歴代誌講解16
全地よ主に向かい歌え
歴代誌上 16:23-27
23 全地よ、主に向かって歌え。
日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。
24 国々に主の栄光を語り伝えよ/
諸国の民にその驚くべき御業を。
25 大いなる主、大いに賛美される主/
神々を超えて、最も畏るべき方。
26 諸国の民の神々はすべてむなしい。
主は天を造られ
27 御前には栄光と輝きがあり/
聖所には力と喜びがある。
存在を通して神をほめたたえる
先週24日にパラリンピックが開幕しました。
パラリンピックは障がいのあるスポーツ選手が出場する国際大会です。多様性を認め、誰もが共に生きる社会の実現を進めることを目指しています。
26日には水泳男子100m自由形S4のクラスで鈴木孝幸選手が金メダルを獲得しました。これが今大会で日本代表選手初の金メダル。しかも鈴木選手は浜松の聖隷クリストファー高校の出身ということで話題になりました。
パラリンピックの水泳界には伝説的な選手がいます。
ブラジル代表のダニエル・ディアス選手です。過去3大会で24個のメダルを獲得し、今大会でも男子200m自由形S5のクラスで銅メダルを獲得しました。
ダニエル選手は生まれつき両腕と右足に障がいがあります。子どもの頃にはころには障がいを理由にいじめられました。
しかしテレビでアテネパラリンピックを見て、自分と同じような障がいがあってもスポーツで活躍する機会があるということを知ります。そして水泳教室に通い始めました。
水泳を始めた彼は、水泳こそ神様から与えられた賜物であり、福音を伝えるためにあるものだと確信しました。
そして水泳を始めてわずか4年後、彼は北京パラリンピックに出場し4種目で金メダルを獲得しました。そしてロンドンではブラジル選手団の旗手を務め、6種目で世界新での金メダル。2016年に祖国ブラジルで行われたリオ大会では9個のメダルを獲得しました。
彼は紛れもなく世界のトップアスリートであり、ブラジルの英雄です。
しかし彼は自分のことを、キリストのしもべと表現します。
彼にとっての1番のアイデンティティは、水泳の金メダリストでもなく、ブラジルの英雄でもありません。キリストのしもべです。
スポーツの記録はいつか過ぎ去っていく。しかし神の愛はいつまでも残る。だから自分の生き方、あり方を通して福音を伝えていきたいと語っていました。
私たちの存在を通しても、神様をほめたたえることができます。
私たちは神を賛美するために造られた
神の箱をエルサレムに運んだダビデは、いけにえをささげて礼拝し、民を祝福しました。
サムエル記で短く書かれている記事を、歴代誌では詳細に記録しています。
16章は交差法という手法が使われています。16章の最初は民を祝福する話、最後にはダビデの家を祝福する話が置かれています。その間にエルサレムで奉仕者を任命する話とギブオンで奉仕者を任命する話が挟み込まれています。さらにその内側に主への賛美が挟まれています。
サンドイッチのように挟み込むことで、真ん中に挟まれている部分を強調します。
真ん中の詩の部分も最初は詩編105編、次に96編、最後に106編から引用されています。最初の部分は契約の成就、真ん中は全地の王である神への賛美、最後に救いのための祈りという内容になっています。真ん中は神への賛美です。
ですから歴代誌の著者は、読者に対して神への賛美を呼びかけるために、この16章を編集したと考えられます。
全地よ創造主に向かって歌え
賛美が呼びかけられているのはイスラエルの民だけではありません。
「全地よ、主に向かって歌え。」と呼びかけられています。すべてのものが主を賛美します。主は造り主だからです。
後の世代のために/
詩編102:19
このことは書き記されねばならない。
「主を賛美するために民は創造された。」
私たちは主を賛美するために創造されました。
人は神を賛美するために造られた楽器
造られたものには、造られた目的があります。
本来の目的と違うことに使おうとすれば事故が起こります。
ドラムのスティックはドラムを叩いて音楽を奏でるためにあります。
しかし滅茶苦茶に叩けば騒音を出すだけです。おしりや足の裏を叩けば体罰です。使い方を間違ってはいけません。
私たちは神を賛美するために造られた楽器です。
楽器には色々あります。この礼拝堂にもピアノ、ギター、ドラムなどがあります。フルートを吹ける人もいます。
オーケストラや吹奏楽では、様々な楽器がそれぞれのパートを演奏することで、1つの曲を奏でることができます。
多様性を持つ私たちがキリストという1人の指揮者に従うとき、共に主を賛美することができます。
そのままでは神を賛美できない
しかし私たちは、自分が主を賛美する楽器だと思って生活しているでしょうか。
全くと言っていいほど、そのように考えていないでしょう。
長い間使い方を間違え、メンテナンスをしてきませんでした。そうすると楽器は壊れてしまいます。
先日、礼拝堂のピアノを交換しました。前のピアノの一部の音が出なくなってしまったからです。
使い方は間違っていなくても、メンテナンスを怠っていました。
私たちは間違った人生を歩み、自分を壊します。
たとえ世の中で成功を収めているようでも、創造主なる神様と共に歩むことを忘れるなら、自分を壊します。
あるいは、生まれながらに欠けを持っている人もいます。
このままでは神様を賛美できないと思えます。
キリストによって奏でられる神への賛美
イエス様は通りすがりに生まれつき目の見えない人を見かけました。
弟子たちは「この人の目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」と聞きました。
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
ヨハネによる福音書9:3
生まれつき目が見えないというその欠けさえ、神を賛美するために用いられます。
私たちが自分を壊してしまっても、あるいは弱さを持って生まれたとしても、イエス様は私たちを賛美の道具として用いてくれます。
だからキリストに立ち返り、メンテナンスをしていただきましょう。
「全地よ、主に向かって歌え」 私たちにも呼びかけられています。
イエス様にあって、私たちは賜物を活かして、また弱さや問題を通してで、神様を賛美することができます。
私たちを通して、この世界を賛美で満たすことができます。
自分が何者かを思い起こせ
歴代誌が書かれたのは捕囚から帰還した後だと考えられます。ペルシアやギリシアという大国の支配を受けていました。
そのような民に向けて、歴代誌の著者は「賛美せよ」と呼びかけています。
神の民としてのアイデンティティを呼び覚ます
ペルシアもギリシアも、それぞれの神々がいます。当時、その国が立つのも倒れるのも、その国を守る神様の力によると考えられていました。
そのような世界観の中で、こう歌われています。
「大いなる主、大いに賛美される主/神々を超えて、最も畏るべき方。諸国の民の神々はすべてむなしい。」
他の国の神々は、人間が作ったものです。人間の頭の中で創作され、人間の手で像が作られました。
主なる神様は違います。主は天を造られた神様、創造主です。そして主なる神様が人間を、神のかたちに造りました。
その神の民としてのアイデンティティを呼び覚ますのがこの詩編です。
今あなたたちは外国に支配されている。外国の神々に支配されている。しかし思い出してみなさい。主はすべてを創造した神であり、あなたは神のかたちに造られている。あなたは神を賛美するために造られている。
目の前の環境や状況を見るのではなく、神様を見上げ、神様を賛美しなさい。そのように呼びかけています。
この世の生活で自分が何者か見失う
今私たちは外国に支配されているわけではないけれど、圧倒的に少数者です。
日本にはやおよろずの神々がいます。やおよろずは漢字で八百万。八百万の神々が支配するこの国の中で私たちがクリスチャンとして生きていくことに、寂しさを感じることがあるかもしれません。
教会に来て他のクリスチャンと顔を合わせれば、励まし合うことができます。
しかし緊急事態宣言になり、オンラインで礼拝をささげる人たちもいます。顔を合わせて励まし合うことができません。そうすると1週間の中で他のクリスチャンと会わないという人もいるでしょう。一緒に祈ったり御言葉を分かち合ったりする仲間がいないという孤立した1週間を送った人もいるでしょう。
そういう状況の中でクリスチャンとしてのアイデンティティを見失いかけるかもしれません。
そんな私たちに神様は呼びかけます。
あなたは何者か思い起こしてみなさい。主はすべてを創造した神であり、あなたは神のかたちに造られている。あなたを通して神を賛美するために、あなたはその職場、学校、家庭に置かれている。
私たちは繰り返し、この神様からの励ましの言葉を聞く必要があります。
神の言葉によって自分のアイデンティティを確かめる
歴代誌の著者はなぜ16章まるまる1章使って、聖書の様々な部分から引用して、「賛美せよ」と呼びかけているのでしょうか。
それは神の言葉が私たちを生かすからです。
私たちは繰り返し神の言葉を聞き、自分が何者かを思い起こす必要があります。
27 わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。28 わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。
ヨハネによる福音書10:27-28
私たちはイエス様に従う羊の群れです。
だからイエス様の声を聞き続けるときに、自分が何者かを思い起こすことができます。
イエス様は「彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。」と約束しています。
パンデミック、戦争の危機、経済的な問題など、この世界がどんなに困難に満ち溢れてクリスチャンとして生きることが難しく感じられても、誰も神の愛から私たちを引き離すことはできません。
神の言葉を聞き続け、自分が何者かを思い起こしましょう。
私たちは神を賛美するために造られました。
どんな環境や状況に置かれたとしても、今週どんな困難がやってくるとしても、人生を通して神を賛美し、この世界を賛美で満たしていく私たちでありたいと願います。