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傷によって癒された

受難3

傷によって癒された

ペトロの手紙一2:24

そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。

ありのままで生きたい

アナと雪の女王

 ディズニーの映画「アナと雪の女王」。日本でも人気になりました。
 主題歌の「ありのままの」も大ヒットしました。映画の中では主人公の一人、エルサが歌っています。
 王女であったエルサには触れたものを凍らせてしまう力があります。
 子どもの頃、その力のために妹のアナを傷つけてしまいました。それ以来、エルサは自分の持つその恐ろしい力を隠し、城の中の自分の部屋に閉じこもってしまいました。
 数年後、国王であったエルサの父が海難事故で亡くなり、長女であるエルサが王位を継ぐことになりました。
 戴冠式の日、エルサはアナのわがままな振る舞いに腹を立て、思わず隠していた力を発揮してしまいます。
 エルサは城を出て山に逃げました。そして自らの力を解き放ち、氷の城を作ってそこに閉じこもります。
 そこで歌ったのが「ありのままの」です。自分を隠して生きてきた。その過去と決別してありのままの自分で生きよう、という決意の歌です。
 「ありのままの」がヒットしたのは、多くの人が共感したからではないかと思います。本音と建前を使い分ける日本社会の中で、ありのままで生きたい、というのは多くの人の願いではないでしょうか。
 今の自分ではいけない、という問題意識は大事です。
 また建前ではない本来の自分の人生を生きる、というのも大事なことです。
 しかし氷の城に閉じこもって生きるようなありのままの生き方は、他の人を傷つけてしまいます。

滅びへ向かう人間

 聖書にはよい知らせが書いてあります。あなたは愛されるために生まれた人だよ、とも教えてくれます。
 しかしそれは聖書のごく一部です。聖書全体に渡って、人間の罪という現実が突き付けられます。「正しい者はいない。一人もいない。」と断言します。

 律法には神の民としての生き方が示されています。その律法を守れば命が得られると約束されています。

わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。

申命記30:16

 しかし律法を守る力が人間にはありません。
 旧約聖書には613の戒めがあると言われます。多すぎるからでしょうか。十戒だけ考えてみてもいいです。この10の戒めすら守れません。
 律法の行いによって罪の自覚が生じます。
 このような罪人に神の怒りが臨みます。罪のゆえに人は皆、死ぬべき存在です。何ということでしょう。

 なぜ人間は罪の存在になってしまったのか。
 元をたどればアダムのせいです。アダムは自らの意思で神に背きました。そして人間の代表であったアダムの罪によって、人は皆罪の中に生まれてきます。
 では罪はアダム一人の責任なのか。
 いや、私たちも自らの意思で神に背き、罪を犯すのです。
 自らの意思で心から神を締め出します。神などいないかのように生きます。自らの意思で自己中心的な生き方を選択します。
 私たちは自ら滅びの道を歩んでいます。

滅びへ向かう私たちを救うイエス

 しかし神は人が滅びに向かうのを放っておきません。イエス・キリストは私たちの罪を背負うために来ました。
 イエス様はご自分のことを羊飼いだと言います。

わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

ヨハネによる福音書10:11

 羊とは私たちのことです。飼い主を捨てて離れ去った羊です。滅びへと向かう羊です。
 その羊一匹一匹を探し、命がけで救い出します。ほえたける獅子とも戦います。
 羊のために命を捨てる、まことの羊飼いです。羊飼いは、羊に命を豊かに与えるのです。

 イエス様は十字架につけられました。それはイエス様が罪の刑罰、罪の呪いを引き受けたことを意味します。
 滅びの道を選択した私たちを、イエス様はご自身の命と引き換えに救い出してくださいました。

神に立ち返って愛に生きる

 イエス様の十字架によって私たちの罪は贖われました。
 それでも律法を守る力はありません。
 そこは心配いりません。イエス様が律法の要求を満たしてくださいました。律法は破棄されています。

規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。

コロサイの信徒への手紙2:14

 もう何にも支配されません。誰も私たちを罪に定めません。

 これでどんな人生を歩んでいいか。ありのままの自分になって、好きなように生きていいのか。
 エルサは自分の持つ力を解き放つことでありのままの人生を生きようとしました。その結果、アナを再び傷つけてしまいます。
 アナを助ける方法は、真実の愛でした。
 ありのままでで生きるというのは、自分勝手に生きるということではありません。
 本当のありのままの人生、私たちが生きるべき人生は、愛に生きることです。
 自分勝手に滅びの道を行ってはいけません。
 イエス様が命を捨てて滅びの道から救い出してくださったのだから、もう滅びの道は選択できないはずです。

わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。

イザヤ書44:22

 イエス様の十字架によって、私たちの罪は霧のように吹き払われました。罪に対し死んで、義によって生きるようにと、神が招いています。滅びへ向かっていた古い人生と決別し、新しい人生を歩み始めよう。
 主の懐に帰り、新しい命に生きていくのです。

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