Blog主日説教使徒言行録講解

神があなたに任せた人々

使徒言行録講解41

神があなたに任せた人々

使徒言行録27:13-24

13 ときに、南風が静かに吹いて来たので、人々は望みどおりに事が運ぶと考えて錨を上げ、クレタ島の岸に沿って進んだ。14 しかし、間もなく「エウラキロン」と呼ばれる暴風が、島の方から吹き降ろして来た。15 船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができなかったので、わたしたちは流されるにまかせた。16 やがて、カウダという小島の陰に来たので、やっとのことで小舟をしっかりと引き寄せることができた。17 小舟を船に引き上げてから、船体には綱を巻きつけ、シルティスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて海錨を降ろし、流されるにまかせた。18 しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、19 三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。20 幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。21 人々は長い間、食事をとっていなかった。そのとき、パウロは彼らの中に立って言った。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたにちがいありません。22 しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。23 わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、24 こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』

励まし合った子どもたち

 先週19日に香川県坂出市の与島沖で海上タクシーの船が沈没する事故がありました。
 この船には修学旅行中の小学生52人を含む62人が乗っていました。海の中の岩礁とぶつかり、船が壊れてしまったようです。乗っていた人たちは救命胴衣を着て海に飛び込んだり、転覆した船に乗ったりして助けを待ち、全員無事に救助されました。
 楽しい修学旅行の最中に事故にあってしまった。しかも海の上で船が沈没してしまう。これは大人でも怖いことです。パニックになってもおかしくありません。
 それでも全員が無事に助かったのは、船員や先生たちの的確な指示があったかもしれません。
 また子どもたち同士で励ます姿もあったようです。沈みゆく船から勇敢に飛び込んだり、先に助かった子が「大丈夫やけんの」とか「こっちこい」とか励ましていたようです。
 とても怖かったと思いますが、このような励ましによって被害を抑えられたという部分もあるのではないかと思います。

パウロ、漂流する

 今日の本文はパウロたちを乗せた船が漂流する場面です。
 良い港から、冬を越すのにもっと良い港を目指すことになりました。
 パウロはその危険を訴えていましたが、囚人だし船の専門家でもないパウロの意見は聞かれませんでした。
 風向きは南からの風。岬をまわってクレタ島の岸に沿って進むのに適した風です。
 順調に行けると思った矢先、エウラキロンという暴風が吹いてきました。この言葉は東からの風を意味するギリシア語「ユーロス(Euros)」と北からの風を意味するラテン語「アクイロ(Aquilo)」を合成した言葉のようです。ですから北東からの風ということですね。
 この暴風に逆らって進むことができず、船は流されていきます。カウダという小島の方まで流されました。
 船はさらに流されていきます。このまま行くと、北アフリカの方にあるシルティスの浅瀬に乗り上げてしまいます。そこは多くの船を飲み込んできた危険な海域です。
 距離はまだありますが、船員たちは恐れていました。
 それで船を補強し、錨を下ろして流されにくくしました。
 しかし暴風は何日も続きました。転覆を防ぐため、ローマへ運ぶ食料や船具などを海に投げ捨てました。
 太陽も星も見えません。昼間も暗いこの嵐の中、船がどのあたりにあるのかもわかりません。
 食事もできる状況ではありません。
 もう助かる望みは完全に消えようとしていました。
 そのときパウロが立ち上がって言います。「元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうちだれ一人として命を失う者はないのです。わたしが仕え、礼拝している神からの天使が昨夜わたしのそばに立って、こう言われました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』」と。

望みも消えゆくまでに世の嵐に悩むとき

 嵐に飲み込まれ、できることをやったけれどどうしようもなく、希望を失う。そのような状況に置かれることがあります。
 イエス様の弟子たちもガリラヤ湖で嵐にあいました。
 弟子たちの中には漁師だった者が4人もいます。しかし彼らの懸命な努力も甲斐なく、船は沈みそうになっていました。
 そのとき思い出しました。「イエス様は?みんなで必死に水をかき出してるのに、イエス様の姿が見えない。何してるんだ?あ、船の後ろで寝てる!先生、よく寝ていられますね!私たちがおぼれてもいいんですか!」
 起こされたイエス様は「黙れ。静まれ」と言いました。すると嵐はすっかり静まってしまいました。
 人間の力も、この世の力も何も頼れなくなったとき、私たちはやっと思い出します。イエス様がいると。

 エジプトで奴隷の生活を送っていたイスラエルの民は、死の災いを過越し、脱出しました。それは彼ら自身の力ではなく、完全に主の恵みでした。
 エジプトから脱出する途中、イスラエルの民は海辺に来ました。
 そこにエジプトの大軍が迫ります。
 前には海。後ろからはエジプト軍。どうしようもありません。民は恐れ、モーセに不満をぶつけました。
 そこでモーセは言います。

モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。

出エジプト記14:13

 落ち着いて、主の救いを見なさい。
 モーセが海に向かって手を差し伸べると、風が吹いてきて海が裂け、道ができました。
 私たちはすぐに忘れてしまうのです。主の恵みを。

闇の中に輝く光に目を留める

 この困難な状況がいつまで続くのか。嵐や敵に追われている人はいないでしょうが、困難な状況にある人も少なくないと思います。
 寒くなってきてまた新型コロナウイルスの感染者が増えてきました。この3連休、東京から地方へ向かう高速道路では渋滞が発生しています。多くの人が移動しているわけですね。
 浜松でも新たなクラスターがいくつか発生しています。
 臨時休校する学校や臨時休業する会社も出ていますね。
 感染も怖い。また仕事や生活への影響も怖いです。
 望みも消えゆくまでに世の嵐に悩まされ、自ら命を絶つ人も増えています。
 しかしそのような状況で、私たちは主に望みを置くことができます。
 自分の力もこの世の力も頼れなくても、主が共にいます。
 恐れてはいけない。落ち着いて、主の救いを見なさい。
 置かれている状況がどんなに悪くても、その闇の中に輝く光に目を留めていきましょう。

イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

ヨハネによる福音書8:12

 イエスは世の光です。

私たちも世の光

 闇の中に輝く光、世の光はイエス様。
 イエス様だけではありません。光を受け、反射させるものもまた世の光です。
 それはイエス様につながっている、私たちです。

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

マタイによる福音書5:14

 暴風によって何日も漂流し、船員たちも希望を失いかけていたとき、パウロが立ち上がりました。
 「ほら、言ったじゃん。危ないって。」そう言いたくもなりますよね。
 パウロが言いたいのは文句だけではありません。主の約束を語ります。
 天使がパウロにこう言いました。『パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ。』
  パウロにはやるべきことがある。だからここで死ぬわけにはいかないよ。あなたのゆえに、一緒に船に乗っている人たちを守るよ。という約束です。
 だから船については保証できないけど、皆さん誰一人、命を失うことはありません。
 パウロ一人のゆえに、一緒にいる人たちが守られる。
 パウロと一緒にいる人たちを、神はパウロに任せているのです。

神と人格的に交わる

 主はアブラハムに現れ、「ソドムとゴモラの罪が重いから見てくる」と言いました。その罪を確かめ、滅ぼすという宣告です。
 全能の神様がこれからしようとすることを、わざわざアブラハムに報告する必要はないではありませんか。神の計画は絶対で、変わらないのだから。
 それでもアブラハムは主に訴えます。「もしあの町に正しい者が50人いるとしても、滅ぼすのですか?正しい者を悪い者と一緒に滅ぼすなんて、正義の神様のすることですか?」
 すると主は、「50人いれば滅ぼさない」と約束しました。
 そしてさらにアブラハムは交渉し、10人いれば滅ぼさないということになりました。
 結局正しい者は10人もおらず、ソドムとゴモラは滅びました。しかし主がアブラハムと相談し、交渉に乗ったというのは驚くべきことです。
 神と人との人格的な交わりがあります。

キリストと共に世界を治めるために

 これは主が望んでおられることです。弟子たちを呼び集め、彼らを友と呼びました。
 キリストの十字架と復活を信じた私たちは、キリストの体とされています。
 キリストと共に世界を治めることが求められています。
 神がパウロに、一緒に船に乗っていた人たちを任せたように、神が私たちに任せた人たちがいます。
 それは家族かもしれないし、職場や学校の人たちかもしれません。住んでいる町の人たちかもしれません。あるいは、たまたま同じ船、同じ電車やバスに乗り合わせた人たちかもしれません。
 私たちはそこに、神の国の大使として遣わされています。
 私たちのゆえに、そこに祝福が臨みます。
 そして任された人たちの祝福を神に祈る責任があります。

 新しい一週間も、神様があなたに任せてくださった人々のところへ、祝福を携えて出ていきましょう。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください