信仰者を力づける聖霊

歴代誌講解50

信仰者を力づける聖霊

歴代誌下 16:1-14

1 アサの治世第三十六年に、イスラエルの王バシャはユダに攻め上って来て、ラマに砦を築き、ユダの王アサの動きを封じようとした。2 アサは主の神殿と王宮の宝物庫から銀と金を取り出し、ダマスコに座を置くアラムの王ベン・ハダドに贈って言った。3 「わたしとあなた、わたしの父とあなたの父との間には同盟が結ばれています。わたしはここに銀と金をあなたにお届けします。イスラエルの王バシャとの同盟を直ちに破棄し、彼をわたしから離れ去らせてください。」4 ベン・ハダドはアサ王の願いを入れ、配下の軍の長たちをイスラエルの町々に送り、イヨン、ダン、アベル・マイムおよびナフタリの町のすべての補給基地を攻略させた。5 バシャはこれを聞くと、ラマの構築をやめ、その作業を中止した。6 アサ王はユダの人々を総動員して、バシャがラマ構築に用いた石材と木材を運んで来させ、それを用いて、ゲバとミツパに砦を築いた。7 そのとき、先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った。「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる。8 クシュ人とリビア人は非常に多くの戦車と騎兵を有する大きな軍隊であったが、あなたが主を頼みとしたので、主は彼らをあなたの手に渡されたではないか。9 主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。」10 アサは先見者のこの言葉を聞いて怒り、彼を獄に投じた。この事で彼に対して激しく怒ったからである。またアサはそのとき、民の中のある者たちを虐待した。11 アサの事績は、初期のことも後期のことも、『ユダとイスラエルの列王の書』に記されている。12 アサはその治世第三十九年に足の病にかかり、その病は極めて重かった。その病の中にあっても、彼は主を求めず、医者に頼った。13 アサはその治世第四十一年に先祖と共に眠りにつき、死んだ。14 彼はダビデの町に掘っておいた墓に葬られた。人々は特別な技術で混ぜ合わせた種々の香料の満ちた棺に彼を納め、また彼のために非常に大きな火をたいた。

聖霊の力を受けるとの約束

 今日はペンテコステ礼拝です。イースターの7週間後になります。
 イエス様が十字架で死なれた過越祭から50日後の五旬節の日、エルサレムに集まっていた120人の弟子たちに聖霊が降りました。
 ここからキリスト教会が始まったとされます。
 ですから教会の誕生日とも言えます。

 復活したイエス様は天に上げられる前に約束しました。

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

使徒言行録1:8

 聖霊は旧約時代には特別な人だけに与えられていましたが、ペンテコステ以降はイエス・キリストを信じるすべての人に与えられています。
 だから私たちは聖霊によって力づけられます。

聖霊の力を頼る

 今日の本文は南ユダ王国3代アサ王の話第3部、アサ王の背信です。
 アサ王については、その心が生涯を通じて主と一つであったと評価されています。
 クシュ人が大軍を率いてきた時は主に祈り、勝利しました。
 アザルヤの預言の言葉に聞き従い、宗教改革を実行。
 その礼拝において分断された南北の民が共に礼拝をささげました。
 こうして南ユダ王国はアサの治世35年まで平安に守られます。

バシャのラマ砦構築

 36年目に事件が起こります。 イスラエルの王バシャが侵略してきました。
 バシャはベニヤミンの町ラマを占領し、そこに砦を築き始めました。
 ラマはエルサレムから8㎞しか離れていません。
 ここから8㎞と言うと、北に行けば三方原、西に行くと志都呂、東に行くと磐田市香りの博物館。近いですね。
 兵を走らせれば、あるいはバシャが馬車を走らせれば、30分程度で首都が包囲されてしまいます。
 平安は奪われました。

アサの知恵

 ここでアサは知恵を働かせます。
 バシャが南に手を出したのは、北のアラムとの同盟があったからです。もしアラムと北イスラエルが手を結んでいなければ、南に兵を集める余裕は無くなります。
 アラムは南ユダ王国とも同盟関係にありました。
 そこでアサはアラム王ベン・ハダド1世に金銀を贈り、バシャとの同盟関係を破棄してくださいと要請します。
 ベン・ハダド1世はアサの願いを聞き入れ、北イスラエルの北部、ガリラヤの辺りの町を攻略します。
 バシャはラマ砦の構築を中断しなければならなくなりました。
 アサも兵を送り、奪われた領土を回復します。
 さすがアサ王、知恵もある善い王様です。
 列王記でもこの事件はアサの功績の1つとして記録されています。

この世の力を頼ったアサ

 しかし歴代誌はこの事件を否定的に見ます。
 アサが北イスラエルを退けたそのとき、先見者ハナニが来てアサに言いました。
 「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる。」
 アサへの批判です。

 アサは主を頼みとしなかった。
 代わりに頼ったのはアラム王。
 アラムは、今回は南ユダに味方してくれました。しかしそれは南ユダから金銀を受け取り、北イスラエルの物資を略奪できるという利益があったからです。
 アラムはこの後、北イスラエルと南ユダを度々苦しめることになります。

 またアサは神に祈らず自分の知恵に頼りました。
 クシュ人の大軍が攻めてきた時は、まず主に祈りました。

 そして神殿と王宮の宝物庫から金銀を取り出し、その富の力を頼りました。
 この金銀はどこから来たのでしょう。
 戦利品として勝ち取ったものもあります。しかしその勝利は神が与えたものであり、神のために取り分けたものです。
 また民の汗水流してささげた税金もあったでしょう。
 神殿の宝物庫には、ダビデと民が自らすすんでささげたものも残っていたかもしれません。
 これらの尊いささげものを、アサはアラムに差し出してしまいました。

 ハナニの言葉を聞いたアサは激しく怒り、ハナニを牢に入れてしまいました。
 これが聖書で最初に記録された預言者への迫害です。
 預言者の息子アザルヤが語った時には素直に聞き従ったのに。

 さらにアサは民の一部も虐待しました。

この世の力は悪い実を結ぶ

 北イスラエルを退け領土を回復したという結果だけを見れば、アサはよいことをしました。
 しかしそれは人間や物質というこの世の力を頼って得たものです。
 この世の力はアラムとの長い戦い、預言者の迫害、民の虐待という悪い実を生み出します。
 それに対し神を頼る人は、神によって力づけられます。
 この世の力か、神の力か。どの力を頼るかで結ぶ実が変わります。

世界中を見渡す主の目

 ハナニは言いました。
 「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。」
  国籍や身分や行いではなく、神は心を見ます。そして神と心を一つにする者を神は力づけます。

聖霊の油を注いで力を与える

 この世界中を見る主の目という表現はゼカリヤ書にも出てきます。

誰が初めのささやかな日をさげすむのか。ゼルバベルの手にある選び抜かれた石を見て/喜び祝うべきである。その七つのものは、地上をくまなく見回る主の御目である。」

ゼカリヤ書4:10
七枝の燭台(メノーラー)

 これはゼカリヤの第5の幻の中で語られた言葉です。
 ゼカリヤは夢の中で7つのともし火皿がついた燭台を見ました。その燭台には管がついており、両隣に2本のオリーブの木が生えています。
 常に油が注がれ、火が消えることがないということでしょう。
 ゼカリヤはダビデの子孫ゼルバベルとアロンの子孫ヨシュアを励まし、神殿の再建を進めさせます。
 この7つのともし火皿が世界を見渡す主の目です。
 主の目は神と心を一つにする者に油を注いで力を与え、神の働きのために用います。

聖霊の力によらなければよい実を結べない

 ゼカリヤはこのようにも言いました。

彼は答えて、わたしに言った。「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず/ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。

ゼカリヤ書4:6

 神殿の再建はただ聖霊の力で成し遂げられます。
 昔を知る人々は再建された神殿の小ささを嘆きましたが、目に見える結果が大事なのではありません。
 聖霊の力によらなければ、私たちは良い実を結ぶことができません。

聖霊があなたの心を新しくした

 主の目は今も世界中を見渡し、神と心を一つにする者を力づけようとしています。
 では誰が神と心を一つにすることができるでしょう。
 聖書は正しい者はいない。一人もいないと言います。神と心を一つにできる人などいないのです。
 神によって心を新たにしていただかなければ不可能です。
 神によって心を新しくされた人、それがクリスチャンです。
 聖霊は私たちの心を変え、罪を悟らせ、キリストを知り、イエスを主と受け入れることができるようにしてくださいました。これを教理の言葉で有効召命と言います。
 だから神は今、あなたに目を留め、聖霊の油を注いで力を与え、神の働きのために用いようとしています。
 地の果てに至るまでキリストを証しする証人にしようとしています。
 目に見える立派な結果を追い求めず、聖霊の助けを求めて行ってください。

時が来て実を結ぶ

 高齢の方が教会を訪ねてくるという話を度々聞きます。
 そのおじいちゃんおばあちゃんは、子どもの頃に教会学校に行ったとか、若い頃にミッションスクールに通ったという経験があったそうです。50年60年前のことです。それを思い出して「そうだ、教会行こう」と思ったと言うのです。
 先週教会でどんなメッセージを聞いたか覚えていますか。昨日の晩ご飯は何でしたか。
 人間の記憶力はその程度です。
 それなのに半世紀以上前に教会に行ったことが思い出される。
 これこそ真理の霊、聖霊の働きではないでしょうか。

 礼拝堂に何人集まるか、洗礼者が何人いるか、献金額はいくらか、そういう目に見える結果もあればうれしいです。
 しかし目先の結果を追い求めるのではなく、聖霊の力を求めてください。
 目先の結果を求めるなら、この世の力を頼り、後に悪い実を収穫します。
 相手がすぐに変わらなくても、イエス様のことを紹介し続けてください。
 聖霊の力によるなら、必ずよい実を結びます。

聖霊の力を感じられなくても見捨てられたのではない

 アサは晩年、重い足の病気になります。
 神に背いた罰ではありませんが、悔い改める機会にはなります。
 それでもアサは主を求めず、医者に頼りました。

神はいやし主

 医学を否定しているわけではありません。聖書の中には医療に関する話がたびたび出てきますし、医者のルカも出てきます。
 いやし主である主を頼らなかったことが問題です。

26 言われた。「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない。わたしはあなたをいやす主である。」

出エジプト記15:26

 主はご自身を「いやし主」であると語ります。
 医者に診てもらったり薬を飲んだり予防接種をしたりすることは必要なことです。
 その中でも主があなたを癒したいと願っておられることを忘れてはいけません。

神はアサを見捨てなかった

 アサがどんなに神に背いても、神はアサを癒すいやし主であることに変わりありません。
 アサがどんなに神を見捨てても、神はアサを見捨てません。
 アサに悔い改めの機会を与え、病を癒し、生きることを願っています。

 神がアサを見捨てなかったことは、アサの死後の評価からもわかります。
 アサ王の葬儀は盛大に行われ、代々の王より増して大きな火が焚かれました。立派な王として扱われています。
 そして歴代誌は、彼は生涯に渡って主と心一つであったと生涯全体を評価します。

神は決して見捨てない

 私たちは生活の中で聖霊の力を感じられない時があります。
 喜びも平安も親切もない。聖霊は離れてしまったのではないか。神から見捨てられたのではないかと思う。病気になったのは神からの罰ではないかと思ってしまう。
 しかし神はあなたを見捨てません。

金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。

ヘブライ人への手紙13:5

 この世の力を頼らず神の力を頼って。なぜなら神はあなたを見捨てないから。
 決して離れず、決して置き去りにしないと繰り返し約束します。
 絶対に見捨てないよと強調しています。
 結果が出なくても、むしろ悲惨な状況になったとしても、神はあなたを見捨てないのです。

イエスの手に刻まれた愛のしるし

 イエスは十字架で死んで葬られ、復活しました。
 聖霊を受けたあなたはそのキリストに結ばれています。
 もう結び付けられているので、どうしても離れられないのです。

 神から見捨てられたように感じる時、キリストを見上げてください。
 キリストの手には釘の跡があります。
 私たちの背きを担い、病を担い、苦しみを担って十字架につけられた時の傷跡が、復活の後も消えずに残っているのです。
 その傷跡はあなたへの愛のしるしです。
 万が一母親が自分の子どもを忘れることがあっても、わたしはあなたを決して忘れないという約束がキリストの手に刻まれています。

聖霊の力でイエスを証しし続ける

 聖霊の力によって立ち上がり、証しし続けよう。
 キリストの傷により、あなたがたはいやされた。
 福音を証しし続けるのです。

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