悲しむ者へのしるし

エゼキエル書講解35

悲しむ者へのしるし

エゼキエル書 24:15-27

15 主の言葉がわたしに臨んだ。16 「人の子よ、わたしはあなたの目の喜びを、一撃をもってあなたから取り去る。あなたは嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。17 声をあげずに悲しめ。死者の喪に服すな。頭にターバンを巻き、足に靴を履きなさい。口ひげを覆うな。嘆きのパンを食べてはならない。」18 朝、わたしは人々に語っていた。その夕、わたしの妻は死んだ。翌朝、わたしは命じられたとおりに行った。19 人々はわたしに尋ねた。「あなたが行っているこれらの事は、我々にどんな意味があるのか告げてくれないか」と。20 そこでわたしは、彼らに語った。「主の言葉がわたしに臨んだ。21 イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしは、わたしの聖所を汚す。それはお前たちの誇る砦であり、目の喜び、心の慕うものであった。お前たちが残してきた息子、娘たちは、剣によって滅びる。22 わたしがしたように、お前たちもするようになる。お前たちは口ひげを覆ってはならない。嘆きのパンを食べてはならない。23 頭にターバンを巻き、足に靴を履け。また、嘆いてはならない。泣いてはならない。お前たちは自分の罪のゆえに衰え、互いに嘆くようになる。24 エゼキエルは、お前たちにとってしるしとなる。すべて彼が行ったように、お前たちもするであろう。すべてが実現したとき、お前たちは、わたしが主なる神であることを知るようになる。」25 人の子よ、わたしが彼らから、その砦、栄光の喜び、目の喜び、心の望みであるもの、息子、娘たちを取り去る日、26 その日、逃れて来た者が来てあなたの耳に告げる。27 その日に、あなたは逃れて来た者に向かって口を開いて語り、もはや黙しているな。あなたは彼らに対してしるしとなり、彼らはわたしが主であることを知るようになる。

大切にしてきたものを手放さなければならない悲しみ

 もしあなたが急に病気になって、あと12週間しか生きられないと考えてみてください。だいたい3ヶ月です。
 体が弱くなり、できることが少なくなっていきます。病院に入院し、生活の範囲も限られてきます。会える人も少なくなります。意識がぼんやりしてきて、考えることも難しくなってきます。
 そのとき私たちはどのような気持ちになるでしょうか。何を大事にするでしょうか。
 大事な人。大事な活動。目に見える大事なもの。目に見えない大事なもの。それぞれ3つずつ紙に書いてみてください。
 この12個を、1週間で1つずつ捨てていきます。
 まず何を捨てますか?
 次に何を捨てますか?
 最後から2番目に捨てるのは何でしょうか。
 最後まで残ったのは何でしょうか。
 私たちの目を喜ばせていたもの、心を喜ばせていた活動、大事な人たちをいつか捨てなければならないときが来ます。
 最期に私たちは主が主であることを知るようになります。

主の悲しみを伝えるしるし

 今日の本文はエゼキエルの妻が亡くなる場面です。
 ある朝、主はエゼキエルに「あなたの目の喜びを一撃で取り去る」と言われました。その日の夕方、妻が亡くなります。
 しかしエゼキエルは悲しそうな様子を見せませんでした。そこで人々はエゼキエルのしていることを不思議に思いました。それはエゼキエルの生き方が主の御心を伝えるしるしとなるためでした。
 それは大事なものを失い悲しみの中にいる人たちに、主の悲しみを伝えるしるしです。

目の喜びを取り去る

 まず今日の本文の15節から18節で『15 主の言葉がわたしに臨んだ。16 「人の子よ、わたしはあなたの目の喜びを、一撃をもってあなたから取り去る。あなたは嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。17 声をあげずに悲しめ。死者の喪に服すな。頭にターバンを巻き、足に靴を履きなさい。口ひげを覆うな。嘆きのパンを食べてはならない。」18 朝、わたしは人々に語っていた。その夕、わたしの妻は死んだ。翌朝、わたしは命じられたとおりに行った。』 とあります。
 私たちの人生には悲しみのときがあります。

エゼキエルの妻の死

 主はエゼキエルに、「わたしはあなたの目の喜びを、一撃をもってあなたから取り去る。あなたは嘆いてはならない。泣いてはならない。涙を流してはならない。声をあげずに悲しめ。死者の喪に服すな。頭にターバンを巻き、足に靴を履きなさい。口ひげを覆うな。嘆きのパンを食べてはならない。」と言われました。
 エゼキエルはいつものように主の御言葉を人々に伝えました。今回は何か幻を見たわけではないので、何が起こるかはわかっていません。とにかく嘆くな、泣くなと具体的な行動は示されています。
 その日の夕方、エゼキエルの妻が亡くなりました。突然の出来事でした。
 このときエゼキエルは34歳です。妻はもう少し若かったと思います。ある程度年をとっていれば心の準備ができるかもしれません。しかし30代で妻や夫と別れると考えられますか。
 エゼキエルにとって、これは大きな悲しみだったはずです。

エルサレムの破壊

 主は続けて語ります。「わたしは、わたしの聖所を汚す。それはお前たちの誇る砦であり、目の喜び、心の慕うものであった。お前たちが残してきた息子、娘たちは、剣によって滅びる。」
 エルサレムは今バビロンに包囲されています。長く持ちません。城壁は崩され、街は破壊されます。神殿も破壊し尽くされます。
 エルサレムの神殿は主がご自分の名を置くと約束した場所です。イスラエルの民にとって美しい神殿は目の喜びでした。またこの神殿こそイスラエルが神の民であり、敵から守られることを感じさせてくれる心のよりどころでもありました。それが破壊されてしまいます。
 さらにエルサレムに残してきた息子や娘たちも剣に倒れると主は言われます。
 全てのイスラエル人にとって悲しみのときが来ます。

悲しみを表現できない

 大きな悲しみのとき、私たちはそれを表現できないときがあります。
 小田和正さん(オフコース)の「言葉にできない」という歌があります。
 愛する人を失った現実を苦しみながら受け止めようともがく人の心を歌っています。

オフコース「言葉にできない」

 エゼキエルは妻が亡くなったのに、涙を流すこともできず、いつも通りの服装をしていなければなりませんでした。それは主がそう命じた事であり、預言者の使命でした。
 私たちの人生には悲しみがあります。大事な人との別れがあります。年を取ったり、病気やケガのために好きなことができなくなったりします。今まで大事にしていたものが壊れてしまったり、亡くなってしまったりすることもあります。人間関係の中で騙されたり裏切られたりすることもあります。
 仏教の言葉で四苦八苦というものがあります。人生には生老病死という基本的な4つの苦しみがある。さらに愛する者と別れる、憎らしい人に会う、求めているものが得られない、体が思い通りに動かないという4つも加えると8つの苦しみがあるという考えです。基本的に、生きていることだけでも苦しみで、人生は苦しみの連続だということです。
 仏教はその苦しみを解決するために諦めることを教えています。苦しみがあるのは仕方ない。欲しいもの、したいことを諦める。そして無我の境地になって悟りを得る。
 しかし諦めるのも苦しいですね。結局、私たちの力では苦しみから逃れられません。

 日本は災害大国です。地震、津波、火山、大雨。日本中どこでも自然災害が起こる可能性があります。
 西日本で大雨が降りました。川が溢れ、山が崩れました。200人以上の人が亡くなりました。家族や友人を失った人、家や財産を失った人、食べる物や清潔な水を失った人たちがいます。
 その中で県庁、市役所、警察、消防、自衛隊など公務員の方々は市民生活の復旧のために休みなく働きます。
 しかし現地にいる彼らも被災者です。彼らも家族を失っているかもしれない。家や財産を失っているかもしれない。彼らも助けられる権利がある。涙を流す権利がある。
 それでも彼らは嘆かず泣かず、涙を流しません。いつもどおりスーツを着、制服を着て任務を果たします。やることがある間は、悲しみと向き合うこともできません。
 心のどこかに悲しみはあります。しかしその悲しみと向き合うことができません。これは本当に辛いことです。

 私たちもいつかそのような悲しみに直面します。愛する家族が天に召されるとき、最初は忙しくて悲しむ余裕がありません。
 私たちの人生はこのように悲しみや苦しみが満ちています。

神の悲しみ

 次に今日の本文の19節から24節に『19 人々はわたしに尋ねた。「あなたが行っているこれらの事は、我々にどんな意味があるのか告げてくれないか」と。20 そこでわたしは、彼らに語った。「主の言葉がわたしに臨んだ。21 イスラエルの家に言いなさい。主なる神はこう言われる。わたしは、わたしの聖所を汚す。それはお前たちの誇る砦であり、目の喜び、心の慕うものであった。お前たちが残してきた息子、娘たちは、剣によって滅びる。22 わたしがしたように、お前たちもするようになる。お前たちは口ひげを覆ってはならない。嘆きのパンを食べてはならない。23 頭にターバンを巻き、足に靴を履け。また、嘆いてはならない。泣いてはならない。お前たちは自分の罪のゆえに衰え、互いに嘆くようになる。24 エゼキエルは、お前たちにとってしるしとなる。すべて彼が行ったように、お前たちもするであろう。すべてが実現したとき、お前たちは、わたしが主なる神であることを知るようになる。」』 とあります。
 悲しみの中にいる私たちを見ながら、主も悲しんでいます。

愛されるべき人間

 私たちはどうしてこのような悲惨な世界に生きているのでしょうか。
 7月は創世記の通読をしています。
 神様は天地万物を創造した後、とてもよいと言われました。神様自身が見て、この世界に対してよいという評価をしたのです。
 この世界に最後に造られたのが人間でした。人が神のかたちに似せて造られたところで、天地創造は完了しています。
 神様にとって私たち人間が特別な存在であり、愛されるべき存在、祝福されるべき存在であるということがわかります。

罪のため離れた

 それなのに私たちは今苦しんでいます。
 主は「お前たちは自分の罪のゆえに衰え、互いに嘆くようになる」と言われます。原因は私たちの罪です。
 アダムは神様と共に永遠に生きる自由がありました。
 しかし自らの自由な意志で、神様に背きました。
 その自分の罪のために人は呪われる存在になり、この世界も壊れてしまいました。
 なぜこの世界はこんなに悲惨なのか。神様は何をしているのか。大きな悲劇に直面したとき、私たちは神様を恨みたくなります。
 しかしこの世界を壊したのは私たちの罪です。
 罪の罰は受けなければなりません。

 オウム真理教という新興宗教がありました。
 彼らはサリンという毒ガスを作り、地下鉄の車内にばらまきました。多くの人が亡くなりました。
 教祖の松本智津夫は自分を神格化し、麻原彰晃と名乗りました。
 麻原は自分の教えに従う人に命を約束しました。従わない人たちはポアしなければならないと教えました。
 ポアというのはオウム真理教の教義で、人を輪廻転生のサイクルに戻すことを言います。
 神である麻原に従わなければ罪を犯すことになります。だからこれ以上罪を犯さないように死んでもらうことが善だというのです。こうして松本智津夫は殺人を正当化しました。
 こうして日本で数々のテロ活動を行ったオウム真理教の幹部たち12人に死刑判決が下っています。7月6日、そのうち7人の死刑が執行されました。他の5人にもいつか執行されるのでしょう。彼らはただ死を待つだけの存在です。
 彼らは自らの罪の罰を受けました。自分の行いに対する責任は取らなければなりません。
 しかし死刑というのも難しい問題です。果たして人間の裁判官に人の命を奪う権限があるのか。
 テロリストを殺したり、戦争中に敵の兵士を殺すことは正当化されるのか。

 私たちはこの地上で正義を行っているように見えて、実は罪を犯し続けて生きています。
 麻原と同じように私たちは心の中で自分が神になっていないでしょうか。
 殺人まで行かなくても、仕方ない、こうするしかない、これも善だと、罪を正当化していないでしょうか。
 私たちも自分の罪のゆえに衰え、滅びを待つだけの存在になっています。

深く憐れむ

 だから自己責任だ。せいぜい自分の罪で苦しめ。などと神様は言いません。
 罪人が滅びることが御心なら、はるか昔に滅ぼされていたでしょう。アダムが罪を犯した時点で最初からやり直すこともできたでしょう。
 しかしそうしませんでした。なぜ人が堕落したまま生かしておいたのでしょうか。善悪を知る木の実を食べると、必ず死ぬと言ったではありませんか。なぜすぐアダムに死刑を執行しなかったのか。神様は何を考えているのでしょうか。
 人は神様にとってどういう存在だったでしょうか。愛されるべき存在、祝福されるべき存在でした。神様にとっては、私たちこそ目の喜び、心の慕うものでした。私たちを子とし、また教会を花嫁と言われます。
 その私たちが自分から離れて行ってしまった。
 どう思いますか。悲しいでしょう。
 イエス・キリストは群衆を見て、深く憐れまれました。
 神の憐れみとは、内臓がちぎれそうになるほどの苦しみです。
 イザヤはこのように主の御心を伝えています。

8 主は言われた/彼らはわたしの民、偽りのない子らである、と。そして主は彼らの救い主となられた。9 彼らの苦難を常に御自分の苦難とし/御前に仕える御使いによって彼らを救い/愛と憐れみをもって彼らを贖い/昔から常に/彼らを負い、彼らを担ってくださった。

イザヤ書63:8-9

 神は決して私たちを見捨てません。
 私たちが苦しむとき、神は常に、私たちと一緒に苦しんでいます。
 この苦しみの世界から私たちを贖うためにイエス・キリストを十字架で死なせるほどに、神は私たちを見て深く憐れんでいます。

しるしとなる

 最後に今日の本文の25節から27節に『25 人の子よ、わたしが彼らから、その砦、栄光の喜び、目の喜び、心の望みであるもの、息子、娘たちを取り去る日、26 その日、逃れて来た者が来てあなたの耳に告げる。27 その日に、あなたは逃れて来た者に向かって口を開いて語り、もはや黙しているな。あなたは彼らに対してしるしとなり、彼らはわたしが主であることを知るようになる。』 とあります。
 神の御心は私たちを通してこの世に伝えられます。

エゼキエルの生き方

 主がそのように私たちを憐れみ、私たちと一緒に苦しんでいるなど、私たちにはわかりません。目に見えない神様の内臓がちぎれそうになっているなど、わかるはずがありません。
 だから神様はしるしを与えます。
 エゼキエルは妻が亡くなったのに、悲しみを表現しませんでした。
 周りの人々は不思議に思いました。それで「あなたが行っているこれらの事は、我々にどんな意味があるのか告げてくれないか」と尋ねました。
 エゼキエルの生き方そのものがしるしでした。

 エゼキエル書をここまで読んできて感じた人もいると思いますが、エゼキエル書はとても視覚的な表現が豊かです。不思議な生き物、れんが、汚れたパン、エルサレムの幻、鷲やぶどうのたとえ話、鍋。色々なイメージを使って神の言葉を伝えています。エゼキエルはそのように視覚に訴える方法で主の御心を伝える預言者でした。
 今日の本文でも、エゼキエルの生き方そのものが宣教になっています。
 福音というのは、ただ口から出る言葉だけで伝えられるものではありません。私たちの生き方そのものが福音です。
 文字は人を殺すが、霊は人を生かします。
 聖霊で満たされた私たちの人生、キリストの愛を実践する私たちの人生を通して、人々は私たちがキリストの弟子であるということを知るようになります。

 ワールドビジョンを通してバングラデシュに行った新川代利子宣教師の証しを聞いたことがあります。
 バングラデシュはイスラム圏なので公に福音を伝えることはできません。しかし町全体がクリスチャンになりました。何があったのでしょうか。
 現地の子どもたちは泥だらけになって遊んで来ます。ワールドビジョンのスタッフはその子たちを抱きしめていました。それを見て大人たちが変わっていったそうです。
 イスラム圏で生きる彼らにとって、泥だらけの子たちは汚い存在。自分の子供でも抱きしめることはできません。それなのに日本から来た彼らは、他人の子供なのに自分も泥だらけになりながら抱きしめている。どうしてそんなことができるのか不思議に思いました。
 そしてある日、村人の方から新川宣教師に、「あなたたちが信じている神のことを教えてくれないか」と言ってきました。
 生き方そのものがしるしになるのです。

語るべき時が来る

 しかしいつまでも黙っていればいいというわけではありません。
 エルサレムの包囲が始まって2年後、ついにエルサレムは滅ぼされます。主が語られた通り、神殿は破壊されます。
 その時、数人の人たちがエルサレムから逃れてバビロンに来ます。
 彼らはエルサレムで起こった惨事についてバビロンの捕囚民たちに語ります。
 その時、エゼキエルはようやく口を開きます。
 「その日に、あなたは逃れて来た者に向かって口を開いて語り、もはや黙しているな。あなたは彼らに対してしるしとなり、彼らはわたしが主であることを知るようになる。」
 エルサレムが苦しんでいるその時、遠く離れたバビロンでもエゼキエルは共に苦しんでいた。あまりの悲しみ、苦しみの中で涙を流すこともできなかった。おなじようにエゼキエルが2年間、妻が亡くなったのにその悲しみをじっと心に抑え込んでいた。
 それを知った時、彼らはどうなるでしょうか。
 もう抑えていられないですね。ずっと我慢していた。ずっと苦しかった。誰にも言えなかった。涙が溢れ、声にならない嗚咽が漏れてきます。

 私たちが口を開く時が来ます。
 私たちの家族に、友だちに、直接福音を伝えるチャンスが来ます。
 そのとき私たちはこの言葉を通して神の愛を証しします。
 多くの言葉が必要ではありません。議論によっては神の言葉は伝わりません。
 神が私たちを通して語るなら、たった一言でも人々の心に深く刺さります。
 聖霊の力で、キリストを証しするのです。

主を知る

 私たちの生き方、また言葉によって人々が知るのは、主が主であるということです。
 私たちの人生は神様の素晴らしさを表します。食べるにしろ、飲むにしろ、神の栄光を表します。
 今週、川で遊びながら、職場で働きながら、学校で勉強しながら、この浜松で生活しながら、主の御心が現されていきます。
 ローマの信徒への手紙12章では私たちがどのように生きるべきか、パウロが具体的なアドバイスをしています。

喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。

ローマの信徒への手紙12:15

 キリストが私たちにして下さったように、私たちがキリストの体として生きるなら、人々はイエスが主であると知るようになります。

 この世界は苦しみや悲しみが満ちています。
 神はいつも私たちと共に苦しみ悲しんでいます。
 私たちの人生を通して、この世界に主の御心が伝えられることを願います。

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