使徒信条9
聖なる公同の教会
使徒言行録 2:42-47
42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。43 すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。44 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、45 財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。46 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、47 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。
教会
今日は使徒信条の9回目、「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」についてです。
私たちは共に教会のメンバーである
前回は聖霊について学びました。
聖霊によって信仰が与えられた私たちは、創造主なる神を父と呼ぶことができます。神の子になりました。
聖霊は私たちをキリストに結び合わせます。ぶどうの木と枝のように一体になっています。
聖霊は弁護者として永遠に共にいます。私たちの内に聖霊は住んでいます。
これはすべてのクリスチャンに言えることです。
だから聖霊が降ったことにより、私たちは互いに父なる神の一つの家族となり、キリストを頭とした一つの体です。また一人一人は同じ聖霊が住む神殿とされています。その一人一人が生きた石となって、キリストを土台とした神の住まいを建て上げていきます。
色々な表現ができますが、要は聖霊によって私たちは共に教会のメンバーにされているということです。
共に信仰生活を送る仲間を必要としている
一人で家族は作れないし、体の一部だけ切り離されたらその部分は死んでしまうし、レンガ1つで家は建てられません。
だから私たちは一人で信仰生活を続けることはできません。
互いに交わることを必要としています。
今日の本文は最初の頃の教会の様子です。
120人の弟子たちが集まっているところに聖霊が降り教会が誕生しました。
その日ペトロの説教を聞いた約3000人が洗礼を受け、教会のメンバーに加わりました。
彼らは熱心に信仰生活を送っていました。「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」と記録されています。
教会で大切なのはこの信仰生活における交わりです。
つまり共に御言葉を聞き、共に礼拝をささげ、共に聖礼典に参加し、共に祈ることです。
私たちはこれらの手段を通して神様からの恵みを受け取っていきます。
一人で聖書を読んだり、奥まった部屋で一人で祈ることも大事です。ぜひ個人個人で聖書を読み祈る習慣を身に着けてほしいです。
しかしいつも一人では続きません。
1本の炭に火をつけても、火はすぐに弱くなります。
いくつかの炭を集めることで赤々と燃え続けることができます。
そのように一緒に聖書を読んだり、メッセージを聞いて分かち合ったり、心を合わせて祈ったりする仲間が必要です。
礼拝も仲間が必要です。病気などどうしても仕方がない場合にはオンラインで礼拝をささげることもできます。その場合でも、聖霊は時間と場所を超えて私たちを一つの会衆にします。だから隔離された部屋で独りぼっちで礼拝の動画を見ているようでも、私たちは共に礼拝しています。
聖礼典とは、イエス様が行うように命じた儀式です。プロテスタント教会では洗礼式と聖餐式の2つを聖礼典としています。これらの儀式で私たちは恵みを全身で味わいます。共に1つのパンを裂いたり一緒に洗礼式を見届けたりするとき、私たちはキリストにあって1つなのだと実感します。
多様性をもった一致
今日の本文には一つや一緒という言葉が繰り返されています。
教会には一致が大事です。
使徒信条でも聖なる公同の教会と言われています。教会は神によって区別された1つの組織だということです。
ところが現実を見てみると教会はバラバラな感じがします。大きく分けるとローマ・カトリック、正教会、プロテスタントという宗派があります。プロテスタント教会の中にも様々な教団教派があります。
別々の組織では一緒に活動することが難しいではないですか。日本の中でクリスチャンは1%にもならないのに、その中でもバラバラになっているなら、教会に何ができるでしょうか。
では1つになればいいのでしょうか。世界人口の3人に1人はクリスチャンです。すべての教会やクリスチャンを1つにまとめれば、世界最大の組織が誕生します。教会はものすごい力を持つことになります。
これは危険な考えです。
プロテスタント教会が誕生する前、西方教会は1つのローマ・カトリック教会でした。大きな力を持った組織でした。だから問題が生じ、宗教改革が起こり、プロテスタント教会が誕生したわけです。
日本のプロテスタント教会が1つの組織にまとめられた時期がありました。戦時中、法律によって1つの日本基督教団にまとめられたのです。今では考えられない夢のような話です。
では1つの組織になって何をしたかというと、礼拝の中で天皇に向かっておじぎをしたり、戦争のために軍用機を献品したりしました。そしてアジア諸国の教会に向けて、神社参拝を命じたりしました。
こんなものは聖なる公同の教会ではありません。
確かに教会は一致が大事です。
しかしその一致は、人間の力で1つにまとめあげるものではありません。人間が他の人々をまとめようとすると、他のあり方を認めない画一的な一致になりがちです。
体の中に様々な部分があるように、教会が目指すべきところは多様性をもった一致です。
現在、世界中に、また日本の中にも、様々な教会があり、様々なクリスチャンがいます。
私たちの狭い考えでは理解できない信仰のスタイルを持った人たちもいるでしょう。私たちはついそのような人たちを見て「あんなのは教会ではない。あの人たちはクリスチャンではない。」と裁きたくなります。
しかし多様なクリスチャンがいるからこそ、幅広い人々に福音を届けることができるのです。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
コリントの信徒への手紙一12:27
どんなに違うように見えても、互いにキリストの体の部分です。
相手の信仰を尊重することを忘れないでください。
問題のない教会はない
相手の信仰を尊重すると言っても、どのような教会、どのような信仰でもいいというわけではありません。教会や個人個人のクリスチャンが問題を起こすことはあります。聖書に照らし合わせて信仰から外れていないか点検する必要があります。そのために信条を学んでいます。
私たちは最初の頃の教会を理想化してしまうこともありますが、教会は最初から問題だらけでした。
使徒言行録、コリントの信徒への手紙、黙示録などを見ていくと、教会の様々な問題が見えてきます。現代の私たちの教会に当てはまる問題もたくさんあります。
地上の目に見える教会は人間の集まりである以上、問題はなくなりません。罪人の集まりですから。問題ない教会はないです。
教会の問題点が見えたり教会の人間関係につまずいたりすることもあるでしょう。そして教会から離れたくなります。
しかし一人で信仰生活は続けられません。私たちを信仰の交わりから引き離そうとするのは悪魔の策略です。群れから外れた羊を、悪魔がほえたける獅子のように狙っています。
教会は改革され続ける必要がある
こんな問題だらけの教会に神様は天と地をつなぐ鍵を預けてくださいました。神様すごいですね。
だから教会には神様から任された役割があります。個々の教会には、キリストの体の手として足として果たすべき使命があります。
その使命を果たしていくために、教会は常に改革されていく必要があります。
宗教改革は500年前に終わったのではありません。時代の変化、社会の変化の中で、教会は改革され続ける必要があります。
今この時代に神様がここに教会を置かれた目的は何でしょう。
共に御言葉に聞き、共に祈りながら改革を続けてください。そうして真の教会が建て上げられていきます。
キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。
エフェソの信徒への手紙4:16
節々が補い合うというのはジグソーパズルのようです。
ある人の長所がある人の短所を補い、強くされます。
もし1つでもピースが欠けたら完成しません。誰一人、教会に必要ではない人はいません。誰一人、失われていい人はいません。
鍵になる言葉は愛です。
私たちは神を愛し、自分を愛し、隣人を愛する教会を目指しています。
教会を通して世界が変えられていく
聖霊の働きによって一つにされた教会、聖なる公同の教会では何が起こるのでしょう。
「46 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、47 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」
教会がその使命を果たしていくとき、日々救われる人々が起こされ、一つにされていきます。
私たちが集まる姿、喜びと真心をもって食事をする姿、神を賛美する姿を見て、人々は好意を抱きました。
聖霊によって変えられた人としてのあるべき姿、神の国を垣間見ます。
武力で守られた平和や人間の権力で作られる一致ではなく、ただ聖霊によって生み出される義と平和と喜びがあります。
教会を通して世界は変えられていきます。