世のすべてで自分の人生を満たすことができても、どんなに知恵、富、名誉を得、快楽にふけっても、神のいない人生は空しいのです。
 その空しさを知るところに風が吹きます。
 神の霊、神の息吹が吹き込むのです。
 そこから本当の人生が始まります。

まず神を求める

ヤマユリ

 イエス様は「栄華を極めたソロモンでさえ、野の花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」と言いました。
 野の花はそのままで美しいです。
 すぐに枯れて焼かれる野の草花にも、ソロモンの栄華は及ばないのです。
 それは神様が装ってくださるからです。

 神のかたちに造られた人間は空の鳥や野の花より大切な存在です。
 それならば、神様が私たちのことを美しく装い、養ってくださらないはずがありません。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

マタイによる福音書6:33

 私たちはこの世の知恵、富、名誉を追い求めます。それで心がいっぱいになれば空しくなります。
 自分の空っぽなところに神様の恵みを満たすのです。
 まずは神様を求めてください。

しくじってもイエスから目を離さない

 ソロモンの治世は初期のことも後期のことも預言者たちが記録しています。
 ソロモンが王になる前から、神様はダビデに対し、息子のソロモンが王になり神殿を建てると約束していました。
 まさしく神の約束の言葉に導かれた人生でした。

ソロモンは失敗した

 晩年になって道を踏み外しますが、コヘレトの言葉がソロモンによるものだとすれば、最期には主を畏れることを学んだことになります。
 それでも道を踏み外した責任は取らなければなりません。ヤロブアムの反乱と、息子レハブアムの愚かさは治まっていないのです。
 ソロモンが死ぬと、レハブアムの愚かな言動によってイスラエルの10部族はヤロブアムを王として分離独立します。
 ソロモンの死と共にイスラエルの統一王国も終わり、同じ民族が南北に分断されます。

神は失敗しない

 神様は、ダビデの子孫によってイスラエルの王座が永遠に続くと約束していました。ソロモンの力ではこれを成し遂げることができませんでした。
 人間には不可能でも、神にはできます。
 最終的に王の王、主の主であるイエスによって成し遂げられるのです。

ソロモンのしくじりから学べ

 ソロモンは立派な王でありましたが、失敗も多くありました。見習ってはいけない部分も多くあります。
 しかしソロモンのしくじりから学ぶべきことがあります。
 それは神ではないものを頼ってはいけないということです。
 軍事力、富、知恵、人間的な愛。それらのものが絡みつき、これがなければ生きていけないと思わされます。
 これがなければ幸せになれない。これがなければ国を守れない。そのような思いに目がふさがれて神を見失い、主を畏れることを忘れさせられます。

人は失敗するもの

 道を踏み外すことや失敗すること自体を恥じなくてもいいです。
 失敗することがあっても、そこで神のいない人生の空しさを知ればいいです。
 失敗を恐れて何もしないことも失敗です。
 むしろ神のいない人生を恐れてください。

 私たちは弱く足りない人間なので、失敗は避けられません。
 私たちは空っぽの土の器です。ボロボロで欠けやヒビがあります。
 うわべだけきれいに塗っても、空っぽであることに変わりありません。

弱い私たちを生かすイエス

 しかしこの土の器を生かす方がいます。イエス様が私たちの内に生きています。
 絡みつく空しいものに目を向けるのを止めて、イエス様を見上げてください。
 神を畏れてください。

1 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、2 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。

ヘブライ人への手紙12:1-2

 私たちは信仰の先輩たちに見守られながら、忍耐強く走っています。
 重荷や絡みつく罪が足を引っ張ります。それをかなぐり捨てなければなりません。捨てるべきもの、降ろすべきものがあります。
 そしてイエス様から目を離さずに走り続けるのです。
 失敗や恥ずかしい過ちがあったとしても、イエス様から目を離さないでください。

 世の宝もまた富も、人からの評価も、キリストには代えられません。
 それらのものはすべて空しいものです。
 この人生の空しさを知り、イエス様を見上げて歩んで行きましょう。

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