礼拝で一つになる

歴代誌講解49

礼拝で一つになる

歴代誌下 15:1-17

1 オデドの子アザルヤに神の霊が臨んだ。2 彼はアサの前に進み出て言った。「アサよ、すべてのユダとベニヤミンの人々よ、わたしに耳を傾けなさい。あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる。もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちに御自分を示してくださる。しかし、もし主を捨てるなら、主もあなたたちを捨て去られる。3 長い間、イスラエルにはまことの神もなく、教える祭司もなく、律法もなかった。4 しかし彼らは、苦悩の中でイスラエルの神、主に立ち帰り、主を求めたので、主は彼らに御自分を示してくださった。5 そのころこの地のすべての住民は甚だしい騒乱に巻き込まれ、安心して行き来することができなかった。6 神があらゆる苦悩をもって混乱させられたので、国と国、町と町が互いに破壊し合ったのだ。7 しかし、あなたたちは勇気を出しなさい。落胆してはならない。あなたたちの行いには、必ず報いがある。」8 アサはこの言葉と預言者オデドの預言を聞いて、勇気を得、ユダとベニヤミンの全土から、またエフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき偶像を除き去り、主の前廊の前にある主の祭壇を新しくした。9 こうして彼はユダとベニヤミンのすべての者およびエフライム、マナセ、シメオンから彼らのもとに身を寄せている寄留者たちを集めた。彼の神、主が彼と共におられるのを見て、イスラエルから多くの者が彼のもとに投降した。10 アサの治世第十五年の第三の月に、彼らはエルサレムに集まった。11 その日彼らは、分捕って引いて来た雄牛七百頭、羊七千匹を屠って主にささげた。12 そして彼らは、心を尽くし、魂を尽くして先祖の神、主を求め、13 子供も大人も、男も女も、イスラエルの神、主を求めない者はだれでも死刑に処せられるという契約を結んだ。14 彼らは大声で叫び、ラッパと角笛を吹いて主に誓った。15 ユダの皆がこの誓いを喜び祝った。皆が心の底から誓い、喜んで主を求めたからである。主は彼らに御自分をお示しになり、主は、周囲の者たちから彼らを守って、安らぎを与えられた。16 更にアサ王は母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒して砕き、キドロンの谷で焼き捨てた。17 聖なる高台はイスラエルから取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった。

賛美というジャンルでわれわれは一つ

 日本の代表的なゴスペルシンガーであり、牧師でもあった小坂忠さんが先月29日、天に召されました。
 小坂さんは日本コロムビアから「ザ・フローラル」のボーカルとしてデビュー。その後バンドは解散しますが、ソロとしても活躍していました。
 そんな時、娘の亜実さんが全身やけどを負ってしまいます。
 妻の祖母がクリスチャンで、教会で祈ってもらいました。すると亜実さんはやけどの痕が残ることもなくきれいに癒されました。
 このことがきっかけで教会に通い始め、夫婦で受洗します。
 そして日本初のゴスペル専門レーベル「ミクタムレコード」を立ち上げます。それまで伝統的な聖歌、賛美歌中心だった日本のキリスト教界に、新しい賛美を届けました。
 音楽宣教団体である「ユーオーディア」代表の柳瀬洋さんは、ドイツ留学から帰国した時に小坂さんが主宰していたクリスチャン芸術家の集まりに参加しました。そこで小坂さんに出会い、「音楽のジャンルはみんな違うけど、賛美というジャンルでわれわれは一つ」と言われたそうです。
 小坂さんの追悼告別式は約800席のホールで行われましたが満席となり、多くの方が別れを惜しみました。そこにはクリスチャンではないミュージシャンも多く参加していましたが、小坂さんが自身の葬儀のために作った「He comes with the glory」を共に歌い、主を賛美しました。
 またメッセージを語ったアーサー・ホーランド牧師は、小坂さんは賛美を通してイエス様に出会って欲しいという願いを持って歌い続けてきたと語り、祈りを導きました。
 追悼告別式という名前ではありましたが、これはまさしく礼拝で、集まった800人は賛美、御言葉、祈りにおいて一つにされたと言えるでしょう。

御言葉に聞き従い改革される

 今日の本文は南ユダ王国3代アサ王の話第2部、アサ王の宗教改革です。
 きっかけはオデドの子アザルヤという人に聖霊が降り、神の言葉を語ったことでした。
 アザルヤは「あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいる。あなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちにご自分を示してくださる。しかしあなたたちが主を捨てるなら、主もあなたたちを捨てる」という原則を伝えます。
 そして士師時代に先祖たちが主を求めなかったとき、先祖たちは安心して暮らすことができず、部族同士、町同士で争ったという歴史を語ります。
 そして勇気を出して行動するよう励まします。

アザルヤの預言に聞き従った

 父親のオデドは預言者として神の言葉を伝えていたようです。しかしアザルヤは預言者とは言われていません。
 若造が王の前で何を言っているんだ。オヤジのマネをして預言者ごっこか。調子に乗るな。牢にぶち込め!とは言いませんでした。
 アサは南ユダ王国全体で主を求めることを決意します。そして偶像を除き去り、神殿にある祭壇を新しくしました。

律法通りに礼拝し壊れたものを再建する

 改革は御言葉に聞き従うところから始まります。
 バビロン捕囚から帰還した民はそれぞれの先祖の町に帰りました。
 しかしそこには70年間、他の人が住み着いています。先祖の町に帰って来たのに、彼らはよそ者のように肩身の狭い思いをしなければなりませんでした。
 そこでゼルバベルとヨシュアは民をエルサレムに集めました。
 そして律法に書かれたとおりに礼拝をささげることにしました。
 彼らがまずしたことはかつての土台の上に祭壇を築くことでした。

彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、その昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげた。

エズラ記3:3

 こうして礼拝において一つにされた民は力を得、神殿の基礎部分まで再建します。

あなたは何を捨て何を新しくするのか

 私たちも宗教改革が必要ではないでしょうか。
 壊れたものを建て直さなければならないと感じることはないでしょうか。
 毎週毎週の礼拝で、あなたは何を捨て、何を新しくせよと語られていますか。
 日曜日だけではありません。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとしてささげなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝である。とパウロは言います。平日も主を求めて生活しているでしょうか。
 もし何の感動もなくマンネリ化した礼拝をささげているとしたら、この世でクリスチャンとして生きることに肩身の狭さを感じているとしたら、改革が必要です。
 キリストの言葉を聞き、改革するのです。

イエスがあなたに回復を与えようと招いている

 エリコの徴税人の頭だったザアカイは不正な方法でたくさんの富を蓄え、町の人から嫌われていました。
 イエスがエリコに来るというので一目見たいと思いましたが、大勢の群衆に遮られ、しかも背が低いので見えません。そこでいちじく桑の木に登りました。
 そこを通りかかったイエスは上を見上げ、ザアカイを呼びます。そしてザアカイの家にぜひ泊まりたいというのです。
 これを聞いたザアカイは喜んでイエスを迎え、蓄えておいた富を貧しい人々に分け与えました。
 キリストの言葉を聞いて、壊れた彼の人生は立て直されました。
 イエスは言います。

人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

ルカによる福音書19:10

 アザルヤが言うように、主を求めることが大事です。
 しかし私たちが主を求めるより先に、イエスが私たちを探し求めています。
 神との関係を回復させ、壊れた人生を回復させたいと願っています。
 イエス様があなたの名を呼びます。
 一緒にイエスの声に聞き従い、捨てるものを捨て、新しい人生を歩み出しましょう。

礼拝者の家族にも変革が起こる

 アサ王の改革は家族にも及びます。

偶像崇拝する母を追放

 母マアカは先代の王の妻として権力を持っていました。
 しかし彼女がアシェラ像を作ったので、アサは彼女をその地位から追放。アシェラ像を砕き、焼き捨てました。
 アサ王の年齢はわかりません。父アビヤの治世が3年でアサが41年なのを見ると、アサがまだ幼い時に王になった可能性があります。
 すると実際の権力は母マアカが握っていた可能性もあります。
 アサは王と並ぶ権力を持ち、自分の母親でもあるマアカに屈することはありませんでした。
 主と心を一つにし、改革を実行しました。

イエスの声を聞こうと集まる人こそ神の家族

 イエスが会堂で教えていた時、周りに大勢の人が座っていました。
 そこにイエスの母と兄弟たちが来ました。彼らはイエスがおかしくなったと思い、連れ戻しに来たのです。
 イエスはこう答えます。

周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。

マルコによる福音書3:34

 イエスがご自分の家族と言われたのは、イエスの声を聞こうと集まり、座っている人々です。
 神の言葉を聞こうと集まる人々が神の家族です。

神を最優先にするとき家族も変えられていく

 ではイエスは肉の家族を見捨てたのかというと、そうではありません。
 幼少期のイエスが家族に仕えたと記録されていますし、父ヨセフが亡くなった後に大工の仕事を継いで家族を支えたのでしょう。そして十字架で息を引き取る前に母マリアをヨハネに委ねました。
 イエス様は神様を最優先にし、家族も当然愛しました。
 そして弟のヤコブやユダは後にイエスを主と信じ、教会のリーダーになり、ヤコブの手紙とユダの手紙を書いたとされています。

 私たちがイエス様の声に聞き従おうとするとき、家族が最大のハードルになることがあります。家族の問題で礼拝をささげられなくなることもあります。
 父母を敬い家族を愛することは当然大事なのですが、私たちは神の子としての人生を選び取れるか選択を迫られます。
 イエスの声を聞こうと集まるなら私たちは神の家族とされ、肉の家族も共に神の家族の輪に加えられていきます。

バラバラだった人間を再び一つに

 アザルヤの預言の中で国と国、町と町が互いに破壊し合ったと言われています。
 神を求めない時、互いに対立が生じます。
 これは同じ国の中でも、同じ民族の中でも起こります。
 この時代、同じイスラエル人同士が北と南に分かれ、敵対しています。
 同じ家族の間であっても、主なる神を求めない母親のために親子で対立が生じています。

バベルの塔によって人類はバラバラになった

ピーテル・ブリューゲル「バベルの塔」

 このような人間同士の対立は創世記に由来します。
 カインとアベルの対立もありましたが、グローバルな対立はバベルの塔がきっかけです。
 神を捨て天まで届く塔を建てて神に挑戦しようとした人間を神がバラバラにしました。
 その混乱は今も続いています。
 国と国が争い、同じ民族同士で敵対し、家族の中で対立します。

分断された南北の民が共に礼拝した

 アサ王が行った礼拝で驚くべきことが起こります。
 エルサレムの神殿に北イスラエルの人々も集まったのです。
 アサ王が主を求め、主が彼と共におられるのを見て人々は集まりました。
 そして南北のイスラエル人が共に礼拝をささげました。
 礼拝においてイスラエルの民が再び一つにされたのです。

 イスラエル再統一の願いは他の王たちも持っていました。
 ヤロブアムやレハブアムは武力で統一しようとしました。先代のアビヤ王は武力で領土を勝ち取りましたが、それは部分的で一時的です。
 共に神を礼拝することによって、一つになるのです。

共に神を賛美するように招かれている

 この礼拝はアサの治世第15年の第3の月に行われました。
 ユダヤのカレンダーを見ると、第3の月には五旬節(ペンテコステ)の祭りが行われる時期です。
 アサ王が行った礼拝ももしかすると五旬節の時に重ねて行ったものかもしれません。

 五旬節はイスラエル三大祭りの一つです。
 新約時代にも三大祭りの時には世界中に散らされたユダヤ人がエルサレムに集まって共に礼拝をささげていました。

 イエス様が死んで復活してから7週間後、五旬節の日が来ました。
 エルサレムには世界中から帰っていたユダヤ人がいました。彼らは自分たちが住んでいた国々の言葉で主を賛美する声を聞きました。

ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

使徒言行録2:11

 これが聖霊が降ったあのペンテコステの日の出来事です。
 集まっていた120人の弟子たちに聖霊が降り、彼らはほかの国々の言葉で神を賛美しました。
 バベルの塔以来バラバラにされていた人々が、それぞれの言葉で神を賛美できるように招かれています。
 そしてこの日、ペトロを通して語られた福音を聞き、3000人以上がイエス様を信じました。
 共にキリストを頭とする一つの体にされたのです。
 まさに私たちは礼拝で一つになります。

いっしょに礼拝しよう

 レハブアム以来、35年間バラバラだった民が再び一つになって礼拝をささげました。
 バベルの塔以来数千年間バラバラだった人類が再び一つになって神を賛美しました。
 神様は私たちを招いています。共に礼拝しようと。
 イエス・キリストは失われた人を探して救うために来ました。
 教会の外側にいる人たちも、共にあなたの言葉で神を賛美しようと聖霊は招いています。
 この同じ神を見上げる時に、私たちはあらゆる隔ての壁を超えて一つにされます。キリストを頭として互いに体の部分になります。
 だから共に集い、人々を招き、共に礼拝しましょう。
 あなたの周りにいる、まだ救われていない人を礼拝に招くのです。
 礼拝で私たちは一つになり、家族も一つになり、友だちも一つになります。

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