痛みを知っている主

受難2

痛みを知っている主

ヘブライ人への手紙4:15-16

15 この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。16 だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

誰にも言えない痛みや苦しみ

 東日本大震災から10年になろうとしています。
 数日前に津波の映像を見返してみました。今見ても衝撃が強いです。
 私は津波の被害を受けたわけではありません。それでも痛みを感じるならば、被災者にとってはあまりにも大きな痛みだったでしょう。
 今はコロナ禍によって多くの人が苦しみの中を通らされています。病気の苦しみ、大切な人との別れ、感染の不安、経済的な苦しみ、失われた様々な機会。
 「大丈夫、何とかなるよ」みたいな慰めの言葉を簡単にかけることはできません。
 私たちの中にも、誰にも言えない痛みや悩みがあるでしょうか。誰かに話したけれど真剣に受け取ってもらえなくて、口を閉ざしてしまった悩みもあるかもしれません。
 ただイエスだけはその痛み、悩み、苦しみを知っています。

イエスはあなたの苦しみを知っている

ペテロの否認(カール・ブロック)

 今日の本文にある「この大祭司」とはイエス様のことです。
 イエス様は私たちの弱さを理解することができます。私たちと同じ人間だったからです。人間としてあらゆる試練を経験しました。
 特にイエス・キリストは十字架で苦しみを負いました。
 3年半の間、イエス様は弟子たちを愛しました。この上なく愛しました。その愛する弟子の1人であるイスカリオテのユダが、イエス様を裏切りました。そして他の弟子たちも皆、逃げてしまいました。
 友の裏切りというのは本当に辛いことです。裏切りまで行かなくても、友だちが自分にウソをついていただけでも辛いです。
 ペトロはイエスの1番弟子のような存在です。そのペトロがイエスのことを知らないと、3回も否認しました。そのすぐ後にこうあります。

主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。

ルカによる福音書22:61

 イエス様は振り向き、ペトロと目が合いました。「あんな男は知らない」というペトロの声は、イエス様にも聞こえていたのでしょう。
 自分の一番近くにいた人が、自分のことを知らないと言った。どれほど辛いことでしょうか。

 十字架刑は肉体的にも精神的にも極限の苦しみを与えます。
 十字架につける前に鞭で打ちます。鞭の先には金属の鉤がついています。鞭で打つと、その鉤が肉に食い込みます。鞭を振り上げると肉が引き裂かれます。
 その上で十字架の横棒を担がされ、町の中を歩かされます。町の人たちは十字架につけられる犯罪者に向かってあらゆる侮辱の言葉をかけ、唾を吐きかけ、嘲笑います。
 イエス・キリストは究極の痛み、悩み、苦しみを知っているお方です。

他人に理解されなくても、あなたの苦しみは現実

 だからイエス様にはわかります。あなたは辛いよね。苦しいよね。
 気安く大丈夫だ、とかそれぐらい我慢しなさい、なんて言いません。
 子どもが痛い、熱い、からいと言っても親が痛くない、熱くない、からくないと否定してしまうことがあります。親にとって何ともないことです。しかし子どもにとっては確かに辛いのです。表現の仕方はズレているかもしれないが、辛いという感覚はその子にとっての事実です。
 教会の中でも誰かが苦しみの声を上げると、感謝しなさいと責められ、赦しなさいと強要されることがあります。私は聖霊によって苦しみから解放されたのだから、あなたももっと祈りなさいと言われることもあるかもしれません。
 自分の苦しみはどうせ他の人にはわからない。それで心を閉ざしてしまいます。
 しかしイエス様は、あなたの辛さを知っています。

痛みを知る人こそ痛む人を慰められる

 できれば辛い経験はしたくないものです。
 しかし神様は、人生のマイナスに思える部分もプラスに変えるお方です。
 詩人はこう告白しています。

『卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。

詩編119:71

 辛い経験を通して私たちは、自分の弱さや足りなさ、そしてこの世の力は頼れないことを知っていきます。
 頼ったものが頼りにならなかったというのは失敗の経験かもしれません。
 しかしある意味では発見です。頼ってはいけないものを発見したのです。
 そして神を頼るとき、本当に頼るべき方は神様しかいないという大発見をするでしょう。

失敗のような経験から大切なことを発見する

トーマス・エジソン

 発明王として知られるトーマス・エジソンは、白熱電球を発明しました。
 電球の中のフィラメントを開発するのに苦心したそうです。色々な素材を試し、7000個の試作品を作りました。そして7000回失敗しました。
 ついにエジソンは京都の竹から作られたフィラメントによって白熱電球の実用化に成功しました。
 しかし意地悪な記者が「エジソンさんは7000回失敗しましたね」と言いました。
 その時エジソンは「私は失敗などしていない。フィラメントに適さない素材を7000個発見しただけだ」と答えたそうです。
 失敗と言えば確かに失敗です。
 しかし偉大な発明のための消極的な発明だったとも言えます。

 転ぶことを恐れていたら、自分の足で歩けません。
 つまずいて転んで痛みを経験し血を流す中で、自分の足で歩く力がついてきます。痛みにも強くなります。そして痛みを知る人になります。
 私たちはつまずき倒れながら、主だけを信頼するようになっていきます。忍耐を学びます。そして痛みの中にある人に寄り添うことができるようになります。
 その経験が人を助ける力にもなります。

神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。

コリントの信徒への手紙二1:4

 最も痛みを経験した人は誰でしょう。イエス様です。だからイエス様は痛みの中にいる私たちを本当に慰めてくださいます。

順境でも逆境でも神はあなたを助ける

 私の人生には痛みや苦しみなんてない、という強い人もいるでしょう。
 自分には神など必要ないと思うかもしれません。
 この国に住む多くの人には暖かい家があり、着る服があり、食べるものがあります。普段の生活の中で神を求める必要性を忘れてしまいます。
 神を求め、恵みを求めるのは困ったときだけ。それでいいのでしょうか。
 ペトロが「あんな男は知らない」と言ってしまうことを、イエス様は知っていました。自分を裏切ること、自分を捨てることを知った上で、イエス様はペトロを愛していました。
 私たちが神を忘れて生きる時も、神は私たちを忘れず愛し続けています。
 そしてこの世を支配する力に惑わされやすい私たちに、力を与えてくれます。
 何の痛みも悩みも苦しみもない豊かな人生を送るのもいいです。それでも神様の恵みを求めることを忘れないでください。
 神様は私たちに時期にかなった助け、今ふさわしい助けを与えてくださいます。順境でも逆境でも、神様はあなたに力を与えます。

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。

エフェソの信徒への手紙6:10

 今もし痛み、悩み、苦しみの中にいるなら、イエス様はそこから立ち上がる力を与えてくださいます。
 もし自分の周りに痛み、悩み、苦しむ人がいるなら、イエス様の愛を届けていきましょう。
 自分の基準で判断してはいけません。強い私にはわからなくても、その人にとって苦しみは現実なのです。
 痛みを知っている主だけが、今ふさわしい助けを与えてくださいます。

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